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「旅の途中で」という本は、俳優の高倉健さんのエッセイで、1996年から2000年まで5回にわたってニッポン放送で放送されたラジオ番組「高倉健 旅の途中で・・・」を基に新たに書き下ろしたものです♪
本書は旅での出会いなどを基に、人生って捨てたもんじゃないな、生きてるって悪くないなと感じてもらえればと思って書かれたようです♪
確かにどの逸話も心に響き、素晴らしいものばかりで、とても良いと思います♪
特にまとめると以下となります♪
・言葉は少ない方が自分の思いはむしろ伝わる
・見送りは最後まで行く
・どんな厳しい中にあっても寒青という松のように青々と人を愛し、信じ、触れ合い、楽しませるように生きたい
・心にゆとりがあるからこそ、雨をも愉しむ
・やると決めたからには持てる力を惜しげもなく注ぎ込み奮闘することは、自分自身のためにすることなのだ
・客は家の前で立って待つ
・夢中になって一つのことに突き進む人の目は素晴らしい
・一歩ずつ進めばいつの間にか乗り越え、そのとき初めて自信が持てる
・人間にとっていちばん贅沢なのは心がふるえるような感動
・あなたはあなた自信のフェラーリ(夢)を持っていますか?
・さりげない別れの表し方も心に残る
・拍手を受けるだけでなく、送る方も心が豊か
・人生は巡礼である
・人間の真価は何をしたかではなく、何をなそうとしたか
・自分の道を進めば進むほど独りになる
・独りの時間は大切で、その時にこそいろんな発想や発見ができる
・独りで生きることができる人が最終的に強い
・すべてに命がけは素晴らしい
・一日一生
「旅の途中で」という本は、より良い人生のヒントとなり、とてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です。
・僕が、美味しい鉄観音茶を飲みたいと頼んだら、何分か経って、凹凸だらけの大きなヤカンを持ってきた。鉄観音は、独特の急須で独特の淹れ方をしなければ本当の味が出ないことを専門家に聞いていましたから、じっと眺めていたんですが、そのセレモニーをまさしくその通りに正確にやるんです。使っている急須も鉄観音用の急須を使って、最初の一番出しのお茶で茶碗を洗うんですね。手でくるくると、とても器用に回しながら茶碗を温めて、雫を切ってから淹れる。お茶を淹れるその動作を見ているだけで、客をもてなす心遣いというんでしょうか、彼女の”気”が伝わってきて、パリにいる4日間、その店に毎日続けて通いました。日本に帰るという最後の日に、女主人のほうから初めて話しかけてきたんです。「あなたのことを私はよく知っています」小さな声でこちょこちょっと耳元で囁いた。それまでは表情ひとつ変えないで、美味しいお茶を淹れることだけに専念していた彼女の気遣いに、僕は、客をもてなすということはこういうことなんだと思いましたね。
・翌日、大使は空港まで見送りに来てくださった。足を悪くしていらっしゃるものですから、普段はほとんど車椅子で動かれるんですが、税関の所で富造君が気を遣って、「大使、ここでお別れしましょう、きりがないですから」と言うと、「何を言うんだ、富造君、私は這ってでも行きます」そうおっしゃったという。別れの瞬間、ぎりぎりまで、ステッキをついて歩いて、自分の友達を送るんだという強い意志というんですか、形なんかどうでもよいというその心に、僕はショックを受けました。
・よく、僕は無口な男、寡黙な奴とか言われますけれども、自分ではそうんなふうに思ったことはないですねラジオ番組でも台本なしで結構しゃべってますから、自分ではそれほど無口だとは思いません。今まで201本の映画で演じてきた役柄から、不器用とか無愛想とか寡黙とか、そういうイメージがあるんだと思います。しかし、言葉というのはいくら数多くしゃべってもどんなに大声を出しても、伝わらないものは伝わらない、そういう思いは自分の中に強くあります。言葉は少ないほうが、自分の思いはむしろ伝わるんじゃないかと思っています。
・「寒青」・・・。「かんせい」と読む。中国語で何と発音するのか知りませんが、漢詩の中の言葉で、「冬の松」を表すそうです。凍てつく風雪の中で、木も草も枯れ果てているのに松だけは青々と生きている。一生のうち、どんな厳しい中にあっても、自分は、この松のように、青々と、そして活き活きと人を愛し、信じ、触れ合い、楽しませるようにありたい。そんなふうに生きていけたら・・・。とても好きな言葉です。
