第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

NHKスペシャル「オウム真理教」を見て

2012-05-29 11:58:18 | 社会福祉

 

NHKスペシャルで「オウム真理教」を見ました。
日時は、以下の通りです。
2012年5月26日(土) 午後7時30分~10時13分 「オウム真理教 17年目の真実」 
2012年5月27日(日) 午後9時00分~9時58分 「オウムVS警察 知られざる攻防」 

 

再放送は、以下の日時になっています。

6月2日(土)【総合】午前1時55分〜3時08分 6月3日(日)【総合】午前1時20分〜2時33分 6月3日(日)【総合】午前2時35分〜3時35分

 

 

今回見た感想を書きますが、まずは、「オウム真理教」とは何かについて、
YOUTUBEから転載しましたので、見て欲しいと思います。

 

 

NHKスペシャル「オウム真理教」は、膨大な時間と詳細な取材されたなあと感じました。
17年前に起こった事件とは言え、色あせない事件だと思いますし、忘れてはいけない事件であると
言えます。

このブログに『意志』と『刹那』について書きました。
この中で、

それぞれの時代に応じて、
生きがいとか
生きる意味とか
という価値基準は、違うし、人によっても違います。

しかし
時代が変わろうとも、同じ価値基準があるとすれば、
『刹那』的な意味ではなく、
『意志』的な意味で、
今、生きてて楽しいと思えるか、どうかだと思います。

今、生きてて楽しいと思えるのは、
他の方からは、得られないと思います。
それは
自分の力で、周りに協力して頂きながら、得れるのだと思います。

自分の道は、自分で切り開く、これが基本ではないかと思います。

 

 このように書きました。

そして
○ 自分が何をすべきかが分かっている
○ 認められるとか認められないとかの前に、今、自分がしている事に充実できる
  

  だから、
  生きがいや生きる意味を持てるし、生きてて楽しいと思えているのではないかと感じます。

とも書きました。

 これは、自らを顧みながら書きますが、
成長過程の中で、
自ら選び、その中から自らが決める。
そんな
成長過程の中で、いくつか、そんな場面があったかと思います。
その中で、
他人や親任せじゃなくて、
自ら考えて行動したのか?と考えさせられてしまいます。

それは、
自らが現在、生活してる環境は、誰でもなく、自らが造った事を知らなければ。
〇自らを見失い
〇他人を過剰に頼り
〇自分が満足や充実できないのは
〇自分は、一生懸命やっているのに
〇それを認めない社会や親が
〇悪いんだ
という考えになると思います。

もう一度、自らの中にしか、答えが見つからないのに、
それを
他人に委ねてしまう危険を見つめ直せなければいけないと痛切に感じます。

現代の若者に、
自らの道は、自らの力で切り開いて欲しいと思いますし、
そんな若者(子らを含めて。)たちを自分が出来る範囲で応援して行きたいと思っています。

 


最後に、
カテゴリーを社会福祉にしたのは、
成長過程に、なんらかの問題があるのではないかと思い、社会福祉カテゴリーにしました。

 

 NHKスペシャル「オウム真理教」関連URL
http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0526/index.html

http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/diary.html

 


『ひきこもり』を少しだけ考えて欲しいために書いた記事

2010-12-17 20:58:50 | 社会福祉

『引きこもり』について、少しだけ考えて欲しいため、記事を書きました。

いま、
斎藤先生の本を少しづつ読んでます。

ひきこもりはなぜ「治る」のか?―精神分析的アプローチ (シリーズCura)
斎藤 環
中央法規出版
社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)
斎藤 環
PHP研究所

 

 

その斎藤先生が出演された、ニコニコ生放送を見て頂いて、
『ひきこもり』って、なんだろう?と少しでも考えて貰えたらいいです。

 

 

2chやニコニコ動画を創設した西村さんの司会であるが、
考え方は、ともかく、「ポジティブ」な姿勢を学びたいと思います。
また、
これらを見て頂いて、少しでも「ひきこもり」ってなに?って思って貰えれば
幸いです。

 

 

 

<今の俺自身のスタンス的なもの?かな>

『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。




この記事(
今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。

 

 

 

 


今日(平成22年8月24日(火))の朝刊を読んで。両足不自由なFMパーソナリティー。

2010-08-24 10:46:31 | 社会福祉






今日の朝刊に、「両足不自由なFMパーソナリティー」の方の記事がありましたので、
紹介します。

障害を抱えても、強く生きている事に心が打たれてしまいます。
俺も、頑張らなきゃと思わせてくれた記事です。

            *平成22年8月24日(火)付 毎日新聞朝刊から抜粋



三角山放送局HPは、こちら

『精神』を見た。

2010-08-16 11:10:14 | 社会福祉
精神 [DVD]
ドキュメンタリー映画
紀伊國屋書店


『精神』というDVDを見た。

「地域で共に暮らす」というキャッチフレーズを掲げているが、
地域で暮らすというのは、俺自身、当事者として、そんな簡単な事ではない。

そんな中、
何とか地域で暮らそうとしている方達の姿が映し出されている。

地域で暮らすためには、
○ 心理的
○ 経済的
この二つが整っていなければ、難しいと俺は、考えている。

二つが整って、ようやく、「自立」した生活が出来ると俺は考えている。

そこで、
病気になった人という視点ではなく
人間だけれども、たまたま病気になった人間という視点が必要だと感じる。

病気を捉えてみれば、
俺も、ただのキチガイである。
しかし、
たまたま病気になった人間と捉えれば、
病気が、その人間の一部になり、さほどの違和感はなくなる。
そういう視点が、いいと俺は思っている。
それには、
社会に住んでいる人の意識を変える必要がある。
意識を変えるためには、膨大な時間が掛かる。

