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「成功はゴミ箱の中に(レイ・クロック(マクドナルド創業者)自伝)」という本はとてもオススメ!

2015年10月23日 01時00分00秒 | 
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 「成功はゴミ箱の中に」という本は、米国のマクドナルド創業者であるレイ・クロックの自伝です。

 レイ・クロックは、マクドナルドを世界的チェーンにした人で、1954年に52歳だった時にミルクセーキ用のミキサーを売るために全米を旅していました。
 そんな彼がロサンゼルス東部のサンバーナーディノで出会ったのがマクドナルド兄弟のハンバーガー・レストランだったのです。
 清潔な店内、シンプルなメニュー構成、標準化された調理手順、セルフサービスによる効率化などに感心したクロックはチェーン化したいという望みを抱きます。
 以後、クロックはマクドナルドを大きくするために事業に取り組み、現在のような全世界的チェーンをつくり上げたのです。
52歳からの遅いスタートでしたが、彼は大きな成功を収めることができました。

 面白いのは、彼の前半生は、紙コップのセールスマン、ラジオ局のピアノ弾きなどを経てミルクシェイクを作る機械、マルチミキサーの会社を立ち上げていたことです。

 ここで見過ごせないのは彼が飲食業のプロではなかったことです。
アウトサイダーとしての客観的な目で事業の将来性を見抜いたことがポイントだと思います。

 また、前半生も一所懸命下積みの仕事をした結果、52歳からの成功を得ることができたのだと思います。

 いろんな苦しい時期を乗り越えながらも、正直に一所懸命生きて成功する姿はとても勇気づけられ、良い本だと思います。
とてもオススメです!

 ちなみに僭越ながら、現在マクドナルドは経営が苦境に陥っているようですが、創業当初のように美味しいものを安くメニューを絞って売ることも大切かと思います。強みを鍛え、品質、サービス、清潔さ、そして付加価値に力を入れることが創業以来のマクドナルドの考え方とのことです。

 なお、巻末にはユニクロの柳井正さんやソフトバンクの孫正義さんの対談や解説もあり楽しめます。

以下はこの本のポイント等です。

・これが資本主義の中で居場所を確保するための、私の最初の正念場だった。この苦しい時期があったからこそ、マクドナルドを成功させることができたと思う。この経験なくして、後に迎える、想像を絶する膨大な債務を背負った苦境を乗り切ることは不可能だったろう。

・この時期、問題に押し潰されない方法を私は学んだ。一度に一つのことしか悩まず、問題をズルズル引きずらない。毎晩眠りに就く前に、独自に開発した自己催眠法を行った。とにかく自分なりにアレンジしたスタイルで、平穏な気持ちで眠りに就く方法を編み出したのだ。これがなければ、翌朝、明るく新たな気持ちで接客することなどできなかっただろう。まず頭の中に黒板をイメージする。緊急のメッセージで埋め尽くされているが、黒板消しを持った手が、それを端から消してきれいにしていく。頭の中をこれで空っぽにした。途中で雑念が生まれたら、大きくなる前に消し去った。次に身体をリラックスさせた。首の後ろから下がっていき、背中、肩、腕、足、そして指先まで。終わる頃には深い眠りに就いていた。慣れるに従って、一連の手順を短時間でできるようになっていった。私が一日12時間から14時間働いた後に、客の接待を夜中の2時や3時まで続け、翌朝早起きして客に会いに行くことに驚く人は多かったが、秘訣は、1分の無駄もない、質の高い睡眠にあった。4時間しか寝られない日もしょっちゅうあったが、質の高い睡眠をとるよう心がけた。

・ジューンの魅力は、仕事に対するプロ意識と金銭に対する無頓着さだった。彼女の直感力も特筆に値すべきものだった。時には霊的な効力を発揮することもあり、彼女自身も無邪気に自分の能力を信じて疑わなかった。勤務初日、それはすでに現れた。その日、ジューンに銀行に振り込みに行くように頼んだが、そのとき彼女の所持金は、帰りの電車代の20セントばかりだった。通りの角で、救世軍の演奏に耳を留めた彼女は、心の声に従って20セントを鍋に投げ入れたのだ。会社に戻ってきたとき、彼女は興奮状態だった。「クロックさん、今日はなんて素晴らしい日なんでしょう!仕事を得ることもできたし、実は今日は息子の誕生日でもあるんです。牧場にいる息子にプレゼントを買ってやろうと思っていたんですが、もちろん無理な話でした」。そして所持金全額の20セントを寄付した後の話をした。銀行を出て会社に戻る途中、歩道の隙間にヒールを取られそうになったので、慌てて下を見ると、なんと足元に20ドル紙幣が落ちているではないか!「すぐに銀行に返して、落とし主がいるか聞いてみたんですが、それらしい人はいないとのことでした。銀行の方が、それはもらっても構わないと言ったんです。こんな幸運なことって信じられます?」

