第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

自戒そして感謝 / 06' 10/26 Late autumn mind~

2006-10-29 10:20:00 | 職場と正面から向き合って(終)
                   「今日の空は自分のこころ模様」


この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

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やはり俺はバカな人間  なぜ、こんなにバカなんだろう。
    

06’9月休職辞令 なぜなんだ。 もう少しで寛解なのに
職場で何人もの精神疾患を持っている人の状況を見た。 直接、話を聞いた。
なぜ、助けないの? 手を差し伸べてやれないの?
休職 話では聞いていた。 その身になって分かった。 捨て置かれている。
メンタルケアの態勢を作って欲しい。 職場と直談判した。 何度も。
今でも職場との直談判は続いている。
    

周りからは、身体を治すことだけを考えればいいじゃないか。と言われる。
自分だけが良ければいいのだろうか? 何度も自問自答した。
この瞬間、復職出来ずにいる同じ様な病気の方と家族 
今後どうして生活したら良いんだと泣いている。
    

家族に話した。 
職場にメンタルケアの態勢を作ってもらえる働きかけをしたい。
俺よりも重い病気の人は言いたくても言えない。 
家族は重い表情 説得する 根気よく 想いを伝えた。 
ようやく理解してもらえた。 


働きかけが始まると    
1人、また1人と支えてくれる人が現れた。 なんで知っているの?
職場での話が漏れていた。 職場の中だけで封じ込めたかったのか。
近所で作家をしている人 新聞紙上で出会った。
発作を起こしたときの救急病院でお世話になったSさん。 
町内会の人達
etc・・
     

支えられているという感触が肌で感じる。
働きかけは、いつの間にか闘いになっていた。
職場からの圧力、追い込みは自分だけでなく妻や子どもにも及んだ。
闘い抜けるのか? 
家族を犠牲にしていいのか? 
自分の中からこみ上げてきた。
悩む 苦しむ 本当に、これで良かったのか? 
家族は俺を信じ支えてくれる。 辛い闘い


近所で作家をやっている人が言った。
お前は、何のために生きているのか?
人の哀しみを知っているからこそ哀しみを持っている人に手を差し伸べろ。と
死んではだめだ。と
生きて、生きて、生き抜いて、自分の役割を果たせ。と


今でも組織との闘いは、自分を家族と心ある人達が支えてくれている。
なぜ、心の病気を分かってもらえないのか?
自分の考えが全て正しいとは思わない。 
ケア態勢を前進させたい。 同じ思いをしている人を減らしたい。 その思いだけ


自分が今、やっていることはどうなんだ。
社会の色々な人に問うことにした。
バカと言う人もいるだろうし、そうだと言う人、違うと言う人 様々な人がいるだろう。


自分は自分をバカだと思っている。 こんな生き方しかできない自分


ブログで、こころある人からのコメントを返した。
そんなコメント返ししかできない自分 バカかと自分で自分に叫ぶ
こころの中でそんなことを叫ぶ。 取り返しが付かない。
相手を怒らせてしまった。 
メンタルケアの態勢作りを求め闘っている人間が・・・
男であっても女であっても・・・
やってはいけないこと。 
怒らせること。 それは相手のことを考えていないこと。 
ケアするとは反対のこと。
     

メンタルケアなどと叫ぶ資格が俺には、ないんじゃないのか? また自問自答
こころがある人の言葉がなぜ聞けないのか?  小さな人間である自分
    

相手のことを考え、同じことはしないと心に決める       自戒
コメントで怒って頂いた相手は自分に気付かせてくれた     感謝  

葛 藤 / 06' 10/27 Late autumn mind

2006-10-27 08:37:31 | 職場と正面から向き合って(終)
                    「今日も太陽が1日を告げる」


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今日も太陽が昇り、1日の始まりを告げている。 落ち込んでいる場合か?
朝、早く起きて日の光を浴びると生まれ変われる気がする。 
妻は、いつものように朝食準備 子どもたちは学校に行く準備 朝は忙しい。
自分は休職中だから、子どもたちの駅までの送迎だ。 今唯一の仕事
    

