一生

人生観と死生観

沖縄人

2007-11-20 09:51:34 | 歴史
11月20日 曇り
 戦後沖縄から東京郊外に移住して寮に住んでいる人たちがいた。貧しい暮らしを余儀なくされていた。近くの通産省工業技術院電気試験所の独身寮に住んでいた私は年末の頃、多分ボーナスでも出た後だったか、彼らを慰問するため、詳細は忘れたが、何か持っていった。就職したばかりの若者に出来る程度のことだから大したものでなかった。ところが受け取った中年の男性が過剰とも思えるような感謝を口にするので私のほうが驚いてしまった。私は自分の力でやっていることでないような話をして逃げるように立ち去った。沖縄人の人情に触れた初めての経験だった。
 それから数年後私はアメリカ・ニューヨーク州の郊外でいわゆる戦争花嫁に逢った。アメリカ人は彼女を日本人Japaneseと言わず、OKINAWAN 沖縄人と呼ぶのだった。小柄な可愛らしい人だったと記憶する。
沖縄は人種的にはアイヌ民族と似ていると言われる。土着の原日本人の間に渡来人が割り込み、日本列島の中央に住み着いた。土着の人々は同化するか、逃げ散るかする外なかった。そんな歴史が沖縄の人々に刻まれた。彼らの彫りの深い目鼻立ちに感慨を持たされる。
 しかし沖縄人は現在いろいろな分野で活躍しており、差別や偏見をはね返して生きている。人は前を向いて生きるところに本来の幸せがある生き物だ。人種は関係がない。

最新の画像もっと見る