日本一周川下り

カヌーで全国一級河川を中心に川下りをした旅日記。
日本一周の楽しいやり方等、カヌーとは無関係に楽しめるでしょう。

 同 【2003年 9月 3日】

2006-11-26 05:59:53 | Weblog
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 昨日、古川さんに聞いていた、板柳の温泉、7時から開いてるとのこと、早速一番風呂のつもりで早朝に行った、が、自動車が来ていない、誰も来ていないようだ。自分が時間を聞き違えたんだと、PC打ち込みながら待つ。8時になった。その少し前から、従業員らしき人が次々と裏口へ行っている。ようやくPCもキリの良い所になったので、温泉に入ることにし、入り口へ。どうも様子が変、『おかしいなぁ?』と、思い、制服の別嬪さんが通ったので、『風呂へ入いりたいんだけど、どちらですか?』 『あ、それはこちらです。この向こうに、丁度、木の陰ですけど、あの木の向こう側に温泉があります。すぐそこですから、歩いてもすぐです。』何と、建物が違っていたのだ。私はこちらの建物の名前を聞いていたので、こちらに温泉があるものとばかり思っていたら、温泉は別棟だったのだ。

 行くとすでに大勢の人が入っている。それにしても朝風呂に入り、ゆったり気分になるなんて、『まるで、私も小原庄助さんだ。身上潰さないようにしなければ、』と、言ったって、私には身上なんて元々全く無い。もう、先から潰れて待っているようなものだ。
 それにしても、朝早くから、風呂に来ている人が多いなぁ、今、全国どこでも温泉があり、500円前後の所も多く、朝でも昼でも、お年寄りばかりでなく、若い人も沢山入っている、不思議な世の中になっている。ただ、以前は、「昼仕事して、夜は寝る」と、言うのが普通のことだったが、今は世の中が複雑になり、24時間社会は動いている、夜中でも、日曜日でも、仕事をしている人が沢山いるので、若者が朝風呂に来るのも、別に不思議なことではないと、考えた方が無理が無いことだろう。
赤くなったりんご
 昨日、岩木川にも沢山のリンゴが流れていたけれど、この辺りはリンゴ畑が続いている。色々な品種があるらしいが、私にはどれが何やら解らない。木によっては真っ赤になっているものやまだ青々としているものもある。この真っ赤なリンゴはもう収穫直前かな?
 さて、今日は弘前だ。弘前は、親父の生まれ故郷、祖父は、次男だったから、山形の青柳を出て、軍隊に入り、弘前隊へ所属、あの「八甲田山遭難事件」後の救助・捜索に行った。と聞いている。この事件が明治35年だから、親父はまだ5歳の子供だったことになるので、後に聞いたのだろうことは当然のこと。ただ、我々には、ほとんど何も教えられていない。もっと聞いておけば良かったと思っている。

 そう、あなたもあなたの知らない幼い時代のこと親から沢山お聞きしておくことお勧めです。また、同じように、あなたの子供には、その子が知らない幼い頃の話を沢山聞かせておくことお勧めです。この幼い頃の話、聞かせておくと子供は良い子に育ちますよ、絶対に!
 夕べの「べんけい」でも、話が出たのだけれど、「青森の自衛隊へ行けば、おじいさんの何かの手がかりがあるだろう」「弘前の自衛隊でも分るかもしれない」「八甲田事件の資料館が良いだろう」等など。

 で、弘前へ行って、先ずは、青森の自衛隊へ電話、『それはここには無いので、弘前の自衛隊が良いでしょう。』と。で、弘前自衛隊へ電話、『遭難者のことは沢山の資料があり、ここにも展示室があるが、捜索隊の資料があるかどうかは分りません。分る人が今外出しているけれど、暫くすると帰るので、また、お電話下さい。』 『では、そちらへ参ります。』 『では、入り口受付で、「広報室へ」と、言っておいで下さい。お待ちしています。』と、親切なお言葉。ナビで向う。30分ほどで到着。入り口にも連絡してくれていたので、話は早い。広報室へ行きかけると、若い美人が走ってこちらへ来られる。先ほどの広報のお方。『ご案内します。私、走っていきますので、車でついて来て下さい。』と、言い、やはり走り出した。驚いたね~。運動靴じゃなく、皮の中ヒールの事務靴でバンバン走っていく、坂道も走る。さすが自衛隊員、事務系の人も皆一応に鍛えているんだ、と感心する。

