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楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

ドイツの歴史

2007-07-09 01:56:55 | 歴史
物語 ドイツの歴史―ドイツ的とはなにか

中央公論社

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この本は随分前に買ったのだが、読まずに本棚にあった。
先々週、ドイツに行くにあたり引っ張りだして読んだ。読み終わったのはドイツへ行く機内。
おかげで、風景を眺める目にとって、少し役に立った。10日遅れの読書録です。
欧州の地理的中心にありながら、海へ面していない、寒いなど、これまた地理的理由により19世紀後半まで遅れをとったドイツ。そして19世紀後半からのしあがる。この国の歴史でやはり面白そうなのはそこである。その時代、表のビスマルクプロイセンードイツ帝国と裏での共産主義マルクスという、いずれも20世紀を震撼させる人を輩出し世界帝国となった。なぜなのだ?
との私の中での問いはまだつづいている。そして今、再びドイツは欧州の中心として浮上している。
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地球惑星ポスドク実態調査が開始された

2007-07-06 13:27:55 | 科学
昨日、日本学術会議の地球惑星科学委員会が正式にポスドクの実態調査を開始した。
 ポスドクとは、博士にはなったけれど安定的に職に就けず、期限を切って研究と生活を継続している人をいう。年齢的には家族や子供もいる人も多い。昔、中曽根内閣の時に博士10万人計画といって、大学院を大幅拡充したつけである。当時の大学関係者は、とりあえずの研究のために大学院生は大いに助けになるので、歓迎した。しかし、その結末はこうなることは既に予想されていたことである。いまさらどうする?という意見もあるだろう。しかし、この有能な頭脳をほっておくわけにはいかない。解決のためにできうることは何でもする、ということが大事であろう。
 私も、大昔にポスドクを経験したが、その時の将来への不安はとんでもないものであった。
現代流に言えば、その日暮らしのフリーターと一緒なのである。このアンケートに言いたいことをぶつけて、解決のために山を動かす圧力をかけることが重要である。
このサイトをおとづれていただいたポスドク諸君、是非対応を!
サイトはここ
http://www.cgi-maker.com/tools/form/rengo
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海嶺

2007-07-04 18:24:49 | 読書
海嶺〈上〉

角川書店

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これも、沈黙の1ヶ月の間に読んだ本。
例によって、メトロ文庫で黄ばんでぼろぼろになった1冊。
タイトルが本当の「海嶺」とどう関係するのか?との専門馬鹿的な興味にも引かれた。
三浦綾子で読んでいない1話であったこともあり、なにか宝物を見つけた感覚であった。
ただし、そこには上巻しかなかった。
電車内ですぐに読み終えてしまい(この手の小説はほとんど瞬間斜め読みなので)、
その後の続編を求めてことあるごとに本屋によっていた。そして、早稲田大学へ行ったとき、見つけた!
やった!と思った。
ほぼ150年前、幕末期が場面。
嵐に遭い、14ヶ月漂流したのち、生き残り、波乱の人生を送るはめになってしまう清い心の少年が主人公である。
アメリカインディアンの奴隷、クリスティアン商人に拾われ、その後、イギリスへ。
英語が出来るようになり、生き残った他の2人と共に、一つ一つことばを探りながら、聖書の日本語への翻訳を果たす。
その間、クリスティアンの教えを受ける。動揺する。
いかにも三浦綾子の小説だ。
国へ帰るために必死に、クリスティアンの教えを拒もうとする。
7年をかけて、そしてついに愛する婚約者のまつ日本へ!
あと一歩!目の前に夢にまで見たふるさとがある!そこに愛する人がいる!
しかし、国外へ出た者は一切の帰国の許されない日本。
無慈悲な絶望の結末である。
そして、香港、マカオでのその後の人生の経路を少ない記録からたどる。
その時の救いはなんであったのか?
そこに少々、三浦綾子的くささがあるかもしれない。
私は宗教に飲み込まれることはないが、その人間の魂を救う力はすごいと思う。
三浦綾子自身、難病におかされる肉体とこころの葛藤をキリスト教と出会うことで救われたことを多くの場面で語っていたことを思い出した。今はもういない。亡くなったという悲しいニュースを聞いた時のことを思い出した。






