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川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

雪の降る日に・・・佐藤容子

2007年12月05日 | 川柳
           現代川柳『泥』五号 レクイエム

           不凍湖の底をただようカレンダー

 洞爺湖の絵葉書に記されたこの作品を目にした時、思わず「あっ」と声が洩れてしまったことを思い出す。

この湖は、わたしには余りにも身近な風景で、すっかり見逃してしまっていたものだった。

 転勤族だった紀子さんの、処女句集「雪の皮膚」には洞爺村での生活や風景画、独特の繊細な感性でしっかりとみつめられ、作品化されたものがみられる。

 大きな文字で書かれたこの作品に触れたとき、彼女の日常の視点が、自然をいかに丁寧に冷静に見つめているかを知った瞬間でもあった。

 「あっ」と声を発してしまったのは、わたしが知らず知らずに雫してしまったおびただしい量の大切なものが、突然、目前に押し寄せてきたような錯覚に陥ってしまったからにほかならない。この湖を一句もかたちになしていなかった迂闊さに気づかされた瞬間なのである。

 女神が棲んでいるという伝説のある洞爺湖へ彼女はいくたび訪れていたのだろう。その水面は彼女が訪れるたびに、どのように光っていたのだろう。どのようにゆらいでいたのだろう。ひかりの粒を慈しみながら、丁寧に拾い集めている姿が浮かんでくる。ひかりの放った香りや、水が発した匂いも雫することなく集めている姿を・・・。

 彼女の作品の根底にはいつも自然の美しさが描かれていたように思える。そして一方では今を生きている人間への(ご自身への)眼差しも包含されていて作品がより深みを増していたように思う。

 水面の美しさとたっぷり過ごしたであろう視線は、やがて少しずつ湖底へと沈み無限の時刻(とき)とただよいながら彼女だけの宇宙を拡げていったのだろう。

 カレンダーに残された紀子さんだけの過去(きのう)現在(いま)未来(あす)は今も不凍湖の底をゆらゆら漂い続けているのだろうか。

            飛べそうで春の絨毯干している
            一束の薔薇の余熱で鳥になり

 紀子作品にみられる高貴な品位は、そのまま彼女のイメージとつながり、近寄りがたい雰囲気があった。

 わずか十七音字に品格を包含させるには、作品の対象となることやものが、それに相応しいものでなければならないだろうし、また、それらをどのようなプロセスで浄化しているかといった姿勢、また、どう表現しているのかという感性や個性、さらには知的センスまでが備わっていなければ、本当の意味での品位を作品に投影することはできないと思う。

 そう考えてみると彼女の作品から感じられる高貴な雰囲気というものは、それらを無意識のうちの超越していて、ことばを媒介に、言葉以上の別の表現方法が内在していたような気がしてならない。それは、作品の「豊かさ」「広さ」「深さ」に繋がる『幽玄の世界』とでも言えるようなものではないだろうか。

                               続く・・・。
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空高く舞う つう・・・青葉テイ子

2007年12月05日 | 川柳
            現代川柳第五号 レクイエム

            長女たり半身はいつも水の枷
 人の世の隙間へ延びるつたかずら
             父の忌に忽然と咲く桐の花
                      文字刻む石は妻よりやわらかい

 現象界の儚さ、無常観の中で、抒情詩人は薔薇の花弁のしなやかさを翻え捲き返して、生と死の普遍のテーマを見続けていたのに違いない。

 人は、いつの日か水に還る。紀子作品は全編通じて、水との拘りが多い。

 生きねばならぬ現世にあって、迸る水のいさぎよさも、沈殿している水の汚さも、静謐な川底の水も、みな、ひっくるめて必要不可欠な要素である。人の祈りにも似て種々多様な水の狭間で生かされている。解くこと叶わぬ水の枷、薄紫いろの花をつける桐の花、人間世界に浸透している、ゴマノハグサ科の落葉高木の木、悲しみの父の忌に咲いた桐の花は、紀子さんの耳に何を囁いたのであろうか。

           「もっとあかりを」ゲーテは言った。

     俗世の鮮烈な塵芥の中で、あなたは桐の花に何を託したのでしょうか。

            一つ身の金魚ひらひら婆もひらひら


光をまとうて生まれた赤児は、神からの贈り物か。

春のブランコ、プリマシュマロの柔肌、婆もひらひらあの嬉しさも愉しさも、その究極を表現する言葉がない。

前進で赤児を抱く歓びを表出している。
意思の環を抜けての産声は、生きんとする雄叫びでもあり、まわりを幸せ色一色に染め替える。

             昇華への実生の舟を播いている

 土への愛着か、昇華の絆を一層深くしたのでしょうか。

「雪の皮膚」句集、全編、菜の花いろに染めて、紀子川柳の絶唱句は、永遠に語り継がれることでしょう。

 結界を行きつ戻りつしながら、ホスピスでの四日間を過ごされた由、すでに達観の境地だったのでしょうか。

             溢れる才能を惜しまれながらの夭折。
                     永遠がやがて目覚め蘇る。

           見せてはならぬ青い鱗が落ちるから

         ◎ 開けないでつうの時間を織ってます

 凛として美しく、つうは機の音を響かせて布を織り続けた。開けないで・・・と呟きながら。

        生命の終焉を視つめながら・・・。
                   やがて、ひっそりと空高く舞う。

          遺句は私の心を揺さぶり続ける。 如月。
                                    合掌

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