死亡説を唱えようと幽霊説を唱えようと自由だが、職業ジャーナリストとして公的立場に位置している以上、具体的確証を示す義務と責任を有する。
発言の経緯を5月11日付「asahi.com」記事≪田原総一朗氏に拉致被害者家族会など抗議文 「生きていない」発言で≫は次のように伝えている。
<田原氏は4月25日のテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」で、拉致問題交渉が難航する背景について、「2人は死亡した」と主張する北朝鮮側に対し、日本側が生存を前提に交渉しているためと説明。「外務省も生きていないことは分かっている」と発言した。>
ここでは「2人死亡」となっているが、別の記事では「8人死亡」となっている。
「生きていないことは分かっている」とされた外務省自体が田原本人に抗議している。
中曽根外相(19日の閣議後の記者会見)「全くの誤りで、大変に遺憾だ」(≪拉致巡る田原氏の発言、中曽根外相が批判「全くの誤り」≫/asahi.com/2009年5月19日12時55分)
対して田原本人の釈明。
「家族会の方が抗議される気持ちはよく分かる。しかし、私は事実を言ったまでです」(同asahi.com)
田原発言をより具体的に知りたくて、その他にもいくつかのインターネット記事から発言と抗議に対する田原本人の釈明を拾ってみた。
「外務省も生きてないことは分かっている。生きてないという交渉をやると、こてんぱんにやられる」
(≪拉致家族会が田原氏に抗議 テレ朝番組「生きてない」≫「47NEWS」/2009/05/11 19:51 【共同通信】)
「こてんぱんにやられる」とは、国内世論の批判を浴びるということなのだろうが、もう少し格調高い言葉が使えないものだろうか。
「被害者の皆さんの気を悪くして申し訳なく、気持ちはよく理解できるが、事実を言ったまで」(同「47NEWS」)
「具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」(上記「asahi.com」≪田原総一朗氏に拉致被害者家族会など抗議文 「生きていない」発言で≫)
「事実を言ったまで」とする姿勢と「具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」とする姿勢にはかなりの差異がある。前者は完璧な自己正当化で、後者では自己の情報提示方法に間違いを認めている。但し、「事実」発言そのものを修正したわけでも否定したわけでもない。
当然、「事実」であることを証明するために日本の誇るトップジャーナリスト田原総一郎は「具体的な情報源を示」して、何人(なんぴと)も納得し得る「事実」であることの提示を行う公的人間としての義務と責任を発生させたことになる。
だが、マスコミやジャーナリストは守秘義務を掲げて情報源を明かさないことを認められている。
5月11日付「asahi.com」記事≪田原総一朗氏に拉致被害者家族会など抗議文 「生きていない」発言で≫では「具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している」となっている釈明が、5月19日の「asahi.com」≪拉致家族に「申し訳ない」 田原氏の発言でテレビ朝日≫ではより言葉数を費やした謝罪となっている。
「人の生死に関する問題を、具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している。横田さんたちが生きていることを心から望んでいる。言葉が足りず、大変申し訳ない」
これも「具体的な情報源を示」さなかったことに対する謝罪で、自らの死亡説を否定、もしくは修正して謝罪したわけではない。
だが、この謝罪にはマヤカシがある。死亡説を否定せずに「事実」としたまま、いわば死亡を前提としていながら、「生きていることを心から望んでいる」と生存への期待を口にするマヤカシである。
息子が父親なりを殺して遺体を山中に埋めて警察に家出人捜索願いを出す。警察の事情聴取に人に恨まれるようなトラブルを抱えていたように思えないから、事件に巻き込まれるといったことは思い当たらないし、家出するような事情も思い当たらない、車で撥ねて殺してしまったからと遺体を隠してしまう事件も起きているし、自動車事故にでも巻き込まれたんじゃないかと心配で心配で、歳が歳だし、「生きていることを心から望んでい」ますと死の事実に反して生存への期待を口にするのと同じマヤカシである。
また、「生きていることを心から望んでいる」は生存の可能性への言及でもあり、死亡は「事実を言ったまで」だとする自己完璧正当化に対する間接否定でもあろう。
最初に言っていたことと正反対の違うことを言ったのである。いわば日本が誇る高名なジャーナリスト、日本のジャーナリズム世界をリードする田原一郎は二重のマヤカシを犯したのである。
田原一郎らしいマヤカシだと言えば、そうと言えないことはない。元々ハッタリとヨイショだけで持っている胡散臭さを身上としていたようなところがあった。マヤカシは田原の人間性からしたら、必然的な性格発露と言える。
「言葉が足りず、大変申し訳ない」と謝るなら、情報源を明かすなり、守秘義務から明かせないなら、別の方法で足りない「言葉」を補って、死亡は「事実」を具体的に証明し、どう非難されようと、どう批判されようと最初から最後までその「事実」で貫き通すべきだが、それさえできない。自分たちでは持っていると信じているジャーナリスト魂というやつなのだろう。
5月12日の「J-Cast」≪田原氏が唱える拉致被害者 「8人死亡説」の根拠≫が一連の経緯をかなり詳しく報道している。我が田原総一郎の発言を拾ってみる。
「北朝鮮が死亡したと主張している8人は、実は外務省側も死亡していることを知っている」
「ところが北朝鮮は繰り返し、『生きていない』と言っているわけ。外務省も生きていないことは分かっているわけ」
