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東海道五十三次 街道をゆく 藤沢宿~平塚宿 (3)牡丹餅立場~馬入の一里塚

2015年11月02日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第6回目の藤沢宿~平塚宿(3)牡丹餅立場~馬入の一里塚編について紹介したいと思います。

それから牡丹餅(ぼたもち)立場がありました!
藤沢宿と平塚宿の間には、四谷・牡丹餅・南湖・八幡の4つの休むことができる立場ができ、その立場には飲食ができる茶屋があったようです。
牡丹餅立場は、その字の通り牡丹餅が名物だったようです。
またこの辺りから海が見え、うば島も見えたようです。


↑牡丹餅立場の説明

そして、江戸の日本橋から14番目の一里塚がありました!
茅ヶ崎にあります。
江戸の日本橋から約56kmですね!


↑14番目の一里塚

それから、南湖の左富士之碑がありました!
東海道で左側に富士山が見えるのは、この南湖と、吉原(静岡県)の2つが有名だったようです。
今回は富士山は霞んで見えませんでしたが、浮世絵にも松原とともに描かれたようで、きっと美しかったのだろうと思います^_^)


↑南湖の左富士の碑

それから、史跡 旧相模川橋脚がありました!
この旧相模川橋脚は、1923年の関東大震災とその翌年に起きた余震での液状化現象により、なんと鎌倉時代の橋脚が浮き上がってきたとのことです!
かなり貴重なもののようで、当時は横幅約9m、長さは40m以上の立派な橋だったようです。
鎌倉時代にも立派な橋があったんですね。


↑史跡 旧相模川橋脚の説明

そして、相模川を渡ります。
かなり大きな川ということを実感しました!
JR東海道線の電車も走っていましたね。


↑相模川

それから、橋の袂には陸軍架橋記念碑がありました!
1923年9月1日の関東大震災では、この馬入橋が倒壊してしまったことから、地元の消防組などによって渡し船が運航されましたが、数日後の豪雨で流失してしまったため、急遽9月17日に豊橋と京都の陸軍工兵隊が派遣されて架橋工事が開始され、10月3日に全長450mの橋が完成したようです。
突貫工事だったんですね!


↑陸軍架橋記念碑


↑当時の工兵隊の写真

そして、馬入の一里塚がありました!
江戸の日本橋から15番目の一里塚なので、約60kmの距離となります。


↑馬入の一里塚

今回もかなり歴史の勉強になりましたね!
藤沢宿~平塚宿は、前半は史跡が多くて、後半は結構歩きばかりのコースでした^_^;)

次は、平塚宿~大磯宿~二宮 (1)平塚宿編です。

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