第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

配置換え  資料科? / 03’autumn/winter

2006-10-20 07:55:54 | 職場と正面から向き合って(終)

   「秋風から運ばれた赤く色づいた葉は晩秋を知らせてくれる」

 

 

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)

 

 

突然の配置換えまで

出勤は妻の付き添いで2ヶ月(9月~11月)ほど続いた。 

朝夕の付き添い。

1人で車を運転できない。

発作で職場に1人で行くのが不安  

行動範囲がまた狭くなっている。

職場ではただ、ただ机にいるだけ。 

人形のように。発作のときは机にうつ伏せになり耐える。 

周りは坦々と仕事 なぜ自分が・・・      

 

 

2003年9月2日(火)

資料科に、2004年3月22日(月)まで在籍

その後、資料科が廃止になった。

 

職場の改組のために資料科を新設し職場の記念誌を

作れとの事である。

 

突然であった。

どこに なにを なにをすればいいのか?

臨時に出来た科(病人の集まりの場?) 

上司は睡眠障害 

部下は健康だが、高血圧

私を含め科員は3名

 

史料の編纂が仕事? 

何かよく分からない。 

虚しい。 

障害者?だと思っているからか・・・

 

 

仕事で上司は、何故か?職場のトップに怒られている。 

理由はよく分からないが何度作成して持って行っても

ダメだと怒られたと言っていた。

部下は、いじめだと常に言っていた。

本当に記念誌が作れるのか不安だったが

職場の長も2004年3月に転出だったので

何とか記念誌は2004年2月末には、出来上がり

パソコンで作成していたのでプリンターで印刷し、

3月19日(金)までに7部印刷を終了した。


資料科の上司や部下も頑張れと言い残し転出した。


私はこの後、またまた突然、違う科に配置換えを

命ぜられました。

      

 

このときの通院は週2回 

市外の病院へ妻の付き添いで

薬はこの2ヶ月(9月~11月)で

パキシル30mgに増え、

ソラナックス、リボトリール

体重は60kgから55kgへ身体がきつい。      

 

 

日々が不安との闘い。 

どうなっているのか?

この2ヶ月(9月~11月)で救急病院のお世話に

ならなかったのは十日間だけ。

 

この頃の心境は、

『晩秋から移りかわる初冬の空は重く感じる。

 自分のこころも。』 

という感じであった。

 

 



最新の画像もっと見る