その意識を変えるのを、
俺を含め当事者自身が変えた方が、より早い。

そういう意味で、
○ 何のために生きているのか?
○ 病気を受け入れて、社会で何が出来るのか?
これを、考え行動して欲しいと願っている。

その為には、前に記事にした
『居場所』があるからこそ、俺が俺自身に問い、見つめる事が出来る。

居場所=家族
家族がいるから、こそ、考え行動出来るのだと思います。
うちも、何度も家庭崩壊に危機がありました。
なんとか、それを家族で乗り越えてきました。
ですから、
精神の病気になってしまった方に、家庭崩壊だけは、しないよう願うばかりです。

このDVDは、
見る方によって、様々な見識を持たせてくれると思います。

また、
俺自身、これからは、二本足で立って歩くのではなく、這いつくばって生きて
いきたい。
家族の協力を得ながら、どのようにして社会に出ていけるのか。
それを挑み続ける覚悟です。




NHKスペシャル シベリア抑留を見て。

2010-08-14 09:32:11 | 社会福祉

NHKスペシャルから転用 http://www.nhk.or.jp/special/onair/100808.html



この番組を見て感じたのは、
まず
○ 歴史に翻弄されたこと(当時の政策など)
○ レッテルを貼られたマジョリティであること
○ 忘れさられそうな存在であったこと


過去の事とは言え、
何だか、同じような事が現代に起こっている気がする。

組織から、はじき出された時、
何らかのレッテルを貼られ、生きるのが苦しくなる。
その上、
収入が無くなるので、生活も出来なくなる。
そして、
妻や子供が離れていく。
そんな構図が見えてくる。

この番組を見て、
過去に起こった事が、今、現代でも
姿や形を変え、起こっている。
何が違うのだろうか?

シベリア抑留の方も現代の定職に就けない若者
いずれの方も
『地を這うように生きている』とは、言えないだろうか。

また、
それに加え、現代社会は、過去に考えられなかった事があると思う。
前に記事にしたが

『生き続ける』ということ。 
現代社会が生きづらいがために、生き続ける事の難しさ

そして、子供が短期間でさえも、夫婦2人きりにならざるを得ない事
『空きの巣症候群的、10日間の生活』  妻と二人だけ。

家から子供達は、希望を胸に秘めて、巣立っていくが、大概は、現実に
打ちのめされ、希望が持てなくなっている若者達。
『希望』という言葉と現実。

子供達は、自分が食べていくのが精一杯で、親を見る余裕はなくなり、
親も子供に迷惑を掛けたくないと思い、こんな事が起こってしまう。
今日(平成22年8月5日(木))の朝刊から。高齢者行方不明???(その2)

子供も親も、行き詰まり、結果的に
また 自殺者が増加・・・・ 


これは
現代社会の悪循環では、ないだろうか。
この悪循環から抜け出す抜本的な方策は、
俺は、考え付かない。
けれども、
今後も、どうしたらいいのか考え続けていこうと思う。

それは、
俺自身の社会適応・社会復帰に大いに、関係する事でも
あるからです。





この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


また 自殺者が増加・・・・ 

2010-08-08 11:28:24 | 社会福祉


自殺者が増えているとの事である。


平成22年8月7日(土)の毎日新聞から、抜粋





前に書いた記事で、『生き続ける』ということ。
今日(平成22年8月5日(木))の朝刊から。高齢者行方不明???(その2)

この
高齢者の平均寿命は、伸びているが、その一方で、高齢者が行方不明になる。
また
自殺者は、増加している。

何か、関連があるような気がしてならない。


俺が生まれたのは、高度経済成長のときであるが、
その時は、田舎で育った俺のところは、
まだ、『人間』がいた。という感じがする。

しかし
高度経済成長する中で、俺が高校くらいの時は、
『人間』から『人』になった感じがした。

もう今では、
『人』から『数字』になってしまっているような気がしてならない。




今日(平成22年8月5日(木))の朝刊から。高齢者行方不明???(その2)

2010-08-06 20:02:17 | 社会福祉

今日(平成22年8月5日(木))の朝刊から。高齢者行方不明???からの引き続き
の記事です。

高齢者の行方不明・・・増えてるんだなあ。

なぜ???