・ジューンの身の回りではこうしたことがよく起きた。幸運な人が周りにいれば、私も恩恵を受けられるかもしれないと思い、事実彼女の力と思えるような幸運な出来事が幾度も起こった。マクドナルドが軌道に乗り、社員が大勢になってからも、皆はジューンを「マザー・マルティーノ」と呼んで慕った。ジューンは全員の家族のプロフィールを詳細に把握していた。誰々の妻が出産予定だ、この人は家庭の問題を抱えている、今日は誰々の誕生日といったことまで・・・。みんなにとって、会社を居心地の良い場所にしてくれていたのはジューンだった。

・マクドナルドの店内に、公衆電話、ジュースボックスやいかなる自動販売機も置かない、というルールを敷いたのも私だ。オーナーたちは副収益を得る目的で、これらを導入したいと考えており、反対の声は強かったが私は譲らなかった。こうしたものは、お金にならない客を店に入れることになる。注文もせずに店内にとどまられても文句が言えない状況を自ら生み、ひいては不良のたまり場ともなりやすい。マクドナルドの家族団らんのイメージからも程遠いので、断固拒否することにした。また、当時、自動販売機には犯罪組織が絡んでいた場合がおおく、無用のトラブルを回避したかったことも大きい。

・オーナーから怒りの電話がかかってきた。「私を破産させる気か! 一ヶ月で、こんなに大量の肉やパンをさばけるわけがないだろう!」彼の怒りはすさまじかった。だが、1956年5月24日、オープン初日から店は大盛況で肉が足りなくなり、エドはデスプレーンズ店へ週末用の肉をもらいに行くほどだった。オーナーは結果に大満足し、前言を撤回したが、地主は20年間、契約条件を変更できないことに対し、私にまんまとだまされたと考えた。マクドナルドの大成功を目の当たりにし、こうなると最初から知っていたら、あのような契約には同意せず、もっと大儲けできたのにと悔しがった。しかし私は、この土地で、ここまでマクドナルドが成功するとは思っていなかったのだ。私は、契約にはつねに誠実な気持ちで臨んだ。相手が私をだまそうとしているときでさえい。だからこそ、脇目もふらず、片時も休まずにこの道を走り続けてこなければならなかった。世間知らずなところともあったかもしれない。私はその人の口から発せられる言葉をそのままに信じる人間だ。契約書を書かず、握手だけで商談を終わらせたこともあった。財産は何度も底を突きかけ、ひねくれた考えにとりつかれかけたこともあった。けれども、私には生まれ持っての明るさがあり、いつまでお皮肉屋でいることはできなかった。

・私は最初からその男の本質を見抜き、正しい評価を下していたが、それはどうでもいい。重要なことは、お互いが努力した時間は結果として無駄となり、さらに彼にとっては、人生の一部を袋小路で過ごし、それは取り返しのつかない時間のロスとなってしまったということである。もっと早く彼を解雇したら、彼は適職を探し、もっと良い結果が得られただろう。彼にとってもマクドナルドにとっても不幸なことだったが、このとき、洞察力のある判断は、下す本人以外には独断的に映るとわかった。

・フレッドが製品取り扱いについてのアイデアを出すたびに、私は納入業者と実行に至るまで話し合いを重ねた。これらの交渉には、私の長年にわたるペーパーカップとマルチミキサーのセールスマンとしての経験が役立った。人々は、私がマクドナルド経営を52歳という年齢で始めたにもかかわらず、瞬く間に成功を収めたことに驚嘆するが、実際にはショービジネス界の人々のように、そこにたどり着くまで30年もの長い下積み生活があったのである。

