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「ドイツで100年続くもの(見市 知)」という本はとてもオススメ!

2016年01月15日 01時00分00秒 | 
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 「ドイツで100年続くもの」という本は、ドイツ在住の著者が、ドイツの2度の世界大戦や東西分裂と再統一の激動100年を振り返り、その中で人々はどのように生きてきたのか、もの作り・お菓子作り・エコ・建物や地下鉄・食卓などについて書いたものです。

 ドイツについて学ぶには良書だと思います。
「ドイツで100年続くもの」という本はとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・スリッパや室内履きはかつて、ヨーロッパで王侯貴族だけが使用するものだったといいます。この習慣が一般市民にも広まり始めたのは19世紀末~20世紀初頭にかけてのこと。ドイツでのスリッパ製作は、靴職人の仕事の一部として位置づけられてきまsた。そんな中、スリッパだけを専門にした職人工房が出現するようになります。1908年からの歴史を誇る「ユーネマン・スリッパ工房」もそのひとつでしたが、今ではここが、ベルリンで唯一残るスリッパ専門工房となってしまいました。

・今ではもう撤去されてしまいましたが、数年前までベルリンの地下鉄駅のプラットフォームにはもれなく体重計が設置されていました。どっしりとした柱時計のような重厚で立派な体重計で、通貨がユーロに切り替わってからもマルク表示のままだったので、最後の頃は実用品というよりは骨董品的な存在えした。これはその昔、一般家庭に体重計がなかった時代の公共サービスだったのだそうです。

・ベルリンの街中の路上には、昔ながらの手動式水道ポンプがところどころに残っています。そしてそこには「飲み水ではありません」との警告表示が。「あれはね、昔は馬車馬用の飲み水だったのよ。私たちが子供の頃は、ふつうにあのポンプから飲んでたけれどね」ベルリンに80年近く住んでいる友人のおばあさまが、そのことを教えてくれました。現在この水道ポンプは災害時の水供給設備としてベルリン市内に2100個残されています。「飲み水ではありません」と書いてありますが、緊急時には飲み水としても利用してよいのだそうです。

・「ケーキの王様」とも呼ばれるバウムクーヘン。木の年輪の形をしたこのケーキは、クリスマスやお祝い事のケーキとして愛されてきました。バウムクーヘンが欧州の文献に初めて登場するのは1426年、イタリアの料理本に出てくるそうです。それ以外にもバウムクーヘンの起源として、狩りの最中にお菓子が食べたくなった、かのカール大帝(742-814)のために、森の中で作られたのが最初だったなど諸説あります。芯柱にケーキ生地を重ね、回転させながら焼いていくバウムクーヘンは、ふつうのケーキよりも多くの手間と時間を要し、かつ高価なお菓子です。1852年に創業し、1900年以来ベルリンに店舗を構える老舗「カフェ・ブーフヴァルト」では、一貫してバウムクーヘンを看板商品に今日まで存続してきました。バウムクーヘンの味だけでなく、カフェの店構えや内装も創業当時の雰囲気を大切に守り続けてきたという希少なお店です。

・子どもの頃に読んだヨーロッパの児童文学にしばしば「コショウ菓子」という名前のお菓子が登場しました。お菓子を食べている描写はとてもおいしそうなのですが、コショウ入りのお菓子って・・・?この謎のお菓子のドイツ語名はペッファークーヘン。ペッファー(=コショウ)とは当時、アジアから輸入された貴重な香辛料全体を指す名称だったそうで、今で言うコショウを指しているわけではないそうです。かつて、ぜいたく品であったペッファークーヘンを焼くためには、特別に領主の許可が必要だったそうです。プルスニッツのパン職人に対し、「ライ麦パンの他にペッファークーヘンを焼いてもよい」との許可が下りたのは1558年のこと。以来、この小さな町にはペッファークーヘンづくりの伝統が根付きました。近隣の市町村からペッファークーヘンを買うためにこの町を訪れるという習慣は今でも続いており、人口8000人足らずの小さなプルスニッツの町に8軒のパッファークーヘン専門店が存在しています。

