8月15日、終戦記念日に、NHK名古屋が制作、全国放映
された『15歳の志願兵』。地元名古屋の名門「旭丘高校」の
前身「愛知一中」の事件であり、関係者も身近にいるとなって、
期待して見た、のだが・・・・。
1943年(昭和18年)7月。愛知一中は、軍部の要請を受けて、
生徒を予科練に送り込むために、校長や教師らが国の危機を
強調し、生徒の愛国心を盛り上げた。これに呼応した三年生
以上の生徒全員 700名が、生徒会で「甲種飛行予科練習生」
への志願を決めた。
しかし、当時も 東京帝大進学率トップのエリート高であり、
「なにも下士官にならずとも、大学に進学して他の分野で活躍
するか、軍隊に入るなら将校を目指して欲しい」と望む父兄の
反対もあり、苦悩した。結果、志願を取りやめる者、身体検査に
落ちる者もあって、結果的には、700名あまりの生徒のうち、
入隊者は56名だった。
番組では、その56名の“その後”も描かれるのかと思ったら、
いきなり戦後で、何人が戦死したのか、送り出した教師や軍人、
父兄がどう責任をとったのか、反省の言葉も無しに終わって
しまった。教師や父兄がよよと泣きくずれるのもアホらしい。
役者は涙を見せずに、観客の涙を誘わなければならない。
制作にかかわった現代人は こうも堕してしまったかと、
かえって嘆かわしい。
せいぜい「学問が無かったから、戦争に送ってしまった」
「いや学問が無かったのはこの国です」が 結論のようだ。
これでは、全国一のエリート校生に対して、失礼ではないか。
彼らは学科は優秀だった。優秀だったからこそ、軍国少年に
祭り上げられてしまったのだ。
おバカキャラの子だったら、予科練には 入れなかったろう。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
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前身「愛知一中」の事件であり、関係者も身近にいるとなって、
期待して見た、のだが・・・・。
1943年(昭和18年)7月。愛知一中は、軍部の要請を受けて、
生徒を予科練に送り込むために、校長や教師らが国の危機を
強調し、生徒の愛国心を盛り上げた。これに呼応した三年生
以上の生徒全員 700名が、生徒会で「甲種飛行予科練習生」
への志願を決めた。
しかし、当時も 東京帝大進学率トップのエリート高であり、
「なにも下士官にならずとも、大学に進学して他の分野で活躍
するか、軍隊に入るなら将校を目指して欲しい」と望む父兄の
反対もあり、苦悩した。結果、志願を取りやめる者、身体検査に
落ちる者もあって、結果的には、700名あまりの生徒のうち、
入隊者は56名だった。
番組では、その56名の“その後”も描かれるのかと思ったら、
いきなり戦後で、何人が戦死したのか、送り出した教師や軍人、
父兄がどう責任をとったのか、反省の言葉も無しに終わって
しまった。教師や父兄がよよと泣きくずれるのもアホらしい。
役者は涙を見せずに、観客の涙を誘わなければならない。
制作にかかわった現代人は こうも堕してしまったかと、
かえって嘆かわしい。
せいぜい「学問が無かったから、戦争に送ってしまった」
「いや学問が無かったのはこの国です」が 結論のようだ。
これでは、全国一のエリート校生に対して、失礼ではないか。
彼らは学科は優秀だった。優秀だったからこそ、軍国少年に
祭り上げられてしまったのだ。
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