・プレゼントした方が、「この唐傘とか蛇の目をさすと、雨が降った時にパラパラ雨が当たる。その音がとっても待ち遠しい」という話をされたという。僕はその話を聞いて、凄い人だなと思いました。雨が降って嫌だな、と普通の人は思うんでしょうけれども、雨という自然の恵みを愉しむというんでしょうか、心にゆとりがあるからこそ、傘を単なる雨をしのぐ道具ではなくて、雨を愉しむ道具に変えてしまう。僕の友人のレストランのご主人に傘を贈られたその方の心の有り様が、とても素晴らしいと思いました。
・好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にするのであって、やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげなく注ぎこみ、奮闘する。仕事だから仕事らしい仕事をやってのけようとする。それは観客のためではなく、自分自身のためにすることなのだ。受けるとか、受けないとかはもちろん気になるが、最終的には「知ったことではない」の一言で蹴飛ばしてしまう。それが高倉健ではないのか。
・その折、十数年お目にかかっていなかった画家の横尾忠則さんから、「自分の家へ是非」と食事のお誘いを受け、ご自宅へ伺いました。地図までファックスで送っていただいているのに、僕は道がわからなくて、30分も遅れて行ったんですが、駐車場の入口に横尾さんご夫妻が、立って待っていらっしゃったんです。その姿に、人を招く礼節のようなものを強く感じました。
・一人の天才ヴァイオリニストが、どういうふうに磨かれていくのかが、とても感動的にまとめられていました。外国で、厳しくも優しい教師にしごかれている時の、歯を食いしばって練習している彼の目が、とてもいいと思いました。何て言うんだろう、僕の世代にとっては、日本人にもこういう人が出てきはじめたことに対して、心強く嬉しく思いました。本当に何かに夢中になって、一つのことに突き進んでいる人の目というのは、素晴らしいと思いました。
・ただ毎日毎日、1ミリでも進んでいけば、ジャンプなんかしなくてもいい。誰も助けてくれないなら、自分で一歩一歩進むしかないんですから。人生には苦しいこともあるし、嘘と言いたくなるほど辛いこともある。でも、神様は絶対に無理な宿題は出さない。その人に与えられた宿題は、絶対にその人自身がクリアできるものなんです。乗り越えようなんて思わなくても、一歩ずつ進んでいけば、いつの間にか乗り越えてしまっている。その時、初めて自分に自信が持てるんだと思います。
・人間にとって一番寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと。感動をしなくなったら、人間おしまいだと思うんですね。こんなに寂しいことはないと思います。人間にとっていちばん贅沢なのは、心がふるえるような感動。お金をいくら持っていても、感動は、できない人にはできません。感動のもとは何でもいいんじゃないでしょうか。美しいとか、旨いと感じるとか、一日に一回でもいいから、我を忘れて、立ち上がって、拍手ができようなことがあればいいですね。今の世の中で、こんな幸せなことはないんだと思います。
・「あなたはあなたのフェラーリを持っていますか」という歌があるんですが、毎朝セットに入る前の何十分か、部屋で準備をしている間や、ロケの待ち時間、次の声がかかる間、ずっと聴いていました。フェラーリはご存じの通り、ほとんど神話になっているような、イタリアのスポーツカーです。「あなたはあなた自身のフェラーリを持っていますか 私は私のフェラーリを持っています 私の人生はあなたの夢 希望を持たない魂なんてまるで救いようがない どうしようもなく寒くて暗い夜でも 私は夢をしっかりと胸にだいて絶対に見失わないようにしています」夢をフェラーリにたとえて歌っている歌です。映画にも出ていらっしゃるシャーリー・バッシーとクリスの掛け合いで歌うこの歌が素晴らしくて、聴いて随分励まされました。
