第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

相模原の障害者施設、刺され19人死亡 「元職員」と話す26歳の男逮捕

2016-07-26 12:53:01 | 社会福祉

 

産経新聞の報道では

 

26日午前2時半すぎ、相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」から「刃物を持った男が施設に侵入した」と110番通報があった。神奈川県警による と、少なくとも15人の死亡を確認。相模原市消防局によると、医師が心肺停止状態だった4人の死亡を確認し、死者は計19人に拡大した。ほかに26人が負 傷し、うち20人は重傷だという。

 県警によると、施設から約2キロ離れた津久井署に午前3時ごろ、男が「私がやった」と出頭してきた。県警は、男を殺人未遂と建造物侵入容疑で逮捕した。 男は、植松聖(さとし)容疑者(26)で、施設の「元職員」と話しているという。県警は今後、容疑を殺人に切り替えて調べる方針。

 「津久井やまゆり園」は相模原市の北にあり、施設は、相模湖と津久井湖を結ぶ相模川に面している。JR相模湖駅からは東に約2キロ。近くには民家や公民 館、市立小学校などがある。同園のホームページなどによると、神奈川県が設置し、社会福祉法人「かながわ共同会」が運営しており、定員は150人、敷地面 積は約3万平方メートル。東西に分かれた居住棟のほか、作業棟もある。

                                                                         以上、産経新聞から抜粋

 

 

どうしてこのような悲惨な事件が起きたのだろうか?

出頭時に、やつをやってやった
障がい者はいなくなれば言いと供述
事件が起きた施設の利用者に暴力を振るい、入れ墨をしているという事で解雇になった。
許されざる犯行である。

 

社会福祉で、介護や障がい者支援は、人員が慢性的に不足している時代である。
単に、人員を補充するだけでなく、年齢関係なく質を重視して欲しいと願うばかりである。

 

社会福祉は、幸せにする職業である。
その資質がない人は、なるべきではないと思うし、生活の為に、従事している方も多いであろう。

この凄惨な事件をきっかけに、福祉現場の待遇面での改善など、待ったなしでやるべきであると考える。






年収200万円以下は人間らしい生活が出来るのか?

2015-06-15 14:05:59 | 社会福祉

忘れられた感じを受けるので
2015年4月から、この様に変わりました。

 

スーパーに買い物に行っても【食品類は高い】と感じます。
その上
庶民の味方の軽自動車税も上がり
国民健康保険料も上がりました。

8%→10%の消費増税も間近に迫ってきています。

年収200万円は月平均にすると約16万6000円
社会保障費や住民税、所得税を差し引かれると
手取りは約13万弱
これから公共料金(ガス・水道・電気)を引かれて
約10万~11万程度になると予想されます。


約10万~11万程度の手取り収入では、
一人暮らしであれば、なんとか貯蓄をし生活できるでしょう。
しかし
家族4人としたら共稼ぎで、手取り20万~22万程度
中小企業に勤めていると仮定して書いているので、
大体、その位でしょう。
手取りで、子育てをするのは大変厳しい状況にあると思われます。
ましてや
子どもを預けて働いたり、習い事をさせた場合、
無理が生じるのは明かです。


賃上げをされていると報道されてはいるけど
中小企業では実感があるのでしょうか?
賃上げされたはいいけれども、値上げされている事を勘案すれば
差し引きマイナスではないでしょうか?

年金暮らしの方や4人家族で中小企業に勤めている方達には苦しい生活であろうと思います。
今の、20代の若い方達が、そういう事を知ってて、『働いたら負け』の風潮もあり
推計70万人と言われているニートとして、親から食わせてもらって引き込もり生活しているのではないでしょうか?
また
このような暮らしを知っている方達は、子どもを産むどころか結婚しない傾向にもあると思います。
現状、少子高齢化に歯止めがかかるとは到底思えません。

 

これを解決する手段として(全て解決できるとは思えませんが)
現状より良くする方法として、中途半端な社会保障制度ではなく
北欧型の社会保障制度に大きく舵を切る必要性があると考えています。


