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東海道五十三次 街道をゆく 藤沢宿~平塚宿 (2)源義経首洗い井戸~弁当

2015年10月26日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第6回目の藤沢宿~平塚宿(2)源義経首洗い井戸~弁当編について紹介したいと思います。

 それから源義経首洗い井戸へ行きました!

源義経は、兄の頼朝に追われて1189年に奥州平泉で自害した後、43日かけてその首が鎌倉まで運ばれ、腰越の浜で首実験され、そして片瀬の浜へ打ち捨てられたようです。

 それが、潮に乗って境川をさかのぼり、この辺りに漂着したのを里人がすくい上げ、この井戸で洗って清めたとのことです。

そんな伝説があるとは知りませんでしたね。

義経の首が浜へ打ち捨てられていたというのも驚きですが、潮に乗ってさかのぼったというのも驚きました。


↑説明板の左奥が源義経首洗い井戸


それから、白旗神社へ行きます。
この日は10月にも関わらず晴天で猛暑でしたね^_^;)
かなり暑い!
そんな感じが写真から伺えます^_^;)


↑白旗神社

 ここでも地元の方によるガイドがありました。
白旗神社は、もともとは寒川比古命を祀っていましたが、源義経の霊を弔い、祭神としたとのことです。
伝承では、義経と弁慶の首は首実験が腰越で行われ、夜の間に二つの首は、この神社に飛んできたとのことです。
このことを鎌倉の源頼朝に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにとのことで、それ以来義経を祭神として、後に白旗神社と呼ばれるようになったとのことです。
7月の夏祭りには義経・弁慶神輿が練り歩くようです。


 それから少し歩くと、見附跡がありました。
これも宿場町では毎度のことですが、ここで藤沢宿は終わりということになります^_^)


↑見附跡

それからしばらく歩くと、「おしゃれ地蔵」があるのには驚きました!


↑おしゃれ地蔵

女性の願いごとなら、何でもかなえ、満願のあかつきには、おしろいを塗ってお礼をすると伝えられているようです。
地蔵の顔が化粧されていましたので、願いが叶った方が結構いるのでしょう^_^)
なかなか全国的にも珍しい地蔵だとおもいます。
なお、形態的には地蔵ではなく、道祖神のようですが、土地の言い伝えを大切にして、地蔵ということになっているようです^_^;)


 それから大山道標(四谷不動)がありました!


↑大山道標

 東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていたお堂と石造りの不動明王がある道標で、1676年に江戸横山町の講中が建てたものとのことです。
この道標は浮世絵にも描かれているようです。
またこの辺りには茶屋がたくさんあり、大山参詣の参詣客を誘ったようです。

大山道方面には、一の鳥居が立っていました。


↑一の鳥居

それから江戸の日本橋から13番目の一里塚跡がありました!
13番目なので、日本橋から約52kmということになりますね。
結構遠くまで来ました^_^)


↑一里塚跡

そして二ツ家稲荷神社がありました。
昔、二軒の茶屋があったのでその名前となったようです^_^;)


↑二ツ家稲荷神社

当時、江戸時代では江戸から江ノ島への3泊4日の旅がブームだったようです。
1泊目は保土ヶ谷に泊まり、2日目は藤沢を通って江ノ島の手前で泊まり、3日目は江ノ島や鶴岡八幡宮、神奈川八景を楽しんで川崎で泊まり、4日目は川崎大師で参拝して江戸へ帰ったようです。

それから、ようやく弁当タイムです!
今回は少し遅めの13時過ぎの食事でした!
お茶でのどを潤わせ、おいしく弁当を頂きます!


↑弁当

次は、(3)牡丹餅立場~馬入の一里塚です。

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