第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

孫から『かっこいい』爺ちゃん婆ちゃんと呼ばれて死にたい。

2023-04-26 18:52:33 | 

人の死に様は、人それぞれの人生を背負って、死んでいくのだなと思います。
息子夫婦にも孫が出来た事もあり、これで娘夫婦・息子夫婦共に孫ができました。
そんなこともあり、
妻より先に死ぬであろう僕は、死に様を考えることが多くなってきました。

僕が死ぬときの事を考えると
① 妻に苦労させないような金額を残す事
② 孫に『かっこいい』と思われたい
③ 死んでウィル(犬)に逢いたい
④ 病気を克服して、もう一度、社会に出たい
⑤ 胸をはって死んでいきたい

 

どうして、人は葬式の時、涙するのか?
若いとき分かりませんでしたが、今、還暦を過ぎた年になって、ようやく
分かり掛けてきました。

それは、
死んでいく者に携わった時間と質の積算によるものである。


息子は、僕を全てにおいて超えました。
代 代わりをしました。
僕の代わりに、実家のことを考えてくれているようです。

僕の死ぬ前の目標は
前に5こ書きましたが、その中でも特に
孫から『かっこいい』爺ちゃん、婆ちゃんだったなと言ってもらえるように
なることかなと思います。

それまで、娘夫婦や息子夫婦に構ってもらえるように、前の5こを達成しながら、温厚な人でありたいと思います。

 


祝6000日

2023-04-26 12:48:59 | 精神障害・脳梗塞との共存

祝 ブログを開設して6000日(約16年)です

早いものだな~と感じています。

10年は早いと感じています。

鮮烈に記憶にあるのは、
結婚して1年目にXJAPANが結成されたときです。
はじめて見たとき、すごいバンド!と驚嘆したものです。
そして
YOSHIKIがかっこいいと心から思いました。
かっこいいと感じたのは
才能と能力、影での努力です。

このとき、僕には才能はないけれど、努力して能力は上げられると思ったものです。
その結果、頑張り過ぎて、精神疾患になってしまいました。
その事を悔やんだりしていません。
還って、自らの能力の、そのときの限界や学ぶやり方を見直せる事ができました。
ですから、現在、1mmでも前進し妻に迷惑かけないように努力することが出来ているのだと思います。


YOSHIKIを見て、僕も頑張ろうと思います。
この記事を読んで下さっている方、還暦を過ぎた僕が、どこまでやれるのか見てて下さい。
X JAPAN - TEARS

 


3つの病気と格闘・・・そして

2023-04-20 06:25:02 | 精神障害・脳梗塞との共存

精神障害・脳梗塞の後遺症(嚥下障害や歩行でのふらつき・右半身麻痺など)・バレット食道

と3つの病気と格闘中な訳ですが

3つ同時に起こったら、殺してくれ~と言うくらいの辛さになります

そんな中

妻などに支えられながら、日々の生活をしています

昨日(2023/04/19)精神科通院して、医師に前に通院してた主治医が急逝する前に、その主治医から、『社会に出て欲しい。』と言われ、それが僕の中では、約束になりました
16年間、お世話になった先生ですので、それを達成すべく1mmでも前に進めるように格闘中です。

訪問看護や就労支援B型、自立支援施設のショートステイなどのサービスは、妻の負担を軽くするために、使いました。しかし、現在は、前の主治医との約束や自分自身なにか一つでも自ら出来るように1mmでも進みたいと思っています。

現状に満足することなく、前へ進みたいと思います。

 

補足ですが、脳梗塞で入院した病院が急性期であり、そこでのリハビリ期間が制度で満了みたいですので、卒業になります。
一つ卒業できますので、次ぎに進みたいと思います!

これを読んで下さった方、ありがとうございます!
応援よろしくおねがいします^^

 

また、僕は還暦過ぎですが、挑戦していきます!

 


『死』について意識するようになりました。

2023-04-14 15:44:47 | 精神障害・脳梗塞との共存

今日(2023/04/14)、胃や食道にいい病院があると聞き妻に連れて行ってもらいました。
バレッド食道で夜中に病んで、妻を起こし看病してもらいました。
処方された薬を飲んだら痛みが止まります。

妻から誘われて、その病院に行きましたが妻が僕を行かせたい理由は、癌になってないかどうかです。
たしかに、初期癌であれば完治の可能性はかなり高いけれども、僕自身の中では、なにかしっくり来ないものがありました。
なんだろうな~と思い、考えたら、今まで行っていた病院の先生を信頼していると言いながら、妻に誘われたとはいえ、病院を変えるという浮気をしている自分自身に呆れました。