Care ー 習慣 ー

2015-01-20 19:06:13 | 社会福祉

障害者であろうとも健常者であろうとも、日常生活の習慣は大切である。

自分の場合を例に出して書きたいと思います。
朝は5時30分に起床します。外はまだ暗くブラインドは朝7時30分にならないと明るくならないので、その時間に開けます。
1時間ほど、ぼお~として、犬の散歩と冬なので雪かき
朝ご飯を食べて、薬を飲む。
一日中、本を読んだり音楽を聴いたり、ネットを見て交流してたり、クロスカントリーと自由にしています。
お昼を食べて、薬を飲む。
夜も妻と話しをしながら、夜ご飯を食べ、薬を飲む。
就寝は、夜12時には遅くとも、寝ます。
* 炊事・洗濯などの家事は主夫してます。

 

こんな感じで一日を過ごしてます。
調子が悪くとも、やるように心がけています。
健常者の方も、今日は仕事したくないなと思うときがあると思います。
それと、同じようなものだと思っています。

 

習慣化に約8年掛かりました。
習慣化する前に、自分のリズムを把握するところから始まりました。
途中で、何度も投げ出したくなるときもありました。
苦しくて、投げ出したくなったときは、妻や子ども達のことを考え、その度に奮起してました。

 

リズムは、一度で出来た訳ではなく、何種類かの自分のリズムを試しました。
その中で、修正をしながら8年も掛かってしまった訳です。
修正するときは、自分自身に問いながらやって行きました。
本当にこれでいいのか?と。
結果として、辿り着いたのは、自分に自信を持つことだ。
確信がなくても、自身をもって、やって行こうと行動しました。

 

リズムから習慣化するまでは、病気に振り回されて、引きこもりの自堕落な生活でした。
自堕落な生活から習慣化するまで、妻や子どもたちの「忍耐」が必要でした。
次回は、どのように「忍耐」していたかを書きたいと思います。

 


■「好きなことで生きていく」ことの現実ー考え方が、自分とは、ちょっと違う

2015-01-19 16:09:12 | 社会福祉

 今回はCareから、一旦、離れたいと思います。
それは、自分の考え方の琴線に触れる記事を読んでしまったからである。

 

その記事は、
「好きなことで生きていく」ことの現実
という記事である。

 

この記事を読んで見ると
好きなこと=趣味 という視点で書かれている。

好きなこと=趣味という方もいらっしゃるでしょう。
しかし、
重要な事は、自分に向いていることは何かという事を知るのが大切であって、
趣味を仕事にすることではないだろう。
自分に向いていること=自分の好きな仕事 であろうと考える。
記事では趣味のメリットとデメリットが書いてあり、趣味=好きな仕事のイメージで書かれている。
そして
読み進めていくと、第1の壁から第3の壁まで書かれていて、
趣味=仕事であれば、100歩譲っても、そうなる可能性は高いと思う。
また
終わりには、「仕事に感情なんか入らないほうがずっと楽なものだ。」と書いている。
人間には、喜怒哀楽があり、感情のない人間は一人もいないと思っている。

感情の無い人間は、ロボットである。

「好きなことで生きていく」ことの現実
とは、また違った視点から書いている記事があるので紹介する。

好きなことを仕事にしたほうがいい本当の理由3つ
という記事である。
こちらの記事の方が、自分にとっては、「好きなことで生きていく」ことの現実よりもしっくり来る。

 



仕事、要するに働くという事は、人生の大部分を占めているのが現実である。
大部分を占めているが故に、好きなものを見いだす事が重要になってくる。
そう簡単に、見いだせるものではないのは百も承知である。
○ 自分は、何が好きなのか?
○ その好きなことをするために、何が必要(どのような技術や技能など)なのか?
○ 技術は技能は、飽きずにやれるものなのか?
最低でも、この3つは、自分自身に問わなきゃならないだろう。
例えば、「みんなが、大学いくから行く」という単純な考えでは、好きなことを見つけるのは難しいであろう。


自分自身の問題として捉え、自分自身が様々なことに挑戦し、挫けても、やれるものを見つけ出す必要性があろう。

 

 

最後に、
誤解されたくないのは、この記事を書いたのは、非難の為ではなく、
考え方の違いを明確にしたい為に書きました。

 

 読んだ本です。内容は実践的で現実に即していると感じました。

大好きなことをやって生きよう!
クリエーター情報なし
フォレスト出版



Care ー知識ー

2015-01-18 18:00:31 | 社会福祉

Careには、お互い知識が必要だと思っています。

 

知識について、簡単に列挙してみます。

○ 相手の病気などが、どの様なものなのか?
○ 相手の性格は?
○  相手の趣味は?
○ 相手が何に苦しんでいるのか?
○ 相手の苦しさを、少しでも軽くするために、どうしたらいいのか?

