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川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

現代川柳「泥」・・花しずく 

2007年08月21日 | 川柳
    現代川柳「泥」花しずく

続き・・・

当別町 不凍
 以前から」関西」の「マーノ」のような柳誌が北海道にも、と思っておりました。外部に依存しない三者三様の個性のぶつかり合いを期待しています。

札幌市 一車
 日頃北海道人の個人・グループ誌の発展を望んでいる身にとって快哉を叫びます。これからも意欲的に継続していってください。手を携えて進みましょう。

松原市 洋子
 若さっていいな、とうらやましく拝見、今までのように大きな結社に頼る時代ではないと言うことですね。ひとり30句の掲載と言うのも魅力があります。

札幌市 修
 泥の手触り、泥の口ざわり、さすがです。
暗闇の指から発す声あまた/容子 現代の深部からの肉声です。水になるその一瞬の光芒か/テイ子 絶唱です。
 凍てつく夜人も山河も眠るべし/さとし 北の極限です。現代川柳・・・それは鋭くて
現代詩そのもの。

弘前市 大雪
 同人誌の良さは、自己責任が明確で、発言も作品発表も、さらに誌面の構成・企画も比較的に自由に出来るところにある。六回と限られた誌面にこの後どんな発言が載るのか大いに楽しみにしている。自分たちの作品の鑑賞・批評にとどまらず是非、他人の作品まで俎上に上げて欲しい。作品には意気込みが溢れ、新鮮な気負いや楽しさが感じられるのがいい。一緒に楽しみたい。

登別市 遼子
 感じたままを書きます。門外漢ですので見当違いはご容赦を。佐藤容子氏ー生硬。故の苦悩を吐ききれず、時には誤って鎧をつける羽目になったりして、なおさらの生硬、だから歯ぎしりしての製作。内面は存外迷い多い?
 青葉氏ー情感の柔絹を風になびかせているげなものの、その本体は鋼鉄ごとし。その逆は弾き飛ばして破壊する強さ勢い。池氏ー堅固な論理性の中にたくみに「俗」をまぎこませて、ひそかに読者の反応をみているような。六十年安保世代か、と感じました。苦しみを楽しんでいる。

静岡市 重尾
 幾千語吐き終え蝶は耳を出る(容子)生き生きて火を吐く鳥を飼うている(テイ子)
 水に書く祀りは深いわが十指(さとし)ご発展を祈ります。

青森市 省吾
 「熱さ」の伝わって来る柳誌で今後が楽しみです。「テロ」に対する作品を募集していますが、他の柳誌にない企画。一般の柳誌でできない新たな企画を期待しています。

札幌市 守
 量より質への時代背景の中で、個性ある三人の作家がスクラムを組んだことは、川柳界に大きな一石を投じたことになる。妥協を許さない姿勢と、結束力と、新たなパワーを期待したい。

青森県 寄生木
 三人誌「泥」の創刊は正真正銘の同人誌の誕生である。北の大地に心地よいトライアングルの音色ひびかせることを願っております。

小樽市 竹生
 三点から放つ先は、多様な色彩となって写し出され、私達の心奥まで浸透してくる。それは、川柳と言う一ジャンルを超越し、文芸として人を魅了する。

江別市 涼子
 誠実な指一本の釘をぬく(容子)ぬれぬれと桜 狂え狂えとそそのかす(テイ子)
 絵曼荼羅膝折るほかに何もなし(さとし)
木村政子さんの鑑賞が新鮮なまなざしでした。

岩手県 岳俊
 小生の第一句集(一冊のみ自筆)が「泥」ですので、アッと驚きました。「人格を投影するものであれば、色別の必要はあるまい。」(青葉テイ子)「私がここに生きていたという瞬間と、私が私に折り合いをつけずに生きたという証・・」(佐藤容子)「脳内イメージは内的な現実である。その内的な現実を秩序あるものに統一化する。」(池さとし)の論にに注視しました。論を書いて、川柳作品を書く、この重点こそ、これからの「泥」の方向と重なることと思います。
                                2号へ続く・・
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現代川柳『泥』・・・花しずく

2007年08月19日 | 川柳
 花しずく(寄せられたご感想の一部を掲載させていただきまました。)

室蘭市  義明
 泥の発刊おめでとうございます。意欲満帆のスタートですね。現在の柳界の迷走ぶりに逆風をいっぱい吹き込んでください!