・僕が何日間の滞在を終えて帰る時、由五郎君は決して、船の乗り場まで送ったりしないんです。ドアに潮で穴の開いたような、買う人が1万円でもいい顔しないようなぼろぼろの車の横に立って、途中の道で偶然そこに居合わせたような顔をして、さりげなく別れの挨拶をするんです。島の若者にはもう一つ、強烈なアピールの別れの挨拶もあって、本土に帰る女の子たちと交換したテープが切れる時、ジーンズをはいたまま海に飛び込んで見送る、そういう表現の仕方もあるらしいんですけれども、僕は由五郎君のさりげない別れの表し方が、とっても心に残っています。
・僕の俳優という仕事は、どんなところへでも行きます。南極にも北極にも、アフリカにも八甲田山にも行きました。八甲田山では、僕らは185日間、厳寒の雪の中にいました。それはただ、拍手を受けたいという一心からです。ところが、あの運動会を見ていたら、拍手を受けている自分よりも、拍手をしている自分のほうが豊かなんじゃないかと思えてきました。誰かを励ましている、あなたたちに感動しましたよ、と拍手を送っているほうが豊かなんだな、と突然感じたのです。そんなことを考えると、俳優という仕事は、業が深い生業だなと思います。この仕事を選んでしまって40年過ぎましたから、急に拍手を送る側にまわるのは、難しいかもしれません。それだけに、拍手を送る経験ができた石垣島の運動会に、とても感謝しています。
・今の僕から見ると、少年たちという気がするんですが、あの少年たちが、特攻隊としてこの沖縄や南方の空に向かって飛び発ち、そして若い生命を散らしていった。知覧基地から出撃していっただけでも、その数、1035人、と聞いております。この知覧の町に、特攻隊の少年たちを優しく世話された富屋食堂のおばさんで、島浜トメさんという方がいました。若い特攻隊員たちから、「お母さん、お母さん」と慕われていらしたそうです。特攻隊員が出撃の前夜には、その頃とっても贅沢だったはずの、手作りの玉子丼を必ずご馳走して見送られたそうで、この島浜トメさんと、飛び発っていった特攻隊員の青年たちの間に伝わる物語も残っています。「みごと撃沈したらホタルになって帰ってくるから」と約束して出撃していった二十歳の特攻隊員が、翌晩、本当にホタルとなって帰ってきたという話ですが、心に深く響いてきます。二十世紀の区切りとして、心に留めておきたいと思います。凛々しいということは、こういう青年たちのことを言うんだと思います。一点の曇りもなく、死を決めている姿。人間の持っている、命の燃やし方。若い特攻隊員、二十歳になるかならないかの青年が、「明日、自分の魂はホタルになって帰ってきます」と言って出撃していく。明日死ぬ青年の口から、一体どうしたら「ホタルになって」という言葉が出るんだろうか-。僕は、この言葉に感動します。トメさんから心をもらった、ときっと本人は感じたんでしょう。だから、ホタルとなって戻ってきた。島浜トメさんに対する礼節ということなのかなと思います。自分は日本人が好きですし、日本人であることを誇りに思って、これからの人生も生きていきたいと思います。
・「苦しみつつなお働け。安住を求めるな。人生は巡礼である」凄まじい言葉だと思います。「人間の真価は棺を覆った時、彼が何をなしたかではなくて、何をなそうとしたかで決まるのだ」「南極物語」は、1983年の封切りですから、随分前のことなんですが、当時迷っていた自分が、こうした言葉に励まされ、勇気をもらっていたんだと思います。
・近頃もう一つ気になることがあります。「何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」「何のためにしたか」-。そう問いかけることが、とっても大切な時が来ているように思います。どんな映画を撮るかではなく、何のためにその映画を撮るのか。自分はこのことをとっても大切にしていきたいと思います。そして最後に、この言葉を-。「身についたものの、高い低いはしょうがねえ、けれども、低かろうと、高かろうと、精いっぱい力いっぱい、ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」