これ以外にも、多くの事を知らなければいけなんんじゃないかと思っています。

 

人は知らず知らずのうちに、人をCareし、心を軽くしてくれています。
家族でも同じで、家族の中の誰かが、苦しんでいるとき
例えば、子どもが悩んでいるとき、家族の中で知らず知らずのうちにCareしようとします。
自分の体験談でも、過去から現在まで、そうしている事に気づきました。

伝達可能な知識(言葉のみとか。)だけが、Careではないと思っています。


  具体的に
○ 相手の病気がなどが、どの様なものなのか?について述べていきます。
  病気は、本やインターネット上で調べることが出来ます。

  病名が同じだからと言って、調べた内容通りとは限りませんし、同じ病名であっても病状が同じとは限りません。

  この意味は重要なことだと思っています。


○ 相手の性格や趣味?について
  性格を知るには、「ローマは一日にしてならず」という諺(ことわざ)があるように、
  一朝一夕では知り得ません。
  それ故に、「聴く」を重視しなければいけないなと思っています。
  「聴く」ことによって、少しでも相手の性格を知ることが出来るからです。


○ 相手が何に苦しんでいるのか?その苦しさを、少しでも軽くするために、どうしたらいいのか?
  病気に振り回されているのか。コントロール出来ているかによっても違うと思います。
  簡単に話して少し乱暴に話してしまうと、
  病気に振り回されているのは、様々な病状に苦しんでいるのであると思っていますし、生活している中で、こんな筈ではなかったと思っていると思います。
  日ごとに変わる病状に苦しみ、気持ちが生活してても安心感がなく、不安感が募るのだと思います。
  コントロール出来ている方、病気のコントロールが出来ている。
  生活してても、何もやることもなく、誰の役にも経っていないし、誰からも振り向かれない。と考えているのではないでしょうか?
  よく考えてみれば、
  誰かの役に経っていると強く意識して、生活している方は、自分の考えでは、あんまりいないのではないかと思っています。
  何かをやり遂げたー自分の好きなことを見つけだしてーとき、「あ~ 役に経ったかな」と思えると考えています。
  誰からも振り向かれないのは、よほど注目して欲しい方は、別にしても、
  前述したように自分の好きなことを見つけだして、生活している方は、内面からオーラが沸きだして素敵な人になれるのではないでしょうか?

これからに共通して、少しでも軽くなれるには、どうしたらいいのか?は、信用出来る仲間をつくることだと思っています。
信用出来る仲間には、共感が生まれ、一緒に良くなって行こうとか応援しようとか思えるし、関わりによって病状が改善していくものと思っています。

悩む力
クリエーター情報なし
みすず書房




 以上、長々と書きましたが、1mmでも前に進めたらたらいいなと思っています。


 


『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。その3

2015-01-15 15:20:58 | 社会福祉

『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。その1 でも書いたことですが、
成長と自己実現について、今回、書きたいと思います。


成長と自己実現は、相手と関わることによって実現されるのです。
孤独に一人で成長と自己実現は出来ないと思っています。


成長して欲しいなと思ってる人を援助することは、誰をも援助できるようになっていなければ出来るものではない。
それは
専門職じゃなくても、健常者であっても障害者であっても、相手を発見して創造することを、励まし合える仲間があることであると思っている。
それだけではなく、自分自身をケアできるようにもなる。

成長は、新しいことを学び、知識や技術を増やす事だけではなく、新しい経験や考えを得られることが出来、人間性が再創造されることなのであると思っている。
自分の経験上からも、子供の頃や前職での人間性が社会で通用しないことを知り、妻や子供達、主治医、臨床心理士の、みなさんのお陰で、
5年越しでスクラップ(破棄)をし、今はビルト(再人間性の構成)をしている最中である。
これは
病気、病気じゃ無いに関わらず自分自身の訓練である。

