今日のブログ記事に関係ないが、10月20日にエントリーした当ブログに対して2016年10月20日13時50分26秒の時点で、投稿者名「1940年生まれ(笑)」を名乗る人物から、「 頭沸いてる爺は死ね」なるタイトルで、〈こういうゴミクズが共産党とかに投票してんだろうな 頼むから早く死んでくれ〉という内容の有り難い投稿を頂いた。
ブログ記事文章のどこがどういうふうに合理性を欠いている、間違っているといった指摘が一切ないから、「ゴミクズだ」、「早く死んでくれ」と言われても、どこにも突き刺さってこない。
どうも自身の思想・信条に反する発言はすべてゴミクズ扱いしているようだ。つまり自身の思想・信条を絶対だと頭から信じて、他を受けつけない。だから、「早く死んでくれ」という排斥感情が起きる。
「ゴミクズが共産党とかに投票する」と言うことは支持する者と支持される者は相呼応する関係を築くから、共産党をゴミクズ集団と見做していることになる。だが、共産党にしても、支持するか支持しないかは別にして、自らの思想・信条に基づいて行動している。当然、共産党をゴミクズの集団として排斥することは許されないし、ゴミクズ集団と看做すこと自体がやはり自身の思想・信条のみを絶対としていることになる。
自身の思想・信条のみを絶対とすることの恐ろしさに気づいていない。
沖縄県の米軍北部訓練場(沖縄県東村、国頭村)のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事の警備に当たる大阪府警20代男性機動隊員が10月18日、建設反対デモ隊がフェンスを掴んで抗議しているとき、「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が」と罵り、その様子が同10月18日にインターネットに投稿されたことをマスコミ各社が報道したが、この20代の男性機動隊員にしても自身の思想・信条のみを絶対としているがゆえに他を排斥する侮蔑的発言が口を突いて出たはずである。
機動隊員がどのような思想・信条を持とうと、役目上も役目から離れていても、それを絶対とし、他を排斥することは許されないし、特に役目上は中立的立場を守らなければならない。
このことは国家権力に養われているわけではなく、国民の税金でその組織を維持している点からもそのように言うことができる。
ヘリパッド建設現場には警備として派遣された。建設反対のデモ隊が自らの思想・信条に基づいて建設を阻止する行動に出るのに対して機動隊は機動隊員それぞれの思想・信条からではなく、それとは無関係に建設を遮ろうとするデモ隊の行動を規制する警備の役目を与えられているのみである。
例えばデモ隊はフェンスを張り巡らせた工事車両出入口に集結して工事車両の出入りを阻止し、工事ができないように努める。それを機動隊は排除して、工事が滞りなく進捗できるようにする。
中立的立場とはそういうことである。
機動隊員がそういった役目に自らの思想・信条を持ち込むことは許されるだろうか。
例えばヘリパッド建設に賛成だからと、そのような思想・信条の元、反対しているデモ隊を排除する。
このような姿勢は独裁国家ならいざ知らず、民主主義国家では国家権力に養われているわけではない機動隊が国家権力の思想・信条と自らの思想・信条を響き合わせて、国家権力の走狗(そうく・「手先」の意)となって行動することを意味するばかりか、その思想・信条を唯一絶対としていることになる非常に危険な行動となる。
唯一絶対としているから、その反動としての排除の思想が生じて、「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が」と侮蔑的な差別発言が飛び出すことになる。
別の場所では同じく20代の男性機動隊員が建設反対のデモ隊に向かって、「シナ人」と発言したとマスコミは伝えている。
