菅か前原か馬淵か、「八ッ場ダム」建設迷走の一番の悪者は

2011-08-26 09:58:06 | Weblog


 
 民主党に政権が移って鳩山内閣発足早々の2009年9月に当時の前原国交相が八ッ場ダム建設の中止を打ち出した。それから1年ちょっと経過しただけの2010年11月、前原国交相の元で国交副大臣を務めていて、その跡を引き継いだ馬淵澄夫新国交相が建設中止を凍結。

 今回の民主党代表選に立候補を見送る動きを見せていた前原前外相がここに来て立候補を表明。野党自民党は前原が国民から次期首相として最も高い支持を集めている有力候補であることから、代表当選、新首相の可能性を睨み、閣僚時代の問題点を取上げて早くも戦いを開始した。

 《“前原氏 献金問題で説明責任を”》NHK NEWS WEB/2011年8月23日 12時25分)

 石原伸晃自民党幹事長「政権に入ってから、政策的に散らかす癖がついている。八ッ場ダムの問題や日米や日中関係についても言いたいことを言っているが、その後の始末をせず、さまざまな問題が生じている。

 (外国人献金問題の責任を取って外相を辞任したことに関して)説明責任を果たしていないなかで、なぜ急に立候補を考えたのか。説明責任を果たし、国民の理解を得て、代表選挙に出るほうが望ましい。

 (民主党代表選について)政策論争が全く見られず、いわゆる『小沢詣で』が繰り広げられている。政策論争がしっかり行われなければ、国民にとっては不毛だ。

 (民主党内に小沢氏の党員資格停止見直し論が出ていることについて)代表が代わったからといって、党として決定したことを変えるのは、朝令暮改の最たるものであり、国民から批判が出るのは必然だ」

 最後の党員資格停止見直し論に対する批判。党がルールに則って決めたことを党がルールに則って見直すことがどこに間違いがあるのか。党の決定は裁判と違って永遠に一事不再理を宿命づけられているわけではない。もし宿命づけられていたら、たちまち党組織は硬直化してしまうだろう。

 勿論見直した場合は国民に対する説明と結果に対する責任を負うことになる。

 以前、ブログで、「世論は期待に対する評価・判断と結果責任に対する評価・判断の二つの側面を持つ」と書いた。前原前外相に対して次期首相として高い支持を示している世論はあくまでも期待に対する評価・判断であって、結果責任に対する評価・判断ではない。菅仮免に対しても首相に就任直後は高い支持率を得ていたが、たちまち支持を失い、ほぼ低下傾向の一途を辿ったのは当初は菅政治に対する期待から高く評価し、判断したものの、その期待・判断が菅政治の正体を逐次見るに及んで裏切られた思いが働き、裏切られた期待の相当量に応ずる形で結果責任に対する評価・判断が萎んだということであろう。

 期待に対する評価・判断が結果責任に対する評価・判断に必ずしも結びつかないことを常に厳しく認識していなければならない。

 前原前外相は外国人献金問題に関しては8月25日午前に行った衆院議員会館での若手議員十数人との懇談で、「きちんと調べた。法的に問題はない」(MSN産経)と断言したそうだが、八ッ場ダムに関しては次のように自身を正当化している。

  《前原氏「八ツ場ダム、私が国交相続投なら中止だった」》asahi.com/2011年8月25日20時6分)

 前原前外相「国土交通相の時に八ツ場(やんば)ダム中止と言ったのにできていない、という話があるが、続けさせてもらえればやった」

 要するに自身が国交相をそのまま務めていたなら、中止で一貫性を持たせた、中止凍結は自分には関係ないことだと自己免罪を働かせている。

 記事も、〈前原氏としては、代表選で同じく立候補をめざすライバルの馬淵氏こそ責められるべきだ、との思いがにじむ。〉と穿った解説で自己免罪の発言だとしている。

 だが、この「続けさせてもらえればやった」という前原発言は巨大公共工事を総理大臣の了承も内閣の了承も得ずに一閣僚のみの意向で左右できるという趣旨となる。

 だとしたら、馬淵前国交相も総理大臣の了承も内閣の了承も得ずに一閣僚としての自身の意向で中止凍結を決めたことになる。

 大体が八ッ場ダム建設中止は2009年マニフェストに掲げていた政策であって、前原個人が決定した英断でも何でもない。マニフェストの政策に従った中止でしかない。

 《2009年マニフェスト》 

 〈公共事業

  ○川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す。
  ○道路整備は費用対効果を厳密にチェックしたうえで、必要な道路を造る。
 