 

色々な方達にケアされた自分が気づいたことは、
「信頼」「正直」「謙虚」さを持つ事であることに気づかされました。
この事を気づくまでに約8年かかりました。

 

自分の場合は、家庭の中で、気づかされたものであり、社会の中で、気づくことが、より早く気づけると思います。
特定の集団の中でもいいし、気のあった仲間同士の中でも可能だと思います。
これに不随するものとして、先ほど述べた「信頼」「正直」「謙虚」のある繋がりが持てると思いますし、
成長と自己実現によって、「なりたい自分」になれると痛感しています。

決して諦めずに、「なりたい自分」になって欲しいと思っています。

 


『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。その2

2015-01-13 14:24:30 | 社会福祉

 

 

自分の居場所があり、ケアされる(する)ことによって、生きる真の意味』を書くと前回書きました。
また
共通のパターンがあるとも書きました。
ケアの共通パターン(ケアの原則的なもの)を主に書きたいと思います


ケアは、人間対人間の関係であるところを押さえ、相手の人間に不健全に依存すること等、寄生的な関係にみられるものとは、違っている。
不健全な依存関係は、人間関係的ケアにおいて、感じとれないし、誠実に相手に応えることができないであろうと考えています。
相手の考えや信念を検討できなく、相手の考えの意味を発見することも、嘘か本当かを見極めることが出来なくなってしまう。
以上のことから
ケアは寄生的関係で相手を支配したり、所有しようと試みるのではなく、相手の存在を肯定し「自分らしく」なることである
それは
相手の成長が自分のことのように感じられるものである。

 

 

ケアしているとき、相手が成長のために自分を必要としていると感じ、相手に対して支配する力や優越をもたらすものではなく、
お互いの信頼関係の中で、相手から必要とされる関係である。
援助をするときに、自分の方針を押しつけたりはしない。

心をひとつにする事ができるのは、ケアにとって本質であると考えている
このことは、障害や困難を乗り越えていく過程の中で発展していくものであろうと考えている。

 

文脈から外れるとは思いますが
自分は、大学進学を諦めさせられ18歳で、生きるために職に就かざるを得ませんでした。
母子家庭で育った自分は、就いた職の地域が、遠い離れ友人や親戚もいないところでした。
物理的に天涯孤独の地域でした。
生きるため、泥を啜りながら泥まみれになり、生きました。
母親は、何も言わず、放置状態でした。
そんな生き方をしているうちに、妻と出会い、結婚し2人の子供にも恵まれました。
小さく、ちっぽけな家庭を持った自分は、物理的な天顔孤独から、ある程度、脱却することができました。
脱出まで、孤独感がつきまとい、自分自身との闘いでした。
そして
今の自分があるのだと思っています。

知らず知らずのうちに、1人での孤独、家庭での障害や困難を今まで、乗り越えていく過程がケアの本質だと知ったのは、
つい最近のことでした。

 

 

 

 

INTERNETだけではなく、誰かと社会の中で関わって欲しいし、関わることによって少しでも心が救われると考えています。




『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。

2015-01-11 12:30:29 | 社会福祉

 

今回は家族4人がケアしながら生活していることについて書きたい。

 

家族の中で、子供達ををケアするとは、「人が成長すること、自己実現を助ける」ことであると思っています。
たとえば
子供達をケアする親としては、子供達を、自分が必要であると感じているし、成長したいという要求に答えることによって、成長するのを助ける。

 

ケアする事は、親の欲求を満たすために、子供をを単に利用するのとは正反対のことであると考えているし、
逆に
子供達の人格について幸福を祈ったり、好意を持ったり、慰めたり、支持したり、単に興味を持ったりすることと混同ではない。
さらに
子供達がが成長し、自己実現をすることを助けることとしてのケアは、一つの過程であり、展開を撃ちに、孕みつつ関与するあり方であり、
それは丁度、相互信頼と深まり質的に変わっていく関係を通して、時と共に友情が成熟していくのと同様に成長するものなのである。

親が子供達を、臨床心理士が俺を、妻が夫をケアすること、
これらの間に、いかに大きな相違があろうと、それらは全て、共通のパターンがあると考えている

 