いわば件(くだん)の機動隊員は自らの思想・信条を唯一絶対としていることの過ちと、それゆえに役目を離れて他の思想・信条を差別用語を用いて排除しようとする二重の過ちを犯した。
これらの発言をマスコミやネットが差別発言・不適切発言と取り上げると、大阪府知事でもあり、日本維新の会代表の代表でもあるの松井一郎がは10月19日夜、自身のツイッターに「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と機動隊員を擁護・激励する文章を投稿、その投稿に対してネット上で「人の上に立つ者としての責任感が全く感じられない」等の批判が相次いだと、「産経ニュース」記事が伝えている。
記事はネット上の批判に対する松井一郎の10月20日の反論も伝えているから、その発言を纏めてみる。
松井一郎「発言は不適切だが、個人を特定して鬼畜生のように叩くのはやり過ぎだ。相手もむちゃくちゃ言っているので、現地の状況の中ではやはり売り言葉に買い言葉でついつい口が滑る。だからといって言ってもいいとは思わないが、それをもって日本中の敵にされることはない。
記者「『出張ご苦労様』という労(ねきら)いの言葉の意味は?」
松井一郎「あの現場で働いているすべての人たち。命がけで行って、無用な衝突が起こらないように現地で警備をしている人たちに対して。
もともと混乱しているから現地に行っている。じゃあ混乱を引き起こしているのはどちらなのか。北部の基地を何とか返還させるために約束通りのこと(ヘリパッド建設工事)をやっているわけで、反対派の皆さんも反対行動があまりにも過激なのではないかと思う」
日本維新の会は安倍政権の補完勢力化しているから、機動隊員の方に肩入れしているのだろうが、機動隊自体は今まで説明してきたように中立的立場に立っていなければならない。
だが、「ぼけ、土人が」とか、「シナ人」と差別の言葉を投げつけたこと自体が、それが一人二人の問題であっても、機動隊員として課せられている中立的立場を破ったことを意味する。
当然、許されるはずもない重大な言動となる。
松井一郎はこのことに気づかない。
松井一郎はまた、「個人を特定して鬼畜生のように叩くのはやり過ぎだ」と擁護しているが、差別発言は特定の個人の問題ではない。
本土のある種の日本人の沖縄差別の感情が精神的系譜として歴史的且つ伝統的に生きづいているからこそ飛び出た「ぼけ、土人が」とか、「シナ人」といった侮蔑的な差別発言であろう。
何もないところから飛び出しはしない。
先刻ご承知のように明治政府は1872年(明治5)に独立国であった琉球王国を廃して中央政府の管轄下に琉球藩として置き、さらに1879年(明治12)に警官・軍隊400人の武力を用いて首里城に乗り込み、廃藩置県を行うことを通達、首里城開け渡させ、琉球藩を沖縄県とした琉球処分によって約500年間続いた琉球王国は滅んだ。
多分、征服したちっぽけな国の他処者ということで日本人は沖縄人に対して差別意識を持つことになったのだろう。日本政府は明治末期から大正時代にかけて沖縄に対して皇民化教育や同化政策を行った。
日本人になれという強制策である。いわば沖縄人の上に日本人を置いていた。この差別に基づく上下関係は琉球征服によって構築されることになった支配と従属を構造としていたはずだ。
この支配と従属は沖縄独特の姓名を本土風に改める改姓・改名運動となって現れた。両者を対等な関係に置いていたなら、沖縄の姓名を日本風に改める必要性は生じない。名前さえも日本人の名前を上に置き、沖縄人の名前を下に置く、差別に基づく上下関係で縛り付けていたのである
この本土の日本人の沖縄県民に対する差別意識は戦後も日本人の精神の底に生き続けた。
当ブログに以前書いたことだが、1999年5月16日付朝日新聞夕刊」、≪邊境論 これで、あんたたちと同じ≫)は次のように伝えている。
沖縄出身の女性の戦争中の内地での体験記である。
(内地の)〈奥さんはどこで情報を集めたのか、サイパン島の、住民を巻き込んだ悲惨な戦闘の模様を、こと細かに話した。
