拉致問題・麻生は福田より小泉・安倍を批判せよ

2007-09-22 08:24:11 | Weblog

 昨9月21日(07年)の日本記者クラブ主催の自民党総裁選公開討論会での拉致問題に関する福田・麻生の遣り取り。「ということであるならば」といったバカ丁寧なまでに回りくどい格好付けの言い方やことさらな丁寧語は普通語に直しています。

 麻生「北朝鮮との関係は基本的に圧力と対話。この国とのこれまでの交渉を約2年間、私はやらせていただいた。いずれにしても拉致は日本の自主権というものを大いなる侵害であることははっきりとしている。従って、この日本という国から日本人というものを攫(さら)って持っていったという事実というものは物凄く大きな事実であって、国家にとっては大問題だと私はそう思っている。従ってこの問題は安易に(聞き取り不明)帰してもらうという話ではない。基本的にはきちんとした対話を成り立たせるためにはこれまでも圧力が必要だったと思っている。今日6者協議がスタートできた。最大の理由は少なくとも7月10月に於ける国連安保理事会に於ける日本のリードにより少なくとも全会一致の圧力というものが6者協議を生み、日朝作業部会というものが曲がりなりにも動き始めた、大きな背景があると私自身はそう思っているが、先ず伺いたいのは圧力は言うに及ばず。そしてもう一点、拉致被害者という方々はすべて亡くなっておられるという前提だという話を福田官房長官は口にしておられましたけど、私はそういう方々は生きているという前提でこの交渉をすべきもんだと思ってこれまでやってきたが、この点についてのご見解を伺いたいと思います」

 福田「拉致はやはり人道的な問題として考えることが第一番に必要だと思う。ということは今現在北朝鮮におられるんですよね。まだ残っているおられるというように考えると、そういう方が一刻も早く日本に帰っていただくことを最優先にすべき問題だと思っている。ですから、このことを中心に考えたときにどういうことなのか、だからと言って過大な要求を突きつけられるということはあってはならないわけで、これはハイジャックの問題とか色んなときに自問自答させられるということがあるが、そういうことも含めてこれは北朝鮮と日本に帰っていただくことについての交渉だと思う。勿論その交渉の過程で対話一本槍ということはない。やはり対話と圧力という、そういう交渉上のことは外交交渉、その他の交渉で常にあることであり、そういう手法を駆使しながら、交渉を進めていくということがある。ただ最初から話し合いは拒否というような感じでもって向こうに受け止められるようなことがあれば、向こうから対話をする意欲は萎える。しかし現状は先方はこちらに対話するような雰囲気はまったくないということで対話は双方途絶えてしまっている。と言うことなら、やはり対話と圧力が必要ということかな、というふうに思う。いずれにしてもそのバランスは外交交渉上の問題であるから、その時々の状況に応じてそういう手段を発揮することになる。どちらかということでなない。両方をうまく利用しながら、活用しながら、交渉していくということになる」

 麻生「対話と圧力というお話でしたけど、確か5人の拉致被害者が日本に帰ってきたという、その人たちを北朝鮮に戻すか戻さないかという話は官房長官のときに結構話題となった。帰すべきではないというご意見に対して官房長官は約束どおり帰すべきだったと、帰すべきだと主張されたと思うが、あのときの主張と今のお話を伺っていると、何となくこの間に少し変わってこられているのかなあと思う。あのときは確か拉致被害者は死んでいるという前提で話をし、拉致被害者の方が記者会見を開いていた記憶が私にはあるが、ちょっと間違っているかもしれない。こういったところをちょっともう一回質していただければと思います」

 福田「正しくお話ししましょう。外務大臣されているのだから、その辺はその過去の資料をよく括(くく)っていただきたかった。先ず私が9月17日、5年前ですけれども、その日に北朝鮮から報告を受けた。こういう状況です。私はその通りを報告した。それ以上の報告すべきものはなかったから。その通り、先方から、先方というのは現地にいる外務省、その通り話をした。外務省の連絡によると、こういうことですと、外務省の連絡によるとこういうことですということを明確に拉致された方のご家族の方々には申し上げた。私が断定的にそういうことを言ったということではない。当時知り得た情報のすべてであります。それ以上のことを言う必要性もないし、またそれはできなかった。そういうことを言うことはできなかった。そういうことです。そして5人の家族の方が帰ってきた。そのとき帰すか帰さないかという話は確かに合った。しかし元々一旦帰ってきたということに於いて、それは帰るんだということを前提に話は進んでいた。ですから当初は私はそういう報告を聞いて、あ、帰るのかなと私は思っていた。しかし帰すべきではないという話が起こった。そのことについての議論はした。そのとき私は帰すべきだというふうには申し上げなかった。ただ、そういう約束があるのだから大丈夫かなと外務省によく尋ねた。そして帰すべきではないという判断があったときにじゃあ最終結論を出すときに、最終結論を出す前にご家族の方に、ご家族の方とか、ご本人ですね、意向を聞いてくださいと。それぞれにどういう事情があるか分からないから、ご家族、遺族、ごめんなさい、帰国本人、拉致されて帰国されたご本人に意向を確認してください、そうことをお願いして、その確認が取れた。取れて、それではそうしようという結論を出した。そういうプロセスを経ているから、私は十分配慮しながら、この道筋を進むというふうに思っている」(以上時間切れ)