日中はブログに今までのことを書いているか、職場との直談判
メンタルケア態勢について  回答は期待はずれ 期待する方が間違っているのか。
職場からは、お前が復職することを考えたらどうだ。と言われる。
それを言われると、給料も減って生活は苦しいが・・・
妻は、自分の決めたことをやりな。と言う  妻に心の中ですまん。と言っている自分
    

どうしたら職場に心の病を抱えた人間の対応を良くしてもらえるのだろうか?
日々、色々なものを調べる。 それを提示するが、なかなか上手くいかない。
妥協したくなるときがある。 もう、どうでもいいじゃないか。と思うときがある。
今、妥協したら、今までのは何だったんだ。と思う。 妥協出来ない。
自分自身のため、家族のため、職場で同じ病を持つ人のために・・・



休職になり1ヶ月半になる。
家族は、自分が休職で家にいることに今、何も言わない。
妻も 子どもたちもだから、なおさら辛いのかも知れない。父親として良いんだろうか
休職中に身体を早く治し復職する。
休職中に同じ様な病気の人間のためのケア態勢を作って欲しい。
葛藤する。 他人のために家族を犠牲にしていいのか。と


家族や多くの人達が支えてくれている。 有り難い。
もし、復職できなかったらどうする?
復職できなかったら、妻のパート収入では生活できない。
他人は、どうでも復職することが大切なんじゃないか?
それは、自分勝手じゃないのか。
いや、自分勝手じゃない。他人を思う気持ちも生きていく上では大切だ。
頭の中を堂々巡りしている。 自分で決められない自分
かっこ良いこと言っても所詮、自分で決められない自分
一家の主としての自覚が無いのかも知れない。自己中心!頑固!偏屈!自分勝手
こんなことを考えていると、悩む 悩む 悩む 苦しい 苦しい 苦しい 
嫌になる 嫌になる 嫌になる・・・・・・・・
どうしたらいい?
いつかは、自分で答えを出さなければ、



厚い氷に阻まれ、上がれない自分がいる。

雑 踏 / 04’ in mid-June

2006-10-20 08:26:00 | 職場と正面から向き合って(終)
                  「人々は、ただ上を通り過ぎるだけ」


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04’6月21日(月)
妻が同行しJRで市外の病院まで通院した。
いつもは、調子が良いときに通院に行くのだが今日はあまり調子が良くなかった。
前日の夜中に発作が起き妻に救急病院に連れて行って貰い、ほんの先ほど帰ってきたばかりだ。
調子があまり良くなくても、薬が無くなるので行かざるを得なかった。

とにかくソラナックスを数錠一気に飲んだ。(何錠かは定かではない。)
妻も居るし。大丈夫だろうと思い。。。
JR快速に乗り込んだ。
乗ってドアが閉まる。
走り出す。
頭に不安が涌いてくる。助々に。少しずつ。
妻から大丈夫と目で合図される。
周りの乗客の人たちは自分が病気だというのを知らないと思った。
この中に自分と同じ様な病気か違う病気の人が、どのくらいいるのだろう。
と。考えた。
まだ、考える余裕があった。
電車が駅に着くたびドアが開閉する。
開くときはホッとするが閉まると、不安が増幅する。
頭の中に増幅器でも付いているかのようだ。

目的の駅に着く2つ前の駅から電車が走り出したとき
不安は大きくなり体に症状を出していた。
動悸。
目眩。
息苦しさ。
頭が絞められる。
手足が震える。
なんとか耐えなければ
妻も耐えてと。表情が強ばっている。