 《民主党政策集INDEX2009》 

 〈大型公共事業の見直し

 川辺川ダム、八ッ場ダム建設を中止し、生活再建を支援します。そのため、「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)」の制定を目指し、国が行うダム事業を廃止した場合等には、特定地域について公共施設の整備や住民生活の利便性の向上および産業の振興に寄与する事業を行うことにより、当該地域の住民の生活の安定と福祉の向上を図ります。〉――

 民主党政権がスタートし、鳩山内閣が発足したとき、当然、内閣としてこの政策を打ち出すことになった。ダム建設を所管する国交相がたまたま前原だったに過ぎない。

 但し建設中止の政策をどのようなスケジュールを以って如何に迅速且つデメリットを避けて遂行するかは本人の能力にかかってくるが、如何せん、1年2か月足らずの就任に過ぎなかった。

 菅仮免内閣の〈2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)〉では、〈中止の方針を表明している八ッ場ダムをはじめ、全国のダム事業について、予断を持たずに検証を行い、「できるだけダムにたよらない治水」への政策転換を一層進めます。〉と検証を経た上で不必要と認めたダムは中止の方向に向けるとした政策を掲げているのみで、八ッ場ダムの建設中止の凍結を謳っているわけではない。

 もしここで既に八ッ場ダム建設中止の決定をも“検証”の対象としていたとするなら、この時点で2009年マニフェストの八ッ場ダム建設中止の政策を変更したことになる。

 だが、そんなことは一言も言っていないはずだ。

 あくまでも八ッ場ダム建設中止は「2009年マニフェスト」に掲げた政策であるゆえに国交相が代わっても引き継がれなければならない政策でありながら、2010年11月に馬淵澄夫新国交相が建設中止凍結の方針を発表した。

 《馬淵国交相、八ツ場ダム建設中止方針を撤回》MSN産経//2010.11.6 14:59)

 11月6日(2010年)午後。

 馬淵国交相「私が大臣のうちは『中止の方向性』という言葉には言及しない。予断を持たず(ダムの)検証を進め、その結果に従う」

 記事はこの発言を、〈政府方針を撤回する考えを示した。〉ものだとし、〈八ツ場ダム建設が民主党政権下で再開される可能性が出てきた。〉と解説しているが、一大臣の意向のみで政府方針を撤回できるわけのものではないはずだ。

 政府方針とは政府が決めた方針であり、当然その方針の撤回は政府の決定でなければならない。
 
 そもそもからして八ッ場ダム建設中止はマニフェストで国民に約束した政策である以上、いや、そうではなかったとしても、馬淵国交相一人の意向で左右できる巨大公共工事ではないはずだ。

 馬淵国交相は鳩山首相を受け継いだ菅仮免に2010年9月に任命された閣僚である。当然、内閣としての意向が働いたか、菅仮免自身の意向が働いたか、最終的にはマニフェストに従った八ッ場ダム建設中止に対するマニフェストから外れた建設中止凍結の菅内閣が決定した政府方針でなければならない。

 もしこの政策遂行に関して一貫性がないという批判が当るとしたら、発端は誰の意向であろうと、最終責任は内閣の長たる菅仮免が負うわなければならない。一番の悪者は菅仮免だと言うことである。

 菅仮免を最終責任とした八ッ場ダム建設中止凍結の政府方針ということなら、前原前外相が「続けさせてもらえればやった」と言おうと、その実現可能性は怪しくなる。凍結に持っていくための国交相交代の演出と疑うこともできる。

 中止を言い出した閣僚にその中止を凍結させたとしたら、その一貫性のない政府方針が災いして、確実に菅内閣は一挙に信用を失ったに違いない。

 尤もそうではなくても、指の間からこぼれていって手のひらの砂がなくなっていくように国民の信頼を着実に失っていった。



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