 麻生は9月16日に自民党本部で行われた立会演説会で「拉致被害者が取り残されているが、後退したわけではない」と言っている。「後退したわけではない」を言葉通りに受け取るとしても、何ら進展していないのも事実なのだから、小泉・安倍が掲げ、麻生も北朝鮮「とのこれまでの交渉を約2年間、私はやらせていただいた」ことによって関わってきた「圧力と対話」戦略は単にその言葉を繰返すだけの効果しか上がっていないことの証明でしかない。そうであるにも関わらず、そのことへの視点もなく、また今後はこういうような効果を持たせるとする対策も示さず、麻生は愚かにも「圧力と対話」を従来どおりに繰返すだけのことをしている。

 いわば「圧力と対話」は拉致問題解決の進展に何ら役に立たなかった。役にも立たなかった「圧力と対話」を麻生は依然として振り回している。客観的認識能力に欠陥があるからとしか考えようがない。

 確かに「6者協議がスタートできた」のは麻生が自慢げに言うとおりに「国連安保理事会に於ける日本のリードにより少なくとも全会一致の圧力」があったとと、その「圧力」の延長線上に「日朝作業部会」が実現したとしても、そのことが北朝鮮の「拉致問題は解決済み」という態度を変更させる「圧力」とはなっていないことも認識しなければならない事実でありながら、認識できていない麻生の事実となっているのは客観性を欠いているとしか言いようがない。

 麻生は別の機会にも確か国連が始まって以来日本が「リード」して行った初めての議題だとかやはり自慢げに話していた記憶があるが、如何なる自慢も拉致問題が解決としたときに意味を持つのであって、拉致問題進展につながっていない事実に目を向けないまま国連での日本外交を自慢する。安倍首相が教育基本法改正やその他で見せた成果を見ないうちの自慢と同じで、その点で両者は双子の関係にあるのだろうか。その手の無神経は客観性を欠いているだけで片付けるわけにはいかない政治家として恥知らずな態度と言える。

 麻生太郎は福田康夫が「拉致被害者という方々はすべて亡くなっておられるという前提」で交渉に関わっていたと批判しているが、5人以外はすべて死亡としたのは北朝鮮側で、小泉首相にしても5人の拉致被害者とその家族の帰国で問題解決として国交交渉をスタートさせ、日朝国交正常化を果たした総理大臣として、自らの名を日本の歴史に記そうと欲したはずである。

 その証拠は小泉首相が「8人死亡・5人生存」という事実に関わらず、キム・ジョンイルの謝罪を受け入れたことを先ず挙げなければならない。謝罪の受け入れは補償とかの問題は残るにしても、日朝間に横たわる障害事項の消滅を意味するからである。

 消滅の傍証として、小泉首相が大量のマツタケを土産に貰って日本に帰ってきたことを挙げることができる。「8人死亡」の事実解明が少しでも意識にあったなら、解明が果たされるまで受け取ることはできなかったろう。しかも民主党員から国会で追及されても、マツタケであることを隠し、生鮮食料品と偽る偽装は北海道はミート社の偽装コロッケに優るゴマカシのテクニックだろう。

 国内世論が「8人死亡・5人生存」事実に怒りだすと、小泉首相は今後の国交正常化交渉の過程で拉致疑惑の事実解明を更に進めると国民向けに説明したが、国交交渉を優先事項とし、それとの並行した形で拉致疑惑解明を従の位置に置いて取り組もうとした姿勢も、拉致を国交交渉の障害事項から外していたことを物語るもので、国交交渉が成立したなら、当然のこととしてそれを果たした総理大臣の名誉ある席に座ることになる。

 だが、その辺の欲求を国内世論の更なる高まりが打ち砕いてしまい、「拉致解決なしに国交正常化なし」の態度を打ち出さざるを得なくなった。また、一時帰国した拉致被害者を北朝鮮に帰すか帰さないか問題になったことも、小泉・安倍ラインが「一時帰国」という形式を取ったことがそもそもの間違い、外交的な大失敗で、拉致・誘拐された以上、それを元に戻す「原状回復」を譲れない原理・原則、譲れない一線として求めるべきを、何を血迷ったのかノー天気にも一時帰国してまた北朝鮮に戻すという「一時帰国」の形式とした。