見方を変えて社会を見ていると、新しい発想や、ある理想や、ある協同社会をケアすることがあると思う。
相手が成長するのを援助するという共通のパターンがあると考えている

 

しかし、
現代の社会に生きる人間の生涯の中で考えた場合、ケアすることを中心として、他の諸価値と諸活動を位置づける働きをしケアがあらゆるものと関連するが故に
その位置づけが総合的な意味を持つとき、人間の生涯には基本的な安定性が生まれる。
すなわち、
社会での居場所を得ないでいたり、誰からもケアだれない場合、
自分の場所を絶え間なく求めて、ただ流離っている。
社会の中にあって、自分の落ち着き場所にいないのである。

 

そういう自分の落ち着き場所にいない人は
他の人々をケアすることもせず、他の人々に役立つ事もせず、その人は自身の生の真の意味を通して生きていないのである。


現代社会の中で心を安らかにしていられるという意味において、人は心を安らかに生きていけると考えています。
それは、支配されていたり、説明されたり、評価されているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのであると考えています。

 

次回は、
自分の居場所があり、ケアされる(する)ことによって、生きる真の意味を、少しづつ書いていきます。

 


子供の貧困

2015-01-08 11:15:24 | 社会福祉

 

 

昨年の新聞記事で、子供の貧困が取り上げてましたのでUPします。

 

 

これから見えることは、出生時に子供が生まれた環境に左右され、
生まれてくる子供には、親を選べないことがあると思います。
要するに
富裕層の子供と貧困層の子供達は、出生したときから、幸不幸に関わらず、環境が違ってくることだと思います。
貧困から抜け出そうとすれば、相当な努力が必要でもあると言うことではないでしょうか?
また
貧困層の子供達には、富裕層には多くない、ハングリー精神を持っているのも多いと思う。
一人でも現代の社会から、貧困層の子供がなくなればいいなと思っています。

 





子供達が平和に育つことを願って
 


おやおや「分からないけど生活が苦しくなってきたぞ」と思って調べてみた

2014-06-19 15:16:05 | 社会福祉

こんにちは
お久し振りの記事の更新です。

おやっ
なんか分からないけど「生活が苦しくなってきたぞ」っというと言うところで、ちょっと調べてみた。(ニコ動風に・・)
そのキッカケは毎年6月に来ている国民年金保険料の納付書と市道民税の納付書を見て
たっけーと思ったからです。
個人的意見として書いてますので、誰をも批判しているものではありませんので、ご注意下さませ。

まあ~
個人的意見として、こんな方が、このような発言をされているのでから言論や表現の自由ということで、はい。

平成26年6月19日(木) 毎日新聞朝刊から抜粋

 

本題なんですが
どうして、生活が苦しくなってきたのかなっと調べてみたら
税金が、いつもより多いことに気づきました。(税金の存在を否定している訳ではありませんので悪しからず。)

2012年(平成24年)12月26日以降の税金で何があがったかを、ちょっと調べてみました。
何せ、税金に関しては、ど素人なものですから内容に不備があるかも知れませんので、前もって言って置きます。(完璧な人間はいないのと同じかなと思ってます。)
詳しくはリンク先のURLを見て下さい。

 

列挙してみると

○2012年4月(平成24年4月)       子ども手当は児童手当に移行 http://allabout.co.jp/gm/gc/184878/
                          扶養者控除の廃止で、非課税世帯以外は増税

○2012年(平成24年)10月1日      温暖化対策税 http://www.env.go.jp/policy/tax/about.html
                           簡単に言うと、ガソリン価格などに転嫁されて消費者が負担するという事でガソリン価格は値上がりする訳です。

○2012年(平成24年)12月10日     震災復興増税 http://www.taxtakahashi.jp/category/1567293.html
                          所得税を25年間上乗せするというものです。
                           震災で被災された方達に使われている事を願ってます。

○2014年(平成26年)4月         消費税8%
                          上げた分の消費税3%は社会保障に使われるという記憶があります。
                          * 2015年10月に10%に引き上げられる予定

