日露平和条約交渉でのロシア側責任者のラブロフ外相が2018年12月7日の記者会見で、「平和条約を締結するということは、第2次世界大戦の結果を認めるということだ。これこそが不可欠な第一歩であり、これがなければ何も議論できない」と述べたとマスコミが伝えた。
2018年11月13日にシンガポールで通算23回目となる安倍晋三・プーチン日ロ首脳会談が行われている。この会談で安倍晋三、プーチンの両者は平和条約締結後に歯舞群島・色丹島返還を取り決めた1956年日ソ共同宣言に基づいて平和条約締結交渉を加速させることで合意している。
要するにラブロフは平和条約締結交渉開始は北方四島がロシア領であることを認めることが前提条件だと突きつけた。ラブロフは10日後の2018年12月17日もラジオとのインタビューで同じ発言をしている。「東京新聞」(2018年12月17日 21時24分)
ラブロフ「(19)56年宣言が基礎ということは、第2次大戦の結果を無条件に認めることを意味する。日本側は現時点で、その用意がないというよりもあり得ないとの立場で、これは深刻だ。2島の引き渡しは当然の義務ではない」
ラブロフのこの発言はロシア政府の公式見解となる。ラブロフがいくら日露平和条約交渉ロシア側責任者であろうと、ロシア政府の公式見解に逸脱した発言をした場合、重大な越権行為を侵すことになる。いわばロシア大統領であるプーチンを先頭にロシア政府全体の考え方ということになる。
対して日本政府は北方四島はロシアによる不法占拠説を公式見解としていた。"していた"と過去形にするのは最近、この公式見解引っ込めた様子が窺えるからである。
引っ込めたことが事実であるかどうかは別にして"ロシア不法占拠論"はロシア側の"第2次世界大戦の結果ロシア領論"に対する否定対立軸の役目を担ってきた。日本側からしたら、前者の正当性を以って後者の非正当性を撃つことができる。逆に後者の正当性を少しでも認めた場合、前者の正当性は撃ち砕かれる。
否定対立軸である以上、一歩も譲ることのできない一線でなければならない。また、"ロシア不法占拠論"と北方四島日本固有の領土論は相互対応した関係を取っている。相互対応した関係にある以上、"ロシア不法占拠論"を引っ込めずとも、弱めた場合、日本固有の領土論にしても弱めることになる。
ロシア政府全体の考え方である"第2次世界大戦の結果ロシア領論"を認めた場合、領土返還の形を取る交渉は不可能となる。ロシア領と一旦でも認めた北方四島を日本に返還して欲しいという論理は成り立たなくなるからなのは断るまでもない。さらには領土の帰属を前提とした平和条約締結交渉も成り立たなくなる。成り立たせた場合、ロシア領と認めた上での平和条約締結に意味を持たせることになって、日本のこれまでの北方四島に対する全ての努力をムダにすることになる。
そうしたくなければ、"ロシア不法占拠論"を些かでも引っ込めることはできないし、ましてや放棄することは論外となる。逆に"第2次世界大戦の結果ロシア領論"に対する否定対立軸として固辞し、ラブロフが代弁したロシア政府の公式見解を否定する抗議の意思表示を示さなければならない。
ロシア極東管轄ロシア軍東部軍管区が2018年12月17日、北方領土の択捉島と国後島に軍人用の集合住宅計4棟を新たに建設し、188世帯が来週入居すると発表した。「時事ドットコム」(2018年12月18日07時33分)
来週入居だから、既に完成したか、来週までに完成予定ということになる。
東部軍管区「(同様の住宅が)2019年には択捉に2棟、国後に1棟の計3棟が建設され、稼働する予定だ。択捉と国後では軍事施設や住宅、学校など200以上の新築や改修が計画されている」
記事は末尾で、〈北方領土に駐留するロシア軍は約3500人とされるが、住宅新設により増員された可能性もある。〉と解説している。
ロシアは"第2次世界大戦の結果ロシア領論"を着々と具体化している。いや、具体化が止まらない。ロシアは1978年以来、地上軍部隊を国後と択捉に再配備してきたが、2016年11月には両島に最新鋭のミサイルシステムを配備、そして軍人用住宅の建設は更に兵員の増強という形で領土化を不動にしようとしている。
