保険料不正免除手続き

2006-05-27 19:51:44 | Weblog

 ――短銃不正押収工作・耐震偽装に続く事件として日本の歴史・伝統・文化である権威主義から読み解く。

 社会保険事務所が国民年金保険料の未納者本人の申請がないのに不正に保険料の免除手続きしていたということだが、それが1箇所だけではなく、大阪、長崎、東京、滋賀、三重といった各地の保険事務所が行っていたということから、最初は一つのマンションから始まって、全国各地のマンション、ホテルへと広がっていった耐震偽装の広域性へとまずは重なる。

 本人の承諾なしの不正な免除手続きと言うものも、一種の〝偽装〟に当たるのは言うまでもない。

 耐震偽装の主原因はいわゆる〝経済設計〟という口実のもとの鉄筋やコンクリート量の減数による単価下げの圧力とされている。保険料不正免除手続きの場合は、民間から登用された村瀬清司社会保険庁長官が6割にまで低下した年金の納付率を8割にまで上げる目標を立てて全国に配布した「緊急メッセージ」がプレッシャーとして働き、不正免除なるいわゆる〝近道行動〟に至ったのではないかと推測されている。それが事実なら、耐震偽装と共通する点は広域性のみならず、〝上の指示〟に対する無条件の追随、もしくは屈服を構図とした犯罪だと言うことだろう。犯罪そのものではなくて、他の何であろうか。

 元来日本人は権威主義的な行動様式・思考様式を民族性としている。いわば権威主義を日本の歴史・伝統・文化としている。権威主義とはことさら説明するまでもなく上位権威者の指示・命令に下位権威者が従属・追随する行動様式・思考様式を言う。地位、学歴、先輩後輩関係を含めた年齢等の上下に応じて権威づけを行い、上を絶対として下を従わせ人間関係を律する行動・思考様式である。

 今は改善されたのかどうか、一昔前までは東大出のバリバリの大蔵キャリアは入省6~7年のたいした実務経験も社会経験もないままに28、9の年齢でエリートコースの第一歩として全国各地の税務署長に配属され、1~2年の経験を積んで本省に戻る。殆どが署長とは父親ほどにも年齢差がある職員以下が将来の大蔵幹部と腫れ物に触るが如くに畏れ奉ってペコペコとかしずいてくれるから、実務経験なしでも東大出のキャリアと言うことだけでデンと構えていさえすれば役目を果たすことができる。

 両者間に働いている人間関係の力学は上位権威者の指示・命令に下位権威者が従属・追随する様式以上のものがある。命令・指示を出さなくても、暗黙の権威が(この場合はまだ将来の大蔵幹部という見せ掛けの権威に過ぎないのだが)最初から下を従わせ、下は上が備えている暗黙の権威に先回りして無条件に従う極端な権威主義の働きに縛られている。

 勿論、こういった人事制度は誤ったエリート主義を植えつけるものとして各方面から批判を浴び、政府は能力主義・成果主義の導入といった各種改革に乗り出しているが、果たして抜本的改革に向かっているかどうかである。入省6~7年で税務署長経験といったキャリア制度を10年に延長といった表面的な手直ししかできないのではないだろうか。天下り制度の改革も公務員改革のメインテーマとなっているにも関わらず、満足な改革も成し得ず、天下りを好きに任せているのである。政府が目指す公務員削減でも、今後5年間で定員を5%減らすといった表面的な数字操作を目指すもので、公務員の生産性を高めて仕事の効率を上げ、不要となった人員を減らしていくという手順を伴わせたものとはなっていないのではないか。そうするためにはキャリアのお飾りの部分をギリギリまで削ることにまず取り掛からなければならない。

 改革の障害となっている本質的な原因は人間の格付けに権威を必要とし、権威によって人間の偉さ(それを能力だとはき違えている)を計る日本人が血としていてる権威主義の存在様式だろう。自己の偉さを権威で計る人間は自分の権威を守ると同時に他人の権威も守る。利害を一致させなければならないからだが、キャリア制度にしても権威作りの重要な方法だから、死守しようとする方向に動く。この手の権威主義制度自体が、キャリアにとってはそれぞれに自分のための利権と化しているのである。

