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月と金魚とウォシュレット

2007年12月01日 | 川柳
          現代川柳『泥』第五号・・・本多 洋子

 ユニークな川柳作家三人の同人誌「泥」が発行されて、さらに三年を迎える。

 三人という集まりがいい。一点では余りにも小さい存在。二点を結ぶと線にはなり得るが安定感がない。三点を繋いで初めて面になる。

 この三点それぞれの距離が実に均衡に保たれていて、お互い凭れあうことも歪み合うこともなく、見ていて気持ち良い存在なのである。そこには、これからの川柳をたしかな文芸として、心の底から愛する三人の姿があった。

 今現代川柳は過渡期に来ているといえる。短歌や俳句と同じように文芸としての一市民権を得ようとこれまで先人達が並々ならず努力してきたはずであるが、ここでふと立ち止まって、本来の川柳性とは何かに思いを馳せ始めたのである。

 ある人は狂句を見直せと言い、ある人は、三要素への回帰から新しい出発があると言い、ある人は、大衆性を重んじろと声をあげる。まさにカオスである。

 こんな時こそ、現代川柳の歩みをしっかり振り返って、個人個人がしっかり川柳の今を考え、これからを模索せねばならないと思っている。小さな同人誌だからこそ出来る確かな歩みをこの「泥」誌に期待して止まない。

                  ◎佐藤容子

             テロの棲む街に干してあるパンツ

 作品「月の息」三十句は、まず序奏として兵士の連作六句から始まる。掲句以外の五句は従来の容子作品に相応しく、滑らかなさくら色の体臭の漂うことば達で彩どられているのだが・・・つまり心象的な情景を提示して、暗にテロの棲む街に悲しいほどに潜在する人間臭さに焦点を当てた。

           月の吐く息の白さにせかされる   容子
           生きるため月を選別機にかける    容子

 月は古来多くの人達に幻想と世界を与えて来た。月の吐く息の白さに急がされて、おんなは女に戻るのかもしれない。冴えきった月光ではなく朧夜の月をさえ感じさせる。一転して月を選別機にかける句には、女の茶目っ気が感じられて、思いもかけない発想と言葉の発見に圧倒された。これは俳句ではない。まさしく川柳。

           音立てて水飲む体臭消えるまで  容子

 容子作品の独壇場。音立てて水を飲み干す時、昨日のそしておとといの愛憎は忽ち昇華されて、冬蝶は透明になれるのだろうか。序盤の「時効まで孤灯の下で糸を吐く」の句と呼応する作品。

 第一句目の「雨激し兵士は寡黙のまま沖へ」と後半にある。「ペンを持つ指は怒涛の海へ海へ」の二句は寡黙・沖・海へ等の重い語呂がかえって禍して、作者の想いが上滑りしてしまった。
                          続く・・・・。
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