前の記事でも書いたけど、
妙案が無いのに、記事にするな。と怒られそうだが、
やはり、現在の俺に、妙案は無い。
これが
素直な答えだ。



今朝(平成22年8月6日(金))の毎日新聞朝刊から、抜粋




長寿大国と言われる日本。
長く生きて、幸せなのだろうか。と考えてしまう。



これも、毎日新聞から抜粋




前に記事で、『生き続ける』ということ。を書きましたが、
これは、俺自身の事であり、
「高齢者の行方不明」と「平均寿命」が伸びる事は、
俺自身の事より、かなり踏み込んだ、内容であると思う。
また
俺自身、おばあちゃんから育てられたので、
この事態を見ると、悲しい気持ちになる。
しかし、
今の俺では、初めに書いたように、妙案は出せない。
妙案を出せるような人間になりたい。そうしか言えない
それが、
今の俺です。



これも、前の記事で書いた事ですが、

俺は、今、社会適応を目指しているが、社会復帰しながら、
○ 高齢者の行方不明
○ 障害者や高齢者の「地域で暮らす」ためには、何が必要なのか。
○ 「生きる」ことと「生き続ける」ことの意味は何か。
  などを、考え行動していきたいと思います。






この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。



今日(平成22年8月5日(木))の朝刊から。高齢者行方不明???

2010-08-05 21:00:08 | 社会福祉


今朝(平成22年8月5日(木))の毎日新聞朝刊から、高齢者が行方不明になって
いると書いてある。

それを、読んで、まず、はあ???と思った。


今朝の毎日新聞朝刊から抜粋しました。




なんだ。この数
今日までで、57人・・・・

たぶん、もっといるんだろうなあ。と、俺は、予測してるが・・・

よく聞く話しで、
○ 戦後の高度経済成長が地域を崩壊した。
○ それによって、核家族化が進み、地域の絆も希薄になってしまった。
○ それ故、住民基本台帳を本格的に実施し、こういう行方不明者をなくそう。
これに+して、
行方不明者が、年金を受給しているか。どうか。言われているが、
年金受給の有無は、必要なのだろうか。と思ってしまう。


それと
障害者や高齢者は、「地域で共に暮らす」というフレーズを聞くが、
聞こえが良く、耳に心地良い、このフレーズ
スローガンにしか聞こえないのは、俺だけだろうか。

障害者や高齢者が地域で暮らすためには、
俺の考えであるが、
○ 心理的・経済的に自立してなければ、なりたたないと思っている。
○ 介護保険や障害者自立支援があるというが、この制度自体、否定しないが、
  心理的・経済的自立な制度であろうか。という疑問がある。
要するに、
介護保険や障害者自立支援は、無いよりは、あった方がいいけれども、
それだけでは、
心理的・経済的な自立は出来ないだろうと。俺は考えている。


じゃあ。どうすればいいのか?

現在の俺も、これと言った妙案を持っていない。
これが、俺の答えだが、
地域が崩壊した現在、地域の絆を取り戻すには、至難であろう。


じゃあ。どうすればいいの?

妙案が無いのに、記事にするな。と怒られそうだが、
やはり、現在の俺に、妙案は無い。
これが
素直な答えだ。


俺は、今、社会適応を目指しているが、社会復帰しながら、
○ 高齢者の行方不明
○ 障害者や高齢者の「地域で暮らす」ためには、何が必要なのか。
○ 「生きる」ことと「生き続ける」ことの意味は何か。
などを、考え行動していきたいと思います。






『引きこもり』平成22年7月27日(火)の朝刊から、俺自身を話してみる。

2010-07-29 15:32:05 | 社会福祉

平成22年7月27日(火)の朝刊から、
「引きこもり」について書きます。

まず、「引きこもり」から


内閣府の推計で
引きこもりが70万人いろと書いてある。

その内容は、
ここから毎日新聞の文章を引用します。

全国の15~39歳のうち、自宅に閉じこもってほとんど外出しない人は
推計で69万6000人。職場でのトラブルなどが原因のケースも多く、
半数近くを30代が占めた。

調査は2月、全国の15~39歳の男女5000人を対象に書面で実施。
有効回収率は65.7%だった。

引用ここまで。

更に記事では、

外出頻度は
自室からほとんど出ない。     0.12%
家から出ない。          0.09%
近所のコンビニなどには出かける  0.4%
これからは、狭義の「引きこもり」だそうである。
狭義の「引きこもり」を推計すると、15歳~39歳の年齢層では
全国で23万6000人になるそうである。

広義の「引きこもり」はと言えば、
自分の趣味に関する用事の時だけ外出する。 1.19%
であり、
総計が、69万6000人。だそうである。

この「引きこもり」のきっかけは、
職場になじめなかった

病気が、23.7%でトップだそうである。


ここから
内閣府調査内容を掲載する。


「ひきこもり」になったきっかけ




「ひきこもり」になった年齢





「ひきこもり」が自宅でしていること




感情の表出





「ひきこもり」で当てはまること






悩みを相談する相手




参考・引用
1 平成22年7月27日(火)毎日新聞 

2 内閣府
  若者の意識に関する調査(ひきこもりに関する実態調査)報告書(概要版)
  平成22年7月
 
 http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikikomori/pdf/gaiyo.pdf




「引きこもり」は、社会で一般的に言われている用語であり、
医学的な、用語ではない。

医学的に言えば、
ん~
自閉症とか
発達障害とか
と言うのに、なるのかなあと思います。

俺の子供の時代は、仕事してなくて、家にいたりする人の事を、
プー太郎とか、ゴク潰しとか。言われていたのを思い出す。
今では、この言葉も死語になり、「ひきこもり」と言われるようになっている。
また、
ニートとか呼ばれることもあるのかなあ。と思います。

