第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

Care ー 習慣 ー

2015-01-20 19:06:13 | 社会福祉

障害者であろうとも健常者であろうとも、日常生活の習慣は大切である。

自分の場合を例に出して書きたいと思います。
朝は5時30分に起床します。外はまだ暗くブラインドは朝7時30分にならないと明るくならないので、その時間に開けます。
1時間ほど、ぼお~として、犬の散歩と冬なので雪かき
朝ご飯を食べて、薬を飲む。
一日中、本を読んだり音楽を聴いたり、ネットを見て交流してたり、クロスカントリーと自由にしています。
お昼を食べて、薬を飲む。
夜も妻と話しをしながら、夜ご飯を食べ、薬を飲む。
就寝は、夜12時には遅くとも、寝ます。
* 炊事・洗濯などの家事は主夫してます。

 

こんな感じで一日を過ごしてます。
調子が悪くとも、やるように心がけています。
健常者の方も、今日は仕事したくないなと思うときがあると思います。
それと、同じようなものだと思っています。

 

習慣化に約8年掛かりました。
習慣化する前に、自分のリズムを把握するところから始まりました。
途中で、何度も投げ出したくなるときもありました。
苦しくて、投げ出したくなったときは、妻や子ども達のことを考え、その度に奮起してました。

 

リズムは、一度で出来た訳ではなく、何種類かの自分のリズムを試しました。
その中で、修正をしながら8年も掛かってしまった訳です。
修正するときは、自分自身に問いながらやって行きました。
本当にこれでいいのか?と。
結果として、辿り着いたのは、自分に自信を持つことだ。
確信がなくても、自身をもって、やって行こうと行動しました。

 

リズムから習慣化するまでは、病気に振り回されて、引きこもりの自堕落な生活でした。
自堕落な生活から習慣化するまで、妻や子どもたちの「忍耐」が必要でした。
次回は、どのように「忍耐」していたかを書きたいと思います。

 


■「好きなことで生きていく」ことの現実ー考え方が、自分とは、ちょっと違う

2015-01-19 16:09:12 | 社会福祉

 今回はCareから、一旦、離れたいと思います。
それは、自分の考え方の琴線に触れる記事を読んでしまったからである。

 

その記事は、
「好きなことで生きていく」ことの現実
という記事である。

 

この記事を読んで見ると
好きなこと=趣味 という視点で書かれている。

好きなこと=趣味という方もいらっしゃるでしょう。
しかし、
重要な事は、自分に向いていることは何かという事を知るのが大切であって、
趣味を仕事にすることではないだろう。
自分に向いていること=自分の好きな仕事 であろうと考える。
記事では趣味のメリットとデメリットが書いてあり、趣味=好きな仕事のイメージで書かれている。
そして
読み進めていくと、第1の壁から第3の壁まで書かれていて、
趣味=仕事であれば、100歩譲っても、そうなる可能性は高いと思う。
また
終わりには、「仕事に感情なんか入らないほうがずっと楽なものだ。」と書いている。
人間には、喜怒哀楽があり、感情のない人間は一人もいないと思っている。

感情の無い人間は、ロボットである。

「好きなことで生きていく」ことの現実
とは、また違った視点から書いている記事があるので紹介する。

好きなことを仕事にしたほうがいい本当の理由3つ
という記事である。
こちらの記事の方が、自分にとっては、「好きなことで生きていく」ことの現実よりもしっくり来る。

 



仕事、要するに働くという事は、人生の大部分を占めているのが現実である。
大部分を占めているが故に、好きなものを見いだす事が重要になってくる。
そう簡単に、見いだせるものではないのは百も承知である。
○ 自分は、何が好きなのか?
○ その好きなことをするために、何が必要(どのような技術や技能など)なのか?
○ 技術は技能は、飽きずにやれるものなのか?
最低でも、この3つは、自分自身に問わなきゃならないだろう。
例えば、「みんなが、大学いくから行く」という単純な考えでは、好きなことを見つけるのは難しいであろう。


自分自身の問題として捉え、自分自身が様々なことに挑戦し、挫けても、やれるものを見つけ出す必要性があろう。

 

 

最後に、
誤解されたくないのは、この記事を書いたのは、非難の為ではなく、
考え方の違いを明確にしたい為に書きました。

 

 読んだ本です。内容は実践的で現実に即していると感じました。

大好きなことをやって生きよう!
クリエーター情報なし
フォレスト出版



Care ー知識ー

2015-01-18 18:00:31 | 社会福祉

Careには、お互い知識が必要だと思っています。

 

知識について、簡単に列挙してみます。

○ 相手の病気などが、どの様なものなのか?
○ 相手の性格は?
○  相手の趣味は?
○ 相手が何に苦しんでいるのか?
○ 相手の苦しさを、少しでも軽くするために、どうしたらいいのか?

