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ロイヤルモータースとその仲間たち

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阪神・淡路大震災 私の体験記 その8

2008-01-25 23:21:59 | 阪神・淡路大震災 私の体験記
19日
 秀也君の葬儀は午前中に行われ、前日から秀也君の兄弟が、大阪に住んでいる彼の婚約者を車で連れてきました。 一日かかったそうです
 単独の葬儀は彼が最後で隣の部屋では合同葬儀が行われていましたが、その葬儀は家族が少なく、地震で皆大変な状況に置かれていて葬儀どころではなかったと思われます。
 秀也君の部屋は小さいですが彼の友人たちで溢れていました。 窮屈な棺に入った彼を、いつまでもしがみ付いて泣く彼女を吉川さん(秀也君の母)が慰めているのはいたいたしかったです。 一週間前に婚約したところなのに、こんなことになるとは誰も予想もしていませんでした。 この震災で一瞬にしてこのような不幸なことが、あっちこっちで多くあったと思います。 
 午前中で秀也君の葬儀が終わったので、気になる長田区の店長を探す事と、オートプラッツ(中央区岩屋)の店の様子を見に行くことにしました。 
 長田区に入ろうとしたらビルが倒壊しそうなとこや家が倒壊して道をふさいでいでいるし、大渋滞のうえ火災が発生して近づくことができません。
 やっとのことでオートプラッツに着くと目の前の国道2号線と国道43号線の合流部のオーバーブリッジが倒壊し、横の神戸製鋼のビルの一階が押し潰されて、後ろの阪神高速道路も基礎部分が崩れていました。 地震の凄まじさを見ました。 幸い車が同じ方向に2m移動して端の車が事務所にぶつかっているだけでした。 フレハブの小さい事務所は時計が落ちて4時46分を指したままで事務用品が散らばり車とぶつかったところがへっこんでいました。 
 車が通行できる状態ではないので暫くはそのままにして帰ることにし外に出ると、京都から自転車で来たと言う人いて水をポリタンクにいれてわざわざ運んできたとか。 困った人がいたら分けるつもりらしいので、避難場所の学校を教えてあげました。 テレビを見てじっとしてられなかったそうです。 今回の震災ではボランテアの方々に大変お世話になりました。
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