産経新聞が《「河野談話の書き換えだ!」橋下氏やはり吠えた ツイッターで慰安婦日韓合意を解説 かつての発言「正当性」を自負》(2015.12.30 11:35)と題する橋下徹持ち上げ記事を書いている。
橋下徹が12月29日付で自身のツイッターに投稿した発言に対しても、〈自らの慰安婦発言の正当性を一貫して訴えてきただけに、現役さながらの〝橋下節〟で今回の合意の背景を解説してみせた。〉とヨイショしている。
〈〝天敵〟?朝日新聞批判も〉と小見出して橋下徹の朝日批判を正当化しているが、同じく朝日新聞を天敵としている産経新聞という立場上からか、橋下徹に対して仲間意識を持った記事をこれまでも多く書いている。
記事は橋下徹の多くの批判を浴びた従軍慰安婦に関わる2013年5月の発言を紹介、その発言の正当性を訴える弁解・釈明をも紹介して、〈一連の説明を通じて慰安婦発言の正当性を理解、支持する声も広がったが、橋下氏は今回の日韓合意に、やはり一言、モノ申さずにはいられなかったようだ。〉との表現で橋下徹の言動を全面的に擁護しているが、記事題名の〈橋下氏やはり吠えた〉との文言からして、従軍慰安婦問題に関わらず橋下徹の政治的存在自体を支持していることが理解できる。
では、記事が紹介している従軍慰安婦に関する橋下徹の一連の発言を列記してみる。文飾は当方。
先の大戦中の従軍慰安婦に関わる2013年5月13日午前の大阪市役所での記者会見発言。「あれだけ銃弾が飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団に慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」
「発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられた」
「かつて日本兵が女性の人権を蹂躙(じゅうりん)したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません。同様に、日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならないと訴えたかった」
「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありません」
「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」(記事紹介の過去の発言は以上。)
批判を浴びることになったそもそもの発言、銃弾が飛び交う戦場での必要物を「慰安婦制度」だと、「制度」の形式で慰安婦利用の必要性と正当性を主張した間違いに気づいていない。
実際には旧日本軍は海外占領地の未成年を含む現地人の若い女性を暴力的に拉致・誘拐して軍慰安所に監禁、売春を強制することを軍ぐるみの一種の「制度」としていたのだが、橋下徹はこのことを認めていないものの、軍の慰安所を設立してそこに集めた慰安婦を兵士に利用させることが日本軍全体の一般的な決まり事(=制度)となっていたことを認めていることから口にすることになった「慰安婦制度」なる認識であろう。
だから、上記大阪市役所での午前の記者会見後の午後の記者会見で自ら明らかにしたことだが、「米軍普天間飛行場に行った時、司令官にもっと風俗業を活用して欲しいと言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになってしまって。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にはあるわけだから」と司令官に提案ですることができた。
米軍兵士が風俗業を利用する利用しないは軍の制度とは無縁の極めて個人的な問題である。だが、米基地司令官に提案して司令官が受け入れて軍の立場から利用するよう指示し、兵士が軍の指示として従う場合、その利用は個人性から離れて、軍を背景とした軍の決まり事としての行動となり、それが基地全体で一般化した継続性を持つようになると、その決まり事は軍の制度の一つへと変容することになる。
旧日本軍に於いて強制性の有無は別にして、従軍慰安婦を軍運営の慰安所に狩り集めて兵士の用に供することを旧日本軍は軍が直接関わった「制度」としていた。
当然、日本の兵士たちは個人性を離れて、軍が全てを用立てているがゆえにある種の軍の制度となっていた軍慰安所の慰安婦の利用を、軍を背景とした兵士の一人として軍の決まり事に則って行った。
例え強制性がなかったとしても、軍が慰安婦を狩り集めて、軍が設置した慰安所に住まわせて多くの兵士の利用に供することを「制度」としていた軍隊は旧日本軍以外に存在したのだろうか。
各国軍隊も制度としていたと証明し得たとき初めて、橋下徹は「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありません」と言うことの正当性も、「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました」と言うことの正当性も全面的に獲ち得ることができる。