「ひきこもり」やニートと言うイメージは、
どうも、その本人の生活スタイルだと思われている方もいるかも知れないが、
当事者の俺としては、しっくりこない感じである。
それは、
俺の場合、こういう生活を望んでたかと言えば。NOであるし、
健康なときは、生活スタイルを選択出来るが、
俺のような病気になってしまった場合、選択肢が
「ひきこもり」になるしか無いじゃないかと思っている。

「ひきこもり」は、俺から見ると、病気であると思うし、病気じゃないとしても、
「ひきこもり」になった人に、発達の問題があるんじゃないかと思っている。

「ひきこもり」の人が、病気であるとしても、発達の問題としても、
いずれにしろ、
俺も、そうだったが、本人が、自分自身に気づいて欲しいと願うばかりである。


で。
俺の場合、
この「ひきこもり」状態から、どうしようとしているのかを述べたい。


特に、
問題点と俺自身と俺を支えてくれている妻や子供が、現在、どう対応して
いるかについて、箇条書きで述べます。

俺の場合、
高次機能広汎性発達障害の傾向です。

まず、
○ 悪循環を絶つ。という事について
  昼夜逆転していたのを、朝きちんと起きて、夜は寝る。という事
  普通であると言う方は、当たり前じゃない。と思うかもしれないが、
  自然に、そうなってしまうので、意識して生活しないと簡単に戻って
  しまうので、昼夜逆転した場合、直すのに、結構、月日が掛かります。

○ 情動反応が起こりやすい。
  カテゴリー「俺とは」では、衝動性と表現してました。
  これは、
  会話の内容を含んで、理解出来ない事や先行きが見えない事
  そして、
  情動反応が起きそうな音(音楽含む。)があると、起きやすくなります。
  ですから、
  会話の内容を含んで、理解出来ない事や先行きが見えない事には、
  まず、俺自身が紙に書いて理解しようとし、それでも理解出来ない場合、
  素直に、妻に聞くか本人に聞いて、教えてもらうという事をしてます。
  また、
  音(音楽含む。)に対しては、
  『衝動性』をコントールするための試み。の記事でも、書きましたが、
  素直に、とにかく、ダメでも、素直に話してみる。という事と
  歌い手さんの場合、
  情動反応が現れる音楽をされている方も、おられますので、
  そういう情動反応が、起きない歌を聴かせてもらってます。
  それを
  知るためには、どうしても一度聴いて、起きたら、聴かない。
  起きなかったら、それから、数回聴いて、大丈夫だったら、
  聴かせてもらってます。それは、男性、女性は、関係は無いです。
  ここで
  歌い手さんのとこに行って、ほとんどログを上げずに、Twitterでしてる
  事についても書きます。
  歌い手さんの雑談の場合、話す内容が上手く理解出来ないため、
  他の方に迷惑をかけてもいけないと思い、あまり上げません。
  その放送を聴いてるかどうか。とリクエストの場合、Twitterを使う
  ようにしてます。

○ 変化に上手く対応出来ない。
  ん~
  これも俺にしては、難しい問題なんですが、
  とにかく、今は、出来るだけ、妻や子供達から支援をもらいながら、
  行動して、経験を積むしかないかなあ。と思っています。

○ 薬について。
  薬については、パニック障害や、うつ病には良く効くと感じますが、
  発達障害には、あんまり効かないと感じます。
  ただ、昼夜逆転しないため、眠剤は、必要だと思っています。

○ 社会に出るために。
  今、持っている「こだわり」を、+に転化する必要を感じます。
  その「こだわり」とは、
  ① 俺自身が育ったような環境で、子供達を成長させたくないし、俺のような人間に
    させたくない。という強い「こだわり」である。
     それは、俺が親から、されて嫌だった事は、子供にはしない。という事である。
    これは、健康なとき、無意識に、そうしていたと思う。

  ② 師匠との散歩。
     師匠との散歩を通じて、外にだしてもらえ、歩いたり走ったりさせてもらえる。
     散歩は、師匠には、申し訳ないんだけれども、師匠と遊べるパワーが俺に
     ないと出来ないというか、義務的になるのが嫌だし、簡単に済ませる(安易に妥協)                すると、師匠にも分かるらしく、師匠も楽しくないし、俺も楽しくない状態になる。
     それで、俺が師匠と一緒に、遊べる状態の時間であったり、日を散歩に行きます。
     今のところ、一日おきになってます。
     本当は、毎日、したいんですが・・・

   ③ 俺のような人間が、どうしたら、そのように社会適応・社会復帰する事が
     出来るのかを、日々、考えながらの生活です。
      これも、俺にとっては、難しいけど、考え続けていきたいと思います。