僕は、そんな人生を今まで送ってきたかと言えば、できるだけ馬鹿見たく、間違ってても、自分自身の信念を貫いてきたと思っていました。

それが、今回は、自らの人生を否定する行為をしてしまいました。

確かに、セカンドオピニオンで違う医師に診て貰うことは悪いとはおもえません。僕の性格からして、良ければ乗り換えてしまうというところがあって、人生の信念とは矛盾してしまいます。

なにが良いかは、分かりませんが、自らの意思で行動したものではないと、こうやって悩んでしまうのでしょうね。
妻の行動は何一つ責めることはありません。それは僕のために仕事を休んでも病院に連れて行ってくれたからです。
病院に行った僕の気持ちの中に『死』への怖さがあったのだと思います。
その怖さが、違う病院へ行ったのだと思います。
それは、僕の甘さです。
昭和の考えだと言われるかも知れませんが、自らの信念を『死』が怖いからという事で曲げて行動するのは、無責任もほどがあると自身に憤っています。

 

 

 

自ら考えて行動する。行動した責任は自らが取る。誰の性でも無い!
この年になっても、まだまだ実践できない自分に歯がゆいです。

明日(2023/04/15)、前の病院に通院しますが、このことは隠さず素直に話そうと思います。


就労支援B型へ

2023-04-11 20:14:20 | 精神障害・脳梗塞との共存

還暦を過ぎて、若い方達と就労支援B型に行ってきました。
週1回1時間から、無理しないように始めてます。

どうして就労支援B型に行くかと言うと
前の主治医が亡くなる前に、僕に社会に出て欲しいと言われたことがあります。
僕と亡くなった主治医との約束であり、人として僕が死ぬ前に果たさなければいけないと感じたからです。

行き帰りとも歩きですが、片道40分は引き籠もりだった僕にはキツい。
次の日に足が痛くなりました。
そんな泣き言を言っても仕方ないので、やるのみです。

約束を果たすために。
頑張ります。

 

 


訪問看護師との会話と行動

2023-04-07 06:41:19 | 精神障害・脳梗塞との共存

毎週木曜日に訪問看護が来ます。
・服薬管理
・僕のエンパワーメントを引き出して欲しい

という事で来てもらってます。

体調が良ければ、町内を30分ほど訪問看護師さんと散歩します。
脳梗塞の後遺症で、よろめきながらの散歩です。

どうして、そんな無理をするのか?

2つ理由があります
1 妻の負担を極力軽減させたい ⇒ サービスを使っての軽減
2 急逝した精神科の主治医と社会に復帰するという約束を人として守りたい。

この2点です。

僕が死ぬときに後悔するのは、たぶん、この2点だろうと思っていて、
後悔しないように、今を生きたい。

 

来週、月曜日から就労支援B型に通所します。
週1回、1回1時間で通所してみます。
そこまで行くのに、歩きなので、散歩も兼用です。

 

自分に甘えず頑張ります!


坂本龍一さん死去

2023-04-04 13:06:04 | 精神障害・脳梗塞との共存

坂本龍一さんが死去されました。
2023年3月28日に71歳で亡くなりました。

坂本龍一さんは、僕の青春時代でYMOで斬新な音楽で鮮烈な記憶があります。

その後、
記憶が曖昧ですが、オリンピックの音楽を作曲して世界の坂本と言われた記憶が、あります。

僕の中では、美空ひばりと並んでの音楽の巨匠であると思っています。

人が亡くなるというのは
とても悲しいこと。

僕も死ぬことを考えた事があります。
死ぬのは、素直に言うと怖いです。
妻より先に死にたいとは思ってて、妻は、あなたが先に死ぬのはいいねと言われます。
妻には、僕が先に死んだら、孫と子供たちの状況を見て欲しいと話してます。

どんな人でも、死ぬんだな~と、改めて考えさせられました。

死に際は、いさぎよく死にたいと思っています。
なにせ、昭和時代の人間ですので、このような考えしかできません。





新年度 早いものですね~

2023-04-01 17:30:59 | 

2023年の新年度(2023/04/01)が始まりましたね。

昨年度は、
1 息子、娘の結婚式と孫が出来たこと
2 脳梗塞になる。
3   バレッド食道になる
4 14年間一緒だった愛犬の死
5 精神科の主治医に急逝

大変な1年でした。
なんとか、妻とともに乗り越えました。

さて、
3月30日(木)から 訪問看護が来ました。
主としてしたのは、散歩です。
町内を散歩しましたが、ここを通るのは何年ぶりだろうと言うところがありました。懐かしかったです。
外に出るため、薬は増量で飲んでの散歩です。

気を長くして、体幹を少しづつ強くしたいと思います。

看護師さんに1年、2年後の僕を見てて下さい。と話しました。(肩の力を抜いて話しました。)

とにかく、少しでも妻に迷惑をかけずに、自分で出来るようになりたい。