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川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

葦のささやき・・・作品集

2007年12月21日 | 川柳
          現代川柳『泥』終刊号91名作品

函館 麗舟

ティーカップ一人は苦く病んでいる
少子高齢線香花火が燃え残り
曲水の宴に私の夢と愛

函館 豊子

人間が乾いて言葉ひびかない
ときめきの捻子を時折り巻き忘れ
カルチャーを渡り歩いて夢多彩

松山 澄江

羊腸の峠に残る父母の
囲繞する碑文は念と深く彫る
紙ふうせんまあるくたたむ風の遺書

北見 晩穂

残照を措き去りにして野の仏
故里の残響を抱く日の流れ
瞑想を続ける影が従いて来る

北見 敬子

陽に踊る視野一面の彩に酔う
故里の画布に花緒の下駄履いて
緑陰で流している明日

札幌 久子

初冠雪 熱いお茶を二つ入れ
画布いっぱい好きなひまわり描いて 秋
耐えた日の日記を閉じた菊の花

札幌 守

どろどろの水 発光するニンゲン
心奥はどこに 三体の石仏
波紋ひろがる 柳の根の異形

函館 羊孤

噴水に夢をうかべるアベマリア
地下街を抜け出て抱こう天の川
花火からアンモナイトも貰う恋
 
札幌 詔子

分解掃除晴れたり曇ったり
青空の覗くペンです水やります
どちらがあとに残る パズル解けない

旭川 麗水

とりどりの紐のたわむれ草紅葉
中天の月吊り上げる野外劇場
次ページに結論を置く砂の塔

追分 たかし

盆栽や花に蕾に枝はしる
ヒト科との一戦 月のひとり言
ごはん粒に 宿るほとけをつかむまで

函館 義治

束の間の人生ピエロの顔で行く
エリートの母がポツンと駅で待ち
携帯の誘い青い実転げ落ち

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葦のささやき・・・作品集

2007年12月20日 | 川柳
  2004・10月 現代川柳『泥』終刊号 91名作品

札幌 郁子
万象の舞台束の間のカーニバル
生きるため総身に負うたペナルティー
こぼれ種明日のいのちを賭けてみる

遠軽 敦子

いざゆかむ蝶の賛歌はうす茶色
蝶蝶に囲まれ翼をいただく
わんさと蝶が乱舞し街の名消える

岩見沢 倭文子

夕陽に染まるこいびとの海を抱く
かごめの輪ひとりを売った桐の花
夕焼けにこころ預けている至福

網走 柳舟

花時計リズムいのちは蝶の羽根
フラスコの壁に性善説がのこる
くちびるを拾い集めて声にする

苫小牧 進一

転がってまるくなる石尖る石
不条理に雲よお前も染まるのか
四コマの最後を見せぬ万華鏡

紋別 広光

仏像に未練を残して来た時間
てのひらに落ちてく儚い夢を置き
北風に別れを告げて来た不覚

苫小牧 うめの

電池ぎれその時シナリオどう変わる
少し淫らに少し崩れて保身術
親展の返信玉虫彩でくる

苫小牧 ミヨ子

母の日に果たして母と言えたのか
旬はいつどこから来たの冷凍魚
添い遂げるつもり今夜のサンマ焼く

苫小牧 信子

合鍵と浄土の話してひとり
シナリオにない人生の乱気流
プライドをいのちの糧のバラの刺

登別 雅子

こんなにも寂しい 穴があいちゃった
気まぐれな鞠で弾んでばかりいる
西へゆく雲とあしたを語り合う

札幌 玲子

噴水の天辺に作華墝
泥かぶる覚悟のページ花吹雪
終章を綺麗に飾る花を選る

埼玉 晩秋

水性の絵の具で書いた職務経歴
単線がでんと座してる日本海
裏切りの言葉を許すウーロン茶

函館 幸枝

所在ないペン夢の字を書いている
ほろ酔いのおんなの渦をみて女
有り様は命ひとつの性であり

上磯 ゆみこ

生き抜いて無常の花を摘んでいる
愚かさの極みの果てか核ごっこ

七飯 勇貴子

花となれ命育む甘露となれ
花となれ命清める香となれ
花となれ命を燃やす詩となれ

清里 禎子

花千本咲かせて私いなくなる
賞味期限とっくに過ぎた 手紙
私だけ知らなかった花火の行方

札幌 比呂子

花柄に呼ばれて春のカルテット
気休めの占いシュワッと血のコント
青春願望残り香の悪戯

函館 河鹿い

いやつが夏を背負って逝っちゃった
杖ついた影を夕陽に感謝する
まだ死ねぬ冬風の音愉しくて

小樽 有人

命ざんばら笑わぬ役を演じ切る
ひらがなのロゴスへ降りてゆく異端
窓のない列車タブーの森で消え

札幌 蘭

屹立すチャットの葦を刈り込んで
介錯を乞われてはこぶ粥の膳ぺナルティー
蛇の死骸を持ち歩く札幌 

札幌 一車

すこし怯懦にぎり拳はポケットにこもり
雪鶴の機織る音ばかり
しあわせが崩れた夜も葱きざむ

旭川 美茶

しろい景しろい小鳥の死にたがり
ユダ恋しくろい樹にいるくろい鳥
あおい月またひとつはき獣たり

当別 不凍

げに夏は絆ほころぶ兄・おとと
うすぶなの砂のざらつきわがざらつき