最後に、
俺が考えている、社会適応・社会復帰とは、どのような状態なのかを
この記事に書いてあるとおりです。
『社会適応 社会復帰』とは。

そして、
この様に、俺自身を見つめ直しながら、社会適応や社会復帰したいと思えた
のは、この記事に書いてある通り、
『居場所』があるからこそ、俺が俺自身に問い、見つめる事が出来る。
妻や子供に感謝してます。
俺一人では、ここまで、考えられて、出来るところから行動するのは
無理だったと思います。


ここまで、
俺の事しか、話してないので、参考になっているか、どうか分かりませんが、
とにかく、俺自身に問い、見つめ直しながらの記事です。




参考までに、「発達障害の理解と対応」というのが、
まあまあ、俺的には、分かりやすかったので、載せておきます。
俺自身がためになった部分は
65~68,77,82,95,104 /180でした。
http://homepage3.nifty.com/aries/dd-new.pdf   
      
    
  






『時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環』を読んで。

2010-07-25 13:30:00 | 社会福祉


今朝読んだ、新聞の中で、気になった記事です。

時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環

 ◇幼児の心に近い心理状態

 駅員への暴力が急増しているという。

 日本民営鉄道協会などの調べによれば、2009年度、駅員や乗務員に対する暴力行為が869件発生していた(7月8日付毎日新聞朝刊)。08年度に比べ117件の増加で、05年度に調査を開始して以来最多であったという。協会はその対策として、駅や電車内に暴力行為防止ポスターを掲示することを決めた。

 駅員への暴力は、土・日曜など週末の深夜に発生しやすく、加害者の60%近くが飲酒していたと報告されている。忘年会シーズンである12月が最多であったことから考えても、やはり酒の上での暴力が中心なのだろう。

 犯罪件数という点から見れば、世界で最も安全な国であるはずの日本で、こうした暴力が増加しつつあることは、なにを意味しているのだろうか。

 海外でも就業中の暴力被害は大きな問題となっている。しかし、アメリカやイギリスの調査研究をみるかぎり、かなり日本とは状況が異なっている。大多数を占めるのは強盗や殺人、レイプといった凶悪犯罪だ。アルコールが関与する暴力にしても、アルコール依存症者によるものが大半で、酔っぱらった一般人によるものではない。

 一方、日本では酒の上での失態は大目に見ようという風潮がいまだ根強い。駅員への暴力の背景には、こうした“無礼講文化”への甘えもかいま見える。

 ところで、この種の暴力は、電車内での痴漢行為にも通じるところがあるのではないだろうか。

 日本における痴漢被害の多さはよく知られており、その対策として00年以降、女性専用車が導入された。痴漢対策のための女性専用車は、海外では韓国やブラジルにもあるが、それほど一般的なものではない。アメリカやイギリスでは、日本特有の奇妙なシステムとして報道されたほどだ。おそらく公共交通機関における痴漢行為は、比較的日本に多い性犯罪なのだろう。

 私には、この種の痴漢行為と駅員への暴力には共通の要因がかかわっているように思われてならない。

 それは「匿名性」の問題である。

 混雑した電車内では、誰もが単なる乗客の一人として、高い匿名性を帯びてしまう。このとき“匿名性という仮面”は、しばしば人々の攻撃性を高め、あるいは迷惑行為への敷居を下げてしまうのではないか。

 典型例としては「2ちゃんねる」など、インターネット上の匿名掲示板が挙げられる。この種の掲示板は、ネット上でも誹謗(ひぼう)中傷や罵倒(ばとう)の応酬が最も頻繁に見られる場所だ。同じく匿名であっても、発言者の同一性を追跡しやすいブログやツイッターなどはずっと平和だ。この違いは、匿名性が高いほど人間の攻撃性が誘発されやすいと考えなければ説明できない。

 これに加え、わが国のネット文化の特徴としても、匿名志向が強いことはよく知られている。たとえば匿名ブログの数は、海外と比較しても突出して多い。

 公共性を志向するはずのブログですら、しばしば匿名で発信されているということ。私はここに、わが国における「匿名性」と「公共性」をめぐるねじれた関係があるように思う。私たちにとっての公共性とは、まず第一に「匿名である自由」によって支えられているのではないだろうか。

 同様に、私たちにとってのプライバシーとは、「個人情報をコントロールする権利」であるよりは「匿名である自由を侵されない権利」となってはいないだろうか。

 匿名性そのものが問題というわけではない。匿名や変名によって発揮される創造性というものは間違いなく存在するし、その意味では匿名掲示板にも多くの有益な情報が含まれている。

 問題は「匿名である自由」を行使するとき、人がしばしば「退行」におちいってしまうことだ。つまり意識が一時的に、より未成熟な状態に逆戻りしてしまうのである。これはなぜだろうか。

 匿名性は自らの存在を、他者に対してのみならず、自分自身に対しても隠蔽(いんぺい)してしまう。それゆえ第3の視点に立って自己を客観視することが、きわめて困難になってしまうのだ。

 自らを客観視する視点を失うと、世界に自分と相手の2者関係しか存在していないかのような錯覚がもたらされる。そしてほとんどの3者関係は、その起源である母親と子供の2者関係に限りなく近づいていく。