これ以外にも、多くの事を知らなければいけなんんじゃないかと思っています。

 

人は知らず知らずのうちに、人をCareし、心を軽くしてくれています。
家族でも同じで、家族の中の誰かが、苦しんでいるとき
例えば、子どもが悩んでいるとき、家族の中で知らず知らずのうちにCareしようとします。
自分の体験談でも、過去から現在まで、そうしている事に気づきました。

伝達可能な知識(言葉のみとか。)だけが、Careではないと思っています。


  具体的に
○ 相手の病気がなどが、どの様なものなのか?について述べていきます。
  病気は、本やインターネット上で調べることが出来ます。

  病名が同じだからと言って、調べた内容通りとは限りませんし、同じ病名であっても病状が同じとは限りません。

  この意味は重要なことだと思っています。


○ 相手の性格や趣味?について
  性格を知るには、「ローマは一日にしてならず」という諺(ことわざ)があるように、
  一朝一夕では知り得ません。
  それ故に、「聴く」を重視しなければいけないなと思っています。
  「聴く」ことによって、少しでも相手の性格を知ることが出来るからです。


○ 相手が何に苦しんでいるのか?その苦しさを、少しでも軽くするために、どうしたらいいのか?
  病気に振り回されているのか。コントロール出来ているかによっても違うと思います。
  簡単に話して少し乱暴に話してしまうと、
  病気に振り回されているのは、様々な病状に苦しんでいるのであると思っていますし、生活している中で、こんな筈ではなかったと思っていると思います。
  日ごとに変わる病状に苦しみ、気持ちが生活してても安心感がなく、不安感が募るのだと思います。
  コントロール出来ている方、病気のコントロールが出来ている。
  生活してても、何もやることもなく、誰の役にも経っていないし、誰からも振り向かれない。と考えているのではないでしょうか?
  よく考えてみれば、
  誰かの役に経っていると強く意識して、生活している方は、自分の考えでは、あんまりいないのではないかと思っています。
  何かをやり遂げたー自分の好きなことを見つけだしてーとき、「あ~ 役に経ったかな」と思えると考えています。
  誰からも振り向かれないのは、よほど注目して欲しい方は、別にしても、
  前述したように自分の好きなことを見つけだして、生活している方は、内面からオーラが沸きだして素敵な人になれるのではないでしょうか?

これからに共通して、少しでも軽くなれるには、どうしたらいいのか?は、信用出来る仲間をつくることだと思っています。
信用出来る仲間には、共感が生まれ、一緒に良くなって行こうとか応援しようとか思えるし、関わりによって病状が改善していくものと思っています。

悩む力
クリエーター情報なし
みすず書房




 以上、長々と書きましたが、1mmでも前に進めたらたらいいなと思っています。


 


『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。その3

2015-01-15 15:20:58 | 社会福祉

『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。その1 でも書いたことですが、
成長と自己実現について、今回、書きたいと思います。


成長と自己実現は、相手と関わることによって実現されるのです。
孤独に一人で成長と自己実現は出来ないと思っています。


成長して欲しいなと思ってる人を援助することは、誰をも援助できるようになっていなければ出来るものではない。
それは
専門職じゃなくても、健常者であっても障害者であっても、相手を発見して創造することを、励まし合える仲間があることであると思っている。
それだけではなく、自分自身をケアできるようにもなる。

成長は、新しいことを学び、知識や技術を増やす事だけではなく、新しい経験や考えを得られることが出来、人間性が再創造されることなのであると思っている。
自分の経験上からも、子供の頃や前職での人間性が社会で通用しないことを知り、妻や子供達、主治医、臨床心理士の、みなさんのお陰で、
5年越しでスクラップ(破棄)をし、今はビルト(再人間性の構成)をしている最中である。
これは
病気、病気じゃ無いに関わらず自分自身の訓練である。

 

色々な方達にケアされた自分が気づいたことは、
「信頼」「正直」「謙虚」さを持つ事であることに気づかされました。
この事を気づくまでに約8年かかりました。

 

自分の場合は、家庭の中で、気づかされたものであり、社会の中で、気づくことが、より早く気づけると思います。
特定の集団の中でもいいし、気のあった仲間同士の中でも可能だと思います。
これに不随するものとして、先ほど述べた「信頼」「正直」「謙虚」のある繋がりが持てると思いますし、
成長と自己実現によって、「なりたい自分」になれると痛感しています。

決して諦めずに、「なりたい自分」になって欲しいと思っています。

 


『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。その2

2015-01-13 14:24:30 | 社会福祉

 

 

自分の居場所があり、ケアされる(する)ことによって、生きる真の意味』を書くと前回書きました。
また
共通のパターンがあるとも書きました。
ケアの共通パターン(ケアの原則的なもの)を主に書きたいと思います