目的の駅に近づくに従い辛くなる。
もうダメか。
そう思った瞬間
意識は遠のいた。

目が覚めたら職場の病院
目の前にはI医師と妻
I医師からセルシンの静注しましたからと話された。
妻は本当に良かったとI医師にお礼を言っていた。


意識が無くなった後の話を妻から聞いた。
意識が無くなったのは目的の駅に着く5分前だったそうだ。
意識が無くなったとき電車の床で妻では起こすことが出来なかった。と。
目的の駅に着くと乗客は自分の上を跨いで降りた。と。
妻が駅員を呼び、駅員から救急車が呼ばれた。
救急車に妻も一緒に乗ると救急隊員の方から事情を聞かれ、
どこの病院に行くかと尋ねられ妻はとっさの判断でT病院に
電話しT病院に受け入れて貰えるように頼んだ。
T病院に受け入れが出来るとの連絡
T病院に着くと精神科のI医師が処置して下さったという事である。


倒れてから約3時間くらい過ぎた頃であろうか。
職場の科長Oさんが駆けつけてくれた。
自分の顔を見た第一声「大丈夫か。どうだ」
その言葉を聞き泣いてしまった。
言葉にならない声で
「すみません」と言った。
このときから科長Oさんに自分の身を預けようと思った。



この日から入院した。
妻は一旦、家に帰り入院に必要なものを準備して届けてくれた。
妻が届けてくれた感謝の気持ちより、始めての入院で気持ちが落ち着かなかった。
そして、乗客たちが跨いで降りていった他人の非情さに苛立っていた。







自傷行為 / 04’June

2006-10-20 08:25:23 | 職場と正面から向き合って(終)
                    「刃はときに狂気になる」




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「いじり」という言葉を知っていますか。
子供が物を「いじる」とかに使う言葉です。

Tという人
この職場に来たとき教材を担当していた。
一緒に仕事をしていた。

病気になってから2度の配置換えがありこの頃、部下の仕事の助手や
メモリアルルームなる資料室の仕事をしていた。
約1年、Tは何故か分からないが自分に文句を言いに来た。
文句を言う場所は決まって誰もいないとき。ところ。だ
科の中では決して言わない。 科に自分が守られているのを知っているから。
ある仕事のこと。
メモリアルルームの写真使用のこと。
その前は、消防の訓練でのこと。
Etc・・・・
一緒に仕事をしていたとき、「何か悪いことでもした」だろうか。
思い当たる節は無い。

「いじり」はレベルが低いものがされると聞きます。
「いじる」方は「いじられる」方を何とか自分の都合の良いようにするのだろうか。
持続的かつ長期的に「いじる」

Tが自分に文句を言いに来たのを目撃した人は
言われる方にも原因がある=「いじられる」方にも原因がある。と
言っていたし、組織という集団も同じだった。

1年間も「いじられる」と抜け出したく、もがくんだけど抜け出す方法が見つからない。

科長Oさんに呼ばれ「何か辛いことがあるんじゃないのか」と言われた。
「いじられた」ことは話せなかった。妻にも。誰にも。
科長と話合っている最中、「いじり」が蘇ってきた。
とっさに、机にあった刃で自分の喉を突こうとし、みんなから止められた。

死にたい
死ニタイ
死に体
自分のこころと体は殻になっていた。
魂の殺人

この後、JRで倒れたのもあり長期の入院(閉鎖病棟)になった。

Yes Man / 04' May

2006-10-20 08:21:39 | 職場と正面から向き合って(終)
               「動物世界には主体性は無いのだろうか。」



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次は、「メモリアルルーム???」なる仕事が与えられた。
資料室と言った方がいいのかな。
7割くらい完成したところで、T長に廊下で話しかけられた。
週末に見にくるという。
それを、自分の上司が聞いていたらしく
自分が、T長と直接話をし俺をないがしろにしていると言う話があった。
その上司は、自分を呼び「何を直接話しているのか」と問いつめられた。
「T長から声を掛けられました」と話したら
上司は「それだったらいい」と言って立ち去った。

その後、メモリアルルームは、とりあえず完成したが、
T長まで見て貰うまで、3人に見て貰わなければならなかった。
あの上司が見に来て、大幅に変更になった。
メモリアルルームは中断になった・・・・
考えてみれば、メモリアルルームって何だったんだ???

