何度も書いてきたことを最近の例に照らして再び書くことにした。
先ず2016年12月18日付「NHK NEWS WEB」が名門高校相撲部顧問が部員に対して体罰を働いていたと伝えた。
一応リンクをつけておくが、何日かしたら、記事は削除されると思う。
相撲部が強豪校で角界にも多くのOBが入門、名門とされるその高校とは全国高校総体出場14回を誇る福島県郡山市の日大東北高校だそうだ。顧問は20代の若さを誇る教諭。その顧問が今年4月以降、稽古中に1年生の男子部員に対して平手で叩いたり、蹴ったりしたほか、ゴム製のハンマーで頭を叩くなどの暴力行為を繰返していた。
12月18日の学校の記者会見で明らかになったということらしい。
他の記事ではデッキブラシで殴ってケガを負わせたと書いている。1年生男子はケガで通院。その後転校。
怪我を負わせたくらいだから、デッキブラシのヘッドのナイロン製等のブラシ(刷毛)の部分で殴ったのではなく、長方形の木の部分で殴ったのだろう。
ヘッドを横向きにして長方形の長い辺の部分で殴るよりも、ヘッドを縦にして短辺部分で殴ると、面積がコンパクトになる分、食い込む力が大きく働き、怪我の程度はひどくなる。
ゴム製のハンマーとは画像で示しておいたが、、ヘッドも柄も中空のビニール製で、特にヘッドが蛇腹状になっていて、叩くと蛇腹が収縮して打撃の衝撃を吸収することから左程の痛みを伴わない、よくテレビでお笑いタレントが相方や他の出演タレントの頭を叩く、いわゆるピコピコハンマーではなく、土木作業等に使う硬質ゴム製のハンマーのことだろう。
モルタルを塗った上に置いたブロックの高さを上から叩いて調整するときなどに使うハンマーで、ヘッドが鉄製のハンマー程ではないが、かなりの衝撃力を持っている。
7月に保護者が学校に相談。問題が明るみになった。学校の調査に対しての教諭の申し開き。
20代教諭「強くするため行き過ぎた指導をしてしまった」
学校は体罰と判断せずに過度の指導と判断したのか、世間に知れて学校の評判を落とすことを恐れてのことか、自宅謹慎にとどめて顧問の解任や処分を行わなかった。
前者の判断は熱血指導がちょっと行き過ぎたと考え、後者の場合だとしたら、穏便に事を済ますためのなあなあの事勿れ主義に走ったことになる。
18日の会見で、今後処分することを検討していると明らかにしたという。
体罰は20代の教諭ばかりではなく、50代の男性コーチも同じ部員に対して体の下にノコギリを置いた状態で腕立て伏せをさせていたことが分かったという。
記事は、このコーチは今年9月に自主的に退職したと伝えている。
要するに相撲部は体罰を慣習とし、他の部員も体罰を受けていたが、その部員が特に体罰の標的となっていたということであろう。
なぜなら、デッキブラシは相撲部部室の床の掃除等に使うから用意してあったとしても、土俵に置いておくものではないから、わざわざ手近に置いていたことと、一般生活では使わないゴム製のハンマーを持っていたこと自体が、使う目的を体罰仕様としていたはずだ。
松井弘之校長「学校として指導力が不足し申し訳ありません。今回の問題について職員や生徒などに十分に説明して再発防止を徹底したい」
今年の4月以降、20代の相撲部顧問が特に一人の部員に厳しい体罰を繰返し、ケガを負わせた。
7月に保護者が学校に相談。
9月に同じ部員に身体の下にノコギリを置いた状態で腕立て伏せをさせていた50代コーチが自主退職した。
12月18日に学校は記者会見を開いて事実を明らかにした。
4月から7カ月以上経過している。校長が言っている「学校として指導力が不足し申し訳ありません」と言っている「指導力」とは相撲部顧問やコーチに対する「指導力」であって、学校としてどう的確に対応すべきかを決定する「指導力」は抜け落ちている。
公表が必要なのは、例え学校の恥を曝すことになったとしても、体罰を起こしてしまったことへの反省と共に体罰は一つや二つの中学校や高校、あるいは大学の問題ではなく、隠された状態で広く行われている可能性と、今行われていなくても、自然発生的にいつ起きてもおかしくない可能性への教育上の警告を担うことになるからであろう。
学校がどういうキッカケで記者会見を開いて公表したのか、その事情は記事は書いていないが、学校教育が担うべく役目を満足に果たさなかった。
相撲部名門校の顧問の体罰に関連すると私自身は見ている、題名を〈労働生産性 日本は主要7か国の中で最下位〉だとする記事を「NHK NEWS WEB」が発信していた。