 非難するとしたら、小泉・安倍に対してだろう。帰国させなかったのは、「一時帰国」という自分たちも関わった約束をあとから破って軌道修正したに過ぎない。自分の生まれた国から外国に暴力的に拉致・誘拐された人間を一時的に生まれた国に帰すというそもそもの発想はどこから出てきたのだろうか。

 その点に思い至らないで、5年前を振返って「帰すべきだと主張された」とさも得点としようとするかのように批判する。合理的な客観的認識能力の欠陥を自らの体質としている点に関しても「A・Aライン」ということなのだろうか。

 次の文章は私のHP「市民ひとりひとり」の第55弾「拉致雑感」(容量の関係で削除済み)の中の「金正日に一時帰国ではなく原状回復を求めよ」と、パソコンの不具合を何度も起こして、宛先アドレスが誰のものか不明となったメールで、「原状回復」説は後付けのものではなく、その当時から言っていたことの証拠に参考までに掲載しておきます。興味ある人は読んでみてください。あて先アドレスは消しました。

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 HP「金正日に一時帰国ではなく原状回復を求めよ」
              (日時・2002年10月5日 3:40)

 日本人拉致が金正日が言うように「特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って行った」もので、自身が何ら関与していなかったということが真正なる事実であるなら、特殊機関のすべての行動に対して最終責任を負うべき立場にある北朝鮮国家の最高責任者である金正日が自らの職務上からも、誠実さという点、あるいは人道的観点からも、まずなすべきことは、生存者5人とその家族に謝罪し、その上で5人を拉致した場所に送り返す速やかな原状回復を行うことであろう。原状回復とは、日本人に戻すということをも意味するのは当然なことで、5人は日本という場所・国で日本人に戻った上で、自らの進退を決するべきである。それが純粋に本人の意志で決定される保証を確保されなければならない必要上、原状回復は5人の家族を伴った状態のものでなければならないだろう。

 謝罪すべき直接的な対象は小泉首相ではなく、拉致された5人と日本の家族であって、それをしないだけではなく、原状回復の〝ゲ〟の字も口に出さないというのは、自らの関与があったからに他ならない。

 日本政府にしても小泉首相自身にしても、勿論外務省も、〝原状回復〟の要求をほのめかすことすらせず、特に日本政府拉致調査団は5人に帰国の意思を確かめながら、北朝鮮で生まれ育った子どもたちへの配慮を理由に早期帰国には慎重姿勢だったと、そのままを調査結果として伝えるだけでは、子どもの使いの域を出ないお粗末さである。マッカーサー元帥がかつて日本の政治は13歳の子ども程度だと言ったが、それ以来今もって成長していないようである。

 日本の主権を侵害されてまで、国民が暴力的に拉致・誘拐されたのである。5人の希望や都合で実現する形式の帰国ではなく、あくまでも金正日に原状回復を認めさせ、その実施をもって国交正常化交渉開始のあくまでも前進的条件とすべきだろう。つまり、原状回復は国交正常化交渉開始に向けた糸口――第一歩でしかなく、解明に向けた真相の進展に応じて、第二歩・第三歩とし、日本の家族を含めた日本側のすべてが十二分に納得したことをもって最終条件とする国交正常化そのものの交渉に入るべきではないだろうか。
 * * * * * * *
 メール
 送信者: "Hiroyuki.Teshirogi" <wbs08540@mail.wbs.ne.jp>
 宛先: <・・・・・・・ >
 件名 : 「なぜ拉致被害者家族は帰国できないのか」
 日時 : 2003年9月20日 0:17

 言うまでもなく、生まれ育った日本に返すべきという原状回復政策を絶対原則と
すべきを、小泉首相は一時帰国政策で解決できると見通しを誤った結果だろう。

 一時帰国政策こそが北朝鮮の「約束違反」という言いがかりを許している最大の
原因となっているのである。

 原状回復要求が受入れられなかったために、一時帰国で譲歩したのか。最初か
ら、原状回復は頭になく、一時帰国としたのか。一時帰国はお願いの部類の要請で
あり、原状回復要求は、当然の権利としての主張の部類に入る請求である。それを
しなかった・できなかったのだから、毅然とは正反対の、何とも不様な卑屈外交を
展開したことか。それが今もって尾を引いている。

 手代木ヒロユキ
 http://www2.wbs.ne.jp/~shiminno/
 wbs08540@mail.wbs.ne.jp
 * * * * * * * *

 HP文中の「原状回復は5人の家族を伴った状態のものでなければならない」は、拉致被害者とその家族が日本と北朝鮮に引き離されていたなら、被害者は自らの主体的な意志で決断できないから、家族を伴った環境に置くべきという意味です。舌足らずであったかも。


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