みずからを祀るほかなき穴の底

札幌 久枝

しろじろと我三千匹の骨をどうする
否定からはじまるやつまべにの種
青いボタン雨の日の青いシャツ
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葦のささやき・・・作品集

2007年12月19日 | 川柳
         2004・10月 現代川柳『泥』91名作品集

函館 苦朗                標津 カツ

人愛す涙の数の放浪記           定検の重い空気を吸っている
正論の槍はいつでも研いでおく       閉め忘れたか蛇口ぽとぽと生きている
極楽へまだ旅立てぬ白い地図        嘘を見抜かれ飴はほめたりちぎったり

旭川 笑葉                札幌 百合子
                     
生存証明のないかえらない木霊       自立を叫ぶすっくと立っているキリン
濁りから覚めぬ湖底のロスタイム      動物園の一頭ずつの悲しい眼        
どこまでも未練ゆきつく墓守に       笑うこと泣くこと人間で良かったな

余市 香京                旭川 茂雄

ハルウララあなたを応援しています     逃げ水を抱いて夏陽のゆうらゆら
もう一度聞きたいあの日の花言葉      舞台暗転切られた首が飯を喰う
あてのない手紙こころの放浪記       しあわせは腹から笑える友と酔い

小樽 竹生                東京 渓舟

天へ向くなお天へ向く葱坊主        古傷を風に晒して強くなる
他人事のように広がるオゾン穴       一病と上手に生きている手足
難民へ生きよ生きよと星の降る       うらおもてあるてのひらで握手する
 
江別 靖政                旭川 啓子

泥にまみれて光るもの 三つ        この街の未来に吊すちひろの絵
砂金なのか星だったのか 明るい闇     散るときは花の色抱く骨であれ
待ちきれぬ夜明け合鍵握りしめ       北国の女に雪の血がかよう

北見 花王子               堺 作二郎

泥捨てる引き込み線だなあと思う      一筆書きのサーカス点る 青ピカソ
遇かなる喧嘩愚かに人を刺す        スペインのひげ エロチカは沈下せり
天使じゃない煩悩の固形です        祭り月砂糖壺 脳さかさまの闘牛士

苫小牧 せつ子              姫路 芙美代

燃え尽きるまでは梳いていく修羅の髪    縄電車みんな攫ってみんなこぼして
首吊りの縄と男の棒グラフ         街は乾いて水をほしがる泥仏
雷鳴は止んだ目覚めたのは孤独       ていねいに葡萄をたべている 戦

苫小牧 トシ子              静岡 重尾

また一枚プライドはがされてレタス     でっかいやつも小さいやつも裏帳簿
胡散くさい私が浮遊 一句         底知れぬ奈落が続く壁の穴
金平糖どのとんがりにも 会話       眉間を小突く運動体は貪欲だ

さいたま 尾幸              千葉 忠兵衛

工夫した構図に優しいバラ一輪       生活が灯る団地の所帯数
煩悩の抜け殻捨てる場所がない       目刺し焼く北半球というところ
休日が欲しがっている肝機能        こどもらに地球をひとつ残さねば

京都 美也子               新潟 比呂夢

鳥抱いた月日ぼんやりある向こう      花歳時記やロマンチックに老いるべし
きずぐすり眠り薬にも甍          遅老遅死まで敵を知る検診か
歯痒さの育たぬように笛太鼓        とき色で舞う朱鷺ふたたび島の愛
                      
苫小牧 とし江              市川 素床
                      
鎮魂の組曲届け星空へ           あとは寝るだけ毛だらけの夫婦
歯車が錆びて歪な女傘           おーいお茶 いやばあさんは死んだのだ
青いバラ手中に落ちる夏の夢        手を振りつづける平凡が消えないように

宮城 昌子                江別 一州
                  
また一枚プライドはがされてレタス     ペン走る 憤怒の澱を吐くように
胡散くさい私が浮遊 一句         補助線を足すと崩れている作図
金平糖とのとんがりにも 会話       修羅抜けて希望の明日の海へ発つ
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呼 吸・・佐藤容子

2007年12月18日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

         本当に終わるのですか?なぜ三年なのですか?