官房長官の菅義偉が2018年12月19日午前の記者会見で軍人用集合住宅新規建設に外交ルートを通じて抗議したことを明らかにしたという。「NHK NEWS WEB」(2018年12月19日 12時17分)
菅義偉「現地時間の18日、外交ルートを通じて、北方4島におけるロシア軍による軍備の強化につながるものであり、わが国の立場と相いれないと抗議をした。
こうした問題の根本解決のためには北方領土問題それ自体の解決が必要だ。引き続き、領土問題を解決し平和条約を締結するとの基本方針の下にロシアとの交渉に粘り強く取り組んでいく考えだ」
記者「国後島と択捉島はわが国固有の領土であるという立場を伝えたのか」
菅義偉「従来の立場と変わっていない」
薄汚い情報操作を行っている。日本の基本的立場を伝えることと日本の基本的立場が従来どおりに変わっていないこととは決定的に異なる。伝えてこそ、基本的立場は生きてくる。伝えずに日本政府だけが抱えている基本的立場なら、意味を成さない。
要するに伝えなかった。伝えたなら、直截に「伝えた」と口にする。伝えなかったことを「従来の立場と変わっていない」とすることで誤魔化した。
2018年11月13日の通算23回目安倍晋三・プーチン日ロ首脳会談から13日後の11月26日の衆院予算委で「無所属の会」の大串博志が北方四島は現在ロシアによって不法占拠されている状態にあるという認識に現在でも立っているのかといった趣旨の問いかけを行った。
この問いかけは12月7日にロシア外相ラブロフが改めて"第2次世界大戦の結果ロシア領論"を打ち出したことを受けたものであろう。安倍政権がこのラブロフが代弁したロシア政府の公式見解に対して日本側が"ロシア不法占拠論"を否定対立軸とする意思を有していたなら、大串博志の問いかけに肯定的な答弁を見せたはずである。
河野太郎「これから日ロで交渉しようとするときにですね、政府の考え方ですとか、交渉の方針ですとか、内容というものを対外的に申し上げるのは日本の国益になりませんので、今一切、差し控えさせて頂いているところでございます。ご了解を、理解を頂きたいと思います」
大串博志がなお食い下がっった。
河野太郎「これから日ロの機微な交渉やろうというときに先程総理からも答弁がありましたけども、場外乱闘になることは日本にとって決してメリットはありません。様々なことについての交渉は交渉の場の中で行いますので、交渉の外で日本の政府の考え方、方針、そういったものを申し上げれば、当然、ロシア側もそれに対してコメントをしなければならなくなり、場外乱闘になります。それは日本にとって決してメリットにならないことをご理解を頂きたいと思います」
ロシア側が自らの公式見解に固執する姿勢を見せたのに対して河野太郎は間接的な表現で日本側の公式見解の対外的な表明はロシア側との交渉の障害となり、「日本の国益にならない」、あるいは「場外乱闘になる」からと控える姿勢を見せた。
ロシア側のこのような固執に対して河野太郎はこの控える姿勢に固執した。固執する余り、2018年12月11日の記者会見で記者が11月17日のラブロフの「(19)56年宣言が基礎ということは、第2次大戦の結果を無条件に認めることを意味する」とした記者会見発言を掴まえて河野太郎自身の受け止め方を聞いたのに対して何も答えずに「次の質問どうぞ」という展開となり、その後も日露関係に関わる記者からの3回の質問に対しても何も答えずに3回共、合計4回「次の質問どうぞ」と無視することになったはずだ。
いわば国会答弁でも記者会見でも、"ロシア不法占拠論"の否定対立軸を持ち出すまいとする強い意志で自らを支配している。
河野太郎のこのような姿勢は菅義偉の北方四島でのロシアの軍人用住宅建設に抗議を行いながら、北方四島は日本固有の領土であることまで抗議に付け加えなかった姿勢と相互対応している。
