麻生の単細胞・短絡思考の満開を示す「日本が焼け野原のとき程暗かったですか?」

2009-08-29 13:54:04 | Weblog

 26日(09年8月)、麻生太郎は自民党候補野田聖子消費者担当相の岐阜1区に応援演説に入った。その理由は野田聖子が民主党候補に苦戦を強いられているからだそうだが、いくら苦戦を強いられているかといって、麻生に応援を頼むとは、それこそ貧すれば鈍するもどきに余裕を失った焦りから麻生を溺れる者ワラに仕立てた応援依頼といったところだろう。

 何しろ麻生が有権者の前に出て何を喋っても、票を掘り起こすどころか、票を指の間からこぼれる砂と化す効果しかなく、それがマスコミを通じて日本中に報道されると、砂と化すが遊説先の票だけ終わらない逆効果を生む力しかないのだから、野田聖子も血迷った末の麻生頼みとしか言いようがない。

 顔を岐阜の有権者の前に曝しただけで票は逃げていったのではないのだろうか。そうであることを期待する。

 一作日8月27日の「スポーツ報知」WEB記事――《「聖子があぶない」麻生首相が電撃応援…岐阜1区》が、麻生の票を砂と化す演説を伝えている。

 「景気が悪いから暗い話をする人が多い。しかし64年前は日本中が焼け野原だった。あの時ほど暗いですか? そんなことないでしょうが」――

 見事なまでに単細胞・短絡思考が大きく花開いた名言といえる。「64年前は日本中が焼け野原だった」の光景を知っている人間は日本にどれだけ残っているのだろう。60歳の有権者は64年前のことを年上の人間から聞いた覚えはあっても、少なくとも実感としては知る術を持たない。選挙権は20歳以上からである。20代から50代の有権者は省いて、60代以上の有権者の票を当てに「あの時ほど暗いですか? そんなことないでしょうが」と自民党政治が舞台設定した今の社会の肯定を促したのだろうか。
 
 記事は老人ホームで遊説したとは書いてない。老人ホームでなら少しは理解できる。JR岐阜駅前で約1000人の聴衆だと書いている。麻生の目には20代、30代の若者の姿は映らなかったかったのだろうか。40代、50代の働き盛りの聴衆は目に入らなかった。みんながみんな、「64年前は日本中が焼け野原だった。あの時ほど暗いですか? そんなことないでしょうが」と問いかけて、「そうだ、そんなことはない」と即答できる60代以上の高齢者に見えたということなのだろうか。

 見えないのにそう問いかけたとしたら、60歳代後半以上ではなければ知る由もない「焼け野原だった」日本の光景を尋ねる矛盾を侵したことになる。

 日本の麻生太郎が矛盾を侵すはずはないから、やはりJR岐阜駅前の約1000人の聴衆すべてが「焼け野原」を知っている60歳代後半の高齢者に見えたとしなければならない。

 尤も誰もが高齢者に見えて、その一票一票を当てにしたということなら、以前高齢者を指して「この人たちは皆さんと違い働くことしか才能がないと思ってください」の見下しに反する票頼みとなる。

 実際は高齢者のことなどどうでもよく、高齢者が持っている票だけを当てにしたということなら、見下し発言を裏切らない票頼みだと保証可能となる。

 だが、今ある社会の「暗」さと比較させるために敗戦後の日本の「焼け野原」を持ってくるとはなかなかの策士と言える。やはり麻生だけのことはある。単細胞・短絡思考だからできるのだろう。

 但し、麻生のこの演説には二つのことが欠落している。一つは戦争の存在、もう一つは自民党政治の欠格性――付け加えるべきなのに、この二つがすっぽりと抜け落ちている。

 確かに今の日本は「あの時ほど暗」くはないが、「暗」さの由って来る事の起こりがそもそもからして違う。その能力がないにも関わらず優越民族意識だけでアジアに侵略し、その上軍事力・工業生産力・国民生活力・情報能力等々すべてに逆立ちしても太刀打ちできないアメリカに愚かしくも戦争を仕掛けて惨めな大敗を喫し、多くの国民を死なせ、国土を荒廃に導き、産業を壊滅させ、国民の生活を徹底的に破壊させてしまったことの先にあった自信喪失と脱力感、生活の苦しさからの「暗」さであって、今の「暗」さは経済大国世界2位と経済力では世界的地位を築きながら、愚かしい自民党政治が国民の生活を将来に亘って影響させかねない格差と不安に陥れた結末としての「暗」さであって、「暗」さの内容・質共に別次元のものである。

 比較不可能な二つの時代を突き合わさせて比較させる麻生は他と比較できない程に利口な単細胞・短絡思考の持ち主と言える。

 麻生は比較できるはずもないと考える頭を持たずに現在の日本の社会状況と比較させるために「64年前」の荒廃した「焼け野原」を持ってきた。

 いわば「焼け野原」を対象物としてそこだけを切り取って取り上げたのである。その戦後が戦前の戦争を事の起こりとしている以上、戦前とつながった戦後でありながら、戦前とつながった戦後としては取り上げなかった。戦前及び戦前の戦争と断絶させた戦後だけのこととして取り上げたのである。だからこそ、今の社会と比較させることができた。戦争と敗戦を付随させた戦後と把えていたなら、今の社会の「暗」さと比較はできなかったはずである。

 戦後の陰惨な日本社会を導き出した戦争のことは何ら頭になかったということであろう。戦争のときと戦後の国民のありようを頭に思い描くこともなかった。
 
 このことからも、麻生が靖国神社の戦没者を指して言う「国のために尊い命を捧げた」が国民の立場に立った物言いではなく、安倍晋三と同様に国民を国を守る一方便として見る国家の立場からの物言いであることが分かる。


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