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お盆の15日

2018-08-15 19:17:47 | 日常の出来事
 今日はお盆の15日。今年は亡夫にお供えをしただけだ。
写真をながめてなんと穏やかな顔なんだと思った。
 生前彼が選んでいた写真があったが、あまりにも若くてハンサムすぎると思い今の写真にした。
当時はなぜ彼の選んだ写真にしなかったのかと悔やんでいたが、今になるとこの写真でよかったと思っている。
お互い歳をとったんだよね。

 地獄の釜もあくといわれるお盆の15日。亡夫はかえって来たのかしらね、、
母は仏さんはよく拝んでいた。生前の父と同じように思って拝んでいたのかな?
 うさぎちゃんは母の拝むのを目の当たりにして、仏さんはそう拝むのだと思っていた。
うさぎちゃんはいずれひっこすのでお寺に永代供養をお願いした。
(また、お墓をすると無縁墓地になってしまうので)此処にいるあいだは写真にお花やお水やご飯を
お供えしている。勇さんそれでいいよね。

 もう一つ、今日の日が変わらないのが終戦の日。今年で73年だ、いまでも玉音放送はよく憶えている。
内容は解らなかったが、一緒に聴いていた母が涙をこぼすのがなんでだか解らず不思議だった。
だが、なんでと聞けないフインキだった。うさぎちゃんの小学4年生の時だった。
 この日を境に価値観が180度変わった。今までとすべて変わった。
道は左側通行から右側通行なった。
 それより教科書が変わって、学習してはいけない処は紙をはったり、
墨で真っ黒に塗りつぶしていた。戦後の物資のない時代、その教科書もなかった。
そんな思いをしたのはうさぎちゃん達が最後だよね。
 先生も新しい教え方の講習に行って生徒に教えていた。

 だが、73年過ぎた今日この頃、戦中、戦後の頃を知っているのはうさぎちゃん達が最後だ。
次第に記憶から抜けていく。
当時は夜毎の空襲に避難していた。いったいいつ寝てたんだろう?
でも、寝不足で居眠りする子などいなかった。
それより空襲になると一斉にわが家へ帰っていた。一日に2度、3度と学校と家を往復していた。
 今だったら原爆でいつ瞬にあの世いきだろうな?
そんなアホなこと考えんとこ。
 いまでもあちこちで戦っている。今日もニユ-スで駅の人垣が一瞬に消えたと報じていた。
どうぞ、戦争だけは止めて、、世論だ。
 
 
 


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