・健さんのラジオ放送を聴かせてもろうた。出張の時、電車の中で、テープで聴いたんやけど、ようあの忙しい人があれだけのことをやりこなしてますね、この人は何て人やろう!どこにそんな暇があるんやろう?と思うた。映画を観てる。本は読んでる。音楽もいろんな音楽を聴いていて、自分の感想をきちんと言うている。おまけに外国へ出かけて行って、いろんな体験をしてる。24時間、ひとつのリズムをつかんでいるんやと思うな。それが健さんのバネになっている。殿様みたいに上げ膳据え膳されると殿様で終わってしまうけど、あの人はそこに甘んじてない。自分の道を進めば進むほど、独りになると思う。たまに旅に出て、独りでいる時間が愉しいんやないかな。
・独りの時間は人間にとって大切。その時にこそ、いろんな発想や発見ができるもんです。
・独りで生きることができる人が、最終的には強いんやないかな。そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね。そういう人は自分が善行を積んでも、これこれをしました、なんてことをごちゃごちゃ言わない。そんなこともあったかいな、という顔をする。陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね。ある時何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく。何かをしても、結果や報酬を期待しない。健さんはまさにそういう人やね。「俺は高倉健だ」とか一言も言わず、仕事が済めば外国へ出かけてしまう。健さんのそういう生き方を観させてもらうようになって、あの人はお侍さんやと思う。どんな仕事でも命を賭けてやってる。軽く流すことは絶対しない。普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、こちらは軽くいきましょう、こちらは大事やからしっかりやりましょう、そんな計算が働くけどね。そういうことが大嫌いな人やと思う。すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、そんなお人やと思う。周りの現象に流されず、折目正しく生きている。それは座った姿にも出ておる。
・誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある。しかし、一日一生。今日の自分は今日で終わり。明日は新たな自分が生まれてくる。今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、明日はまた新しいものとして生まれる。こだわりを捨て、同じような過ちを再び繰り返さないために、今日のうちにその過ちを修正しておけばええ。最終的には息を引き取る時が、人生の勝負やないかな。何があろうとなかろうと、独りきりで旅立っていくんやから。生まれた時と同じ。何も持たずに旅立って行くわけやね。赤ん坊か、くしゃくしゃの年寄りかの違いだけやね。自分に課せられた人生。仏様からいただいた人生を、「これだけ燃えつきました」高倉健はそう行って逝ける、数少ないお人やと思います。
良かった本まとめ(2016年上半期)
<今日の独り言>
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「旅の途中で」という本は、俳優の高倉健さんのエッセイで、1996年から2000年まで5回にわたってニッポン放送で放送されたラジオ番組「高倉健 旅の途中で・・・」を基に新たに書き下ろしたものです♪
本書は旅での出会いなどを基に、人生って捨てたもんじゃないな、生きてるって悪くないなと感じてもらえればと思って書かれたようです♪
確かにどの逸話も心に響き、素晴らしいものばかりで、とても良いと思います♪
特にまとめると以下となります♪
・言葉は少ない方が自分の思いはむしろ伝わる
・見送りは最後まで行く
・どんな厳しい中にあっても寒青という松のように青々と人を愛し、信じ、触れ合い、楽しませるように生きたい
・心にゆとりがあるからこそ、雨をも愉しむ
・やると決めたからには持てる力を惜しげもなく注ぎ込み奮闘することは、自分自身のためにすることなのだ
・客は家の前で立って待つ
・夢中になって一つのことに突き進む人の目は素晴らしい
・一歩ずつ進めばいつの間にか乗り越え、そのとき初めて自信が持てる
・人間にとっていちばん贅沢なのは心がふるえるような感動
・あなたはあなた自信のフェラーリ(夢)を持っていますか?