・マクドナルドのハンバーガーに使用される肉のパティは、見た目はほかのレストランが出すパティと同じだが、いくつか相違点がある。まず第一に、マクドナルドのパティは100%牛肉からできている。ほかの種類の肉が混ざっていることはいっさいない。パティの脂肪分は19%になるよう厳格に管理されている。マクドナルドのハンバーガー用パティだけに限っても、肉のひき方、冷凍方法、表面から肉質を判断する方法など、技術的な改良が数多くあった。

・マクドナルドのレストランは、アメリカの中小企業の最たるモデルであり、夫妻で協力し合うのは我々の基本原則であった。主として、夫が経営やオペレーションに注意を払い、妻が帳簿をつけ人事を取り仕切る、といった相互利益の仕組みは会社の全レベルにも応用できる。だから私は、常にオーナーの夫人たちには夫の仕事には関わるよう勧めている。彼が汗水たらしてハンバーグを焼く担当であろうと、高級机の向こう側で書類を相手に仕事していようと、一人より二人のほうがよいに決まっているのだから。

・マクドナルドは誰にでも成功を授与するわけではない。ガッツとそれを持続させる力が我々のレストランで成功するためには必要だ。特別な経験や才能は必要ない。常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、ハードワークを愛せる人物なら誰でもできるのだ。そして、私は大勢のオペレーターの前に立ち、マクドナルドの店を持ち真剣に働くものは、誰もが成功し、間違いなく億万長者になるだろうと強調した。どんな小さなビジネスにもつきものの、リスクも落とし穴ももちろんある。数店は何年も小さな規模のままである。しかし、こうした店もいつかは成長できる。

・我々のビジネスには広告とPRに関して二つの態度がある。一つは広告に使われた1セントまで、厳しく経費として取り扱う「がめつい」人間としての態度だ。私の見解はプロモーターと等しい。私は広告に出費することに何の躊躇もない。なぜなら、それがすべて利子とともに自分の元へ返ってくるからだ。もちろん返ってくる形は様々で、だからこうしたタイプの人間にあまり感謝されないのかもしれないが。そういう人たちの視野は狭く、収入をレジに入っている現金としてしか考えられていない。私にとっての収入とは、ほかの道から来るものだ。いちばん良いのは、満足した顧客の笑顔として返ってくること。この価値は非常に大きい。その顧客は必ずリピーターとなり、戻ってきたときには友人を連れてくるからだ。我々のテレビCMが好きな子供は、両親にせがんで来店し、マクドナルドには客がもう二人増えたことになる。これは広告費から来る直接的な利益だ。しかし、心が狭い人間にはこれがわからない。

・「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている」私が深夜二時に競争相手のゴミ箱を漁って、前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したのか調べたことは一度や二度ではない。私は競争相手とは正々堂々と戦う。強みを鍛え、品質、サービス、清潔さ、そして付加価値に力を入れれば、我々についてくることができずに競争相手は消滅していくだろう。実際、過去に何度も目にしてきたことだ。

・この国を素晴らしい国にしたのは、競争社会だ。政府の力を借りて今回の決着をつけたら、我々はおそらく破産するだろう。だがもっとましな15セントのハンバーガーを、迅速なサービスを、もっと清潔な場所を提供することができないのなら、明日破産して、別のビジネスを最初から立ち上げたほうがましだ。

・大企業の上に立つ者には、背負わなければならない十字架がある。そこに上り着くまでに、多くの友人を失うことになる。トップは孤独だ。これをもっとも痛烈に感じたのは、ハリー・ソナボーンが私との口論の後に、会社を去っていったときだ。この状況を思い起こすと、チャイニーズボックスを開けるような気持ちになる。一つの箱を開けるとすぐに次の箱が現れ、最後の箱を開けると、空箱があるばかりだ。そして喪失感で胸がいっぱいになる。