ケアは、人間対人間の関係であるところを押さえ、相手の人間に不健全に依存すること等、寄生的な関係にみられるものとは、違っている。
不健全な依存関係は、人間関係的ケアにおいて、感じとれないし、誠実に相手に応えることができないであろうと考えています。
相手の考えや信念を検討できなく、相手の考えの意味を発見することも、嘘か本当かを見極めることが出来なくなってしまう。
以上のことから
ケアは寄生的関係で相手を支配したり、所有しようと試みるのではなく、相手の存在を肯定し「自分らしく」なることである
それは
相手の成長が自分のことのように感じられるものである。

 

 

ケアしているとき、相手が成長のために自分を必要としていると感じ、相手に対して支配する力や優越をもたらすものではなく、
お互いの信頼関係の中で、相手から必要とされる関係である。
援助をするときに、自分の方針を押しつけたりはしない。

心をひとつにする事ができるのは、ケアにとって本質であると考えている
このことは、障害や困難を乗り越えていく過程の中で発展していくものであろうと考えている。

 

文脈から外れるとは思いますが
自分は、大学進学を諦めさせられ18歳で、生きるために職に就かざるを得ませんでした。
母子家庭で育った自分は、就いた職の地域が、遠い離れ友人や親戚もいないところでした。
物理的に天涯孤独の地域でした。
生きるため、泥を啜りながら泥まみれになり、生きました。
母親は、何も言わず、放置状態でした。
そんな生き方をしているうちに、妻と出会い、結婚し2人の子供にも恵まれました。
小さく、ちっぽけな家庭を持った自分は、物理的な天顔孤独から、ある程度、脱却することができました。
脱出まで、孤独感がつきまとい、自分自身との闘いでした。
そして
今の自分があるのだと思っています。

知らず知らずのうちに、1人での孤独、家庭での障害や困難を今まで、乗り越えていく過程がケアの本質だと知ったのは、
つい最近のことでした。

 

 

 

 

INTERNETだけではなく、誰かと社会の中で関わって欲しいし、関わることによって少しでも心が救われると考えています。




『社会での居場所を得ないでいたり、ただ流離っている。』方達に読んで欲しい記事です。

2015-01-11 12:30:29 | 社会福祉

 

今回は家族4人がケアしながら生活していることについて書きたい。

 

家族の中で、子供達ををケアするとは、「人が成長すること、自己実現を助ける」ことであると思っています。
たとえば
子供達をケアする親としては、子供達を、自分が必要であると感じているし、成長したいという要求に答えることによって、成長するのを助ける。

 

ケアする事は、親の欲求を満たすために、子供をを単に利用するのとは正反対のことであると考えているし、
逆に
子供達の人格について幸福を祈ったり、好意を持ったり、慰めたり、支持したり、単に興味を持ったりすることと混同ではない。
さらに
子供達がが成長し、自己実現をすることを助けることとしてのケアは、一つの過程であり、展開を撃ちに、孕みつつ関与するあり方であり、
それは丁度、相互信頼と深まり質的に変わっていく関係を通して、時と共に友情が成熟していくのと同様に成長するものなのである。

親が子供達を、臨床心理士が俺を、妻が夫をケアすること、
これらの間に、いかに大きな相違があろうと、それらは全て、共通のパターンがあると考えている

 

見方を変えて社会を見ていると、新しい発想や、ある理想や、ある協同社会をケアすることがあると思う。
相手が成長するのを援助するという共通のパターンがあると考えている

 

しかし、
現代の社会に生きる人間の生涯の中で考えた場合、ケアすることを中心として、他の諸価値と諸活動を位置づける働きをしケアがあらゆるものと関連するが故に
その位置づけが総合的な意味を持つとき、人間の生涯には基本的な安定性が生まれる。
すなわち、
社会での居場所を得ないでいたり、誰からもケアだれない場合、
自分の場所を絶え間なく求めて、ただ流離っている。
社会の中にあって、自分の落ち着き場所にいないのである。

 

そういう自分の落ち着き場所にいない人は
他の人々をケアすることもせず、他の人々に役立つ事もせず、その人は自身の生の真の意味を通して生きていないのである。


現代社会の中で心を安らかにしていられるという意味において、人は心を安らかに生きていけると考えています。
それは、支配されていたり、説明されたり、評価されているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのであると考えています。

 

次回は、
自分の居場所があり、ケアされる(する)ことによって、生きる真の意味を、少しづつ書いていきます。

 


昨年末に自宅をリフォーム

2015-01-10 10:44:33 | 家族

こんにちは。

昨年末に自宅をリフォームしました。

屋根の傾斜(屋根自体変え外壁も変えました。)

 

 

玄関の下タイルと玄関自体も変えました。

 

 

念願であった自分専用の屋根裏部屋(自分の部屋は初めからあります。)