尼崎市  栄一
 泥は人間の原点であり、すべての創造活動は大地を基点とします。造形性のある「泥」から、新しい現代川柳の生まれることを期待します。枠にとらわれない自由な発想ということでは、少人数グループが理想的かと思います。各個性が、泥の中で、泥んこになって、泥、泥水、土、粘土となって大地に花を咲かせて下さい。

札幌市  晶子
 新しい陣営の旗揚げいいですね。これからは少人数の柳誌がどんどん川柳を新しくして行くような気がしています。川柳、随筆、詩の『風人』もそう、本州では「旬」「マーノ」「宇宙船」と。「泥」なんともいえぬ表紙このような泥なら、まみれてみたいものです。

京都市  見也子
 現代川柳「泥」のご誕生おめでとうございます。力強いうぶごえに圧倒されました。華々しいご出発に心からお喜びを申し上げ、ご発展をお祈り申し上げます。

室蘭市  政子
 おめでとうございます。いい本です。しっかりした本です。いいメンバーです。

札幌市  紀子
 春の芽吹きが何かの予感を孕んでいる。そんな季節に『泥』が送られて、大きな驚きがショックが、焦りがエトセトラ・・・・。北海道の柳界は、黄砂飛来以上に『泥』を見つめ、そして空を見あげ、己の置いている所を問いただす結果になっているでしょう。泥から立ち上がるものが、清らかな花か、凄みを帯びた花か、非常に興味が持たれる所です。三人の大きな存在が発信するものを、私自身の養分として取り込めたら・・・と思います。

苫小牧市 礼文
 三人のそれぞれの意気込みが伝わってくる柳誌で感動、そして、脇を固める人たちも一流のひとばかり・・・。道内では、いい意味の目標になるかも知れませんね。

東京   久美子
 創刊号の表紙、すっきりと無駄なく、気負いなく、大人の雰囲気と風格が漂っています。表紙は顔・・こんな表紙が好きです。原子修氏の序文、荘重重厚ベートーベンの調べでしょうか。威厳があり過ぎて硬質な感じです。

江別市 怠民愚
 泥の題字こういう字が大好きです。こんな字を書きたいというのが願いです。詩『泥樹』は天下の原子先生の詩をいただけただけで十分格調を保ったものになりました。それに負けない皆さんの作品群は、力が入っている印象を受けました。今後「褒め言葉は半分に、辛口は百パーセントきく」という姿勢が大事だと思います。  続く・・。
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現代川柳『泥』・・TOP OF THE WORLD

2007年08月18日 | 川柳

             現代川柳 『泥』 創刊号 

 『TOP OF THE WORLD』

 カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」という名曲があります。
ひとりの男性に巡り合い、世界の頂上に立って愛を叫び、見えるものすべてが美しく光り輝いて見える心情を歌い上げた私の大好きな一曲です。読んで下さる、あなたに捧げます。

 創刊号の『泥』誌を始めて手にかざした池さとし、青葉テイコ、佐藤容子各氏の心持はいかばかりだったでしょう。きっと、キラキラきらめく歓喜が走り出したのではないでしょうか。

 私の未熟な解読ではありますが、『泥』創刊号は、ひとつの舞台設定がなされ、コンセプトを各誌面、一ページ一ページ徹底して『原点』を貫いた作品になっています。「旧約聖書」から引用された「泥」の誕生を原子修氏が見事に「泥樹」への6号まで貫く「原点」三人への「心構え」の哲学の塔を建てていらっしゃいます。

 各タイトルは、「泥は原質である」「うぶごえ」「泥樹」「揺れる水」「アルカイックな風」「泥流地帯」「いのちへの賛歌」「ある瞬間」「言語空間へのさすらい」はすべて、一連の意味づけになっており、泥から芽ばえる「いのち」は「水」を吸っては「風」と出会い、現在地は「泥流地帯」川柳は「五七五の短い詩」・・日本の歌のルーツは「和歌」と捉え、川柳の命題である「いのち」を日本の家族の象徴でもある、皇室の雅子妃の「母の思い」へ時事を合わせながら青葉氏の文筆が始まっております。

「ある瞬間」の「あ」も坂村真民氏の詩が描かれ、日本語の始まりの「原点」は母音の「あ」に引用され、容子氏ご自身の「泥」に至るまでの「原点」が切々と語られております。さとし氏の「言語空間のさすらい」は、ご自身の「原点」を、「川柳が出来るまでの工程」を、「脳」の中で起きている「脳内イメージ」で解説されているのは、日本の川柳界の中でも特筆すべきことと思います。