・創業以来、15セントのハンバーガーは我々のポリシーとして大事にされてきた。しかし、どんなに仕入れオペレーションに手を入れても、インフレには歯が立たなかった。社内には18セントでなく、20セントに値上げすべきだという意見もあったが、それには強固に反対した。彼らの主張は、お客は数セントの違いは気にしないだろうし、釣り銭を出すのに店員の手間がかかるということだったが、顧客の立場に立ち、厳しい目で物事を見ると、1ペニーの大切さがわかる。18セントは20%の値上げである。こうして、最終的に私が勝ち、価格を18セントに設定し、売上高と客数が我々の予想通りとなるか、固唾をのんで見守った。ゲリー・ニューマンはセント単位の価格別に、需要の縮小を示す経済曲線を作成した。過去の経験から、我々は最初、常連客が多数来店し、高い値段を払うことによる売上高の急騰を期待した。そして常連客がライバル店へ移ることによる急激な下落が続くと思っていた。さらいその後には、ライバル店が我々に続いて値上げし、常連客が戻ってくることによって売上高が一定に上昇すると予測した。そして実際、その通りになった。一月、売上高は22%上昇し、過去最悪を記録した2月がそれに続いた。客数は9%落ち込んだ。彼らは戻ってきてくれるだろうか?戻ってくるという自信はあったが、この最悪の時期にフレッド・ターナーに経営させたくはなかった。客足が戻るのには、ほぼ1年かかった。2割の商品の価格を20%上げることにより、直営店からの収益が増加したので1967年度は非常に大きく利益を上げて終えた。もちろん、フランチャイズ加盟店にも損害はなかった。

・マクドナルドが成功した理由は、低価格でバリューの高い商品をスピーディかつ効率的に、清潔で居心地のよい空間で提供することだ。メニューの種類は少ないが、そのほとんどが北米で認知された人気の高い商品である。これらが、ほかのレストランのように経済の変動に左右される心配が少ない要因だ。

・ダウンタウンシカゴの開発を始めると決めたときはうれしかった。私の古巣へ戻ってこられたのだ。市の候補地のことなら知り尽くしている。そこへ行く輸送路、歩行者数など。たいていは、誰が所有者で何年所有しているのかも知っている。ディストリクトマネジャーのジャック・オライリーに言ったように、35年も同じ街でペーパーカップとマルチミキサーを売り歩いていたら、たいていのことは覚えるというものだ。自分の客に、より良いサービスを行う気があるのなら、地下のレイアウトや、脇道のアクセスがあるのかなど微細に至るまで調べるのが普通だろう。そういう人たちいは在庫のさばき方や、物流のアイデアを教えてあげられるかもしれない。それが私がいつもしてきたことで、詳細な知識の結集となり、それはマクドナルドに還元できている。自分の仕事にこのような姿勢で向かえるのなら、人生に打ちのめされることはない。これは取締役会長から皿洗い長に至るまで、すべてのビジネスマンにいえることだ。「働くこと、働かされること」を楽しめなければならない。

・独立宣言にもあるように、唯一できることは、その人に幸福を追う自由を与えることだ。幸福とは約束できるものではない。それはどれだけ頑張れたか、その努力によって得られる、その人次第のものなのだ。幸せを手に入れるためには失敗やリスクを超えていかなければならない。床の上に置かれたロープの上を渡っても、それでは決して得られない。リスクのないところには成功はなく、したがって幸福もないのだ。我々が進歩するためには、個人でもチームでも、パイオニア精神で前進するしかない。企業システムの中にあるリスクを取らなければならない。これが経済的自由への唯一の道だ。ほかに道はない。

・失敗とどう向き合うかは大切です。成功者を見ていると、レイ・クロックに限らず、誰もが事業の失敗をちゃんと受け止め、そうして前進している。マイクロソフトのビル・ゲイツは「You must worry」と強調している。これは「悩みなさい」という意味でしょう。つまり、社員一人ひとりが悩み、壁にぶつかってみなければ成長はないということを言っていのです。「ひょっとしたら自分の仕事は失敗の範疇に属するのではないか、いまやっていることよりもさらにいい方法があるのではないか」と常に自らに語りかけながら仕事をしていかないと進歩も成長もありません。自分が達成した少しの成功に甘んじていたらそこでおしまい。「オレの仕事は間違ってない」と盲信したり、「自分はビジネスでは連戦連勝だ」とうそぶいている人たちは成功の基準が低いんですよ。だから、失敗していることに気づいていない。それこそ問題です。

・マクドナルドに新しく投入された商品がどれだけあるか、フィレオフィッシュやビッグマック、ホットアップルパイに、エッグマックマフィンなどを見ればそれは明白だ。興味深いのはこれらがフランチャイズオーナーのアイデアから生まれた商品だということだ。

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