この本を読めば、「日本は単一民族だ」といった暴言の愚かさがはっきりする。だが、それと同時に、私たち「シサム」がいかに恥ずかしき存在であるかも思い知らされるであろう。
そもそも、ボク自身がアイヌに興味を惹かれていたということ、萱野 茂さんを尊敬していたこと、北海道に縁があったことなどが重なって、この本を読んだ。
いかにアイヌの人々が馬鹿にされてきたかがよく描かれている。未だに「旧土人」といった差別的表現のはいった法律の対象であること、アイヌの聖地を奪い去ったこと、アイヌ語を奪い日本語を押しつけたこと、様々なシサムたちの暴行が刻まれていた。普通の感覚の持ち主なら、恥じ入るはずだ。
しかしながら、我々の多くは何も知らないか、知っていても知らぬ振りをしている。アメリカインディアンのイメージを正した映画は現れたが、アイヌのイメージは正すどころか、知らせるものすら少ない。アイヌ語を伝える文献や研究書もごく限られている。アイヌによるものは更に希少である。このような現状に、僕らはどう対処すべきなのだろう。
先日、二風谷ダムの水をアイヌの神事のためにすべて放水するという新聞記事があった。一見素晴らしいかもしれないが、実際は建設さえしなければよかっただけのことだ。この本を読めば、そのようなことはすぐ分かる。天皇陵かもしれない古墳は立ち入り・調査など徹底して制限・禁止されるのに、アイヌの明らかな聖地にダムを造っていいとはお笑いである。
最近は、沖縄の問題が大きく取り上げられている。それ自体は大変結構だと思う。でも、その反面、地元の若い世代の中に他人事を決め込んでいる人々がいたのも、今回の県民投票で見えた。県民投票の結果を受けて、日本の政府が動いたのも、小さなことではあるが事実だ。しかしながら、根本的な解決は見えていない。話題になっている沖縄でさえ、だ。北海道のアイヌのことはもっと解決されていない。アイヌからの訴えが何度もあがっているにも関わらずだ。
僕らは少し恥じ入るぐらいでちょうどよい。何も知らない世代なのだから。ただし、恥じたら次はしっかりと知るべきだ。そのために、この本はよい参考書となるとぼくは思っている。