 どんな時でも、自分達のtop of the world を目指して、チャレンジする御三人の姿はとても輝いています。

 この、「泥」誌が今後、どんな成長を遂げて、どんな出逢いが待っているのか
とても、楽しみです。


*ここに至るまでに、考えに考え抜いた川柳の困難さ、七転八倒も数え切れないほど修練を友として「泥」を創るまでに至った御三人に拍手と感謝です。



 

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現代川柳『泥』ミミズの考察

2007年08月17日 | 川柳

     2002年4月創刊号 現代川柳『泥』・・ミミズの考察

     現代川柳誌『泥』の第一ステージの幕がゆっくりと上がった。

 この舞台は、「北海道川柳原野」に位置する、とある「泥流地帯」である。
「泥流地帯」とはいえ、ここには絶えず「迸る美しい言葉の水が湧き上がる」三つの湧水口があるという。

 一つ目の湧水口は「理の口」を持つ池さとし氏。
 彼の湛える言語の水の流れは、とうとうと深く、さらに深く、どこまで思想・哲学の水を貯めているのだろうか・・。
かつて、誰もその深さを測れた者はいない。これからもいない、いるとしたらそれは、等身大の彼の・・影か・。

 二つ目の湧水口は「情の口」を持つ青葉テイ子氏。
彼女の迸る言語の水のうねりは、人間のこころをすっぽり包み込む、母性の雄大な海さえも包んでしまいそうだ。彼女の背に負った荷物は重くはないか?・・十字架を手にしたマリア様みたいだネ。

 三つ目の湧水口は「知の口」を持つ佐藤容子氏。
彼女から生まれる言語の水の無垢さは一体・・何色だろう?容子色?そう容子いろ。
他のお二人より一回り年下でありながら、互角に泥流地帯に身を置こうとしている。

      キャストは揃った。句読点さてこれからの泥あそび・・容子

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現代川柳『泥』・・・ミミズのひとり言。

2007年08月16日 | 川柳

       ミミズのひとり言

 小学校1年の春、真新しい教科書を始めて手にした時、うれしくて、うれしくて何度もそのページを開いては、印刷のインクの臭いをくんくんとかいでいた。
 それが高じて、真っ赤なランドセルを抱きながら寝ては、父母にいつも笑われていた。

 そんな、ピカピカの一年生のような感慨で、私が選んだ川柳の教科書『泥』を毎日転載しているのがオペレーターの私である。

 「現代版写経」のような行為かなー?とキーボードを打ちながら、いつも深い感動と北海道の風土が生んだ「作家魂」の滝に打たれているようなみずみずしい毎日。

  いつか、じっくり向き合って少しでも自分の「血や肉」にしたかった。『泥』

 北海道が生んだ川柳作家(池さとし、青葉テイ子、佐藤容子各氏)の、感性・知性・理性が誌面から「湧き水」のように筋肉から私の琴線に流れてくる。

 現代川柳の良質な原点を追求し尽くした一枚一枚のページをひもどきながら、自分の思いも馳せ『泥』の養分を堪能しながら少しずつ、少しずつ川柳の奥深さを栄養にしたい。さながら一匹のミミズのような私ではある。

  「ものすべて仏なり」この世に存在する「もの」は、すべていつかは果てる。
この、パソコンのいのちも、毎日見ている光景も、私のいのちも、すべては仏になる。

 母の胎内から吸った羊水を「吐き」出し、人は生まれ。
         臨終の時は、大きく息を一呼吸「吸って」人は死に行く。

   それまでの、いのちの自己遊泳には、その個人個人のフィールドがある。

今、自身に課しているフィールドは、『泥』の柳誌6冊より、オペレーションしながら、「筋肉」の記憶装置に体得させ、『泥』により一歩でも近づきたいと思っている。

    ミミズは、強い日差しには弱い、湿り気のある土の中が生き易い。
    しばらくは、「三本の泥の木」の根っこで遊んでいよう・・・。っと。


   







         

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現代川柳『泥』・・・さんかく定規

2007年08月15日 | 川柳
2002年4月 『泥』創刊号    さ ん か く 定 規  

スタートした『泥』運命の女神が微笑むか、否かは読者の手に委ねられた。
 巷に溢れる川柳誌の中で、肌のぬくもりと、ピリリとワサビの効いた存在感のある小誌でありたい。

