安倍晋三は2017年8月3日、「内閣総理大臣談話」を閣議決定し、公表している。
安倍晋三「一億総活躍社会という目標に向かって、デフレからの脱却、地方創生を成し遂げ、日本経済の新たな成長軌道を描く。「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、日本を世界の真ん中で輝かせる。人生100年時代を見据え、「人づくり革命」を進めていく。そして、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情に関わらず、それぞれの夢に向かって頑張ることができる。
そうした我が国の未来を拓くため、安倍内閣は新たなスタートを切ります。私たちの次なる挑戦に、国民の皆様の御理解と御協力を改めてお願いいたします」
「一億総活躍社会」、「デフレからの脱却」、「地方創生」、「積極的平和主義」と例の如くのキャッチフレーズが並び、「人づくり革命」と続けている。
「一億総活躍社会」は確かに耳障りが良く、聞こえもいいが、以前ブログに書いたが、アベノミクスは格差ミクスの自己否定、逆説そのものであって、実現不可能は目に見えている。
「一億総活躍」といかない点――いわば格差をそこそこに補うのが給付型奨学金とか教育の無償化といった政策であるはずだ。
だからと言って、こういった政策が「人づくり革命」に資するというわけではない。このことは後で説明する。
先ず「デフレからの脱却」、安倍晋三は2014年12月14日の衆院選圧勝を受けた翌日の12月15日、自民党総裁として自民党本部で記者会見を開いている。
安倍晋三「15年苦しんだデフレからの脱却を確かなものとするため、消費税の引き上げを延期する。同時に景気判断条項を削除し、平成29年4月から消費税を10%へと引き上げる判断が解散のきっかけでした」
「デフレからの脱却を確かなものとするため」、2015年10月予定の消費税8%から10%への引き上げを2017年4月に延期することにした。
2015年9月20日投開票予定の自民党総裁選で無投票再選を果たした安倍晋三が同じく自民党総裁として2015年9月24日に自民党本部で演説している。
安倍晋三「アベノミクスによって、雇用は100万人以上増えた。2年連続で給料も上がり、この春は、17年ぶりの高い伸びとなった。中小・小規模事業者の倒産件数も、大きく減少した。
もはや『デフレではない』という状態まで来ました。デフレ脱却は、もう目の前です」――
この演説から2年近く経った今年2017年7月20日に開催の大手企業の経営トップが意見を交わす経団連の夏のフォーラムで榊原会長が次のように発言している。
「日本の最優先課題は、デフレ脱却と経済再生を確実に実現することだ。そのためには成長戦略の推進が不可欠だ」(NHK NEWS WEB)
「日本の最優先課題」と言っている以上、安倍晋三が消費税増税を延期して「もう目の前です」と言っていたデフレ脱却も経済再生も満足な形で成し遂げられていないということであって、だからこそ、今以って「デフレ脱却」を掲げなければならないということであろう。
つまり自ら行ったアベノミクスは機能していないことの宣言に他ならない。自分で掲げたアベノミクスが機能していないなら、他は推して知るべしである。
安倍晋三は『談話』発表と同じ日の2017年8月3日に第3次安倍第3次改造内閣を行い、首相官邸で記者会見を開いて「人づくり革命」に少し触れれいる。
安倍晋三「茂木大臣には、今回新たに設けることとした『人づくり革命』の担当大臣もお願いしました。
子供たちの誰もが家庭の経済事情にかかわらず夢に向かって頑張ることができる社会。幾つになっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会。人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を大胆に構想してもらいたいと思います」
「子供たちの誰もが家庭の経済事情にかかわらず夢に向かって頑張ることができる社会」とはチャレンジの平等な機会提供を言い、「幾つになっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会」とは再チャレンジの平等な機会提供を言っているはずだ。
2006年9月26日の第1次安倍内閣成立前の2006年9月1日、安倍晋三は自民党総裁選に出馬表明している。
安倍晋三「イノベーションの力とオープンな姿勢で、日本経済に新たな活力を取り入れていきたい。誰でもチャレンジすることが可能な、再チャレンジ可能な社会をつくっていきたいと思う。成長なくして財政再建なし。まずは無駄遣いをなくし、無駄を排除し、歳出の改革を行っていく」
「チャレンジ」も「再チャレンジ」も、2006年9月26日発足から2007年8月27日までの第1次安倍政権、そして2012年12月26日発足から今日までの第2次安倍政権の合計5年8カ月の間に実現させることができずに両チャレンジを掲げ続けている。そして「チャレンジ」、「再チャレンジ」を嘲笑うかのように、その否定要素である格差は拡大している。
安倍晋三は第1次安倍政権時代に「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」を自らの政治思想とし、それを口癖としていた。この思想が第1次安倍政権で「チャレンジ&再チャレンジ政策」となって現れたのだろう。