 自己の退職後の天下りを十全なものとするために他人の天下りを助けることとなる従来から慣行となっている天下り制度の維持に協力するのと同じである。自分のためにならなかったなら、誰が協力するだろうか。

 民族優越意識とは民族を対象とした権威主義で、民族に優劣・上下の権威づけを行い、自民族を上に置き、他民族を下に置くことで所属成員である自己の優越性をも表現する価値観から出ているものであろう。

 村瀬清司社保庁長官自身は自身の出した「緊急メッセージ」がプレッシャーとなったのではないかという指摘に、「法令を無視してやれという指示を出したつもりはない」と反論したというが、「法令を無視してやれ」などと自分で自分の首を絞めるような直接的指示は誰が出すものか。だが、そう仕向けた暗黙の強制は直接的指示とは別物である。

 「納付率」アップの正当な方法は未納者に納付するよう説得して納付させることであるのは言うまでもない。但し、本人からの免除の申し出によっても、それに許可が出た場合未納者の数を減らすことになって、結果として「納付率」アップにつながる仕組みとなっている。村瀬長官がこの仕組みを知っていたかどうかである。

 納付状況は年金制度維持の重要な柱である。監督官庁の長官たる者が、いくら民間から就任したとしても、知らなかった情報だとしたら不勉強の謗りを免れることはできない。その責に当たる資格を失う。

 その責に当たっている以上、当然知っていた情報であることを踏まえて、2割アップの「緊急メッセージ」を全国に配布したとしなければならない。だとしたら、「法令を無視してやれという指示」は出さなかっただろうが、免除制度を悪用した見せ掛けの納付率アップは行わないこと、あくまでも直接的な説得による納付を確保するようにとの指示を「緊急メッセージ」に同時に付け加えていなかったとしたら、知っていた情報に注意を払わなかったことになり、立場上求められる職責に対する不作為を犯したことにならないだろうか。

 その不作為が権威主義的な圧力のみを伴うこととなり、上からの2割アップの指示を果たすことだけを絶対しなければならない下の権威主義的な追随・従属意識を強め、指示を果たさなかった場合の責任問題へと発展する恐れも加わって相乗化したために保険料不正免除手続きにまで走ってしまったという流れではないだろうか。

 いわば村瀬長官が2割アップの指示を与えた時点で、日常普段から相互に習性としている権威主義的上下関係の力学が作動して下の者を従わざるを得ない立場に立たせることとなり、その指示に不正免除手続きを禁止する事項が付け加えられていないことが従わなくてもいいこととし、2割アップの数字操作だけを優先させたのだろう。不作為によって間接的・暗黙的に不正手続きを誘導したと言えなくもない。

 権威主義的力学が働いた不正行為として、過去に短銃押収工作がある。

 1995(平成7)年7月群馬県警前橋署、同年10月愛媛県警、同年同月長崎県警、翌1996(平成8)年 2月警視庁蔵前暑と、あろうことか警察官が短銃を押収したかのように工作した事件が相次いだ。
 
 これらの一連の偽装事件の背景となったのは、1995(平成7)年3月30日に短銃で何者かに狙撃された国松警察庁長官狙撃事件であろう。当時はオウム真理教問題で世間が騒然としていて、地下鉄サリン事件は同じ年(95年)の3月20日であり、捜査を妨害するためにオウム教団の信者が犯人ではないかと取り沙汰された衝撃的な事件だった。

 銃に対して世の中が敏感になっていた時期であり、銃器取締まりが強化された時期であった。押収した銃の中から国松長官を狙撃した拳銃が出てくる可能性も考慮に入れていたに違いない。警察庁が全国の警察の本部長を集め、銃器取締まりの強化を数値目標を掲げて指示し、上からのその指示を受けて本部長は地元に戻って各市町村の警察署長を集めて、数値目標と共に上の指示を伝え、署長は各署で部下に同じ上からの指示を同じように数値目標と共に伝える。

