番号 | 河川名 | 全長(km) | スタート地 | ゴール地 | 難易度 | 備考 |
4 | 常呂川 | 120(内約16) | 北見大橋上500m | 忠志橋 | 小難 | 沈体験の素敵で、綺麗な川 |
朝、犬の散歩の人がここもやはり沢山いらっしゃる。お一人が近づいて来られ、『新聞に出てましたね、カヌー私もやりたくて、屈斜路湖畔に土地を買い、将来そこへ住み、カヌーを自分で作って、乗りたいと思っているんです。』と、言われ、そこで少しお話し、もっとお話したかったが、朝でもあるので、早々にはお別れした。
テント片付け、出発地はここ北見大橋の上500m、カヌーを降ろし、公園のトイレに入って減量。すっきりして、ゴール地へ車を走らせ、暫くして、サイドのバックミラーを見ると『あれ、おかしいな?こんなものが…』と、降りてみると運転席のすぐ後ろの横棒に、大きなジュースが2本と例の北海道新聞と名刺が入れてあり、驚いた。車に乗る時、全く気が付かなかった。
早速、電話を入れると奥様が出られ、驚きと喜びそしてお礼を言い、『主人は仕事に行ってますが、お会いしたかったので…。』との事。では、直接ご主人にお話しようと、後ですることとし、今はゴール地点へ急ぐ。
先ず、「端野大橋」へ行くが川原は畑ばかり、川面へは難しそう。距離もここでは少し短い。
その下の「忠志橋」へ、行くと高さと流れ具合に少し問題があるけど、上陸不可能じゃない。安全対策に、少し下にロープを一本たらして、うまくいかなかった時には、そのロープを使えば何とかなるだろうと準備しておいた。少し早いけれど、ここで昼食にし、車を置いて、自転車で、スタート地へもどる。
昨日のように、舟に積むか、それともそれはすまいかと考えながら走る。途中、家の前庭がお花畑、家までの通路にも花だらけ、見事なお家が見つかったので、パチリ。
今夜も夕べと同じ、あの場所で寝よう、すると、彼とも話ができる。だったら、自転車を積む必要は無い。で、結論が出た。
さあ、スタートだ、と川原へ降りると、泥の上をミミズがいっぱいくねくねしている、と思い良く見ると、何と魚だ。うなぎのように細長く、泥の中に隠れていたのだろうけれど、水が引き苦しくなって、出てきたようで、元気なやつはピンピンピンピンはねて、水にたどり着く、弱いやつはそのままになるのだろう。かわいそうだからと掴んでは水に放り込んでやった。5~60匹は助けただろう。次々と出てくるので、いつまでやっても終わらない感じ、途中でとうとう止めた。強いものが生き残る、自然の掟に任すのが良いだろう。それが自然を愛することだ。
背中の土手の上から女性の声がして、『これから下られるんですか?』 『ハイ、下に車置いてあるんです。』 『あっ、それで、自転車で来られたんですね!』 『そうなんです。』 『気をつけ行ってらっしゃい。』 『ありがとうございます。』
キット新聞見られて、カヌーを見て、待ってて下さったのだろう。彼らの疑問も解けて安心してもらえただろう。
1317:離岸。常呂川(ところがわ)へ乗る。
ここはすぐに1、5級の瀬、大きく波をうち、白く、高くしぶきを飛ばしている。そのすぐ側を狙っていったが、何故かガツン!と大きな音がして、ボトムをぶっつけた。隠れ岩に気が着かなかったのだ。陸で見てた人にも聞こえただろう。その少し下で、先のご婦人とご主人が見送ってくださっている。手を振って挨拶した。北見大橋の下の瀬、これも短いけど素敵に、楽しい瀬、500mほど下るとまたまた気持ちの良い瀬がきた。今日も昨日の湧別の様に楽しい川になりそうだ。一寸暑くなってきたので、ライジャケを脱いだ。
それからまた500mほど下ると、左岸よりに木が倒れていて、それに沢山の流木などが絡まっている、ヤバイが、そこしか道は無い、余り近づかないで、ぎりぎりを行ってやろうと突っ込む、行くと、左に木、右から瀬の流れが左へ流れ込んでいた。『ヤバイ!』と、思い必死で漕ぐが自然の力は強いもの、グーと左に寄せられて、木の下へ入り込んだ、流れに押され、奥へはまり込んで止まった。『最悪、最悪!』と、自分に言いながら、強烈な流れに抗してバックを試みるが流れがはるかに強い。流れに横になるのはカヌーにはヤバイ方法、だが捕まった木から、逃れることが出来ないのだから、仕方なく、横へ逃げ出そうとスターンを流れに横向きにし、バックを入れた途端、ぐっと艇が傾き、流れがどっと入りこんだ。クラッとなって、即、沈。完沈だ。オープンデッキだから、身体が船の下敷になることは無いから、苦しさは全く無い、これがカナディアンの長所だ。
木からは離れて、やれやれだ、完沈のまま少し流れた。なぜだかボールペンがボトムの上に乗っている。左手でカヌーをしっかり掴み、右手はパドルを握っている。起こそうとするが起きない。空気が中に残り流れながらでは無理のようだからと、次の瀬に入らない内にと、岸へ押しやる。丁度、右岸側に石浜が続いており、そこへ流れながらも押しやり、岸へつけた。やれやれだ。
カヌーを起こし、水を出し、陸へ上がり、無くした物はボールペンと地図だけだ、後はサングラスも予備パドルも予備ライジャケも垢汲みも帽子も全部、無事、立派なものだ。やはりロープ使ってて良かった。そうなのです、細いロープで全てを結索しておいたのです。当たり前のことだけど・・・。
カヌーは沈するのは当たり前、沈を楽しむきらいさえある遊びだから、沈することは恥ずかしいことではない。しない方が面白さ・カヌーの楽しみが判らないくらいだ。ただ、沈後の処理がうまく出来たか、出来ていないかが問題となる。
過去の沈体験はこれで三回目!