 つまり、匿名性の下で退行した個人の心理状態は、依存と攻撃との間を揺れ動く幼児の心に、きわめて近いものになっていくのだ。

 駅員への暴力対策としては、一切の暴力を容認しない、いわゆる「ゼロ・トレランス」対策が有効であるとされる。これは退行を予防するという点からも意味がある。しかし、それだけでは十分とは言えない。

 私たちは少なくとも、「匿名性」が持つ可能性と限界の両面を、共に十分に理解しておく必要がある。そのためにも、「匿名である自由」がしばしば公共性を侵害してしまう現実に、いっそう自覚的であるべきなのだ。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年7月25日 東京朝刊

平成22年7月25日(日)の毎日新聞から抜粋
色を変えたとこは、特に読んで欲しいところである。


この記事で、気になったのは。
「匿名性」が
1対多数で攻撃になること。

韓国では、ネットでの誹謗・中傷によって、自殺者が増加している。

「匿名性」で起こる現象として、記事の中でも、
自らを客観視する視点を失うと、世界に自分と相手の2者関係しか存在していないかのような錯覚がもたらされる。そしてほとんどの3者関係は、その起源である母親と子供の2者関係に限りなく近づいていく。

 つまり、匿名性の下で退行した個人の心理状態は、依存と攻撃との間を揺れ動く幼児の心に、きわめて近いものになっていくのだ。


と述べている。

これは、俺も同感である。

ネットだから何をやってもいい。という考えが、頭のどこかに潜んでいるんでは
ないだろうか。
もしくは、
ネットと現実は違う。と考えていないだろうか。

その所謂、割り切りは、
成熟した大人ではなく幼児である大人。であろう。

そういう俺も、
精神障害者であり、
発達障害Acであるが、
俺の場合、ブログに書いてる俺が俺自身であり、
発言をしているのも、俺自身である。
だから、
ネットは、俺にとって現実であり、現実にあった事を書くためのツールである。

ツールを、どう使うかは、使っている本人次第である。
しかし、
他人を誹謗・中傷する使い方は、断固として許されない行為である。

俺自身も、新聞の記事に書いてある事を、無意識のうちにしていないか。
確認することを、怠っては、いけないと教えられた感じである。



『社会適応 社会復帰』とは。

2010-07-13 11:56:21 | 社会福祉



『社会適応 社会復帰』について書きます。

「社会適応」や「社会復帰」の明確な定義が、調べてみたんだけど、無いので、
俺自身が考えている「社会適応」「社会復帰」について書きます。

俺が考えている

「社会適応」とは、俺の判断で、どこにでも自由に行動出来ること。

「社会復帰」とは、金銭的な収入があるかないかに関わらず、
            何かの活動(就労含む。)をして、俺自身が、
           相手が、幸せだなという事を感じられること。




よく社会では、「共生」とか「ともに暮らす」とか言います。
これを
良く考えてみると、
「共生」とは、分け隔て無く、生きるということだと考えられます。
そして、
「ともに暮らす」とは、分け隔て無く、暮らす(生活)することだと考えられます。

この2つに共通するのは、
生きる=暮らす(生活)だと思います。

生きて、暮らす。
というより、
生き続けて、暮らすには、「自立」が必要であると思っています。

「自立」は、自ら金銭的収入を得て、生計を立て、自分らしく生活する事だと思います。

しかしながら、
障害を抱えた方が
○ グループホームで生活すること。
○ 病院で生活すること。
○ 独身の場合、親元で暮らすこと。
○ 生活保護を受けて暮らすこと。
これらが、「自立」と言えるだろうか。
更に言えば、「共生」や「ともに暮らす」と言えるだろうか。
この事は、俺が否定しているのでは無い事を付け加えておきます。

俺自身の答えは、NOである。

ひと言で、「社会適応」、「社会復帰」と言っても、
その前提には、「自立」も同時に必要であると考える。

要するに、俺が言いたいのは、
心地良い言葉で「共生」や「ともに暮らす」などと言っても、
「自立」まで考えると、当事者や家族にとっては、たやすい事ではないという事である。

障害を抱えた方が、
自らの力で、金銭的収入を得て、暮らし(生活)、自分らしい人生を送れるように
するため、
「自立」を含めた「社会適応」や「社会復帰」その上で、
「共生」、「ともに暮らす」ことを真剣に考える時期に来ているのではないか
と考える。





 『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


『生き続ける』ということ。

2010-07-08 12:06:44 | 社会福祉

 

『生き続ける』ということ。について書きます。

このテーマについて、今の俺自身には、重く感じて、書くのを
迷いましたが、逃げずに、書くことにしました。

『生き続ける』
この文字には、俺自身、様々な想いがあります。

それは、
過去、自殺未遂を2回した俺
今でも、ときどき死んでもいいと考える俺

そんな俺が、『生き続ける』ことについて
書く資格があるとは思えないし俺自身も納得出来ない。

もし、書けるとすれば、
俺は、今、なぜ、生き続けているのか?という事については、
書けるかな。と思います。

こんなアホな俺が、今、なぜ、生き続けているのか?
それは、
生きる意味だと、今では、考えています。

今まで、俺がなぜ、生き続けているのか?
そして、
これからも、なぜ生き続けようとしているのか?
こんな
生きる意味を書いてみます。

今まで、俺がなぜ、生き続けているのか?
○ 妻と子供が俺を、支えてくれたから。
○ こんな俺に子供が「父さん」と言ってくれるから。
これが主な生き続けている理由です。
そして、
病気になり床にあったとき、子供が聴いていた音楽が聞こえ
それを聴いて、「希望」(少しだけの元気と勇気)をもらったから。