このとき
T長=将軍様であり、「お前ごときが直接話をしてはいけない」と無言の圧力
T長=将軍様は、何をやっても誰からも言われないし怒られない。

この組織の社会では、自分の個性や考えを持つことが自らの不利益になることを
みんな知っている。
将軍様のお気に召すような仕事をやり個性を出せば、将軍様より目立って気に障
ると大変な事になる。
不利益にならないため、目立たないようコツコツと仕事をするのが無難だと思って
いる人間は多い。

NHKの番組で社会責任制度というのを見た。
会社の評価が株の投資に繋がるという内容
社会に奉仕し安全である会社の業績は伸びる。それには厳しい基準をクリア
しなければならない。
今までのように会社員が「Yes Man」では会社の業績は伸びないという。

「Yes Man」しかいない組織は、Topの判断が良かろうが悪かろうが「Yes」
なのである。

それでは、社会に奉仕できない組織。

「職場のTOP」のこと/04' in mid-ARRIL

2006-10-20 08:19:16 | 職場と正面から向き合って(終)

           「職場のTOPが着任 桜の季節でした」

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職場の改編と同時にTOPが着任した。


T長 2004年4月19日訓辞このときの


T長の訓辞

①行為に対する責任は取ってもらう。
②訓練間の飲酒、未成年の喫煙・飲酒は禁止
③人や組織は起こしたことで非難されるのではなく 
  起こしたことに、どう対応したかによって非難される。
④迅速な意志決定と行動
⑤徹底した情報開示
⑥社会的視点からの判断


それから間もなくした2004年5月26日廊下に聞こえ
るほどの大声で部下を怒っていた。


この後、現在まで組織的に私を休職にしたT長が
自らの行為に対する責任は、いまだに取っていないし
まさか、この人に組織的に休職にさせられるとは思って
ませんでした。
今考えると言うここと行動は別なのか?


毎日の様に『お前は目の上のタンコブだ!』と言われ
続けていました。


そんなに私は邪魔なんですか?

邪魔だから休職にしたんだろうなぁと今は思います。

 

 

 


心の友(先輩、後輩) / 04' APRIL

2006-10-20 08:16:10 | 職場と正面から向き合って(終)
                     「桜は謳歌する」


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違う科に配置されてから
違う科のHさん。(先輩です)
文書のTさん。(後輩です)
に、色々と面倒を見て貰いました。

この科のHさんは
熱血っていう感じでした。
怒られたこともありましたが
面倒も見て頂きました。
具合が悪くなったとき
率先して面倒を見てくれましたし
通院のとき
必ずどうだったって聞いてくれました。
Hさんがいてくれたお陰で自分が
孤立した感じじゃなかったなぁ。。。

文書のHさんは
おとなしいんだけれども生真面目な感じで
彼女と付き合っていて正社員になったら
結婚すると言っていた。
文書の整理やスタンプ押しの仕事をくれた。
誰かの役に立っていることが嬉しかったなぁ。。。

この科のみんなと点検のときの清掃も一緒にやったなぁ
孤独にならなくて、楽しかった記憶が蘇って来くるなぁ。。。本当に

2度目の配置換え / 04’March

2006-10-20 08:13:07 | 職場と正面から向き合って(終)
                   「水晶は塵を受けず」



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水晶は塵を受けず
清廉、潔白な人が不正や不義を憎む喩えです。

2004年3月28日
職場は改組により格上げ
資料科は解散

職場のTOPも異動した。
資料科上司kは異動
自分は同じ職場の違う科へ

職場のTOPの見送りのとき、体を治せと言った。

病気になって2度目の配置換え
それも、自殺未遂後、追い打ちを掛けるように
どうして、この科なのか。と
問うても無駄なこと。
病人(障害者)は言うことは出来ない。
ただ、黙って従うだけ。