一度目は愛媛の肘川でいねむりしてて、横流れで瀬に入り、ゆれ方がおかしいので目が覚め、立て直そうとパドルを入れた途端に水をすくい沈をしたことがある。
二度目は、’01年の夏の江の川、元気な子供達を二人乗せてて、ゴール間近、2級の瀬で、『沈するぞ~!』と、波にズボン、ズボンと突っ込み、三度突っ込んだら、水舟になり、ずぶずぶずぶ~とゆっくり沈んだ。これはわざと沈ませたのだ?その時の子は、その前に、父親と乗ってた時も沈したので。この日二度の沈体験をし、夜のファイアーミーティングで、沈体験の詩を作り、話題をさらった。彼がもし沈していなかったら、詩もできなかっただろう。人生、平凡が良いのじゃなく、非凡が楽しいし、非凡は人生を生き生きとさせてくれるものだ。
そうだ、もう一度有った。これは雁木式のポートで、私のカヌーじゃなく、平底のカナディアンだったけど、バウ近くで乗りかけて、片足乗っけた途端に、クラッと沈したことが有った。本のわずかなバランスの狂いだった。カヌーは中央の幅のあるところで乗ること。これが大事だ。
再乗艇して、下り始める。向かい風が吹きだし、きついし濡れているから、寒ささえ感じ始めた。次の岸辺でしっかり絞ろう。
石浜に着け、シャツもズボンもパンツもしっかり絞り、シャツの上に、雨具を着、ライジャケもつけて出発。その後も、次々と瀬が現れ、休む間が無い、休む間が無いから、周りの状況が余り目に入らない性もあるかもしれないけれど、今日は前半では鳥達の姿がほとんど見えなかった。
「端野大橋」の下は流れはあるが少しトロ場風の静かな流れ、ずっと下流に来て、瀬が無くなり流れだけはある、そんな場所へきて、ようやく鳥達の姿が見え、声が聞こえ始めた。事実、鳥がいなかったのか、それとも私が忙しかったから、気が付かなかっただけかもしれない、が、ここで、考えていて、ふと気がついた。今までは瀬が多く、流れが強いので、鳥達は餌を取ることが難しい、だから住みにくい。が、トロ場だと藻も生えているし、魚も取り易い、ゆっくり生活できる、だから、今までは瀬が多く流れがきついから鳥がいなかったのだ、と。考えついた。キット正解だ。
ゴールの「忠志橋」が見え、上陸地点へ着いた。流れの中だが、予備のロープも使わないで、スムーズに着岸、
1508:今日も非常に、最高に楽しい、生涯忘れ得ぬ、ダウンリバーだった。
すぐさま車にカヌーを乗っけて北見大橋へ。この方法、車を下へ置いておく方法は疲れた体で自転車漕ぐより、良さそうだ。今後、この方法もどんどん取り入れよう。そして、湧別のときのように、川の状況によっては自転車を積んで、下れば一度少ない行程でできるのだから…。
但し、自転車積んでいて、沈したら、それは非常に難しいことにはなるだろう、それだけに絶対に沈しないような、優しいところばかり進むことになりかねない。これも面白さ半減か?まあ、そこら辺は臨機応変にしよう。
夜、今朝の新聞など下さった秋山さんが来られ、話は次々と進み真に楽しい話が出来、名刺もお渡しできて、今後の彼のカヌーライフが楽しいものになることを期待して、お別れした。彼は非常に几帳面な感じのお方だから、必ず夢を達成されるに違いない。
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