
届く度に遠のいてく 現在ここにいることのその意味
受け入れることは諦めなのか?それとも勇気なのか?
生まれたこと 死に往くこと そこにはきっと意味なんてない
でも歌う 歌にさえならぬ声で 声にさえならぬ呼吸で
(浜田裕介:呼吸-Breath-より)
医師に「あと数日です。」と言われ
その通りに父はゆっくりと旅立って逝った。
最期の日々を父と二人で過ごし
その呼吸を見守った。
静かな病室の時間の中で
彼が生きている証は
手のぬくもりと呼吸だけ
天使のようなナースの温かい言葉に
夜の静寂のなかで何度ホッとしたことか。
最期まで看てくれるはずの母が先に逝って3年
その後、坂を転げ落ちるように父は身も心も痩せていった。
「何が欲しい?」と耳元で聞くと
声にならないことばで
「かあさんのところに逝きたい」と。
それからほどなくして
話も意思表示もまったくできなくなった父。
夫がしみじみと言った。
「生き続けるって辛いことだね。」
息子が切なそうに言った。
「生きていて何の意味があるのかな、おじいちゃん。」
生まれてきたこと
死に往くことに
意味なんてない
ただただ全うするだけ
生きたくても生きられなかった母
死にたくても逝けなかった父
そんなものだ。
でもきっと死ぬまで問い続けるんだろうな
生まれたことの意味
死に往くことの意味。
〈呼吸〉は
病床で繰り返し父に歌ってあげた歌。
歌は人を救えないけれど
答えを出してはくれないけれど
その美しい言葉やメロディは
共に過ごした時間の中で
二人を繋げてくれたと感じている。
ありがとうございます。
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
命の中に、もう家族はつながって生きている。
父母がいたから、自分がいる。
生きてきた証は、ずっと自分の中にある。
紡がれゆく命は、それだけで生きていた
意味があると思う。
人は生まれたときだって
呼吸だけだ。
意思はあとからついてくる。
生まれてくる意味も、わからずに。
最後の時は、その呼吸を一休みして
また次の命の中で、呼吸する。
私はそう思っている。
ご両親は永遠に、命の中に刻まれ
生きてると思います。
お疲れ様でした。
寂しさは、そう簡単には
拭えないけど、きっとお父様は幸せな気持ちで
旅立たれた思いますよ。
取り留めない文で、すみません。
自分達が子供の頃、親は大きな存在だった。
でも、いつしか、時と共に逆転して
親は子どものようになる。
そして亡くなってから、
最後にもう一度存在は逆転し
大きな存在、親に戻る。
骨となった親へは、もう何の期待も持たず
ただ親であっただけの存在として
照れも、欲も、後悔も、何もない素直な心で、
生きている時にはできなかった出会いを果たしてほしい。
という内容でした。
存在はなくなっても
心の中の存在は決して消えることはなく
父との思い出の中で、これからも思いがけない
出会いがあるんだなと思いました。
本当に縁のある人との出会いは
生きている時だけではなく
亡くなってからの出会いも含めて
一つのものなんだと感じました。
命の深遠さに驚きながら
もしかしたら、最後に行き着くところは
ただ出会えて良かったという
深い歓びなのかもしれない、とも思いました。
こちらこそありがとうございます。
〈呼吸〉、ギターで挑戦していますが
難しいですね。
頑張ってみます。
こんな時に、この曲に出会えて嬉しく思っています。
ありがとうございます。
少し落ち着いて
日々は、また元のように過ぎていきます。
最期に一緒に過ごせた穏やかな時間が
今でもそこにあるように感じます。
これからの自分の生きていく時間は
そこから始まったような気がします。
あたたかい言葉をありがとう。
ありがとう。
母が逝き、父が逝き
今素直な何もない心で
改めて二人が歩んで来た軌跡を見つめ
それを自分のあり方につなげることが
できるようになった気がします。
あの二人の出会いがあって
自分が今ここにいる。
そして、私が夫と出会い
子ども達がここにいる。
ほんとに出会いにありがとうと
思う気持ちでいっぱいです。
ありがとう。