第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

病気や人間関係との闘いの始まり

2006-10-20 03:00:00 | 職場と正面から向き合って(終)

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)

 

 

前回までは、

「予兆」や「病名」が分かるまでの事を書きました。

そして

『2003年(平15)7月31日を始点として

病気との闘い

心ある人の応援と病気を理解しない人との狭間にあっての

職場での人間関係での闘いでもありました。』

と前回は言いました。

 

2003年(平15)8月1日(金)から12月31日(水)までを

書きたいと思います。


札幌のK心療内科で「パニック症候群」と診断されました。

服薬について

8月30日(土)まで

パキシル   20mg

リボトリール  1mg

ソラナックス   頓服(0.4mg)

 

8月31日(日)から12月31日(水)まで

パキシル   30mg

ソラナックス   頓服(0.4mg)

ツムラ黄連解毒湯エキス顆粒7.5g

 

仕事(出勤)状況について


仕事(出勤)すべき日数 89日
                ↓
(夏季休暇、年末年始休暇、土、日、祭日などを除く。)

仕事(出勤)日数     80日

休んだ日数         9日(具合悪く通勤出来ず。)

休んだ日の処置は、有給休暇処置
               


 

配置換えなどについて


9月2日(火)資料科(新設)へ配置換え → 病人を隔離した部屋な感じ。。。

 

選挙における投票などについて

11月9日(日)衆議院選挙の投票

 


大まかに

2003年(平15)8月1日(金)から12月31日(水)まで

を外観しました。

特に

9月2日(火)に病気を発症した部隊から新設された臨時の

資料科というところに配置換えになりました。


病気である私を直接、応援してくれた方は、

この当時、E総務科長でした。

この方が居なければ、今の私は無いという位、

お世話になりました。

具体的には、

配置換え先には、保健室のような場所が無く

仕事中に具合が悪くなったら、机に俯せになるしか

なく、その都度、上司から指導を受けていました。

それを

健康管理室のベットを使えるようにして頂いたり、

家族や私の悩みをE総務科長夫妻が相談に乗って

くれましたし、職場の長にも掛け合ってくれました。

感謝しています。

 

配置換えの前の職場

資料科に来る前の職場は、

病気が発症後、

補職をすぐに換え、私は宙に浮いた存在になりました。

そして

同僚から仕事も無いのに、

毎日のように仕事をしろと言われていました。

それを上司が、ただ見ているだけでした。

また

上司は、札幌のK心療内科の通院から職場の病院へ

変えるよう強く言って来ました。

その度に、妻から話をして貰いました。

 

2003年(平15)7月22日に発症してから

配置換えになる9月2日まで

私は、針のむしろでしたが、

妻や子らのため

そして

生活のため

と耐えるしかなかったと思います。

ときに、

理不尽な対応から激怒したこともあります。

そんなときは、周りから止められ、

上司から強く指導を受けました。

「病気である」が故に

何を言われても仕方がないと思っていました。

 

 

次回は、配置換えになったときを書きたいと思います。

 

 

 



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