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南原繁の言葉

2007-07-03 04:49:19 | 読書
南原繁の言葉―8月15日・憲法・学問の自由

東京大学出版会

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この忙しい1ヶ月、通勤電車で何冊か読んだ。その感想。

この本は心にしみた。
昨年、東大の安田講堂で8月15日の終戦記念日に開催された集会の抄録と南原繁総長の演説集からのエッセンスである。

東大の正門から出て行く出陣学徒。皆、死を覚悟している。
それを血のにじむ苦渋で送る大学人。
軍部が本土決戦の総司令部として本郷を接収しようとする場面での命を掛けた抵抗。
占領米軍がやはり、日本のGHQ本部として本郷を接収しようとした時の抵抗。
その背景に大学人としての未来を見据えた「本気」があった。

その背景に、新渡戸稲造、内村鑑三につながる明治クリスチャンの自由の系譜があった。
明治に2つの系譜あり。1つは明治新政府が模範とした、破竹のプロイセンードイツ帝国。
そして北海道がモデルとした新世界の国、アメリカ。
それはそれぞれ、東京大学と札幌農学校(北海道大学)の理念へと受け継がれた。
南原繁は内村鑑三に師事し、その北海道の明治クリスチャンの精神を受け継いだのだ、というのが立花隆の理解である。

(注)北海道の新渡戸稲造、内村鑑三、有島武郎などの明治大正クリスチャンリベラリズムの系譜は、北海道で戦前「遠友夜学校」を作り、貧しくも向学心に燃える子供達を育てた。しかし、それらもやがて時代の荒波の中で危険思想として弾圧の嵐にさらされていく。戦後ではこの系譜は三浦綾子へとつながった、というのは私の勝手な解釈である。今はどうなっているのだろうか?

私は北海道の出身なので、この気風は共感できる。

地質学では、東大へはドイツからナウマン、そして北海道へはマサチューセッツからライマンが来たのである。
北海道大学にはクラークがやって来て、去るにあたり島牧村で馬上から「少年よ大志を抱け!」と残していった。
そして、それが理念となった。
東京大学で、この気風に通ずるのは、この本の中にも出てくる大江健三郎、そして編者の立花隆などはまさにその具現である、
と勝手に解釈。
理系では、寺田寅彦の自由な気風である。その寅彦の弟子の中谷宇吉郎は北海道大学へ移り、その気風を受け継いだ。
ただ、戦後は、そのアメリカ的自由な気風は、ソ連流左傾大学の中で多くの批判にさらされたようだ。

今の時代、この常識にとらわれない、自由な価値観「学問の自由」が危機にある。
その「学問の自由」こそ大学の命であるとは、南原繁のこころの底から沸き上がるメッセイージである。


戦後東大の正門から大きな菊の御紋がはずされたというが、なるほど、上の方にはまだ残っている。
この本を読んでいた時に、東大正門をおとづれる機会があり、思わずシャッターを切ってしまった。
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嵐のドイツ紀行

2007-07-02 01:59:43 | 生活
嵐のようなドイツの旅が終わった。
天候も最悪であったが、会議も嵐模様であった。
さて、旅の最後はキールの海洋研究所へ。
電車で移動、3本乗り継いだが、時間は日本のように極めて正確だ。

そして驚いたのは人の準備の速さ。
到着10分前から、多くの人が出口へ移動している。
日本ではslow downしてから人は動くのにこの国は違う。
なんなのだろう?この違い?
などと考えながら、到着した。

着くなりセミナーで1時間話をして、その後バイスビール!

この小麦ビールが本当にうまい。この北の果てのドイツでもこの南ドイツビールはかなり飲むという。
飲みながら、共同研究などについて議論。
10時を過ぎてもまだ明るい。


翌朝、
あわてて起きてキールからフランクフルトへ移動。
10時間のフライトで日本へついた!
もうふらふらで、バタンキュー。
とほほ、休みなしで明日から日常だ。

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