新たな科上司Oさんが言った。
「俺が科の上司でいるのは
訓練科員を守るためにいるのだと」

耳を疑った。
本当か?
以前、健康なとき下部組織の担当だった自分は
配置換えになったこの科の上司Oさんと仕事上やり合った。
自分も下部組織の人間を守るために。。。

配置換えになった科の上司Oさんから妻が呼ばれ、これからのことが話し合われた。
自分も同意した。

早速、仕事が来た。
パワーポイント作成 etc・・・

このとき、配置換えになった科の上司Oさんのことを、私はまだ信じてはいなかった。


孤独ー誰にも分かって貰えない / 04’SPRING

2006-10-20 08:09:53 | 職場と正面から向き合って(終)
               「葉が枯れる。水を欲しがっているんだ」


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職場のEさん以外、他人は誰も分かってくれない。
分かろうともしていない。
「俺は一人なんだ」「自分でなんとかしないといけないんだ」

この頃の自分の直属上司Oは、
具合が悪いとき職場の人間の車を使うな。
タクシーか奥さんに運転して貰って行け。
と言われた。
上司Oは執拗に民間の病院から職場の病院に変えろ。
指導と称して、そんな話をする。 病院を変えるのが指導or命令?
指導をEさんに変えて欲しいと上司Oに話したら
「その方が良い」  部下の面倒を見る気が無いんだ。 放棄?
今まで経済的、精神的に追いつめて最後はこれか。
病気になり資料科に来て、上司Oは一度も見に来てはくれなかった。

資料科の上司K
睡眠障害。。
同じような病気なはずなのに
衝突する。
殆ど同じような精神病だ。
精神病者同士が何が辛いのかを気付かなくなったり
一方の病気が良くなっていけば人間の本質が出るのか。
仕事という名の下での強制(押しつけ)が気に留めることなく行われる。

この環境での「不信感」「猜疑心」は不安を増長する。
不安と毎日、闘っている自分は押しつぶされそうになる。

やはり信じれるのは自分
独りしかいないのか。

自殺未遂をしてからは孤独に苛まれました。
そんな時、心の支えになったのは家族だけです。



死ぬとき / 04’WINTER/FeeL a sign o f SPRING

2006-10-20 08:06:37 | 職場と正面から向き合って(終)
                   「時は、ただ過ぎて行く」


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「答えも出ないこと」や「何の解決もしないこと」を頭の中で堂々巡りをする。
「何を考えているのか」と聞かれても、自分でも何のために考え何を考えているかも分からないただ、何かに不安があり、それが自分に考えさせ出口の見えない堂々巡りをさせている。


確かに、症状は以前よりも良くなっていて回復の兆しは見える。
大きな発作が減っても、目に見えない不安が自分を苦しめ、家族を苦しめている。
遣りきれない気持ちになる。
自分という存在そのものが自分から離れていき頭の中は混乱する。
人格が。病気が。
そうさせているのか? 何がそんな気持ちにさせているのか? 分からない。。。


時に意味もなく怒ってみたり、そうかと思うと泣き、笑ってみたり
俺は一体どんな人間なのか? こんな人間が正常と言えるのか?
完全に治るという保証はどこにも無い。
こんな状態が、あと何年も続くと考えただけでも恐怖と不安
そして訳も分からないものと闘う自分がいる。


発作が起これば病気の妻や子供たちに看病してもらう。
自分一人では何もできない腹立たしさと悔しさ、情けなさが込み上げてくる。


母親は電話口で泣きそうな声で病気が早く治るように願を掛けていると言った。
涙が出た。


こんなにも多くの人に支えられているのに迷惑ばかり掛けている。
何をどうして欲しいのか自分でもわからず、ただ訳も分からない不安が無くなって欲しい。


昨日も今日も、それ以前から、これからも、この不安は堂々巡りをさせる。
周りの人を不幸にしている。


もう。嫌だと思った瞬間、自殺しようとして川に飛び込みました。
こどもと他人に助けられた。
こどもが泣きながら、俺の服を引っ張っていたのを記憶にある。
その後は、意識がなく、気がついたときは、病院のベッドの上でした。
なぜ?生きてるのか。涙が出た。



