麻生太郎の待機児童「急に増えたよね」は短絡的・近視眼的視野狭窄からのたわ言

2009-03-27 10:53:57 | Weblog

 2009年3月21日20時44分の「asahi.com」記事――

 


 待機児童問題、首相の認識不足あらわ「急に増えたよね」

 経済危機克服のための有識者会合最終日の21日、少子化対策に関連して、麻生首相らの認識不足があらわになる場面があった。

 複数の有識者が、就業希望の母親はみな働けるようにするため、保育所などの受け入れ児童数を現在の約200万人から100万人増やす必要があるとの推計に触れ、保育所の早急な整備を訴えた。

 これに対し与謝野財務相は「保育所はわりにやったつもりだったが、100万人とはびっくりした」と試算の根拠を尋ねた。麻生首相も「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」と続けた。だが、この推計は福田内閣時に厚生労働省が示したもので、これをもとに福田内閣は昨年2月に「新待機児童ゼロ作戦」を策定、10年間で受け入れ児童数を100万人増やす目標を掲げた。麻生内閣も08年度第2次補正予算に、ゼロ作戦のための「安心こども基金」(1千億円)の創設を盛り込んでいる。

 しかし、会合で推計を披露したのは政府側ではなく、資生堂の岩田喜美枝副社長らだった。岩田氏は会議後、記者団に「(保育所整備が)まだ足りないとご認識いただけたとすると、今日は最高に良かった」と語った。

 16日に始まった有識者会合では延べ84人からの意見聴取を終了。首相は会合後、「頂いた意見は諮問会議などで、きちんと検討すべきものがあればさせて頂く」と述べた。
 

 福田内閣が昨08年2月に策定した「新待機児童ゼロ作戦」に関しては08年年1月18日に福田総理が施政方針演説で次のように述べている。

 「これからの社会保障を持続可能な制度とするために、安定した財源を確保しなければなりません。このため、社会保障給付や少子化対策に要する費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から、消費税を含む税体系の抜本的改革について早期に実現を図る必要があります。将来にわたり安心して生活できるよう、各党各会派が胸襟を開いて、すべての国民の生活にかかわるこの問題について話し合いが行われることを強く望みます。

 少子化は、我が国の活力にもかかわる問題であり、社会全体で取り組み、着実な効果をあげる必要があります。その一環として、保護者それぞれの事情に応じた多様な保育サービスを充実し、保育所での受入れ児童数を拡大するなど、質と量の両面から取り組む『新待機児童ゼロ作戦』を展開します。併せて、車の両輪として、『仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章』の行動指針で示された残業削減等の数値目標の達成や育児休業制度の拡充など、働き方の改革に向けて取り組みます。」・・・・・

 福田康夫が掲げていた「新待機児童ゼロ作戦」とは少子化対策の一環――少子化問題を解決する重要な方策だということであろう。

 つまり「新待機児童ゼロ作戦」は常に「少子化問題」との関連で把えなければならない。待機児童をなくせば済む問題ではないと言うことである。

 当然そこには“女性の就労問題”も関わってくる。仕事に出たいが、子供を預かってくれるところがない、子供を生みたいが、今の仕事を辞めたくない、続けていくためには生まれた子供を預かってくれる適当な施設が手近にないから、産みたくても産めない等々――――。

 具体的内容については2008年02月27日03時06分の「asahi.com」記事(≪保育所100万人増目標 待機ゼロ10年計画 政府検討≫)が報道している。箇条書きにすると・・・・

 ①保育所の整備などを進め、2017年までの今後10年間で、受け入れ児童数を現在の202万人から300万人
  に100万人増やす。
 ②小学生(1~3年生)を対象にした学童保育を68万人から213万人に145万人増やす。
 ③保育サービス拡充に年間1.5兆~2.4兆円の財源が必要と試算。消費税率の引き上げを念頭に「
  効果的な財政投入」を求めている。
 ④待機児童は07年4月現在、都市部を中心に約1万8000人。

 記事にも書いてあるが、「保育環境が整えば、子どもを預けて働きたいと考えている母親らの潜在的なニーズ」を満足させることができ、「就業希望のある母親がすべて働けるように」なる。

 記事は母親のみを対象に保育所問題・待機児童問題との関連で「新待機児童ゼロ作戦」を解説しているが、まだ母親になっていなくても、これから結婚する女性、結婚しているが、まだ子供を設けていない女性の“就労と出産”問題にも関係してくる「新待機児童ゼロ作戦」であろう。

 「待機児童は07年4月現在、都市部を中心に約1万8000人」だが、2017年までに保育所の受入れ児童数を現在の202万人から100万人に増やして300万人にする。

 いわば07年4月現在の待機児童約1万8000人を受入れ可能な保育所を新設・整備して、現在の202万人+1万8000人の受入れ数の確保で終わらずに、それを超えて、さらに96万2000人の受入れ可能な保育所の新設・整備を目指している(ここでは「学童保育」問題を外して、「待機児童問題」のみを扱う)。