○2014年(平成26年)4月         住民税増税 http://news.ameba.jp/20140327-382/

○2014年(平成26年)4月         介護保険料の値上げ https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat330/sb3130/h26/260220

○2014年(平成26年)5月以降逐次に  電気料金の値上げ http://www.asahi.com/articles/ASG3X4V59G3XULFA01N.html
                          消費税も上乗せでの値上げという事だと思います。

2015年以降の増税
詳しく見たい方は→ http://www.asahi.com/articles/ASG6F7QL1G6FUTFK01C.html

                 中   略

平成26年6月19日(木) 毎日新聞朝刊から抜粋

 

なんと~
こんなのも増税かよってのが

携帯電話税を自民議連が検討 http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/18/mobile-phonetax_n_5509951.html


筆者が今後、増税されることを予想した税金
○独身税
○存在税
○エアコン税
○運転免許を持っているだけで税
○ニート税
○無職税


(時代劇風に)
お役人様~
おらたち農民は、はだらいても(働いても)年貢がはらえなぐでえ~
生きていくのがやっとですだあ~




これからの日本を背負う若い方達が希望の持てる社会であるように願い、引き続き行動していきたいと思っています。
生きづらい世の中でも、希望を捨てずに生きていって欲しいと願っています!

ニコ動(子らへ贈る)

最後のピアノを弾いているのは、小学生の頃の、娘です。
そんな写真を、未だに持っているバカ親父です。

 

 

 

 

   

中秋の名月

2013-09-24 16:51:54 | 社会福祉

今年の中秋の名月は、平成25年9月19日(木)でした。

中秋の名月を撮っておきました。

 

中秋の名月の日
自分の誕生日で、一つ年を取ってしました。


この記事のカテゴリーを【社会福祉】としたのは、
中秋の名月を
誰でもが、
今日は、中秋の名月だなと思い出し、
家族で過ごす時間の『余裕が持てない社会』であるからと感じたからです。
富裕層(自分は低所得者層かな?)だけが持ちうる時間ではなく、
誰もが、持ちうる余裕がある時を過ごしてほしいという気持ちです。

多くの方から(特に若者で非正規の方)からは、生活がやっとで、そんな余裕ない。という声が聞こえて来そうです(汗)

幸福度が高まる社会になって欲しいという願いは変わりません。
世界における、日本の幸福度を調べてみて欲しいと思います。
参考までに・・・
   ↓
「豊かなはずの日本人が、どうして幸せになれないのか」
http://diamond.jp/articles/-/19942

 

 

 

 

 

 

ニコ動(子らへ贈る)

最後のピアノを弾いているのは、小学生の頃の、娘です。
そんな写真を、未だに持っているバカ親父です。

 


NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

2012-09-10 15:20:16 | 社会福祉

 

昨日(平成24年9月9日(日))の夜9時からNHKスペシャルを見ました。
シリーズ東日本大震災追跡 復興予算 19兆円 ←クリックすると番組に飛びます。

「復興は進んでいない。お金は一体どこに使われているのか。」今、被災地から切実な悲鳴があがっている。
大震災後、被災地復興のためつぎ込まれる巨額の“復興予算”。
増税を前提につぎ込まれることになった“復興予算”はいったいどのように流れ、使われているのか。
番組は“巨額のマネー”の行方を追い、その実態を徹底検証する。
                                   NHKスペシャルから抜粋


復興予算として使われている内容を、俺が覚えているのを抜粋します。
● 沖縄県、海岸沿いの国道の工事が行われている。事業費7億円。

● 岐阜県関市。コンタクトレンズメーカーの工場の一角で、新しい製造ラインの建設が進む。ここに投入されていたのが、国の復興予算。補助金を出したのは、経済産業省(復興予算1.2兆円)

● 経産省「低炭素社会を実現する革新的融合」約15億円。法務省「(北海道などの)再犯防止施設〜」2800万円。公安調査庁「治安確保のための基盤強化」2800万円。文科省「国立競技場の補修費」3億3000万円。

● 宮城県気仙沼市。震災前から医師の数は全国平均の半数。医師不足の町を津波が襲った。35機関のうち21が大規模半壊・全壊。復旧は7のみ。村岡正朗医師、地元に留まり、一人ひとりのもとに出向き診療をしている。