数日して、病院から退院家に着くと、こどもが妻にすがって泣いた。
自分は部屋に戻り、どのくらいの時が過ぎたか分からないが
涙が込み上げ、泣きました。



苦しさに負けた自分に。



「死のう」と自殺未遂・・・


職場は、それを知っていながら、ただ見ていただけでした。


こんな職場に25年もいたのかと無念さが込み上げて来ました。


組織の一員として / 03'-04' winter

2006-10-20 08:03:13 | 職場と正面から向き合って(終)
                  「大空は大きいと感じた」


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03’も終わろうとしていた。 03’12月にドグマチールが増えた。
薬の量が増えている。  本当に治るのか。
パキシル30mg、ソラナクッス、リボトリールそしてドグマチール50mg
      
資料科の仕事は相変わらず、何をやっているのかよく分からない。
周囲からは、「タバコを止めろ。」等とストレスが掛かることを言われる。
仕事をしているというより、机にいると言ったほうが良いかも知れない。

パニック障害を発症してから約3ヶ月である。
なぜ、発作が起こるのか? 原因を考えた。
① 妻と口論のとき
② 動きすぎて疲労が蓄積しているとき
③ 上司から不安を与える言動があったとき
④ 薬が合わないとき
      
発作防止のためのソラナックスの使用法を考えた。
多用は、疑問であるが、不安や恐怖の感じがするとき、前もって飲んでいた方が良いかも知れないと考えた。

生活サイクルについても考えた。
①  疲れ、薬が切れかかるとき、発作症状が出やすくなる。
②  生活サイクルで余りストレスを受けない。無理しない。
③  確実に薬を飲む。
④  疲れと緊張があるとダウンし、起床が早くなる。
    
04’の干支は「甲伸(さる)」
1月2日に寝る前に気付いたことがある。
自分は、「その場」での対応力の無さにふと気付いた。それで、どうすれば良いのか考えたら
① 「急な対応」は状況が分からないので、まず「人の話を良く聞く」そして、状況を確認する。
② 状況を確認したら、後日「状況判断」する。

1月3日に風呂場で気付いたことがある。
もしかしたら、自分は以前から病気だったんではないか。それで、何かにとらわれ、こだわっていたんじゃないか。
       
こだわっていたこと
① 他人の性格や行動、仕事、たわいもない些細なこと
② それが、自らを追い込み縛り続けていた。
③ だから、頭の中は、こだわりで一杯だ。
④ こだわりで、頭の切り替えが出来ない。
⑤ すぐに、行動出来ない。
⑥ 結果、その場での行動が出来ない。

    
  「こんな小さなことを考えるのは,苦しいから。
 
      この苦しさからどうやっても逃れられないから。
  
         苦しくても、家族のため組織の人間として
  
              やらなければいけない自分がいる。」

他の科へ異動!04’

2006-10-20 08:00:00 | 職場と正面から向き合って(終)

 

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2004年(平16)3月23日(火)

資料科から、また違う科へ異動した。

この異動した科には現在も籍を置いています。

 

この頃、職場の改組に伴い職場の長も交代である。

予定は

同年3月28日(日)科の廃止式

同年3月29日(月)組織完結式

であった。

 

勤務環境が変るのは、私自身の病気からしても

すぐには対応出来ませんでした。

それよりも

新たな科になることで、私を知らない人が多くいたという

事でした。

職場の改編は、2つの組織が一つになることでした。

前からいた職場の人は私を分かっていましたが、

もう一つの別の職場の人は私を知りませんでした。

 

