ミミズのひとり言
小学校1年の春、真新しい教科書を始めて手にした時、うれしくて、うれしくて何度もそのページを開いては、印刷のインクの臭いをくんくんとかいでいた。
それが高じて、真っ赤なランドセルを抱きながら寝ては、父母にいつも笑われていた。
そんな、ピカピカの一年生のような感慨で、私が選んだ川柳の教科書『泥』を毎日転載しているのがオペレーターの私である。
「現代版写経」のような行為かなー?とキーボードを打ちながら、いつも深い感動と北海道の風土が生んだ「作家魂」の滝に打たれているようなみずみずしい毎日。
いつか、じっくり向き合って少しでも自分の「血や肉」にしたかった。『泥』
北海道が生んだ川柳作家(池さとし、青葉テイ子、佐藤容子各氏)の、感性・知性・理性が誌面から「湧き水」のように筋肉から私の琴線に流れてくる。
現代川柳の良質な原点を追求し尽くした一枚一枚のページをひもどきながら、自分の思いも馳せ『泥』の養分を堪能しながら少しずつ、少しずつ川柳の奥深さを栄養にしたい。さながら一匹のミミズのような私ではある。
「ものすべて仏なり」この世に存在する「もの」は、すべていつかは果てる。
この、パソコンのいのちも、毎日見ている光景も、私のいのちも、すべては仏になる。
母の胎内から吸った羊水を「吐き」出し、人は生まれ。
臨終の時は、大きく息を一呼吸「吸って」人は死に行く。
それまでの、いのちの自己遊泳には、その個人個人のフィールドがある。
今、自身に課しているフィールドは、『泥』の柳誌6冊より、オペレーションしながら、「筋肉」の記憶装置に体得させ、『泥』により一歩でも近づきたいと思っている。
ミミズは、強い日差しには弱い、湿り気のある土の中が生き易い。
しばらくは、「三本の泥の木」の根っこで遊んでいよう・・・。っと。