『泥』五号を発送した後に届いた反応の大方は、こうした内容のものがみられた。

残念と言って下さる方もあれば、この潔さへの驚きのようなものと様々だった。

 三人の作品しか掲載していない誌を、三年も読んで頂くことは、ある意味でとても僭越なことと当初から思っていた。

ご自身の作品の掲載していない小誌を、購入して読んで下さった懐の深さや、異ジャンルの方々の好意に、どれほど支えられたことだろう。

忌憚のない感想や的確なアドバイスは、枯渇していた「泥」への養分となって何らかのかたちで吸収されたことは確かである。

決して作品に自信があってスタートした訳もなければ、問題提起をした訳でもない。ましてや、なにかを発信するに相応しいだけの確固たるメッセージを持っていたとも言い切れない。

自由に作品を発表できる「場」を持つということ、そして何より、そのプロセスを楽しむところにあった。

         小誌の三十句の作品発表は異例の数だったと言える。

この数が多いか、あるいはその逆なのかは読者によって意見が分かれているようだが、私たちには、こだわりの句数なのである。

自己表現するには不可欠な数であり、ごまかしの効かない数と、とらえていたのだから。

      しかし、これは予想以上にエネルギーを要し厳しかった。

結局、出来上がるたびに赤面し反省の極みに追い込まれていたのだが、切羽詰った状態での句作は、意外と覚醒してくるものだと言う事を知った。

このときの感情の昂ぶりと、それに反する冷静さは、理性や理想などの存在をどこかで否定し、見たものや聞いたこと、あるいは感じたことを直情的に捕らえて、予想外の展開を提起する効果があった。

              短詩形ならではの面白さである。

一種の、狂気に近い状態に精神を放出したとき、剥き出しになった思考や感情が、抽象と具象を行きつ戻りつ、自然体になっていくのである。

緊張の中から不用意に発せられる言葉が、善し悪しは別にして、不思議なほど自分自身なのである。

 言葉を発見するときの、緊張と、次に訪れる精神の開放、この呼吸の繰り返しは快適でさえあった。

         書くことで自分を開き、書くことで自分を閉じる。

         創ることで想を結び、解くことで想をひろげる。

         「泥」の誕生と解散、これも呼吸のひとつである。
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緞帳はゆっくり・・・青葉テイ子

2007年12月17日 | 川柳
         現代川柳『泥』終刊号(2004年・10月)

          三人衆の止むにやまれぬ思いが炸裂した。

         駆り立てられるものは何だったのだろう泥。 

  異なるキャラクターを持つ各々が、原型を留めたまま、凌ぎを削り合うた小劇場。

 それも温かく激しく見守ってくれた観客あればこそ・・・。ほとばしるもの泡立つものを、誰に制約されることなく、自由奔放に表現し得たことは、裸身を晒すにも似て面映い。

 それが、三人の生きる姿勢だとしたら、折り合いをつけるのも、むべなるかな。

 日本人の心を捉えて咲く、さくら ぱっと咲いてい散る花の美学にも似ての『泥』と言ったら、少し格好よすぎるかな・・・。

 『泥』に明け暮れ、産まねばならなかった三年の歳月は、たまらなく愛しい。

 星になれたか、小劇場の舞台俳優たちの、演技ならぬ演技が、神技と評したら究極のナルシストと、嘲笑されそうだが、満たされていま、舞台を去る至福を、ふと思う。

     沢山の血を肉を観客の皆さんから頂いて、『泥』は屹立した。

    ありがとう・・・の言葉を残して舞台を去る深々と頭を垂れて・・・。
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ひとつかみの愛 E