 世の変遷のなかで、見過ごしてはいけないもの(同時多発テロ)そのようなものを凝視しながら、今後も、三角定規の角も失うことなく号を重ねていきたい。
 川柳を愛する人々に多く読まれますように・・・そして未知の出会いを期待して。
                                   (テイ子)
                               

キラキラと春が来た。ふつふつと「泥」が生まれた。作句する苦しみから楽しみを、誌を創る怖さから喜びをもし実感できるのなら、今までの安全地帯から、泥流地帯へ身を投じてみることも悪くはないと思っている。

 誌面の安定は即マンネリ化へ繋がる。試行錯誤の不安定さを「泥」のカラーとしたい。
 川柳をする人もしない人も、この危うげな柳誌をビシバシと支えて欲しい。
 三年間のお付き合いを宜しくお願いします。         (容 子)

ちろちろちろちろの水の流れが、ある地点で合流し、そのまま海に向かって流れ出した。海に流れ込むまでの紆余曲折にこそ、充実した川柳とのかかわりを実感できるのでは、そんな期待感を抱きながら「泥」は、企画・編集・発行の全てを三人の手を通じて、つまり連帯責任で創ることになる。

 傍観はなしのスタンスで、悲喜こもごもを共に味わう。
 小誌ならではの、少人数だからこそのメリットを生かしながら先ずは第一ステージを。
                                    (さとし)
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現代川柳『泥』・・・執筆者のご紹介

2007年08月14日 | 川柳
           現代川柳『泥』執筆者のご紹介

         原子 修(はらこおさむ)札幌市在住

 1932年北海道函館市生まれ。海辺の牧場で育つ。詩集「鳥影」で北海道詩人賞「未来からの銃声」で、日本詩人クラブ賞、受賞。詩集15冊刊行、(財)日本ユニセフ協会、広報普及委員としてボランティア活動中。元札幌大学名誉教授

         石森 騎久夫(いしもりきくお)名古屋市在住

 1915年長野県上田市生まれ。グループ「創」代表。読売新聞(中部)川柳壇選者。
著書に作品鑑賞集『対話』(青空社)『空間表現の世界』(葉文社)があり、共に絶賛を得ている好著。

         木村 政子(きむらまさこ) 室蘭在住

 1940年 北海道釧路市生まれ。創作「らんふう」同人。1991年北海道新聞文学賞を小説「爛壊」で受賞。知事杯争奪北海道川柳室蘭大会では「女性が文学に向かうとき」を講演。冷徹な語りで会場を魅了。

       装丁 書  小林 穂城(こばやしすいじょう)伊達市在住

 1935年 北海道厚真町生まれ。40年間教諭、校長として勤務。北海道書道展秀作賞。
全道書道展会友賞。毎日書道展秀作賞など受賞。教育者、書道家として海外へ視察、書の美、歓び、創造する心や感動などを広く伝えるために活動中。
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現代川柳『泥』句集散策

2007年08月13日 | 川柳
        2002・4創刊号北海道現代川柳『泥』

   句集散策2001年10月「北の旅人」引木詠路

          百戦錬磨ときどき鬼の首を洗う

      川柳形式の中には、独得の舞台装置というものがある。

 たとえば掲出句の「首」なども、その範疇にあり、作品を際立たせるレトリックとして活かされる。

 ことばのありとあらゆる可能性を可視しながら作者は、思いのたけの収斂を試みる。
そして時には、想いとの戦い、ことばとの戦い、ことばとの遊び、思いとのたわむれを通して、カオスからの脱出を図ろうとする。作品の奥深いところで、そんな意思が息づいていることを見逃すことができない。

 「百戦錬磨」は、企業戦士つまりは作者自身の日常を呼び込んでのものであり、客観性を獲得している。これ以上の探索は無用と言えよう。「ときどき鬼の首洗う」に、人間としての安らぎを噛みしめている作者像が映像化される。

「ときどき」に作者の想いが重くのしかかる。 そして作者のこころは、<美しく咲いて人間らしく生き>、<人間が好きです地球の上に乗る>、<いい日旅立ち僕のロードに夢がある>などに見られる魂のありようを見つめている。

        現在地はここなのだと言うかのように。(さとし)
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現代川柳『泥』・・同時多発テロ

2007年08月12日 | 川柳
 2002・4創刊号 現代川柳・・同時多発テロ(印象吟)写真2枚添付

 あれから、もう既に半年経過した今でも鮮明に残っているシーンである。世界中を震撼させた、同時多発テロは、まるで映画のシーンを思わせるようなショッキングな映像で、テレビの前の視聴者を釘付けにした。