・さりげない別れの表し方も心に残る
・拍手を受けるだけでなく、送る方も心が豊か
・人生は巡礼である
・人間の真価は何をしたかではなく、何をなそうとしたか
・自分の道を進めば進むほど独りになる
・独りの時間は大切で、その時にこそいろんな発想や発見ができる
・独りで生きることができる人が最終的に強い
・すべてに命がけは素晴らしい
・一日一生
「旅の途中で」という本は、より良い人生のヒントとなり、とてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です。
・僕が、美味しい鉄観音茶を飲みたいと頼んだら、何分か経って、凹凸だらけの大きなヤカンを持ってきた。鉄観音は、独特の急須で独特の淹れ方をしなければ本当の味が出ないことを専門家に聞いていましたから、じっと眺めていたんですが、そのセレモニーをまさしくその通りに正確にやるんです。使っている急須も鉄観音用の急須を使って、最初の一番出しのお茶で茶碗を洗うんですね。手でくるくると、とても器用に回しながら茶碗を温めて、雫を切ってから淹れる。お茶を淹れるその動作を見ているだけで、客をもてなす心遣いというんでしょうか、彼女の”気”が伝わってきて、パリにいる4日間、その店に毎日続けて通いました。日本に帰るという最後の日に、女主人のほうから初めて話しかけてきたんです。「あなたのことを私はよく知っています」小さな声でこちょこちょっと耳元で囁いた。それまでは表情ひとつ変えないで、美味しいお茶を淹れることだけに専念していた彼女の気遣いに、僕は、客をもてなすということはこういうことなんだと思いましたね。
・翌日、大使は空港まで見送りに来てくださった。足を悪くしていらっしゃるものですから、普段はほとんど車椅子で動かれるんですが、税関の所で富造君が気を遣って、「大使、ここでお別れしましょう、きりがないですから」と言うと、「何を言うんだ、富造君、私は這ってでも行きます」そうおっしゃったという。別れの瞬間、ぎりぎりまで、ステッキをついて歩いて、自分の友達を送るんだという強い意志というんですか、形なんかどうでもよいというその心に、僕はショックを受けました。
・よく、僕は無口な男、寡黙な奴とか言われますけれども、自分ではそうんなふうに思ったことはないですねラジオ番組でも台本なしで結構しゃべってますから、自分ではそれほど無口だとは思いません。今まで201本の映画で演じてきた役柄から、不器用とか無愛想とか寡黙とか、そういうイメージがあるんだと思います。しかし、言葉というのはいくら数多くしゃべってもどんなに大声を出しても、伝わらないものは伝わらない、そういう思いは自分の中に強くあります。言葉は少ないほうが、自分の思いはむしろ伝わるんじゃないかと思っています。
・「寒青」・・・。「かんせい」と読む。中国語で何と発音するのか知りませんが、漢詩の中の言葉で、「冬の松」を表すそうです。凍てつく風雪の中で、木も草も枯れ果てているのに松だけは青々と生きている。一生のうち、どんな厳しい中にあっても、自分は、この松のように、青々と、そして活き活きと人を愛し、信じ、触れ合い、楽しませるようにありたい。そんなふうに生きていけたら・・・。とても好きな言葉です。
・プレゼントした方が、「この唐傘とか蛇の目をさすと、雨が降った時にパラパラ雨が当たる。その音がとっても待ち遠しい」という話をされたという。僕はその話を聞いて、凄い人だなと思いました。雨が降って嫌だな、と普通の人は思うんでしょうけれども、雨という自然の恵みを愉しむというんでしょうか、心にゆとりがあるからこそ、傘を単なる雨をしのぐ道具ではなくて、雨を愉しむ道具に変えてしまう。僕の友人のレストランのご主人に傘を贈られたその方の心の有り様が、とても素晴らしいと思いました。
・好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にするのであって、やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげなく注ぎこみ、奮闘する。仕事だから仕事らしい仕事をやってのけようとする。それは観客のためではなく、自分自身のためにすることなのだ。受けるとか、受けないとかはもちろん気になるが、最終的には「知ったことではない」の一言で蹴飛ばしてしまう。それが高倉健ではないのか。
・その折、十数年お目にかかっていなかった画家の横尾忠則さんから、「自分の家へ是非」と食事のお誘いを受け、ご自宅へ伺いました。地図までファックスで送っていただいているのに、僕は道がわからなくて、30分も遅れて行ったんですが、駐車場の入口に横尾さんご夫妻が、立って待っていらっしゃったんです。その姿に、人を招く礼節のようなものを強く感じました。