2007年12月16日 | 川柳

          現代川柳『泥』第五号  ミミズの考察

 今号の『泥』誌は、いつのまに、三人三様「伊藤紀子さん」のレクイエムを中心に文章が構成されておりました。

        開けないで つうの時間を織っています  紀子

 たくさんのファンが多い、この句ですが、絶唱と呼ぶにしても、「人間の限りあるいのち」の悲しさに、しっかり向かい合わなければいけないのも、川柳作家の信条であり、使命でもあるようです。(ここにも御三人のこころの深さ、すばらしい人間像が浮かんでくる訳であります。)

 今は亡き、容子さんの「雪の降る日」の追悼文には、私自身キーボードを見る目もかすみ、なんとも言えない、涙のオンパレードで・・雪どころか・雨・雨・雨。まいったなー状態でありました。

         ひとつかみの星 納骨堂に降りてくる  さとし

         の、句を「紀子さん」に、いかがでしょうか・・。

「星」は何十億光年も前に生まれた「光」を宇宙に放ち、そして、地球をも照らす。ひとつかみで「星」をつかんだものは、かつて宇宙にも、この地球上の歴史にも存在したことはない。幸い、「言葉の世界」が「唯一星をつかめる」創作力が認められる訳であります。・・「ひとつかみの壮大な愛」は、さとし氏の「いのち」によせる、宇宙観、人生観、死生観、人間性に裏打ちされた優れた精神世界がよく表白された、私の大好きな一句でもあります。

「散歩道」のテーマも、それぞれ自由に書かれているようにも見受けられますが、「テーマ」は『大衆』でありましよう。

 容子氏の「表と裏と」のオーイ!で始まる、時代の寵児、ビートたけしの「僕は馬鹿になった」の詩の鑑賞文。テイ子氏の映画「黄昏」は、現代の高齢化社会をさりげなく投影した鑑賞文。さとし氏の「バランス」は、古川柳(江戸大衆文芸)を引用して、ころは、江戸時代の今様に、ご夫婦の長屋の会話にちょっとおじゃましてしまった、読者。

 『泥』誌五号は、全編通じて、「起承転結」の、「転」にあたる部分です。

最終号は、「結」の部分になりますが、緞帳はゆっくり静かに潔く上がります。

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リサ・ランドールって素敵!E

2007年12月16日 | 川柳

 数ヶ月前、NHKテレビ「未来への提言」で、脳科学者の茂木健一郎氏と『ワープする宇宙~5次元時空の謎を解く』の著者で、科学者のリサ・ランドール(モデルのような美人45歳)博士の対談を見ました。

 いつか書こうと思っていましたが、機会を失っていました。

全米でベストセラーになった本と言うことにも興味がありましたし、何と言っても彼女の全体像から受ける印象が、例えテレビ画面と言えども「詩的な受け答え」「やさしく伝える5次元世界」「アインシュタインのイメージが強い宇宙理論から彼女の透明感のある知的な美人の立ち振る舞いがちょっと東洋的でoh!」と感じ、次の日、まず手短なところで「異次元は存在する」の彼女の本をネットで購入しました。

日本の宇宙飛行士「若田光一氏」との対談集でしたので、スラスラあっという間に読み終えましたが、読んだというだけで、それで5次元世界がわかろうはずもありません。

私たちが住んでいる3次元世界・・11次元世界まであるなどという文章を読んでいると「気の遠くなるような未知の大宇宙」としか書けないのは、ふつーの感覚であると思います。

アメリカ人は総じて「宇宙もの」が大好きな人種でありますが、島国日本はというと、宇宙といえば「かぐや姫の月への旅立ち」のおとぎ話や、「織姫・彦星」七夕と言ったら天の川、星の伝説など数え切れないほどの物語や歌、句の格好な「情操」としてのシンボルになっているのは周知のとおりだと思います。・・なかば・・生活文化に沁みついているのですが・・ここが二国の潜在的文化脳と、国民的遺伝子脳細胞の生育過程に『大きな違い』を見てしまうのです。

「アメリカ」は、宇宙から地球を救う「スーパーマン」「スターウォーズ」の映画や、いろいろな「宇宙戦争」のSFの世界で受け継がれていく、宇宙の強いヒーローにコントロールされた遺伝子脳細胞のプログラム。

アメリカと日本と世界の気の遠くなるような、政治的諸問題は、今に始まったことでもなく「脳のプログラムの一元化」を図らなければ・・「まともな方向」に成らないんじゃないかとさえ、短絡的に考えてしまいます。(笑)

対談の中で、若田氏は、宇宙から見た青く発光する「地球」を見て、「5次元の孤独」を感じ「この美しい青い星を守らなければいけないという使命を感じた」と語っております。