韓国政府がベトナム戦争参戦時、現地に韓国軍兵士のためにベトナム人女性を集めて慰安所を経営していたと言われているが、その女性たちを未成年者まで含めて旧日本軍のように暴力的に拉致・誘拐して慰安所に監禁、売春を強制させる制度とまでしていたのだろうか。
風俗利用であっても、売春宿利用であっても、それが合法であるなら、あくまでも個人的な利用に限られるべきで、国家組織の一部である軍が、そうであるがゆえに組織的な「制度」にして兵士たちにその「制度」を、例え職業としている女性相手であったとしても、利用させることは、勿論そこに強制性があった場合、女性の人権侵害に深く関わることになるが、強制性がなかったとしても国家組織の一つとしての倫理性が問われることになるはずだ。
だが、橋下徹は旧日本軍が「慰安婦制度」としていたことに何の拘りも見せず、自身の倫理観を何ら刺激しない、その程度の合理的判断能力を欠いた分別しか示すことができないようだ。
上記記事が持ち上げている橋下徹の日韓従軍慰安婦問題合意をどう解説しているのか、持ち上げる程の解釈なのか、橋下徹の12月29日書き込みのツイッターを覗いてみた。順番を投稿時間順に直した。
「慰安婦問題の日韓合意。『強制』の言葉が外れれば、これは河野談話の書き換えだ!メディア、特に朝日、毎日新聞は大騒ぎしているが、彼らは自らの主張が否定されたことに気付いていない」
「慰安婦問題の日韓合意。『強制』の文言が外れ、『軍の関与』についての反省とお詫びであれば、世界各国も反省とお詫びをしなければならない。軍が関与した戦場と性の問題は日本だけの問題ではない」
「国家が大きな政治決断をするには国民がその問題意識を持っていることが大前提。激しい批判を受けた3年前の僕の慰安婦問題についての発言で、慰安婦問題とは何か、河野談話の問題点、朝日新聞の大誤報記事の取り消しなど国民に問題意識を持ってもらったと自負している」
「『軍の関与』という文言が入っても、それは強制連行を指すものではないという意が現在国民の多くに浸透している。これまで自称インテリは慰安婦問題を口に出すのも悪だという雰囲気を作っていたが今は違う。こういう状況の下、安倍首相は政治決断に踏み切れた」(以上)――
橋下徹は「『強制』の言葉が外れれば、これは河野談話の書き換えだ!」と言っているが、安倍晋三は元々「河野談話」が間接的に指摘している「官憲が家に押し入っていって人を人攫い(ひとさらい)の如く連れていく」(2007年3月5日の参院予算委員会)といった狭義の(限られた意味での)特殊な強制性を否定し、その強制性に関して「(第1次)安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定(2007年3月16日)をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」(2012年9月16日の自民党総裁選討論会)と、2007年3月16日の時点で安倍晋三個人、あるいはその仲間たちは既に「河野談話」を修正したとしているのである。
勿論、日韓外相会談で合意し日本「軍の関与」の認定はその後の記者会見で「従来から表明してきており、歴代内閣の立場を踏まえたものだ」と述べているように「河野談話」に則った認定ではあるが、安倍晋三たち2007年3月16日に既に強制性を修正した「河野談話」のことであって、今回の日韓外相会談の合意に向けて策した「河野談話の書き換え」でも何でもない。
当然、「『軍の関与』という文言が入っても、それは強制連行を指すものではないという意が現在国民の多くに浸透している」とさも理解しているようなことを言っているが、その根拠については何ら指摘しないままの理解に過ぎないし、その根拠を信じない多くの国民が存在することも理解していない。
橋下徹はまた、「軍が関与した戦場と性の問題は日本だけの問題ではない」と日本軍の行為を逆説的に正当化しているが、旧日本軍のように慰安婦の利用を軍が組織的に「制度」としていたのかどうかの比較する視点を欠いた「日本だけの問題ではない」とする、これまた満足な分別を示すべき合理的判断能力をどこかに置き忘れた同列性の提示に過ぎない。
このようにも的外れな橋下徹の従軍慰安婦論、従軍慰安婦問題の日韓合意解釈であるにも関わらず、「激しい批判を受けた3年前の僕の慰安婦問題についての発言で、慰安婦問題とは何か、河野談話の問題点、朝日新聞の大誤報記事の取り消しなど国民に問題意識を持ってもらったと自負している」と、自らの正当性を自己評価できる。
自己絶対性に取り憑かれていなければできない、それゆえに相変わらずの独善的自己評価ということであるはずだ。
そしてまた橋下徹の独善的自己評価満載の言説であるにも関わらず、産経新聞は「橋下氏やはり吠えた」と最大限の賛辞を送ることができる。
的外れという点で、ヨイショ以外の何ものでもない。