など、まだまだある。

この番組は、
9月13日(木)午前0:25~午前1:25[水曜深夜]に再放送の予定みたいです。

 

復興予算は、消費税UPと所得税25年間分を見込んで、使われているみたいです。

 

俺がこの番組を見て、感じたのは、
復興予算と言う名前である以上、被災した県に、全部使うのが筋であると俺は、考えます。
それが、
違うところに使われているのは、筋が違うんじゃないかと考えています。

今回の、この番組が見なかったら、こういう使い方を知らなかったし、
被災した県や人に使われているから、消費税UPも仕方ないなと思っていました。

また
〇子らを、この国に託していいのだろうか?
〇この国を、子らは信じていいのだろうか?
と悩む日々が続きそうです。

 

最後に
俺が生まれたところが映っていました。
それを見たとき、涙が出てしまいました。

 


人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

2012-07-18 14:43:06 | 社会福祉

 

 

人間は、まず自分が『一番大切』なのだと素直に率直に言います。
それは、
保身とも絡み合います。

保身とは、大辞林で調べると、
自分の身体や地位・身分などを守ること。「―の術にたけている」「自己―」
とある。

ここで書きたいのは、地位や身分よりも、自分の身体が一番大切であるという事を書きたいのです。
なぜならば、
自分の身体が悪い状態で、他人の事が出来る状態どころではないと言うことである。

自らの身体の事や、当ブログでも書きましたが、これです→『自己完結できる人間』に。
〇自律できる
〇自立できる
この二つが出来ている人間が、他人の事が出来る人間である。
要するに、
それ以外の人間は、他人の事は、出来ないと考えています。

これらの前提の考えを基に考えると、
●他人の事が出来る人間は、次世代の方たちに、伝えられるべき事や、やれる事は、やって欲しいと願っています。
●他人の事が出来ない人間は、まず自分の身体の事や家族がいれば、妻や子らのために、身体の出来る範囲で
 やって欲しいと願っています。また、当ブログで何度も書きましたが、家族崩壊しないためにも、そうして欲しいと
 願っています。

ところで、
保身ですが、俺が着目したいのは、大辞林で調べた、地位や身分である。
いつまでも(極端に言えば死ぬまで。)、今居る地位や身分にしがみついている方がいるとすれば、
次世代の子らにとっては、不幸であると考えています。

次世代の子らは、良くも悪くも、慣習を踏襲しなければならないと言うことである。
その勝手に決められた範囲(暗黙の了解も含みます。)の中でしか、生きられないという事だと思います。
少しでも、創造的な事をすれば、指導という言葉で、終わってしまう。
そんな事で、次世代の子らが、人間的に成長する芽が摘まれてしまうのが悲しいと感じます。

そんな次世代を担う子らに伝えたいのは、
まず、
自分の身体を一番大切(自分が『一番大切』なんだ)にし、犯罪的行為は別にして、
狭まれた社会の中で、自らが【好きな事】を見出して、決められた範囲を超えて、
創造的に考え行動して欲しいと切に、願っています。


最後に、
自分の地位や身分に、死ぬまで、しがみつく過剰な保身ではなく、身体を大切にして、【好きな事】を見出し
創造的な生き方をして欲しいがため、この記事を書きました。
当然、我が家族の子らにも、同じ事を話してます。

 

拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

 

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ひきこもりの精神障害者が生き残るには

2012-07-13 08:05:43 | 社会福祉

 

まずは、
「ひきこもり」の方たちの叫びを聞いて見て下さい。
 

 

 

「ひきこもり」の精神障害者が、現代社会において、生き残る道を当事者として考えてみました。
これを実践するには、当事者の【やる気】があるのが前提です。

新聞を読んでいると、就職活動(就活)によく出てくる場面があります。
こういう場面です


                            毎日新聞から抜粋

こういう場面を見ると、違和感を俺は感じます。
同じ服装・同じような髪型をして、なんだか金太郎飴のような感じがするからです。

一人一人、個性がある違う人間なのに、なぜ就職活動(就活)では、同じように見えるのか。
俺としては、違和感を、やはり感じる。
採用する企業が、こういう服装で、こういう髪型で来て下さいとか言っているのであろうか。

 