リサ氏は最後に、「21世紀の提言」として大切にしていかなければならないものの、キーワードが3つ書かれてありました。

     それは、「探究心」「理解力」そして「友情」と説明されております。

いくら探求しても、見ることの出来ない、はっきり言えば5感で感じることの出来ない「5次元世界」を解き明かす作業などというのは、とてつもなく地味で、難しく、永遠に実証がない、触れることさえ出来ない世界の研究をするとは、どんな気持ちになるのだろうか・・と、それは、5次元という世界が、彼女の脳細胞の世界との同一化を意味することでもあるのだろうとも思う。幼稚に言うと、5枚目の天の壁を探す方程式のようなものではないのだろうかと、凡人の私はふと、思ってしまう。

月・星・太陽・地球の出来事を句にする「遊ぶ」川柳の世界とは、分野は違っていても、何か大いに共通しているような気もしないではない。

 それは、宇宙も、地球も,そこに住む人間も、自然も全ては、メカニズムにおいてつながっているという、法則の上においてです。

リサ・ランドール氏の挑戦力の偉大さと全てを包括する強さ、たおやかさは別の意味で、「地球は小さな小さな宇宙の中の星なのだから・・宇宙を大切にするためにも地球を大切にしましょうよ・・取りわけ
・・地球の友情を・・」こんな声が聞こえてきそうな、対談でありました。

リサ・ランドール氏がアメリカの宇宙のシンボリックな存在にもっとなってくれたなら、アメリカの国民は、日本のように宇宙に寄せる「情操的平和」がより理解できるのではないだろうか・・・。  川柳も平和を守るために、柳人達はペン先をいつも磨いている。

世界のキーパーソンでもあるリサ・ランドール氏は、「不思議の国のアリス」のように、いつまでも美人でスマートで、宇宙を超えた、詩的な女性のシンボルでいて欲しい。

科学者の研究が、核兵器などに転用された20世紀から、献身・・愛・・真理の大切さを解く、そんな彼女の後姿に世界が注目しています。21世紀は、平和を呼ぶ世紀に!

              そんな、期待と予感! 

 


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ホームレス絶唱 E

2007年12月14日 | 川柳

 お金ない、地位ない、夢はある。古今東西おおよその若者に共通する身の置きどころではないだろうか。

 もう、ずいぶん昔ですが、私が23歳頃の新宿は、ヒッピーと呼ばれる、一種独得な若者文化がまだ姿を現していました。

 そして、また別に、今で言うホームレスも新宿の地下街で新聞紙に包まって横になっていたのを覚えています。

 一週間の仕事を終え、新宿に繰り出し遊び終えて、終電車を待っているとき、静岡弁丸出しで、心のすばらしい、ルームメートのセッちゃんと私の5メートルほど後ろに、身なりは汚いのだけれど、瞳が静かに美しく輝いてキリストのような50歳くらいのおじさんがこちらを見ていました。

「セッチャン・・ガム食べる?」私
「食べるよおーん!」セッチャン

   ロッテクールミントガムをポケットから取り出し封をあけていたら・・・。

「わたしたちばかりガム食べていちゃあ・・だめだによお・・お在所のかっさんにいつ も言われたダニー・・なーんでも食べ物はみーんなで分け与えなさいって・・」セッチ ャン

「あのおじさんに?・・あげるの?」私
「そうだらよお!・・みな・人間だによお・・!」セッチャン

 仕事では、バリバリの共通語で、仕事を離れるとバリバリの静岡弁に変わる器用な女性である。油絵を書くのが好きで、懐メロが大好きで、美空ひばりの「越後獅子の唄」は彼女のテーマソングでした。
 
「あーんたねえ・・だーれが好き好んで乞食になるねえ・・東京の人間は冷たくて嫌いだにい・・」セッチャン

そのおじさんに、ガムを2枚さしだし「「たべませんか?」と言ったら、「ありがとう!」と、今にも泣き出しそうな顔で二枚のガムを見つめていました。

    私は、やはり・・ちょっと怖いのでセッチャンに寄り添っていました。

「ありがとう・・ありがとう・・ほんとにありがとう・・!」と何べんも、何べんも頭を下げ出したおじさん・・。ガム2枚でこんなに感謝されたことのない、わたしたちふたりは、ただ・・「いいえ・・いいえ・・」と、手を小さく横に振ることしか出来ませんでした。