弱肉強食を存在様式としている人間社会に「機会の平等」の提示がどれ程に大変なことか考えなかったようだ。多くの政治形態が先ず上を富ませて、その富を下に順次に配分していくトリクルダウン形式となっていることを十分に考えなかったようだ。
つまり常に上が基準となっていた。下が基準とされることはなかった。第2次安倍政権に於いても変わっていない。その結果の格差拡大であって、安倍晋三の「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」は「機会の平等は求めるが、結果の不平等は辞さない」が実体となった。
だとしても、最初に触れたように給付型奨学金や教育の無償化は格差をそこそこに補うことになるだろう。
だからと言って、それが「人づくり革命」に繋がる保証はない。
「産経ニュース」記事が「人づくり革命」の5つのテーマを紹介していた。
「無償化を含む教育機会の確保」
「社会人のリカレント(学び直し)教育」
「人材採用の多元化、高齢者活用」
「人的投資を核とした生産性向上」
「全世代型の社会保障への改革」
「人的投資を核とした生産性向上」以外は政府提供型の機会となっていて、そうである以上、ある程度は実現させることはできるかもしれないが、「人的投資を核とした生産性向上」は政府がこのような機会を提供して達成できる目標値ではない。
但し「人づくり革命」の中心的な課題は「生産性向上」であるはずだ。4つのテーマを実現させて、「人的投資を核とした生産性向上」へと繋げていく。
その反面、他の4つのテーマの実現が「生産性向上」を実現させる保証はどこにもない。例えば4つのテーマの成果として日本がどこの国にも存在しない新しいコンピューターソフトを使った新しい機械を発明して生産現場に投入し、目覚ましい程の生産性を上げたとしても、そういった機械はすぐに他の国に真似されて、生産性は相対化され、元々の生産性の違いはそのまま残ることになる。
この逆も同じである。アメリカなりが新しい機械で生産性を上げたとしても、日本はその機械を輸入するか、そのうち自国で作ってしまうだろう。
と言うことは、生産性は常に人間自体の働き、その能力が基本となる。だから、「人的投資を核とした」と言う形の「生産性向上」を求めることになっているのだろう。
人間自体の働き、その能力は考える力に負う。と言うことは、「生産性向上」は人それぞれの考える力が決定権を握っていることになる。
考える力は学歴が保証する能力でもなければ、「社会人のリカレント(学び直し)教育」によって必ず手に入れることができるというものでもなく、「人材採用の多元化、高齢者活用」がそのまま生産性向上となって現れるものではない。
現れるなら、普通どおりにやっていても日本の労働生産性が経済協力開発機構(OECD)加盟国先進主要7カ国中最下位という状況は招くことはないはずだ。
学歴が考える力=生産性を保障しないのは東大出の野党国会議員は数多いが、与党を追及する際、相手の言葉を臨機応変に掴まえて逆襲するといった機転もなく、ムダな質問で時間を空費することも多く、質問の生産性が非常に悪い議員がかなりいることが証明している。
「全世代型の社会保障への改革」は、それが成就した場合は生活の安心を与えるが、このことが考える力や生産性向上に直結するとは考えることはできない。
考える力とは総合学習で言っていた「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力」を言う。いわば自主性・自律性を持たせた思考性・行動性を指す。
そのような自分で考える力を子供の頃から学校教育で身に付くように訓練し、社会に出てからは自身の力でその能力を伸ばしていく。
だが、基本の考える力が肝心要の学校教育で身に付いていないと言われている。学校側から言うと、学校教育で身に付かせることができていないことになる。全員が全員というわけではないが、基本がないのだから、社会に出てから、種のないところに作物が実らない状況に立ち入ってしまう。
その結果の日本の労働生産性が経済協力開発機構(OECD)加盟国先進主要7カ国中最下位ということであろう。
大体が総合学習で「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力の育成」を掲げなければならなかったこと自体が自分で考える力の欠如を物語って余りある。
だが、一朝一夕で育つ程簡単な自分で考える力ではない。いくら学校で掲げても、教師が児童・生徒に対して教え学ばせるという姿勢でいる限り、考える力は育たない。児童・生徒に対して自分から学ぶという姿勢へと転換させない限り、考える力は育たないし、育たなければ、当たり前のことだが、自主性・自律性を持たせた思考性・行動性へと次第に発展していくことはない。例え社会に出たからと言って、それが大きく育つことはない。
勿論、このような姿勢を持たせることは親が子供に対して行う家庭教育・家庭での躾についても言える。
第1次安倍政権の「チャレンジ」と「再チャレンジ」の平等な機会提供の意味を込めた、それゆえにその焼き直しでしかない今回の「人づくり革命」がそれぞれのテーマに基づいて「人的投資を核とした生産性向上」へと収束させていくためには一人ひとりの自主性・自律性を持たせた考える力に負い、その育みが主として学校教育にかかっている以上、このようなプロセスに重点を置いてこそ、「人づくり革命」と言えるのであって、置かない「人づくり革命」は今更言う程のことなないし、5つのテーマを並べて麗々しく掲げても、さして意味は出てこないはずだ。