最後に何気なく言った。
「玉砕したのは、殆ど沖縄の人だったんですって。内地人の犠牲が少なかったのは、せめてもの救いだったんですって」〉――
この感慨は一人奥さんのものではない。
本土の日本人は人間扱いし、沖縄人は人間扱いしていない差別意識を多くの日本人が抱えていた。
人間扱いするとしないのとでは、その差別には大きなものがある。命まで差別しているのである。命に軽重を生じせしめている。
「これで、あんたちと同じ」という記事の題名の由来は、帰郷したその沖縄女性が沖縄風の名前をヤマト風に改姓改名して、<「これで、あんたたち(本土)とおなじでしょ・・・・」>と内地の日本人と同等の立場に立てたとしたときの述懐である。
しかし、沖縄人がいくらヤマト風を装っても、沖縄の人間の命を自分たちの命よりも一段低く見る本土の日本人の意識はそのまま残る。
沖縄復帰40周年に当たってテレビカメラで捉え、記録として残された沖縄を振り返える意図のNHKETV特集『テレビが見つめた沖縄 アーカイブ映像』が2012年5月に放送された。
その番組の中で1972年に制作したドキュメンタリー『そして彼女は?』を紹介していた。
沖縄に旅行に来ていた男性と知り合い結婚して男性の実家の京都で暮らすことになった沖縄出身の女性が結婚35年後にテレビに向かって述懐した言葉である。
「二人目の子どもにオッパイを飲ませている時です。
あの人はちょっとお酒を飲んでいましたしね。『俺、聞いたんだけどなーあ』って。『何?』って言ったら、そう言うんですよ。
あの、民宿なんかでも、ここはないちん区(?聞き取れない。内地〈=本土〉の人間が座る場所?)ここはうちなんちゅ区(うちなんちゅう〈=沖縄人〉が座る場所?)グループというみたいに分かれて、飲まわれるんですよね、お酒って。同じ所に泊まっても。
で、その内地の人達だけ集まるっていうグループで、『あんたんとこのおかみさん、多分、沖縄に帰ったら、手柄やで』と言いって。
で、うちの人も、そうなんだ、とそのまま私に伝えてくれたんですよ。
『あんた、その時何で言わなかった?(左手の指を右手で指しながら、一本一本折り曲げて数え上げる)こんなに元気で、働き者で、こんな、可愛い嫁さん貰って』
『俺はそれは手柄やけど、うちの奴を貰ったっていうのはあまり意識ないなあ』
『何で、そんとき言わなかった?』って怒ったんですけど、『何でお前はそのことを素直に、俺が手柄なのが、お前を嫁に貰ったことではなくて、うちなんちゅう(沖縄人)を貰ったっていうことを、こんなにちゃんと言っているのに、何でお前は分からへんのや』
その辺でもう、全然思いが違ってしまって、あ、この人とは通じない言葉があるんだなあと思って、日本語が通じないんですよ。思いと言うか、価値観と言うか、通じないのだなあっていうのがあって、ああ、何か寂しいなあって思いがあって――」
沖縄の女性が本土の日本人の男と結婚し、その男の子供を生むことが沖縄では手柄となると本土の日本人は考えている。
夫も沖縄の女性を貰ってやったことが自分の手柄(立派な働き)だと価値づけている。
要するに本土の日本人は早々に沖縄の女性と結婚しないが、俺は結婚してやったという意識を潜ませている。
日本人の価値を沖縄人の価値よりもどれ程に上に置いていることか。
当然、そこには差別意識を存在させている。
こういった差別意識が中立的でなければならないとする理性を置き去りにして感情的な装いを纏うと、「ぼけ、土人が」とか、「シナ人」といった差別用語にたちまち変ずる。
まさにある種の日本人が沖縄差別を精神的系譜としているからこそ口を突いて出ることになったこれらの言葉であって、差別は突然変異的に現れはしない。
だが、松井一郎は機動隊員は命がけで働いていて、差別発言は特定の個人問題だとし、その「個人を特定して鬼畜生のように叩くのはやり過ぎだ」と擁護している。
松井一郎のように重大な問題だと受け止めずにこのように考えが浅いようでは、再び同じような差別発言を招くことになるだろう。