採用する企業の、現在の技術革新力は。以下の通りです。
↓ 


                毎日新聞から抜粋


日本の
技術革新力は、25位
創造的な成果は、69位
である。

ここで俺が注目したのは、創造的な成果である。
所謂、型に嵌まらない自由な発想で、新たなものを生み出す(創造)が出来るかだと思います。
日本は、69位と先進国の中では、下の方である。
それだけ。創造性に乏しいと言えるのではないだろうか。

 

次に、
採用する企業が、重視する事は以下の通りである。


                         毎日新聞から抜粋

一番が、コミュニケーション能力である。
中くらいに、チャレンジ精神となっている。

これから考えられる事は、
精神障害者じゃなく、健常者と言われる人でも、コミュニケーションが不足していると言うことが考えられる。
要するに、今風で言うと、コミュ障である。
精神障害者もコミュ障
健常者もコミュ障
程度の差はあれ、同じであるのかなと思います。

 

総じて、
精神障害者が、現代社会において、生き残る道は、コミュ障を治す事などではなく、
健常者よりも敏感に、精神障害者が持っている特殊能力
【感じられる】能力を発達させる事に、生きていく道があるのではないかと痛切に感じます。

得てして、健常者よりも敏感に【感じられる】特殊能力は、負に陥り易いというデメリットがあると思います。
当事者である俺が体験しました。
それを、負になりそうなとき、気がつければ、プラスに転じる事が出来、少しづつ発達させる事ができるのだと感じます。

それは、
一日二日、一朝一夕で出来るものではなく、かくいう俺も、まだ出来てませんが、
1ヶ月、3ヶ月、半年、1年、3年、10年などのスパンで、日々、こつこつと磨いていく努力をし、
行動して行くことが、最も大切な事であると考えています。

それに向け、俺自身も、日々、こつこつと努力していきます。

 

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

 

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障害者に理解があった 寛仁さま逝去

2012-06-07 22:02:04 | 社会福祉

 

この記事は、皇室が云々という事ではなく、
障害者に理解をしようと努力されていた方が逝去されたので記事にしました。


この方は、俺が住んでいる北海道にも、毎年来られて、障害者の方々と接しておりました。
また
1982年(俺が20歳の頃)、障害者問題に取り組みたいという、ご意志で、
説得されて、皇室離脱はしませんでしたが、皇籍離脱を宮内庁に申し出られた事もある方です。

 

ここで
このブログでも書いた事ですが。
障害者と聞くと、『普通』か『普通でないか』と区別されがちです。

でも
『普通』って何でしょうか?

『普通』とは、各人の価値判断で決まってしまうものなんじゃないかと思います。
それは、
〇価値観が多様化してるとか
〇個性を重視する教育など、他の人と違うなどが認められてますが、
同時に
●他の人と一緒であるとか
●他の人とは違わないとか
●普通である事など
を心の中では望み、他の人と違うことや普通でない事を否定する傾向がある気がします。

そこで
『普通』か『普通でない』かは。時代によって変わるものだと思っています。
となると、
何をもって『普通』となるのかが変わってくるんじゃないかと思います。

時代によって変わるから、
『普通』があれば『普通じゃないもの』があるという事になります。

この『普通』という言葉は、
『普通』でいたいというシグナルを送っているのかもしれません。

良く考えてみれば、
現実には、自分自身が、『普通』であろうが『普通でなかろう』が、違う特徴をもった人(障害者)がいて、
その方たちと、接するかどうか関わらず、社会においては、共存しているのが現実です。
もし、
あなたが、違う特徴をもった人(障害者)となったとき、
『普通』とか『普通じゃない』とか区別するでしょうか?

しかも、
違う特徴をもった人(障害者)は、現代社会においては、少数派に属するんではないでしょうか?


生活している中で、『普通』で思ってる事が実は、『普通じゃなかった』事もあるかもしれません。
そんな時、
自分自身を見つめ直すChanceです。

『普通』か『普通じゃない』とかの
NOかYESの価値観は、警察にお世話にならない行動をしない(犯罪行為をしない。)以上、
今の俺には、無意味に思えます。

師匠は、『普通』とか『普通じゃない』とか、たぶん、思ってないと思います(笑)