・クリスマス前の4回の日曜日を祝うアドベント(待降節)。ドイツの町にはクリスマスマーケットの屋台が立ち並び、クリスマス気分が最も盛り上がる時期です。ドレスデンの菓子店やパン店では、職人たちがシュトレン作りに精を出すかき入れ時。ドイツ最古のクリスマスマーケットで名高いこの町をこの時期に訪れると、クリスマスに向けて準備する町全体の意気込みと活気が感じられます。ドレスデンのクリスマスマーケットは、その名も「シュトリーツェル・マルクト」。「シュトレン・マーケット」という意味の名が示すとおり、ドレスデンの町にとってシュトレンはクリスマスの代名詞なのです。このシュトレンで名高い老舗菓子店「カフェ・クロイツカム」は、第二次世界大戦後ドレスデンからミュンヘンへ逃れ、そこで菓子店経営を継続。東西ドイツ統一後はいち早くドレスデンに店舗を構え、ドレスデンの町とシュトレンの伝統の復興に貢献してきました。1991年5月、東西ドイツ統一の翌年に、クロイツカムは再びドレスデンに店舗を構えました。同年、ドレスデンのシュトレンのクオリティを守るための規定がシュトレン保護連盟によって定められています。マーガリンや合成着色料、保存料の使用を禁止し、小麦粉の分量に対して50%以上のバター、65%以上のレーズンを用いることを定め、この規定を順守したシュトレンのみが栄えある「ドレスデンのシュトレン」の称号を得ることができるというものでした。シュトレンのおいしい食べ方は、大きな塊の端からではなく、真ん中から切り分けてスライスして食べていくことだそうです。クロイツカムでは、焼き上げてから2~3週間寝かせたものを店頭に出しています。そして通常、寝室の温度、つまり13~17度くらいの温度で保存しておけば6ヶ月保存可能だと言います。

・肉食文化のイメージが強いドイツですが、近年、気がつくと私の周りにはベジタリアンが急増していました。友人や知人を食事に招く際に、「何か食べられないものある?」と聞くよりも「あなたはベジタリアンですか?」と聞く方が手っ取り早いくらいです。しかしこれは私の身の回りの現象に限らずドイツ全体の傾向のようです。連邦食糧省の統計によると、2007年には1%だった「魚も肉も食べない」ベジタリアンの数が、2012年では2倍の2%に増加。さらに過激な、肉どころか卵も乳製品もハチミツも摂取しないヴィーガンの割合はまだ0.5%に満たないそうですが、ヴィーガン向け食品店や、豆腐など大豆食品の売り上げ増加がその存在感を示しています。健康志向の高まりや、食肉産業に対する不信感、動物愛護精神などがその背景にあると言われていますが、こういった志向の源流はすでに19世紀末にありました。急激な産業化の波に伴うさまざまな生活習慣の変化に対して起こった生活改善運動。それはアルコールやタバコなどの不健康な嗜好品、保存料の入った加工食品、そして肉食を避けようという運動でした。協同組合ができ、そのコンセプトを具現化した店「レフォームハウス」がドイツ各地に誕生します。エコや菜食がトレンドとなるはるか100年以上前に起こった自然回帰への思想。フランクフルトに今も残る1904年から続くレフォームハウスにその源流を探しました。

・区間わずか438.5メートル、傾斜度26%の斜面を走るネロベルクバーンは、水力を利用して動いている登山鉄道です。ンロベルクバーンは1880年、ネロベルクという山の上にあったホテルの宿泊客のために造られました。ホテルは1960年代に廃業し、現在では建物の一部だけが残されてカフェレストランになっていますが、山頂のすばらしい見晴らしと水力鉄道を目指して今も年間30万人の人が訪れます。

・東西ドイツ統一後、急激な人口減に悩まされた街ライプツィヒで始まった、ユニークな空家再生プロジェクトがあります。「留守の家」と呼ばれるこのプロジェクトは、ずばり「家賃無料で空き家に住んでくれる人求む!」というもの。おもな対象となっているのが、グリュンダーツァイトと呼ばれる19世紀~20世紀初期に建てられた立派なファサードが特徴の建物です。ライプツィヒ市内には2014年末の時点で16軒の「留守の家」が存在しています。築100年の家に家賃無料で住める稀少な機会!を求めて、入居希望者がプロジェクトの件数を上回っている状態なのだそうです。

・ドイツ語でバルハウス(Ballhaus)と呼ばれる社交場が欧州に出現したのは15世紀のイタリアにさかのぼります。バル(=ボール)という名前が示す通り、最初はテニスの前身である球技を楽しむ屋内球技場でした。その後、バルハウスは次第に球技場として使われなくなり、劇場やコンサートホールとして活用されるようになったと言います。バルハウスが現在のようにダンスホールを意味するようになったのは、実は19世紀になってからでした。ベルリンがプロイセン帝国の首都となった19世紀後半、ベルリンには900軒のバルハウスが存在し、まさにバルハウス文化の最盛期だったと言われています。

・ドイツの首都ベルリンに地下鉄が登場したのは1902年。欧州ではロンドン、パリ、そしてハンガリーのブタペストに次いで、地下鉄が造られた都市としては4都市目でした。「地下鉄が発達する以前、ベルリンはいくつもの都市の集合体だったのです。当初はまず、3都市を統合するプロジェクトとして発展しました」ベルリン地下鉄ミュージアムのスタッフで、地下鉄技師のヴォルフガング・クレールさんは、そのように説明してくれました。この3都市というのは、当時のベルリン市のほか、今ではベルリンの主要地区として知られるシャルロッテンブルクとシェーネベルクを指します。東京に置き換えていうならば、千代田区と中央区だけは東京だったところに、港区と渋谷区も統合した、みたいな感じでしょうか。20世紀初頭に発達した地下鉄は、1920年の「大都市ベルリン法」の施行に先駆け、ベルリンの街を現在「ベルリン」として知られる都市形態に統合する大きな役割を果たしたのです。ちなみにベルリン市民はことさら、居住地区に対する帰属意識が強いところがあり、「私はシャルロッテンブルク人なんだけど」とか「私は生まれながらのフリーデナウ人だから」というような言い方をすることがしばしばあるのですが、それもベルリンが統合される以前の名残なのでしょう。そんな歴史の経緯を聞くと納得がいきます。