・一人の天才ヴァイオリニストが、どういうふうに磨かれていくのかが、とても感動的にまとめられていました。外国で、厳しくも優しい教師にしごかれている時の、歯を食いしばって練習している彼の目が、とてもいいと思いました。何て言うんだろう、僕の世代にとっては、日本人にもこういう人が出てきはじめたことに対して、心強く嬉しく思いました。本当に何かに夢中になって、一つのことに突き進んでいる人の目というのは、素晴らしいと思いました。
・ただ毎日毎日、1ミリでも進んでいけば、ジャンプなんかしなくてもいい。誰も助けてくれないなら、自分で一歩一歩進むしかないんですから。人生には苦しいこともあるし、嘘と言いたくなるほど辛いこともある。でも、神様は絶対に無理な宿題は出さない。その人に与えられた宿題は、絶対にその人自身がクリアできるものなんです。乗り越えようなんて思わなくても、一歩ずつ進んでいけば、いつの間にか乗り越えてしまっている。その時、初めて自分に自信が持てるんだと思います。
・人間にとって一番寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと。感動をしなくなったら、人間おしまいだと思うんですね。こんなに寂しいことはないと思います。人間にとっていちばん贅沢なのは、心がふるえるような感動。お金をいくら持っていても、感動は、できない人にはできません。感動のもとは何でもいいんじゃないでしょうか。美しいとか、旨いと感じるとか、一日に一回でもいいから、我を忘れて、立ち上がって、拍手ができようなことがあればいいですね。今の世の中で、こんな幸せなことはないんだと思います。
・「あなたはあなたのフェラーリを持っていますか」という歌があるんですが、毎朝セットに入る前の何十分か、部屋で準備をしている間や、ロケの待ち時間、次の声がかかる間、ずっと聴いていました。フェラーリはご存じの通り、ほとんど神話になっているような、イタリアのスポーツカーです。「あなたはあなた自身のフェラーリを持っていますか 私は私のフェラーリを持っています 私の人生はあなたの夢 希望を持たない魂なんてまるで救いようがない どうしようもなく寒くて暗い夜でも 私は夢をしっかりと胸にだいて絶対に見失わないようにしています」夢をフェラーリにたとえて歌っている歌です。映画にも出ていらっしゃるシャーリー・バッシーとクリスの掛け合いで歌うこの歌が素晴らしくて、聴いて随分励まされました。
・僕が何日間の滞在を終えて帰る時、由五郎君は決して、船の乗り場まで送ったりしないんです。ドアに潮で穴の開いたような、買う人が1万円でもいい顔しないようなぼろぼろの車の横に立って、途中の道で偶然そこに居合わせたような顔をして、さりげなく別れの挨拶をするんです。島の若者にはもう一つ、強烈なアピールの別れの挨拶もあって、本土に帰る女の子たちと交換したテープが切れる時、ジーンズをはいたまま海に飛び込んで見送る、そういう表現の仕方もあるらしいんですけれども、僕は由五郎君のさりげない別れの表し方が、とっても心に残っています。
・僕の俳優という仕事は、どんなところへでも行きます。南極にも北極にも、アフリカにも八甲田山にも行きました。八甲田山では、僕らは185日間、厳寒の雪の中にいました。それはただ、拍手を受けたいという一心からです。ところが、あの運動会を見ていたら、拍手を受けている自分よりも、拍手をしている自分のほうが豊かなんじゃないかと思えてきました。誰かを励ましている、あなたたちに感動しましたよ、と拍手を送っているほうが豊かなんだな、と突然感じたのです。そんなことを考えると、俳優という仕事は、業が深い生業だなと思います。この仕事を選んでしまって40年過ぎましたから、急に拍手を送る側にまわるのは、難しいかもしれません。それだけに、拍手を送る経験ができた石垣島の運動会に、とても感謝しています。
・今の僕から見ると、少年たちという気がするんですが、あの少年たちが、特攻隊としてこの沖縄や南方の空に向かって飛び発ち、そして若い生命を散らしていった。知覧基地から出撃していっただけでも、その数、1035人、と聞いております。この知覧の町に、特攻隊の少年たちを優しく世話された富屋食堂のおばさんで、島浜トメさんという方がいました。若い特攻隊員たちから、「お母さん、お母さん」と慕われていらしたそうです。特攻隊員が出撃の前夜には、その頃とっても贅沢だったはずの、手作りの玉子丼を必ずご馳走して見送られたそうで、この島浜トメさんと、飛び発っていった特攻隊員の青年たちの間に伝わる物語も残っています。「みごと撃沈したらホタルになって帰ってくるから」と約束して出撃していった二十歳の特攻隊員が、翌晩、本当にホタルとなって帰ってきたという話ですが、心に深く響いてきます。二十世紀の区切りとして、心に留めておきたいと思います。凛々しいということは、こういう青年たちのことを言うんだと思います。一点の曇りもなく、死を決めている姿。人間の持っている、命の燃やし方。若い特攻隊員、二十歳になるかならないかの青年が、「明日、自分の魂はホタルになって帰ってきます」と言って出撃していく。明日死ぬ青年の口から、一体どうしたら「ホタルになって」という言葉が出るんだろうか-。僕は、この言葉に感動します。トメさんから心をもらった、ときっと本人は感じたんでしょう。だから、ホタルとなって戻ってきた。島浜トメさんに対する礼節ということなのかなと思います。自分は日本人が好きですし、日本人であることを誇りに思って、これからの人生も生きていきたいと思います。