やがて、終電車に乗り込んだふたりでしたが、ドアが閉まっても・・電車が動き出してもまだ、頭を何度も下げていました。

電車の中でセッチャンは・・「わたしらは・・ガム2枚もらって・・あんなに感謝できるかい?あのおじさんに教えられたわ・・明日はわが身だって!」なんとも言えぬ想いが胸にジーンとたぎった。

 今だかつて、こんなすばらしい「ありがとう!」と「感謝のこころ」をこれほどいただいた体験をしていない。正真正銘の「ありがとう」だったような気がします。

         そして、そのこころがとても美しかった。

    わたしがホームレスの句を作るときは、このおじさんがモデルです。

            哲学の道に彷徨うホームレス






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開けないで つうの時間を織ってます・・伊藤紀子。

2007年12月13日 | 川柳
           現代川柳『泥』第五号 散隔情誼

◎パソコンゲームにすっかり嵌ってしまい、川柳の世界に戻るのにかなりの日時をようした。

 焦りともいささか趣を異にする、感情の谷間に漂いながらの時間の経過は、まことに容 赦のないもので、しかも残酷なものである。

 この号が出ると、残りは10月に最終号となる。最終号まで、充実した気力を持続させ ることが、いろいろなかたちで、支えてくれた人たちに報いることになるのだと肝にめ いじている。(さとし)
 
◎泥から立ち上がるものが、清らかな花か、凄みを帯びた花か、非常に興味が持たれま  す。三人の発信するものを自分の養分として取り込めたら・・・。

 閨秀作家、伊藤紀子さん「泥」創刊号送付の後に頂いた、身に余るメッセージだった。 今号、三人三様の思いのレクイエム、「空高く舞うつう」涙を流しながら書いた。「泥」五号泥の中をのた打ち回るにも似ての文、作品。いよいよ終焉の鐘が鳴る。ラスト スパートへ・・・。こんなにも夢中になれた『泥』とは私にとって何だったのか。
                                   (テイ子)

◎まさか、伊藤紀子さんのレクイエム特集になろうとは夢にも思っていなかった。

 ペンに 降り積もる雪が重たくて、一行も書けず何日も、ぼんやりと過ごした。この数 日間は、 彼女の作家としての、一人の女性としての生前聞く事のできなかった語らい に包まれていたような錯覚の中に身を置いていた。少しでも多くの人に、もう一度彼女 の作品に触れていただけるなら・・・、そんな願いを込めて、ようやくペンが動き出し たのは偶然にも彼女の49日だった。         (容子)
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バランス・・・池さとし

2007年12月11日 | 川柳
            現代川柳『泥』第五号 散歩道

 いつもより、特に雪の少ない正月を過ごした。このまま春までなどと、むしのいいことを考えていたが、どっこいそんなあまい考えを吹き飛ばすように、二月にはいると毎日のように降り続いている。

 自然の摂理も、やはり均衡が保たれていると言うことなのかも知れない。

「なに訳のわからないこと口走って・・」
「誰?・・・陰でささやいているの?」
 「まっ、のんびり本でも読もうかな」

 平安前期の女流歌人といえば、なんと言っても小野小町が代表格であろう。

 その小野小町には、いくつもの伝説がある。

 彼女の晩年はひどいもので、乞食同然のなりで流浪し死体は野ざらしになったとさえ伝えられている。
 
 そんな彼女のために、彼女を葬った小野家、小町堂、小町仏などの遺跡が各地に散在しているようだ。

「川柳と小野小町?・・・どんな繋がりがあるんだろうか?」

 もちろん古川柳の世界でのことになるのだが、武蔵坊弁慶とペアにさせられ、当時の一般庶民の揶揄を浴びているから面白い。

             弁慶と小町は馬鹿だなあ嬶ァ

         仲のいい夫婦が、寝床の中で話し合っているのです。
         なかなか味のある情景が、目に浮かんでくるようだ。

             弁慶と小町出雲の割りあまし

        出雲の神様にも、もて余されてしまった弁慶と小町。

      ふたりはなぜこうもひやかしの対象になっていたのだろうか?

小町は平安朝の女流歌人であり、女性的な優艶な情の溢れた歌を数多く世に出している。

 そんな彼女でありながらも、天はにもつを与えてはくれなかったようだ。

 はたから見ると、才長けていると思われているようだが、やはり悩みを持ち続けていたのだろうと思う。

          二月十一日、函館は今日も雪が降っている。
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