 直接的な体験ではなく、サランラップでパックされたかのような、いわば観客席で映画でも見ているように、間接的な体験には違いなく、社会性・機会詩などに触れての川柳等書ける筈はないのだが、現在を生きる川柳人としての心の叫びの必要性を強く感じている。
 二十世紀から二十一世紀へと、世紀を跨いだばかりでのこの惨劇は、かつての湾岸戦争を思わせるような、報復戦争にまで発展した。

 メディアというワンクッションを置いての現実認識は緊張感、緊迫感などから距離を置いたものになると思うのだが。

 阪神大震災の時、被災地を歩き六百から八百句の川柳を詠んだという墨作二郎のアクション等からは、足元にも及ばないが、他愛のない一歩一歩もまた時には、忘れかけている社会性を呼び起こしてくれそうな気がする。    (さとし)

*同時多発テロ、そして報復戦争一連に関する貴方の川柳を是非一句お寄せ下さい。
旧作新作を問いません。次号に紹介させていただきます。

雲の変容に似ておぼろなる戦   (もうもうと噴煙上がり崩れかかるWTセンター
  天焦がしいのちを揺する風の鞭                写真からの作句)
    アフガンへドミノ倒しのいくさ跡         
     アイスクリームとろりと溶けて同時テロ
          飢餓の子へゆっくり降りる母の虹     青葉テイ子


あなたならどうする祀りすら忘れ
  もうもうたる噴煙神の怒り顔
    流された血かまぼろしか百日紅
       まあだだよ瓦礫の奥のかくれんぼ
           ただ合掌頭の中に雪が降る       池 さとし

花咲かぬ大地 地雷を摘んでいる
  血の匂うシナリオですか 誰が編む
     アフガンの子の瞳夕陽が沈まない
       ジハード 行方不明の手よ足よ
          テロニュース茶の間の椅子の咳続く    佐藤 容子
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『泥』詩(語らい)・・・私のイリュージョン

2007年08月11日 | 川柳
 詩(うた)語らい・・私のイリュージョン  木村政子

            一列に並び他人の影を踏む 容子 

 先頭に立っては踏みつけにされる、最後に立てば背中が寒い。一歩先んずれず、列を外れる度胸もなし。中の中の横着。とつおいつ。

            哭く海を見届け封印念入りに  容子

少し膝が痛む。花壇を掘る我が家のネコに、隣家の苦情。夫との小さな諍い。ライバルの受賞。遠くに住む父の入院などなどエトセトラ。心が弱ることばかり・・・。みんな束ねて、怒涛の中にしっかり沈めてから、家族の待つ家路に向かう。

            壁の絵も老い錠剤がまた増える 容子

 名も無い画家の描いた、モディリアニの模写「青い目の夫人」。哀しげな双の目にひかれて咄嗟に買ってしまったのは、新婚のころ、その目が、コップを持つ私の手に注がれている。私の手は骨、張りつやを失い、「婦人」の目はすでに灰色。

             昭和残照ゆがんだ影が来て笑う さとし

 満州時変→世界恐慌→国家総動員法→治安維持法→太平洋戦争。
バブル経済破綻→盗聴法成立→アメリカ同時多発テロ→世界同時不況→有事立法→自衛隊海外派遣→憲法改定「?」軍靴の音が高くなる。歴史から何も学ばぬ懲りない面々。

             凍てつく夜人も山河も眠るべし  さとし

 一眠りして目覚めれば、あるいは心が緩むかも知れない。少年は母に、数年ぶりにオハヨウと言うかも知れない。兵士は伸びをして、突然戦いを厭うかも知れない。

           たましいを静かにたたんでいる木魚   さとし

 竜頭魚身は昼夜目を見開いて不断の修行。この単調なる響き、無心さには敵わぬ。魑魅魍魎もあらぶる憎悪も、首を垂れて懺悔、懺悔。

           寄るべなきき薄紅色の爪を切る   さとし

 ふた親はとうにいない。だから夜中に爪を切る。
縦溝が年々深くなる。油断するとすぐ欠ける。
爪も骨粗しょう症か。眼鏡を外してじっと見る。近頃ますますしわ深い。
長いこと世話になってるなあ。

            モカをひく深い思索の河流れ   さとし

 ミルで自煎の豆をひく。独り身の頃から、使い続けたミルでひく。あの頃はアメリカの匂いにあこがれて。四十代は独りになりたくて。今は孤独に耐えかねて。過ぎし月日を、手探り寄せたくて。

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