・「苦しみつつなお働け。安住を求めるな。人生は巡礼である」凄まじい言葉だと思います。「人間の真価は棺を覆った時、彼が何をなしたかではなくて、何をなそうとしたかで決まるのだ」「南極物語」は、1983年の封切りですから、随分前のことなんですが、当時迷っていた自分が、こうした言葉に励まされ、勇気をもらっていたんだと思います。
・近頃もう一つ気になることがあります。「何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」「何のためにしたか」-。そう問いかけることが、とっても大切な時が来ているように思います。どんな映画を撮るかではなく、何のためにその映画を撮るのか。自分はこのことをとっても大切にしていきたいと思います。そして最後に、この言葉を-。「身についたものの、高い低いはしょうがねえ、けれども、低かろうと、高かろうと、精いっぱい力いっぱい、ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」
・健さんのラジオ放送を聴かせてもろうた。出張の時、電車の中で、テープで聴いたんやけど、ようあの忙しい人があれだけのことをやりこなしてますね、この人は何て人やろう!どこにそんな暇があるんやろう?と思うた。映画を観てる。本は読んでる。音楽もいろんな音楽を聴いていて、自分の感想をきちんと言うている。おまけに外国へ出かけて行って、いろんな体験をしてる。24時間、ひとつのリズムをつかんでいるんやと思うな。それが健さんのバネになっている。殿様みたいに上げ膳据え膳されると殿様で終わってしまうけど、あの人はそこに甘んじてない。自分の道を進めば進むほど、独りになると思う。たまに旅に出て、独りでいる時間が愉しいんやないかな。
・独りの時間は人間にとって大切。その時にこそ、いろんな発想や発見ができるもんです。
・独りで生きることができる人が、最終的には強いんやないかな。そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね。そういう人は自分が善行を積んでも、これこれをしました、なんてことをごちゃごちゃ言わない。そんなこともあったかいな、という顔をする。陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね。ある時何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく。何かをしても、結果や報酬を期待しない。健さんはまさにそういう人やね。「俺は高倉健だ」とか一言も言わず、仕事が済めば外国へ出かけてしまう。健さんのそういう生き方を観させてもらうようになって、あの人はお侍さんやと思う。どんな仕事でも命を賭けてやってる。軽く流すことは絶対しない。普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、こちらは軽くいきましょう、こちらは大事やからしっかりやりましょう、そんな計算が働くけどね。そういうことが大嫌いな人やと思う。すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、そんなお人やと思う。周りの現象に流されず、折目正しく生きている。それは座った姿にも出ておる。
・誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある。しかし、一日一生。今日の自分は今日で終わり。明日は新たな自分が生まれてくる。今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、明日はまた新しいものとして生まれる。こだわりを捨て、同じような過ちを再び繰り返さないために、今日のうちにその過ちを修正しておけばええ。最終的には息を引き取る時が、人生の勝負やないかな。何があろうとなかろうと、独りきりで旅立っていくんやから。生まれた時と同じ。何も持たずに旅立って行くわけやね。赤ん坊か、くしゃくしゃの年寄りかの違いだけやね。自分に課せられた人生。仏様からいただいた人生を、「これだけ燃えつきました」高倉健はそう行って逝ける、数少ないお人やと思います。
良かった本まとめ(2016年上半期)
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