「日本生産性本部」が、OECD=経済協力開発機構に加盟する35カ国の従業員が1時間当たりに生み出すモノやサービスの値を示す2015年の労働生産性を分析した調査結果だそうで、日本は小売り業や飲食業などで業務の効率化が進んでいないことなどから、主要7カ国中で最下位だという調査結果が出たとしている。
1位は金融業が経済の中心を占めるヨーロッパの小国・ルクセンブルク。主要7カ国ではアメリカが5位、フランスが6位、ドイツが7位。
調査した木内康裕上席研究員の発言。
「ドイツの企業は短い労働時間でむだなことせずに成果を上げようとしており、日本も見習うところがある。また、受注や発注の業務を機械や人工知能に任せることで生産性は向上できる」
要するに日本は低い生産性を長時間労働で補って、工業先進国としての生産量を挙げていることになる。
上記記事に誘導されて「日本生産性本部」のサイトにアクセス、調査報告書の「日米産業別労働生産性水準比較」(2016年12月12日)を入手してみた。
NHK記事は2015年の報告となっているが、この記事は2010~2012 年の報告となっている。
確かにこの記事は、〈産業別にみた日本の労働生産性水準(2010~2012年平均)は、製造業で米国の7割、サービス産業で5割であった。日米格差は、1990年代後半と比較すると製造業で3.2%p 縮小したものの、サービス産業では0.9%p 拡大している。リーマン・ショック前と比較しても、製造業では日米格差が6.0%p 縮小しているのに対し、サービス産業では1.8%p 拡大している。サービス産業の労働生産性水準は、1990 年代後半から米国の5 割程度にとどまる状況が続いている。〉とその格差を伝えているが、個別の産業で見た場合、2010~2012 年平均で、〈化学(143.2%)や機械(109.6%)で米国を上回り、輸送機械(92.7%)でも遜色ない。一方、サービス産業をみると、運輸(44.3%)や卸売・小売業(38.4%)、飲食宿泊(34.0%)などの主要分野で格差が依然として大きい。〉と書いてある。
日本の化学産業や機械産業の生産性が米国のそれをなぜ上回っているのだろうか。
化学産業は装置産業と言われているらしい。化学製品を生み出す装置さえ優秀なら、その装置が生産の殆ど全てをこなし、人手は装置を監視する要員のみで済む人の要素の最小限化が逆に装置に頼って従業員が1時間当たりに生み出す生産性を高めているということではないのか。
いわば人自身がその要素によって生産性を高めているのではないことになる。
機械工業にしても、機械装置に頼る要素が大きく、人自身の要素が少ない分、化学産業と同様に機械が生み出す生産に頼った日本の高い生産性ということなのだろう。
だが、人の要素に殆どを頼らなければならないサービス産業は米国の5割、製造業にしてもまだまだ人の要素が多いゆえに7割という生産性しか生み出すことができていない。
いわば生産性の差は人の要素の差ということになる。
では、なぜアメリカなどの先進国と日本の労働に於ける人の要素に差があるかというと、人から言われて動くのではなく、最初はそうであっても、後は自分から考え、自分から判断して自分で行動するという自律的な独自性がより低い、あるいはより欠けているということであるはずだ。
上から言われたことは言われたとおりに忠実に行う。だが、言われないことはしない。上が言うことが常に最善であるなら、自分で判断しないという点以外は何も問題はないが、常に最善だとは限らない。
その齟齬が生産性に影響していく。
部活での顧問等による体罰は部員の、教室での教師による体罰は生徒の自律的な独自性に任せることができず、顧問や教師が自身の遣り方を絶対として、それを押し付け、望む結果を出さないと苛立って暴力で言い聞かそうとすることによって起こる。
それが熱血指導とか行き過ぎた指導とか言われている。
勝利至上主義に拘るあまり、教育者として部員や生徒が自分から考え、自分から判断して自分で行動するという自律的な独自性を育むことに些かも頭が回らない。即席に勝利に結びつかないからだが、学校教育が自律的な独自性を育む教育を忘れたなら、そういった部員や生徒が社会人になったとしても真の労働生産性を高めることは難しい。
体罰のように尻を叩かれて動くだけの生産性となりかねない。
あるいは既に触れたように低い生産性を長時間労働で補って、工業先進国としての生産量を上げる同類としかなり得ない。
体罰は体罰だけの問題ではない。深く労働生産性にも関係する。二つの記事を見て、改めてそう思った。