

続き・・
三人には、何かを編まずにはいられない共通の思いが内在していた。
今のところ、この三角形には方程式がない。
底辺×高さ÷2の答えもない。気負いもない。
ジャンルへの拘りもない。
強いて言えば、個々の表白の場でありたい。自分探しの場でありたい。自然体でありたいだけである。
あ
一途に咲いた花たちが
大地に落ちたとき
「あ」とこえをたてた
あれをききとめるのだ
つゆくさのつゆが
朝日をうけたとき
「あ」とこえをあげる
あれをうけとめるのだ
(坂村真民氏 はるかなるものの叫びより)
川柳を続けている理由のひとつには、自分を含めた人間をもっと知りたいという欲求がある。それらを凝視し何かを発見できたならという思いがある。
また、耳で聞くことの出来ない、目で見ることの出来ない、手に触れることのできない世界のものや、花が語りかけてくる言葉、空や海が語りかけてくる言葉、更には永遠なるものが私たちに呼びかけている言葉などに五感を向けられるようになりたいと思っている。
もし、そうしたものたちの言葉を感受したとき、その瞬間、止むに止まれぬ感動が一句を成してくれるのではないだろうか。
そのような作品をいつか生んでみたい。
花の「あ」という声も、その時の大地の驚きの声も、いつか聞いてみたいと思っている。
物質文明は際限なく高度に発展し、その欲望は果てしなく膨れ上がっている現代にも、心を豊かに生きている人はたくさんいる。花の声を聞いている人も大勢いるだろう。仕事の世界では、やはり数量で量れるものが重要な部分を占めていくことはこれからも続くだろう。
しかし、川柳と向き合う時には、柔軟に人間を、自己を見つめ、こころ豊かに十七音字に表白したいものである。
例え蟻より小さな存在であっても、私がここに生きていたという瞬間と、私が私に折り合いをつけずに生きたという証を残したくて・・・