菅直人の復旧・復興を投げ出し被災者を置き去りにしたまま慰労会を開く神経と野田首相以下の参加者の感覚

2011-09-30 10:29:18 | Weblog

 9月27日(2011年)夜、菅仮免前が都内の日本料理店で首相当時の閣僚メンバーと慰労会を開いたという。《菅内閣の閣僚慰労=前首相》時事ドットコム2011/09/27-22:08)

 記事は、〈前首相が慰労目的で呼び掛けたもので、財務相だった野田佳彦首相や、鹿野道彦農水相、玄葉光一郎外相、枝野幸男経済産業相らが参加した。〉と呼びかけに応じて参加した菅内閣当時の閣僚でもあり、現内閣の閣僚でもある名前を挙げている。

 菅仮免前「(衆院議員の任期が満了するまで)あと2年間は首相をやってほしい」

 野田首相「これからよろしくお願いします」

 〈頭を下げたという。〉と書いている。

 任期の長短も優秀か無能かのバロメーターとされるのだから、内心、自分の任期を越えることに面白からざる複雑な気持を持っているはずだが、そこは本心に反することを言わざるを得なかったに違いない。

 だが、そういったことよりも2010年6月8日首相就任して1年経過する前の2011年6月2日の民主党両院議員総会で「一定のメドがついたなら」との条件付きで退陣表明、その後居座って2011年8月末に辞任表明、15ヶ月弱で首相を辞職せざるを得なかった主たる原因が何よりも東日本大震災の被災者に対する各種支援の初動対応の遅れ、初動に引き続く二次対応としての復旧・復興の遅れが命取りとなった退陣だったはずだ。

 表面的には菅降しを受けて抗し切れずに首相の座を去った形を取っているが、内実は一国の首相として遂行すべき責任を、その中でも特に復旧・復興の責任を遂行能力なしと断罪されて拒絶され、投げ出さざるを得なかったのである。

 総理大臣記者会見で「この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」と自らの使命を「宿命」とまで意義づけながら、菅首相の存在自体が政治空白であり、復旧・復興の障害だとまで言われ、被災自治体の各首長だけではなく、被災者からも震災対策の遅れ・不備を批判されて、退陣を余儀なくされた。

 「政治は結果責任」を果たすことができなかったばかりに自らの責務を有名無実化し、進めるべき政治を投げ出し、復旧・復興を投げ出す羽目に陥った。

 いくら自身の無能が招いたこととは言え、進めるべき政治を投げ出し、復旧・復興を投げ出した結果、被災者自体をも復旧・復興のスタート地点から程近い混乱の途上に置き去り状態に投げ出すことになったのである。

 具体的には未だ避難所に取り残されている被災者の存在にしてもそうだが、仮設住宅に移ってプライバシーが守れるからと一息ついたものの、避難所被災作同様に家を失い、財産を失い、職を失い、あるいは家族・近親者を失って将来の不安に押しつぶされようとしている状態への被災者の置き去りを言う。

 置き去りにし、次ぎの内閣に任せるしかなかった。

 特に福島の放射能汚染地の本格的な除染はこれからで、10年、20年帰ることができないと予想される避難地域もあり、避難住民を帰宅できない状態で置き去りにした。

 もしこの自覚があったなら、あるいは少しでも責任意識があったなら、慰労会だと菅内閣当時の閣僚を集めて日本料理店で酒で喉を潤し、料理に舌鼓など打っていられるだろうか。

 9月2日に正式に野田首相と交代してから、1カ月も経たないうちの慰労会である。多くの被災者を未だ慰労されることのない不安な状況に置き去りにしたままの復旧・復興に責任を果たさなかった内閣の慰労会という逆説、あるいは倒錯演じることのできる菅直人と言う政治家の感覚・神経を疑わざるを得ない。

 慰労の呼びかけに応じて駆けつけた野田首相や、鹿野農水相、玄葉光一郎外相、枝野幸男経産相等の面々の感覚・神経はどうなっているのか、首を傾げざるを得ない。

 被災地に派遣された自衛隊は被災住民から感謝の気持と言葉で慰労された。派遣から戻った自衛隊は自らを慰労する資格を有する。

 被災地、あるいは被災住民から慰労を受けるだけの責任を果たさなかった内閣が責任を果たさなかったことの自覚もなく自らを慰労する。

 こういった数々の自覚の欠如も責任感の欠如も、合理的判断能力を元々欠いているからこその結果的推移であろう。

 今朝のNHKニュースが、駐日中国大使が29日夜都内で開かれた中国の建国記念日「国慶節」のレセプションで、去年の尖閣諸島沖の漁船衝突事件をきっかけに悪化した日中関係を立て直し、日中両国の戦略的互恵関係をより一層充実させたいと挨拶したと伝えていたが、菅仮免は横浜APEC首脳会議の際の2010年1月13日日中首脳会談後の国会答弁でも、居座り後の国会答弁でも、「日中関係は尖閣諸島沖での漁船衝突事件以降、ギクシャクした状態が続いていたが、今回の首脳会談で私の就任時の原点に戻ることを確認した。マイナスからゼロになったことは大きな前進だ」と一旦はギクシャクした日中関係を自らの力で修復し、もやは波風立たない関係に戻ったかのように菅内閣の外交成果に挙げていた、その自身の評価と現実的実態との乖離はやはり合理的判断能力を欠いていることが原因となっている、歪んだ思い込みがなせる外交成果に過ぎない。

 リーダーたる資格の中核をなす認識能力自体が欠陥品にできているからこそ、被災者を置き去りにしていることに目を向けることができずに慰労会を開けるということなのだろう。



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