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Go To Zeroを聴きながら

小山卓治を聴きながら夢の国
今日が終わってまた明日

親を見送る

2012年01月21日 | 日記
小さい頃は
親がこの世からいなくなるなんて
考えられなかったし
もしどちらかが死んじゃったら
きっと悲しくて悲しくて
生きていけないだろうって
真剣に思った。

そして世の大人達が自分の親を亡くしても
気が狂うわけでもなく
死んじゃうわけでもなく
毎日をやりすごしていける様を見ながら
「そうか、そういうことも平気になるのが大人なんだ」と
妙に納得して
さみしさを感じながらも
でもほっとしたものだった。

そして、私も大人になって
結構いい年になった3年前
母を亡くした。

そう、私はいい大人だから
気も狂わず
後を追っかけるわけでもなく
毎日をやりすごしている。
明るく、元気に
何事も変わらぬように。

でも本当は
いなくなってしまったさみしさと
悲しみでいっぱいな心があって
時にそれがはち切れんばかりに
どうしようもなくなることもある。

もう長くはないと言われた父がいなくなったら
私はみなしごになってしまうじゃないかと
真夜中の天井を見続けることもある。

そして
「ちっとも平気にならないじゃん」と
独り言いいながら
布団かぶって
涙眼をつぶって
朝を迎える。
そんな繰り返し。

きっとかつて大人だった人たちも
同じように幾度もそんな朝を迎えたのだろうな。















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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ゆう)
2012-01-21 09:18:18
私は、子どもの頃に親を亡くしたから
人が死ぬ事って、よくわからないうちに
気がついたら、普通の生活になっていました。
(もちろん、普通じゃないんだけどね。汗)

だから、未だに
いないはずの親が
夢の中で出てくると、本気で
「あれは、ウソだったんだよね。やっぱり生きてるんだよね」って思います。

大人になって、親になった今は
子どもに見送ってもらえる事が
幸せなんだなって思います。

だからきっと、空の上で
笑っているって、信じられるように
なりました。


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Unknown (pikake)
2012-01-21 13:40:17
ゆうさん
そうですね。
子どもに見送ってもらえる親は幸せですね。

今はいろんな選択肢があるから
生前にいろんな想いを家族と共有することも
とっても大切なことだと思います。

ハッピーエンドの死なんてないけれど
送る方も送られる方も
繋いできたものを
大事にできる時間があるなら
そうしたいと願います。
でもできなかったとしても
やっぱりそれでもいいんだよね。

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