しかし

2004年(平16)3月、4月は、それなりの

仕事が貰えたときでもありました。

それは

O科長が妻と話し合いをして貰い、

病気を理解して貰えたからにほかなりません。

 

2004年(平16)3月31日に新しく着任したT長の挨拶がありました。

また

新しく私を知らない人からは、

『健康を害しているのに、何故たばこを吸っているのか。

 本当に治す気があるのか!』と正面から毎日のように

言われました。

それに対し、

私は心の中で「耐えるんだ」と言い聞かせていました。

『病気だから仕方無いんだと』心の中で念仏のように唱えていました。

 


2004年(平16)年1月の勤務は

19日間の勤務中

発作3回(1/8日,1/14日,1/22日)であった。

原因は対人関係でした。

 

2004年(平16)年2月の勤務は

20日間の勤務中

発作3回(2/3日,2/4日,2/5日)

原因は分からない。

 

2004年(平16)年3月の勤務は

23日間の勤務中

発作2回(3/4日,3/29日)

原因は、組織の改編が影響していると思われる。

 

この期間、体力が落ちていたので

片道約3Kmを駆け足(徒歩)通勤をしていました。

とにかく

1日も早く病気を治したい一心でした。

 

次回は着任して来たT長について書きます。

 

 

 

 


配置換え  資料科? / 03’autumn/winter

2006-10-20 07:55:54 | 職場と正面から向き合って(終)

   「秋風から運ばれた赤く色づいた葉は晩秋を知らせてくれる」

 

 

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)

 

 

突然の配置換えまで

出勤は妻の付き添いで2ヶ月(9月~11月)ほど続いた。 

朝夕の付き添い。

1人で車を運転できない。

発作で職場に1人で行くのが不安  

行動範囲がまた狭くなっている。

職場ではただ、ただ机にいるだけ。 

人形のように。発作のときは机にうつ伏せになり耐える。 

周りは坦々と仕事 なぜ自分が・・・      

 

 

2003年9月2日(火)

資料科に、2004年3月22日(月)まで在籍

その後、資料科が廃止になった。

 

職場の改組のために資料科を新設し職場の記念誌を

作れとの事である。

 

突然であった。

どこに なにを なにをすればいいのか?

臨時に出来た科(病人の集まりの場?) 

上司は睡眠障害 

部下は健康だが、高血圧

私を含め科員は3名

 

史料の編纂が仕事? 

何かよく分からない。 

虚しい。 

障害者?だと思っているからか・・・

 

 

仕事で上司は、何故か?職場のトップに怒られている。 

理由はよく分からないが何度作成して持って行っても

ダメだと怒られたと言っていた。

部下は、いじめだと常に言っていた。

本当に記念誌が作れるのか不安だったが

職場の長も2004年3月に転出だったので

何とか記念誌は2004年2月末には、出来上がり

パソコンで作成していたのでプリンターで印刷し、

3月19日(金)までに7部印刷を終了した。


資料科の上司や部下も頑張れと言い残し転出した。


私はこの後、またまた突然、違う科に配置換えを

命ぜられました。

      

 

このときの通院は週2回 

市外の病院へ妻の付き添いで

薬はこの2ヶ月(9月~11月)で

パキシル30mgに増え、

ソラナックス、リボトリール

体重は60kgから55kgへ身体がきつい。      

 

 

日々が不安との闘い。 

どうなっているのか?

この2ヶ月(9月~11月)で救急病院のお世話に

ならなかったのは十日間だけ。

 

この頃の心境は、

『晩秋から移りかわる初冬の空は重く感じる。

 自分のこころも。』 

という感じであった。

 

 


病気や人間関係との闘いの始まり

2006-10-20 03:00:00 | 職場と正面から向き合って(終)

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

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前回までは、

「予兆」や「病名」が分かるまでの事を書きました。

そして

『2003年(平15)7月31日を始点として

病気との闘い

心ある人の応援と病気を理解しない人との狭間にあっての

職場での人間関係での闘いでもありました。』

と前回は言いました。

 