この間、
今後の人生を試行錯誤(ダメで元々)し、健康なとき、当たり前だと
思っていた日々が、病気になってから、
そうでは無い事に気づかされ(単純な日々)ました。
また、
生きることについて、考え(『生きる事は苦しい』事なのかもしれない。)ました。
これは、俺なりのしっかりした考えと行動は、未だ出来ていません。
その後、
俺自身を、少しずつ精神障害者と認められるようになり(『精神障害』な俺
隠さずに「生きる」ことが、生きやすいし、それが俺だと思えるようになりました。
そして、
誰のためでもなく、自分のために生きてみようと思えました。(『自分のために生きてみよう』
と同時に、主体的に生きたいと思えるようになり(『生きる』事と『生かされている』事
ました。
この中で、
発達障害Acが俺の中に、有ることが分かり、今までの考えを大きく転換しないと
これから、生きてはいけないと思うようになり、
俺自身のスクラップ&ビルトが必要であると感じました。(『ブログのプロフィールにある、スクラップ&ビルド』とは。

俺が、妻や子供、医師、臨床心理士などに支えられながらスクラップ出来たのは、
俺の根底に発達障害Acがあり、パニック障害とうつ病が表出した俺であること。

こんな俺が、これから、どうやって生きていこうか?
これが、ビルトなんですが、まだ、ぼんやりしか見えてないのです。
でも、俺が正面から向き合わなきゃならない事は分かっているのです。(『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。
正面から向き合って、逃げないこと。


これからも、なぜ生き続けようとしているのか?
生き続けようと言っても、俺の中で、死ぬ時期が決まっています。
70歳には、死にたい。妻にも、そう言いました。
それは、
最低10年、妻を自由にしてやりたい。それだけです。
子供たちにも、大人になったら、妻の面倒を力を合わせて見るように言い、
子供たちも、そうすると言ってくれました。
こんな事が言える俺は、幸せだと俺自身、思います。

そんなんで、
言い換えれば、70歳まで、なぜ生き続けようとしているのか?です。
病気になってから、
社会福祉に目を向けるようになりました。
少しずつですが、学び始めました。
俺に何が出来るのかを、見つけるためです。
今の俺に分かっているのは、
社会に出て、幸せだと思える事(『幸せだと思える』こと。
それは、
俺だけが、そう思えるだけではなく、相手の人間も、そう思える事です。
そのために、
どういう「生き方」をしたらいいのか。
まだ、見いだせていません。
諦めずに、見いだしたいと思います。


最後に、
この記事を書こうと思えたのは、
昨日、友だちになってくれた方がTVに出られたのを見て、
重いけど、逃げずに、俺が書ける事を書こうと思えたからです。

TVを見て、その病気の辛さが分かるとは、俺には言えません。
この記事(『分かる』ことと『理解できる』こと。)にも書きましたが、
「どんな人間にも、全て合わせられる人間は、この世に存在しない。」
しかし、
「それぞれの考え方を理解出来る人間は、存在する」
要するに、
その病気の辛さを分かるというのは、俺の中では、嘘だと思っています。
もし、何が、分かるのかと言えば、
その病気の苦しさや辛さを理解しようとする努力が出来ることです。
ですから、
安易に、「分かる」とか使いたくないし、俺にも言って欲しくないのです。

ここまで、考えられるまで約8年掛かり、
まだまだ、俺は、ダメな奴で、修行しなきゃと思っています。
友だちになってくれた方に、
『生き続ける』ことって、どういう事?というテーマを与えて頂き、深謝します。

俺自身のこれからの、生きていくテーマである「俺も相手の人間も、どうしたら幸せと感じられるのか」と合わせながら、少しずつ考え、行動していきます。

TVで見て、俺に勇気をくださり本当に、ありがとうございます。

読みづらい拙い文章で、すみませんでした。

 


 

 

 

 


『感じる』とは。

2010-06-29 09:22:39 | 社会福祉

 


『感じる』という事について書きます。

『感じる』とは、繊細さ、優しさではないかと、思っています。
この
繊細さ、優しさがあるから、人間は、苦しむんだとも思えます。

目を現代社会に転じて見ると、
「自分は自分、他人は他人」と考える人が多いように思えます。
それは、
効率性、合理性などを追求した結果、
人間は、『感じる』ことをやめ、「人」になったのであろうと思います。

それは、
目に見えて、いくら人を、傷付けても、殺しても
感じなくなってしまった合理的・効率化が産んだ人であろう。
また、
目には見えなくても、相手の心を傷付けてしまっても
それを、『感じる』ことが出来なくなってしまったのであろうと考える。

 


