道路特定財源一般財源化/「必要な道路」という言葉のマヤカシ

2008-01-23 18:32:55 | Weblog

 自民党及び福田政権は民主党が要求する道路特定財源の一般財源化に反対している。その理由は「地方へ行けばまだまだ必要な道路がある。地方の事情を知らないのだ」とテレビに出る自民党・公明党議員は雁首を並べて右へ倣えの九官鳥かオウムみたいにバカの一つ覚えの同じ言葉を囀り踊らせている。

 都市選出の議員は開かずの踏切解消や電柱の地中化に道路特定財源は必要だと言う。

 開かずの踏切解消に何も電車の高架化が必要なわけではあるまい。電車が通らない夜中に線路下と道路上にH鋼で骨組みを造り、その上に鉄板を這わせて置いて車も人も電車も通行可能にしておき、地下に24時間作業の推進掘削工法でトンネルを掘り、掘った順に上からの重力に耐え得る既製品のコンクリート製のカルバートボックスを推し込んでいく工法なら、線路とその前後、車や人が出入できる距離の地下道を確保すれば済むから、高架にするよりも遥かにカネがかからない。

 多分工程は次のようになるのではないか。まずアスファルトの必要箇所にボウリングして薬剤を注入して道路下の土砂を固める。夜間工事で線路を含んでその前後の必要な距離の道路左右の端を掘削して、家の下の土砂が崩れないように必要な厚さで高さ2メートルで十分だと思うが、これも既製品のコンクリート壁を衝立形式で埋め込んで土留め擁壁とする。左右の擁壁間を内側に倒れないようにH鋼で支え、それを鉄板の厚さを引いて擁壁に固定し、その上に鉄板を敷いて、道路とする。トンネルの出入口は深さが浅くなるから、擁壁を崩しながらトンネルを掘り、その下にカルバートボックスを押し込む形になる。

 工事期間、地下への資材搬入スペースが必要なら、駐車場か閉店店舗を借りるかして、相手に対する損害補償を行えばいい。空き地も店舗もなければ、貸してもいい家主を募り、その家を壊して更地(さらち)として資材置き場を兼ねた搬入スペースとする。その家が商売屋なら、他に店舗を斡旋して、それなりの補償をする。

 より最適な工法が存在するかもしれない。日本の道路建設の技術を以ってして不可能事ではあるまい。電車の高架化よりも遥かにコストは低くて済む。

 建設費の低い道路建設はそれが談合で成立した建設であってもなくても、政治家や官僚その他の懐を潤す利益率が低くなるから、勢い余分にカネをかけて大工事にしたくなる。

 また灰色のコンクリートが剥き出しの高架は街自体を汚くする。日陰を余分につくり、朝・晩の街を暗くする。高架自体の大きさが街に圧迫感を与えかねない。

 今までも「必要」として道路を作ってきた。しかしその内幕は政治家・官僚・天下り・ゼネコン・地元有力者といった特定の存在を利する目的で計画された彼らに最優先に「必要な道路」建設であって、地域や経済活動の発展、あるいは生活者の生活の効率化・便利化を最優先に位置づける構図とはなっていなかった。

 だからこそ、車が滅多に通らない、通行人の姿もないだだっ広いだけの無駄な道路があちらこちらに建設されることとなり、談合で建設費を高く設定することもできたはずである。地域や経済活動の発展、あるいは地域生活者の生活の効率化・便利化を最優先に位置づけた道路建設であったなら、いわば政治家・官僚・天下り・ゼネコン・地元有力者たちの利益を眼中としない、それらを排除する建設であったなら、談合などできようはずはないし、建設したけれども利用者が少ないといった、ただ幅が広くて立派な道路が延々と横たわっる滑稽な無駄が生じるはずはない。

 言ってみれば福田首相が口先で踊らせている「国民本位」、「消費者本位」、「国民の目線に立った」といった言葉とは正反対の自分たちの利益のみを考え、国民の利益を頭の隅に追いやった道路建設を自民党政治の美しい歴史とし、美しい伝統とし、美しい文化としてきたのである。

 そのような自民党の道路建設の歴史・伝統・文化を温存させたままでは、「必要」、「必要」と言いながら、当然のこととして政治家・官僚・天下り・ゼネコン・地元有力者たちの利益に向けた道路建設を繰返すこととなり、結果として地域や経済活動、地域住民の利益とならない単に道路を造っただけ、カネをかけただけとなる同じ税金のムダ遣いを繰返すことになるだろう。

 そのような自民党の美しい歴史・美しい伝統となっている自分中心の道路建設文化をガラガラポンして息の根を止めるには、道路特定財源を一般財源化して道路族や道路官僚が直接手をつけることができないようにする方法しかないのではないか。

 その方法とは、「必要な道路」建設の要望事案が生じたなら、そのルート、道路規模、建設コストを計画立てた立案書を真に必要かどうか、その必要度と必要度に応じた建設規模と建設コストを審査し、建設を許可する第三者機関を設けてそこに提出させて審査させることで、国や自治体に対して道路建設に間接的な関与機会しか与えない方法である。

 いわばこれまでのように自分たちで計画立てて自分たちで決定する自己専管事項とさせるのではなく、そこに第三者の判断と決定を介入させて建設計画の贅肉部分・無駄を排除させ、より緻密な道路建設へと持っていく。

 さらに建設結果を評価する別機関を設けて、道路建設後の利用状況、経済波及効果、地域生活の活性化の度合い等から費用対効果を算出・評価しランク付けを行う。道路建設を計画する国や自治体と建設の是非を審査し、許可する機関の間に馴れ合いや癒着があったり、あるいはなくても建設後の道路を評価する機関の評価点数次第で責任の所在が明らかになる。責任の所在の明確化こそが無駄な道路建設の最良の歯止めとなるはずである。

 また自民党・公明党は民主党のガソリン税暫定税率廃止要求に対して、「道路整備など必要な対策を実施するための財源確保が必要」とか、「ガソリンが安くなれば車を走らせて環境悪化につながる」といった言葉を踊らせて反対しているが、「財源確保」は上記制度を設けて無駄を省くことで解決できない問題ではなく、ガソリンの値下げの問題はまたいつ値が上がるかもしれない不確定要素を抱えた値下げが一般国民に無暗に車を走らせる欲求に駆り立てるとは考えにくいことで、それよりもアメリカのサブプライム問題・株価下落等で景気が益々減速していきそうな予感の中、ガソリンが安くなることで生活不安に陥っている大方の国民に一息つかせる効果は計りしれないものがあるのではないだろうか。

 国民が元気でなければ、健全な消費活動に向かうことはない。個人消費が高まらなければ、輸出依存型からいつまでも抜け切れず、内需型経済は望めない。

 輸出型大企業のみが膨大な利益を上げ、それが国民に何ら還元されなかったことが逆に個人消費を冷え込ませ、それが原因となってサブプライム問題で震源元のアメリカ以上に株価が下落している現象を招いているといった指摘をテレビで伝えていたが、だとすると、ガソリン1リットルにつき25円の値下げ分でも他の消費に向かうように図るべきではないだろうか。

 生活不安の国民にほんのわずかでも元気を与える政治も「国民本位」・「消費者本位」だと思うが、無駄を省くことを考えない「財源確保」にのみ目を向けた福田政治・自公政治は「国民本位」・「消費者本位」の言葉は単に言葉を躍らせて国民の歓心を買っているだけの政治のようである。


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