2003年(平15)8月1日(金)から12月31日(水)までを

書きたいと思います。


札幌のK心療内科で「パニック症候群」と診断されました。

服薬について

8月30日(土)まで

パキシル   20mg

リボトリール  1mg

ソラナックス   頓服(0.4mg)

 

8月31日(日)から12月31日(水)まで

パキシル   30mg

ソラナックス   頓服(0.4mg)

ツムラ黄連解毒湯エキス顆粒7.5g

 

仕事(出勤)状況について


仕事(出勤)すべき日数 89日
                ↓
(夏季休暇、年末年始休暇、土、日、祭日などを除く。)

仕事(出勤)日数     80日

休んだ日数         9日(具合悪く通勤出来ず。)

休んだ日の処置は、有給休暇処置
               


 

配置換えなどについて


9月2日(火)資料科(新設)へ配置換え → 病人を隔離した部屋な感じ。。。

 

選挙における投票などについて

11月9日(日)衆議院選挙の投票

 


大まかに

2003年(平15)8月1日(金)から12月31日(水)まで

を外観しました。

特に

9月2日(火)に病気を発症した部隊から新設された臨時の

資料科というところに配置換えになりました。


病気である私を直接、応援してくれた方は、

この当時、E総務科長でした。

この方が居なければ、今の私は無いという位、

お世話になりました。

具体的には、

配置換え先には、保健室のような場所が無く

仕事中に具合が悪くなったら、机に俯せになるしか

なく、その都度、上司から指導を受けていました。

それを

健康管理室のベットを使えるようにして頂いたり、

家族や私の悩みをE総務科長夫妻が相談に乗って

くれましたし、職場の長にも掛け合ってくれました。

感謝しています。

 

配置換えの前の職場

資料科に来る前の職場は、

病気が発症後、

補職をすぐに換え、私は宙に浮いた存在になりました。

そして

同僚から仕事も無いのに、

毎日のように仕事をしろと言われていました。

それを上司が、ただ見ているだけでした。

また

上司は、札幌のK心療内科の通院から職場の病院へ

変えるよう強く言って来ました。

その度に、妻から話をして貰いました。

 

2003年(平15)7月22日に発症してから

配置換えになる9月2日まで

私は、針のむしろでしたが、

妻や子らのため

そして

生活のため

と耐えるしかなかったと思います。

ときに、

理不尽な対応から激怒したこともあります。

そんなときは、周りから止められ、

上司から強く指導を受けました。

「病気である」が故に

何を言われても仕方がないと思っていました。

 

 

次回は、配置換えになったときを書きたいと思います。

 

 

 


病 名 / 03'summer

2006-10-20 02:45:27 | 職場と正面から向き合って(終)

    「枯葉の中に、はたして命の息吹が宿っているのだろうか」

 

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
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前回は、

2003年7月31日、朝3時頃に具合が悪くなり

市内のC救急病院へ行った後その日の朝一番で

札幌のK心療内科に妻に付き添われ電車で行き

状況を妻から医師へ話をした。

医師から「パニック症候群」と診断され、

医師からの説明は、気長に行きましょうと話されました。

そしてパキシル、ソラナックス、リボトリールを処方された。

職場への説明は妻からして貰ったくらいのところまで書きました。

 

札幌のK心療内科には、病院の重複もありますが

2004年(平16)7月頃まで、広場恐怖のため

妻に付き添われながら通院しました。

 

病気が分かった安堵感といつ治るのか分からない

不安感が交錯しました。    

 

病気が分かった心境を文字にすると

『夏から秋の気配が木々から感じ取れた。 

 枯葉が風で揺られ落ちていくのを立ち止まり見ていた。』

こんな感じです。

妻も同じ気持ちだったのかな?

 

2003年(平15)7月31日を始点として

病気との闘い



心ある人の応援と病気を理解しない人との狭間にあっての

職場での人間関係での闘いでもありました。