 既に触れたように現在の待機児童を消化すれば済む問題ではなく、「新待機児童ゼロ作戦」=保育所の新設・整備を少子化現象を食い止めて出生率を上昇させ、そうすることで人口減に歯止めをかけ、人口増へと逆転を賭けるカードとしているということであろう。

 「待機児童」問題が現在の待機児童を消化すれば済む問題であったなら、我が麻生太郎が言っていた素朴過ぎる疑問、「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」は全く以って合理的客観性を備えた正しい認識と言えるが、待機児童問題を少子化問題と常に関連づけて把握しなければならない整合性から言うと、麻生らしいトンチンカンな“素朴”となる。

 改めての説明になるが、福田前首相は上記施政方針演説で「少子化は我が国の活力にもかかわる問題」と言っている。少子化とは人口減を意味する。いわば「新待機児童ゼロ作戦」が少子化問題を解決し、日本の人口を増加傾向にまで持っていき、日本の活力を増大させようとする一大政策だと考えると、麻生太郎の「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」は現在の待機児童数にのみ目を向けた短絡的・近視眼的視野狭窄からのたわ言としか言えなくなる。

 2007年の出生率は1.34で、出生数は108万9745人だと言う。これは06年を0・02ポイント上回っているが、出産適齢期の女性の数そのものが減っていて、出生数自体は2929人減だそうだ。人口自体が減少しているから、出生率の微妙な増減と関連して、出生数の減少と人口の減少の追っかけっこが続くに違いない。

 人口の自然増と自然減との境目となる合計特殊出生率は2.08だそうだが、2007年の出生率1.34と2007年の出生数108万9745人から出生率2.08となった場合の出生数を計算すると、169万1544人となる。

 出生率2.08を確保して日本の人口を減少傾向から増加傾向に転じさせる政策を講じ、何年かかるか分からないが、そのとおりとなった時点で169万1544人の幼児を日本の人口に含むことになる。

 となると、2017年までの今後10年間で受入れ児童数を現在の202万人から300万人へと100万人程度増やすだけでは計算上は70万人近く不足する。

 経過年数に応じて幼児人口は増加し、当然学童保育を必要とする児童も増加する。現在の保育所等の受入れ児童数202万人に対して、待機児童が約1万8000人で片付けることができる問題ではないとことを改めて理解しなければならない。出生率2.08・169万1544人+(経過年数×出生数)に向けた保育所等の新設・整備の連動を常に頭に置いて、麻生が口で言う割には実行力が伴わない「スピード感」を持って実現に当たらなければならない2017年に向けた100万人増の「新待機児童ゼロ作戦」=保育所の新設・整備なのである。
 
 日本の人口を増加に転じさせるためには、どこに住んでいても、自分の住いから最寄の保育所が常に空いている、安心して子供が産める、安心して二人目も三人目も産むことができ、安心して働きに出ることができるという状況に持っていかなければならない。そのための少なくとも10年かけた「受入れ児童数を現在の202万人から300万人に100万人増や」べき保育所の新設・整備のはずである。

 ところが人口減少傾向にあるにも関わらず、現時点で待機児童が約1万8000人も存在する。出生数そのものが減少しているにも関わらず、約1万8000人の待機児童といった後進国並みのお粗末な状況にある。母親の中には働きに出るのを最初から諦めて、自らのキャリアを犠牲にし、そのための隠れ待機児童も相当いると考えなければならないだろう。

 我が麻生太郎は以上の諸々の事情全体に目を向けることができずに短絡的・近視眼的視野狭窄にも就業希望の母親がみな働けるようにするため、保育所などの受け入れ児童数を現在の約200万人から100万人増やす必要があるとの推計を持ち出されると、約1万8000人という現在の待機児童数に表面的に反応し、単純素朴に「急に増えたよね、この数字は。そんなに生まれてもないのに」と疑問を呈したのだろう。

 日本の総理大臣だから許される短絡的・近視眼的視野狭窄症に違いない。

 上記“推計”を持ち出した一人である資生堂の岩田喜美枝副社長が「会議後、記者団に『(保育所整備が)まだ足りないとご認識いただけたとすると、今日は最高に良かった』と語っ」ているが、「ご認識いただけた」ことよりも、「ご認識」していなかった“認識不足”を問題とすべきだろう。

 指摘がなければ、いつまでも「認識」不足のままでいる可能性だってあるというだけではなく、的確に認識していてこそ、政策は内閣主導で着実な実行を伴う。麻生太郎が好んで使う「スピード感ある政策遂行」にも影響するはずだが、待機児童問題だけではなく、その他の多くの問題でも露となっている認識不足が口先だけのスローガンに過ぎないことを暴露している。、

 それを「今日は最高に良かった」と鬼の首でも獲ったかのように喜んでいる。麻生太郎に似た短絡的・近視眼的視野狭窄症の女に見える。

 我が麻生太郎が認識していなかったことから見ると、官僚任せ、官僚主導の「新待機児童ゼロ作戦」だったに違いない。

 何とも頼りになる日本国総理大臣麻生太郎であることか。


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