「一次情報から(情報を)得ている。だが、情報源を言うことはできない」(事務所を通じてのコメント)
「(横田めぐみさんなど)8人は死んでいるが、それ以外で生きている人はいる」(07年10月、早稲田大学でのシンポジウムで北朝鮮高官から聞いた話を元に)
「宋日昊(ソン・イルホ、日朝国交正常化交渉担当大使)の説明に不自然だと感じられるところはない。どちらかと言えば、北朝鮮側が『死亡した』と発表した8人を『生きている』と主張している日本側の方に無理があるのではないか。それに、日本側が調査を依頼していない人々の中には生存者がいる、と、これは交渉にあたった外務省の当事者から直接聞いた」(「世界」/08年7月号)
「米国で再鑑定すべき」(国内の鑑定で偽物だとされた遺骨について)・・・・
“8人死亡説”は北朝鮮の公式見解であって、宋日昊(ソン・イルホ)の個人的見解ではない。北朝鮮が公式見解としている“8人死亡説”に関する宋日昊(ソン・イルホ)の説明に「不自然だと感じられるところはない」と言っているのであって、不自然に受取られるふうに話すバカはいないだろうが、その「不自然」ではない説明と「日本側が調査を依頼していない人々の中には生存者がいる」と「交渉にあたった外務省の当事者から直接聞いた」伝聞を根拠として、日本側の“8人生存説”に「無理があるのではないか」との推測を以って結論としているのである。
相手国側の「説明」と外務省の人間からの伝聞に基づいたこのような田原一郎の結論を正しいとする唯一のネックを解消するためには北朝鮮が自らの死亡説を証拠立てるために日本側に渡し、日本側が別人のものと鑑定した遺骨を本人のものと証明する「再鑑定」が当然必要となる。
それが「米国で再鑑定すべき」という発言となっているのだろうが、本人のものと鑑定してくれるなら、米国でなくても、どこの国であってもいいに違いない。
同じ「J-Cast」記事が田原総一郎の「死亡説」に懐疑的だとするコリア・レポートの辺真一編集長の考えを取り上げている。
「外務省が『8人が亡くなっている』という話をしているのは、公式にも非公式にも聞いたことはありません。(田原氏は)北朝鮮担当者以外の、外務省関係者の『個人的な見方』を伝えているに過ぎないのでは」・・・・
08年12月17日、東京・有楽町の外国特派員協会で会見を開いた拉致問題の担当大臣である河村建夫官房長官に辺真一編集長が次のような質問をしたことを記事が紹介している。
辺「8名が間違いなく生存しているとの確証を持っているのか。死亡した可能性は全くないと受け止めてもよいのか」
河村「『死亡した』との確固たる証拠がない以上、我々(政府)としては、生存としているとみて、救出に全力を挙げる」――
この応答に対する辺真一編集長の意見。
「北朝鮮は『亡くなっていることを証明できない』一方、日本側は『生存していることを証明できない』というのが公平な見方なのでは」・・・
そして続けて。――
「実は、拉致問題の全貌については、北朝鮮外務省当局者でも良く分かっていません。宋日昊や政府高官も、『表の人間』に過ぎず、奥深いところまでは把握していません。拉致にかかわったのは、工作機関などの『裏の人間』。金正日総書記は『裏』も掌握していますから、『真相は金正日のみぞ知る』ということです」・・・・
金正日のみが真相を知るということなら、金正日自身が死亡を証明しなければ、日本からの戦争補償と経済援助を手に入れて北朝鮮経済の建て直しの重要な一助とすることはできない。またそうすることによって北朝鮮国民に様々な宣伝で植えつけている“偉大な将軍様”という虚像を実像に少しでも近づける有効な方法となる。
尤も虚像だという思いがなければ、そういった気持の働きは起きないだろうが、少なくとも“偉大な将軍様”の偉大さをさらに偉大ならしめるだろうことは本人も承知しているはずである。
当然、金正日はあらゆる手段を尽くして死亡を証明する行動に出るはずだが、「亡くなっていることを証明できない」でいる。
実際に死亡しているなら、例え証明できる物的証拠、あるいは実在資料がなくて「証明できない」としても、金正日の国内的独裁権力を以ってして状況証拠を捏造してでも「証明できない」ことがあるだろうか。
死亡間近に交渉のあったという人間をデッチ上げた上で日本の調査団を北朝鮮に受け入れ、ウソ八百を並べ立てる証言をやらせることである。自動車事故で死んでしまったと聞いたときには本当にびっくりしました。お葬式は立派なものでしたよ。デッチ上げられた人間が情報機関で訓練された者なら、キム・ジョンイル将軍様のためにものの見事な演技を披露することになるだろう。
独裁権力を以ってしても考え得る「証明できない」事態はただ一つ、私自身は金正日が真相を知っているというだけではなく、拉致を命じた張本人だと推測していて、これまでもブログ等で述べてきたが、“生存”を選択した場合、帰国という段階に進まざるを得ないだろうし、最初に5人を帰している手前、一時帰国であっても許さないということは不可能だろうから、その際に真相を知る金正日の秘密暗部をも曝す危険性を抱えることになるために死人に口なしの死亡とした場合であろう。
いわば最初に帰した5人は金正日に仇する危険人物ではなかった。
金正日からも見た場合、喉から手が出る程に欲している北朝鮮経済建て直しの重要資源となる日本からの戦争補償と経済援助をフイにしてまで、拉致解決に向けて障害となり得る理由は他に考えられるだろうか。
私自身、8人すべてとは証明できないが、何人かに対する“生存説”が例え間違っていようとも、それで以って田原総一郎はマヤカシ人間だとする私の指摘まで間違っているとすることはできないに違いない。
田原総一郎が4月25日のテレビ朝日「朝まで生テレビ」で北朝鮮に拉致された横田めぐみさん等「8人死亡説」を披露、拉致被害者家族会が「確実な根拠も示さず死亡説を公共の電波に乗せた」といった内容の抗議文を送りつけたそうだ。
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