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川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

『現代の詩』への肉迫・・・原子修

2007年12月30日 | 川柳
            現代川柳『泥』終刊号に

 それにしても、『泥』三人衆に共通の、肉声リズムの響き高さは、いったい、どこからくるのか?

        最後です 月をきれいに拭いている   佐藤容子

 読む者の耳元に唇ををよせてくるような、この肉感的な声調によって、実に巧妙に音数律の枠組みをカモフラージュしてしまう、この、技法を感じさせない技法の冴えは、どこからくるのか。<月をきれいに拭く>という想像力表現を想像力と思わせない。この、超イマジネーションの発露は、いかなる試練の果ての仙術なのか?

         いい顔になったね石を撫でている
         からっぽの抽出し誰の声だろう
         いもの花ごめんなさいを繰り返す
         ありがとうさようなら穴は掘り終えた   佐藤容子

 おそらくは、<石><抽出し><いもの花>などの題材と作者の境界を完全に消滅させ得るだけの、作者の愛の普遍性が、擬人法を媒介として、作者と題材を同一化させ、作者を内部に入りこませてしまうからなのだろう。

         闇ゆたか どこまで開く月の門  佐藤容子

 豊穣な魂だけが測り得る<闇>の<ゆたかさ>・・それもあってこその、慈味あふれる甘美な声の短章なのだ。

 もともとは口誦詩の系譜につながるはずの川柳も、ここまでくれば、すでに、現代の口
誦詩とよぶのがふさわしいのではないか。

         水あって泳がぬ魚を許されよ  佐藤容子

 内省と自己凝視の深奥からせせらぐこの自己批評の果ての想像力の発露は、美しくもむごい。
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