河野太郎がこの「次の質問どうぞ」を自らの公式サイトで釈明しているとマスコミが伝えていたから、「ごまめの歯ぎしり」(2018.12.15)を覗いてみた。
河野太郎は「日露の条約交渉に関しては国会でも、記者会見でも一貫して答えを差し控えさせていただいています」として来たとした上で、「日露で平和条約の交渉を加速化しようという首脳同士の合意がございましたので、これから交渉が始まるわけでございます。政府としては政府の考え方は交渉の場できちんと相手に伝える、交渉の場以外で様々なことを申し上げれば、当然、相手側からそれに対する反応を引き出すことにもなり、交渉に資することにならないと考えておりますので、交渉の場以外で政府の考え方を申し上げるのは、差し控えるというのが政府の方針でございます」と、対外的発言の自粛は「政府の方針」だと明らかにしている。
だったら、なぜ前以って現在の「政府の方針」を国民に説明しなかったのだろうか。野党や記者の質問に「政府の方針」だからと説明せずに「国益にならない」、「場外乱闘になる」からと直接的な答弁を拒否する。要するに後付の釈明に過ぎない。
「交渉を前にして、政府の方針やゴールを公に説明していないというご批判がありましたが、これはできません。こちらの手をさらしてポーカーをやれというのと同じで、日本の国益を最大化する交渉ができなくなります」――
どのように交渉するかは手の内を明らかにすることはできないだろう。だが、どう交渉しようと日本側の基本的立場に基づく。結果はどうあれ、いわば結果が一方的な妥協の産物で終わろうと、交渉の出発点からは日本側の基本的立場に基づかない交渉などあり得ない。日本側の基本的立場に基づくということは初期的には日本の国益の最大化を図ることを意味する。
その意図なくして交渉はスタートできない。当然、交渉の手の内は明らかにできなくても、日本側の基本的立場に立って交渉するか否かは誰に対しても説明責任を果たさなければならない約束事であるはずだ。
だが、それさえも果たさない。
日本国民が知りたいのは北方四島のうち、ロシアによる不法占拠を四島全てとしている、歯舞・色丹二島のみとしているのかであって、いずれであるかによって交渉の中身は大きく違ってくる。前者であるなら、問題はないが、後者であるなら、択捉と国後を不法占拠から外すことになる。
そのためのここに来ての日本側が基本的立場としてきた"ロシア不法占拠論"表出の自己抑制と勘繰られても、あながち的を得ていないと否定出来ないことになる。自己抑制は当然のこと、ロシア側の"第2次世界大戦の結果ロシア領論"に対する否定対立軸であることを弱めることになる。
安倍晋三が2018年12月18日夕方、北方領土返還運動に取り組む「千島歯舞諸島居住者連盟」の代表など9人と面会したと「NHK NEWS WEB」(2018年12月18日 19時40分))記事が伝えていた。
安倍晋三「双方が受け入れ可能な解決策を見いだすという決意で交渉を進めていきたい。私とプーチン大統領との間で、この問題を必ず解決する」
ロシア政府側が公式見解としている"第2次世界大戦の結果ロシア領論"のあからさまな表出に対して日本側が公式見解として来た"ロシア不法占拠論"をここに来て否定対立軸とせずにあからさまに自己抑制している関係から見た場合の安倍晋三が言う「双方が受け入れ可能な解決策」とは日本側が限りなく譲歩する状況しか窺うことができない。
大体が日本側が限りなく譲歩しなければ、ロシア側にとって「受け入れ可能な解決策」とはならない。このことは現在、ロシアが北方四島を実効支配していることからも指摘することができる
交渉の出発点からこのような状況にある。日本の弱腰外交しか見えてこない。
要するに安倍晋三は歯舞・色丹の二島返還で誤魔化すか、四島返還を交渉対象としても、3年後の任期までに時間切れとなるだろうから、そのことを口実にするか、どちらかを狙っているのだろう。どちらであっても、「私とプーチン大統領との間で、この問題を必ず解決する」云々は虚しい響きを曝すはずだ。