 

 

ここで住宅のリフォームについての留意点
○ 見積もりは、昨年末から、同じ条件で5社に見積もりをしてもらいました。
○ 着工から完成引き渡しまで約2ヶ月
○ 見積もり金額は、あくまで見積もりなので、追加工事が発生し金額が増えて行きました。
○ 外壁と屋根等、全ての色のコーディネートは妻がしました。
○ 大がかりな工事になると引越費用がいります。
○ 見積もりする業者にしかっかりとした大工さんがいるかどうかを重視しました。

 

以上、住宅リフォームする際の留意点を述べましたが、
結局なところ、
○ リフォームをして満足度がUPしたか?
○ 前よりも住み心地がいいか?
だと思います。

自分の場合は、どちらもOKでした。

これから住宅リフォームする場合の参考になれればいいかなと思っています。


妻や子供から『精神年齢が低い』と言われてる俺

2015-01-09 09:07:07 | 家族

 

最近、High PerformerなFlowerに、はまっているSakurazakaです。

Flower 『SAKURAリグレット』

 

妻や子供達から精神年齢が低いと言われている原因は、

○ 子供達が、お盆や正月に帰ってくると、どうしても、ちょっかいを出してしまいます。
  そんなとき
  子供達から「やめて!」と怒られます。
  怒られると、ゲームに負けそうになると泣いてしまう子どものように、自分に不利なことがあると機嫌が悪く なったりしてます。

 

○ それと
  妻や子供達から、お父さんは偉そうと言われます。
  確かに、過去を振り返って仕事をしてた時も、偉そうだった気がします。今では、かなり人間的に丸くなったと思ってはいるんですが。

 

 

 

○ もう一つは、あんまり記憶がないのですが、大晦日の福山雅治さんを福島正則と言ったそうです。
  子供達から、それって、戦国時代の武将だよね?と言われ
  いや、福山雅治と言った筈だと、素直に認めませんでした。お陰で、そんな言い争いをしているうちにNHK紅白の福山雅治さんの歌が聴けなかったです。
  言い争いをしてる最中、福山雅治さんのファンである妻は、鬼の形相で睨んでました。

 



こういう俺を、妻や子供達は、精神年齢中学生並とか言われ放題です。
しかし
そこで、怒っては大人げないので、顔で笑って、心で泣いてる俺でした。
何という大人の対応なのだろうと、自分で自分を褒めてます。

 

 

 

 


子供の貧困

2015-01-08 11:15:24 | 社会福祉

 

 

昨年の新聞記事で、子供の貧困が取り上げてましたのでUPします。

 

 

これから見えることは、出生時に子供が生まれた環境に左右され、
生まれてくる子供には、親を選べないことがあると思います。
要するに
富裕層の子供と貧困層の子供達は、出生したときから、幸不幸に関わらず、環境が違ってくることだと思います。
貧困から抜け出そうとすれば、相当な努力が必要でもあると言うことではないでしょうか?
また
貧困層の子供達には、富裕層には多くない、ハングリー精神を持っているのも多いと思う。
一人でも現代の社会から、貧困層の子供がなくなればいいなと思っています。

 





子供達が平和に育つことを願って
 


2015 あけましておめでとうございます!

2015-01-06 11:11:56 | 日々の「つぶやき」

 

あけましておめでとうございます!

 

正月に子供達が帰省してきました。
娘は、社会人なのですが、息子は国立大学生

家での会話の一場面で、また説教をしてしてました。
・何をやるかではなく
・何をしたいのかについてです。

 

何をやるか
目的意識もなく単に生きているだけと自分は解釈しています。

何をしたいのか
目的意識がしっかりしてて、今後歩む道を知っていると解釈しています。

この2つによって、今後、大きな違いが出てくると考えています。
あんまり言いたくないのですが、勝ち組と負け組、そして、どうでもいい組に分かれてくると思っています。

○ 子供達に、どうして私立の国立大学に入ったのか?
○ 大学に入って何をしたいのか?

もう一度、原点に返って考えてみろと、子供達に、この話しを延々としていた馬鹿親父なのです。

 

特に息子には、厳しくしています。
理由は、男だから
男は、腕一本で勝負をしなければいけないし、現代社会においては、能力がないと生き残れない。
社会に出てからは経験が必要で、挫折しても立ち上がる精神力が必要と言いました。

子供達にとっては、うざい親父だと思われているでしょう。
しかし、
現代社会での経験を時代は違えといえども、親から子へ伝える義務があると思っています。

また
家族4人の誰しもが、死ぬまで、謙虚に『Challenger』でなければいけないと思っています。

うざい親父の一人言でした。

 

家のリフォームも終わり、新たな気持ちで新年を迎えました。
自分は、自由になる時間があるのでChallengerとして、力のある限り社会に挑んでいきます!