 先ずは、展示室へ案内され、当時の写真や遺品、服装、等など、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」にもあったと思うが、『青森隊は遭難したが弘前隊は精鋭主義で、少人数、事前に岩木山で練習し、通過各地の人に案内を頼み、民家に泊めてもらいながらの行軍だったので、あの猛吹雪の中にもかかわらず、事故なく、全員無事、自力帰還したのだそうだ。現在では、この弘前隊と青森隊の行動の差を企業が新入社員の研修に活用している所もあるそうです。』そんな話もお聞きしながら、昔の資料を見せていただくが、祖父の名が出ているような資料はなく、詳しい人もお帰りになられたが、『大東亜戦争の終戦の時に昔の資料は処分され、もうここにも当時の資料は残っていない。』とのこと。残念だが、祖父の何かの手がかりをと期待したけど見つからなかった。
 帰る段になり、私用の話が出ると、私が福山だと言うと、彼女の友達で、女性自衛官で福山の人がいる、やはり言葉があちらの感じなので、お聞きしたかった、と言うこと。世の中、本当に狭いものだ。帰ったら、内山さんの友達も探してみよう。

 では、これで青森の川もすんだし、用事も済んだ。よ~し、秋田へ向おう。少し腹もへっているが、岡林さんから聞いている、青森と秋田の境の辺りに「風穴食堂」がある、と言うことなので、そこまで我慢することにした。7号線をどんどん走り、県境へ来たら、大きなドライブインがあり、これに変わったのかな?とも思いながらも、もう少し行ってみようと坂を下るがそれらしきものが見つからない。つぶれたかな?腹もへったな!と、思いながら、まだ、下っていくと『あった~!有った、有った!』「風穴ドライブイン」と、看板。見つかった。良かった。ここだ!
 早速「ラーメン+カツ丼(小)¥650」也を注文。安くて、多くて、うまい。岡林さんが推奨するはずだ。名前の由来を聞いてみると、やはり近くに風穴があり、「長走風穴館」があるとのこと。見に行くほどでもないだろうと、そのまま出発した。

 兎に角、米代川目掛けて、行かねばならない。先ずは、「旅本」にある、早口駅近くの河川公園へ向う。
 近くまで来たけど、到着しない。分らない、早速、聞いてみよう、丁度、ご婦人が歩いていたので、『早口河川公園はどう行けば良いのですか?』 『私、この辺、まだよく分らないので、この辺の人に聞いてみましょう。』丁度、おじいさんが居られたので、彼女が聞いてくれた。じいちゃん『○○踏切○○役所○橋○○』。彼女が通訳『そこを右に回って、進み、踏切を越えて、まっすぐ行くと、役所の看板があるから、そのすぐ先を右へ行き、橋を渡れば公園です。』と。
 彼女『日本一周しておられるんですか?』 『はい、金は無いけど、時間だけは、た~っぷりあるので、それを活用し、一念発起しました。こうして、その地その地で、色々なお方とお話が出来、親切にして戴いて、毎日がすんごく、素ん晴らしい日々です。通訳してくださり、ありがとうございました。』 『頑張ってくださいね!』 『はい、ありがとうございます。楽しく、頑張ります。』

 中々良い公園があり、川面へも高さはあるけど簡単に降ろせるし、その川面はカヌーポートのように湾になっていて、『これは好い。』と、早速、カヌーを降ろし、スタート地点に決定。
 さて、ここでも寝れるけれど、ゴールは一応、二ツ井の「銀杏橋」の河川公園を予定とし、目指す。この銀杏橋の公園も中々よろしい。近くにスーパーもあり、草地も心地良さそうだし、回りに家もある。『よ~し、今夜はここだ。』
 テントを張り、食事の準備中、少し暗くなりかけていた頃、妙齢の御婦人が犬の散歩、『あら、日本一周ですか?好いですね。』 『はい、楽しいですよ。特に、その地、その地で、色々なお方とこうして話ができるのが、一番楽しい事ですね。特に、あなたのように秋田美人とお話ができたのが、最高です。』 『あら、うまいこと言って!暗いから、顔、見えないでしょう?』 『そう言われてみれば、暗くなりましたね。』 『今夜はごゆっくりやすんでください。』 『ありがとうございます。おやすみなさい。』 『おやすみなさい!』
《二ツ井河川公園泊》

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