・私の友人知人をみる限り、ドイツ人が外国に行って恋しがる「ドイツの食べ物」のトップは、ダントツでパンです。2年間ロンドンに住んでいた友人いわく、「何がつらかったって、本物のパンがなかったことよ」と言っていたことがあるのですが、つまりドイツ人にとっては、英国で一般的なトースト用のパンは「ニセモノのパン」ということになるらしいのです。ちなみに日本のパンは全体的にふんわりしすぎていて甘くて、「お菓子みたい」と言われたことがあります。ドイツ人がパンと言うときは、ライ麦の入ったずっしり系のパンを指すのです。ドイツでも、今や世界各国の料理が身近になり食生活も多様化していますが、パンなど特定の食材に関しては絶対に譲らないドイツ人のこだわりを見ることがあり、これはたぶん、日本人がお米の味や炊き加減にうるさいことに置き換えることができるのかもしれません。

・【ジャガイモ屋】これぞドイツを代表する食材のひとつ。日本に米屋があるように、ドイツにはジャガイモ屋が存在します。とはいえ、実際に固定で店舗を構えているジャガイモ専門店は現在ではすっかり少なくなり、こうやって市場に行くと見かけるくになりました。ちなみに、ドイツではジャガイモは「野菜」に分類されず、「ジャガイモ」だけがひとつの食材のカテゴリーになっています。そして大きく分けるとジャガイモには以下の3種類が存在します。
1)かたくゆであがるタイプ
2)ホクホクひゆであがるタイプ
3)1と2の中間のタイプ
たとえばポテトサラダにはドイツでは1)のタイプを使います。ピュレ状にしてしまわないで、ジャガイモの形と歯ごたえを残すのが重要だからなのだそうです。

・【リンゴ屋】ドイツでは、リンゴとじゃがいもは兄弟のようなものらしいです。オーストリアのドイツ語ではジャガイモを「カルトッフェル」ではなく「エルトアプフェル」というのですが、これは「地のリンゴ」という意味。なんだかジャガイモが急にロマンチックな存在に思えてきます。市場に行くとリンゴを専門に扱っている店舗があり、収穫期の秋になると、ひとつの店舗で10種類くらいの多彩なリンゴを見かけることがあります。ジャガイモのピュレと、炒めたリンゴを合わせたその名も「天と地」という名前の伝統料理が存在します。

・【ハチミツ屋】ドイツで今も根強い人気を誇る元祖自然派健康食品です。ハチミツ専門店には、アカシヤ、菩提樹、桜などさまざまな花から採った多種類のハチミツが並んでいます。「1日に1さじハチミツを食べると健康でいられる」との説もあり、ドイツ人宅の台所には必ずハチミツが常備されています。風邪をひけばハチミツをお湯に溶き、各種ハーブティーやホットミルクにもハチミツを溶かして飲むという具合に、パンに塗る以外でも消費量が多いのです。

・おいしいドイツ料理を食べたかったらどこに行けばよいかー?私は町中の肉屋に行くことをおすすめします。肉屋の店の一角には軽食スペースが併設されていて、そこで自家製ソーセージなどの肉料理を楽しめるようになっているのです。これは昔からの伝統的な営業形態だそうで、エーリッヒ・ケストナーの「わたしが子こもだったころ」の中にも、こんな描写があります。当時ザクセンの王様が、お供をつけずにドレスデン市街を散歩していて、その姿を見かけた少年ケストナーが「王様が肉屋に入ってきてソーセージを食べようと注文したらどうなるだろう」と想像をめぐらせるのです。ミュンヘンにある創業1880年の「ヴィットマン肉店」は、ドイツにまだ王様がいた時代から存続している貴重な店です。小さな店舗スペースの右側は肉売り場、左側は軽食コーナーです。タイルの壁面にぶら下がるサラミ、多種類の自家製ソーセージ・・・店舗奥にはブタの骨付きもも肉が並んでいるのが見えます。そして肉屋といえば、欠かせないのがザウアークラウトの存在。代表的な肉料理の付け合わせとして昔から、ドイツの肉屋ではザウアークラウトを自家製する伝統があるのです。キャベツに塩と香辛料を加えて発酵させたザウアークラウトは、ビタミンCが豊富なことでも知られています。

良かった本まとめ(2015年下半期)

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