今日の新聞記事「こころを救う:過量服薬、救命現場が警鐘 治療薬、自殺手助け」を読んで。

2010-06-24 10:01:12 | 社会福祉

 

今日の新聞記事「こころを救う:過量服薬、救命現場が警鐘 治療薬、自殺手助け」を読んで。の記事を書きます。

記事の内容を、簡単に言うと、
医療現場から見た視点で、掛かり付けの精神科(心療内科)の医師が
患者に、過量の薬を渡し、その患者がODして救急病院に運び込まれる。
その中で、
亡くなられた方もいて、日本の自殺者の約3万人の中に、この方達も、
含まれ、救える命がODによって、救えなくなっているというのである。

精神障害者の当事者である俺が、この記事を読んで考えたのは、

都市部では、精神科(心療内科)が多くあるが、俺の住んでいるところは、
精神科が2つ、心療内科が1つである。
もっと離れたところに行けば、ゼロのところもあるのではないだろうか。
そんなとき、
遠隔地から、長時間、精神科(心療内科)の病院に通院する人は、
1ヶ月分くらいは、薬をもらうのでは、ないだろうか。

そういった状況では、
「薬を過量を渡してOD」という視点だけでなく、前に書いた記事で、
『無縁社会』を書いたが、
○ 「生きるとは」何か?
○ 「家族」って何?
○ 「社会と人のかかわり」って?

それは、
バーチャルではない現実の繋がりが、ODをさせない事に繋がると
考えている。

一人で孤独になり、先が見えなく、人生そのものに絶望したとき、
一瞬でも死ぬことを考える。俺もそうであった。
そんな時、俺の場合は、衝動的に、ODをしてしまった事がある。

今、考えれば、そのODを、もし止められたとしたら、
それは、
家族であり、社会との現実的な繋がりの中で、生きていてもいいんだ。
という気持ちになる事では、ないかと思う。

また、
記事には、同じ効果の薬を何種類も処方されている。とある。
俺の場合、SSRIを2種類、抗不安薬を2種類、眠剤を2種類、それと頓服が
ある。
これを、1日3回、飲む。
俺の体験上、薬を合わせるのに、最低2週間掛かる、その間、身体がだるくて
やる気もなく、ただ寝ているだけの生活になる。
初めは、こんなんで良くなるのだろうか?と疑問に感じた時もあったが、次第に、
身体にあってきて、行動出来るようになった。
それは、
どんな薬をどういう様に使えば、効果的なのかを知るために必要な事だと
思っている。
俺は、これを薬の人体実験だと考えているけど。(笑)

薬を合わせるためには、
○ 医師を信頼してなければ、出来ない。
○ 本人は、苦しい。
○ 苦しい本人を傍にいる家族が社会が支える
○ 支えられている事が本人が実感出来れば、生きる意欲が湧いてくる。

そして、
生きててもいいんだと、感じられる。

このプロセスを簡単に書いているが、
長い月日が掛かるのである。

確かに、医師の中には、出さなくてもいい薬を大量に説明もなく処方する
医師もいると聞きます。
しかし、
そんな医師だけでなく、精神障害者を社会に復帰させるために、日夜
努力している医師がいる事も忘れては、ならない事である。


もう一度、あらためて言いたいのは、
精神障害者を一人でも、自殺させない方法があるとすれば、
『無縁社会』のような、状況を作り出さない。作り出させない。のが
大切ではないかと思っている。


もう一度、問いかけたい。
「生きるとは」何か?
「家族」って何?
「社会と人のかかわり」って?

 

この記事は、精神障害者である俺個人が当事者の視点から、書いた
ものであり、読んだ新聞記事を批判するものではありません。
それ以上に、
もっと、もっと、精神障害者が家族と社会との絆を取り戻して、
生きていて良かった。と思える事を願って書いています。



 


『分かる』ことと『理解できる』こと。

2010-06-23 16:25:49 | 社会福祉

 

『分かる』ことと『理解できる』こと。について書きます。

俺が思っている結論を先に、書くと、
「どんな人間にも、全て合わせられる人間は、この世に存在しない。」
しかし、
「それぞれの考え方を理解出来る人間は、存在する」

これは、ある意味
人間性であると考えている。

俺自身に置き換えて、考えてみると、
俺は、心が折れやすい。

どうして、折れやすいのか?
俺自身が、精神障害者だと50%程度(俺の基準です。)しか認めていなかった。
それは、
自分自身に、嘘を付いていたのと、同じであると思います。

ですから、
俺は、パニック障害とうつ病の精神障害者であり、その根底には、
発達障害Acがある。と、自分自身に正直であろうと思いまhした。

それと同時に、心が折れないために、
○ 物事を自分のペースでやれる。(無理してやらない。)

○ これから生きるための思想・信条・哲学を持ちたい。

○ どんな事でも、身体が調子が良いときは、経験しよう。

○ 誰のせいにもしないで、自分自身を反省出来るようにしよう。

そう考えてから、
ほんの少しでも、実践出来るように、俺なりに日々、生活しているつもりです。
そして、
コツコツと積み重ねる事により、きっと、俺自身の人間性が増す。
と信じてます。