ヒロコのブログ

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67回目の終戦記念日

2012-08-15 17:24:21 | 日記・エッセイ・コラム

 戦争が終わって67年。小学4年生の女の子が76歳になった。

 今日の朝刊にスイトンの作り方が出ていた。うさぎちゃん達は「だんご汁」といって小麦粉をねってお汁の中へ入れる不味い代用食だった。

うさぎちゃんの嫌いな食べ物の一つだった。南瓜、さつま芋、菜っ葉や大根等みんな嫌いだった。

一番ましだと思ったのがじゃがいもだ。というのもじゃがいもは代用食の仲間でなかっただけだ。若し日常的に代用食にしていたら、きっと嫌いになっていたと思う。

 飽食の時代になり、栄養過多が問題になる昨今だが、食べるってこと大切にしなくては、、命の源だものね。

 お盆の15日。仏さんがあの世に帰る日、おそうめんをお供えする日だそうだ。お膳とは別にお昼に炊いてお供えした。

 本当はお膳もお供えした物みんな精霊堂と一緒に、町指定の焼却炉に持って行くのだがうさぎちゃんは行けない。

明日か明後日浜屋が取りに来て処分して貰う。仕方ない食べ物は明日ごみに出す。

今夜お祀りしている壇を崩し、箱に入れて持って帰って貰うようにしとかなくては。

 ご近所の方、北本荘なのでよく知っている方だがお名前は知らない。朝ポストに行った帰りお逢いして話していたら

何とご主人5月8日に亡くなられたそうだ。お元気な方だったのに吃驚した。よく道でお逢いしていたのに。

 この方、こちらに来る前、郷里の炭鉱で働いておられたそうだ。粉塵すって ケイハイだったが知らなかったそうだ。

痛くもなんにもなく、寝込むこともなく、亡くなる前10日たらず入院されてあっけなくあの世に行かれたそうだ。

 以前亡くなられた娘さんはご両親が長い間大変なお世話されたのや、お葬式のこと想い出した。

この頃はうさぎちゃんが外に出ないので近くの事でも解らない。

 先日もいなみ野学園の一期下の方のお葬式があった。ご主人は早くから施設に入られ、彼女も別の施設に入っておられそこで亡くなられたそうだ。

うさぎちゃんが播磨町の同窓会の回覧板届けてた折は、ご夫婦共そんな気配はなかったのに、どちらも認知症だと聞いて吃驚。世の中ってどうして思いもかけない事が起きるのか?