 かくして上からの数値目標は従属しなければならない絶対的指示となり、それをクリアするために自己の手柄意識も手伝って、偽装に走り、さも実際に押収したかのように工作する。

 このことは年次拳銃押収量が証明している。インターネットで調べた数値だが、国松長官が狙撃された1995(平成7)年、1396丁、1996(平成8)年、1035丁、1997(平成9)年、761丁、1998(平成10)年、576丁と年々減り、2004(平成16)年に至っては、1995(平成7)年の1396丁の4分の1以下の309丁となっている。暴力団関係者等からの押収量に対して一般人からの押収量は少し下回る程度で推移しているようだから、一般人の所持量もバカにならない。

 この押収量の減少は銃器そのものの所持数が減ったためとするのは犯罪の凶悪化や多発化の流れ、あるいはインターネット利用による入手簡略化の流れに反する。逆に増えていいはずの情勢であろう。群馬県警の短銃押収工作に関しての地裁の判決は、「重大な不祥事の発生を防ぎ得なかったことについては、けん銃押収努力目標数を設定し、その数値を達成することに目を奪われて、けん銃等に関する捜査、取調べや証拠物押収の実態に十分な関心を持とうとせず、今回の行為について署内で誰一人これを制止できなかったことに如実に表れているように、部下或いは同僚の違法ないし不当な扱いを見過ごしてきた警察内部の体質の問題性も厳しく指摘せざるを得ないのであって――」となっている。

 初期的な「数値目標の設定」は警察関係の場合は警察庁が行うもので(内閣とか自治大臣からの指示もあるだろうが、基礎的な数値は警察庁自身の策定によるだろう)、国松長官が狙撃された1995(平成7)年と翌年の2年間に4件もの警察の拳銃押収偽装工作が引き続き、それに合わせるように狙撃の年の1396丁の押収量(残念ながらそれ以前の資料を見つけることができなかった)をピークとしている。

 この状況は群馬県警の短銃押収工作に関する地裁の判決からも分かるように、銃器取締まりが権威主義的な力を伴った絶対的な指示となっていた様子を示すものであろう。上からの指示に対する下位権威者の権威主義的従属が行き過ぎて、「数値目標」を何が何でも達成しようとする意識が偽装工作をさせるまでに至ってしまった――。きっと露見せずに終わった工作をあったに違いない。

 その反省からの反動――「数値目標」の抑制・排除(=結果としての権威主義力学の抑制・排除)が拳銃押収量の年次推移にも影響して、減少化の一途となって現れたと考えてもいいのではないだろうか。

 このことを裏返しの形で証明する事例として挙げることができるのは、国松長官が狙撃された翌年のまだ拳銃摘発にホットであったはずの1996年10月に警視庁城東暑の刑事が知り合いの男から暴力団組長らの短銃所持事件の内部通報者を教えてほしいと頼まれて、その見返りに短銃の提供を受ける交換条件で短銃押収工作を計ったが失敗し、代わりに覚せい剤所持事件をでっち上げた偽装工作である。

 失敗は内部通報者をはっきりと特定できなかったために交換条件を成り立たせることができず、短銃提供まで持っていけなかったからだが、代りの手柄に刑事とのつながりを失わない狙いからだろう、その男から「覚醒剤事件を仕組むことを持ちかけられた。職務質問月間だったこともあって」(1997.5.22『朝日』)、譲り受けた覚醒剤を無関係な路上生活者のリュックサックにこっそりと忍び込ませて職務質問した上で任意同行したり、知り合いの工員の乗用車のドアポケットに入れて、職務質問の末に現行犯逮捕したりしたが、疑われた二人とも身に覚えがないことが判明していずれも失敗したという。

 日常普段から満遍なく遂行していなければならない全体的な職務を「職務質問強化月間」だからとか、「銃器取締まり強化月間」だからと(よく目にするのは「交通安全取締まり強化月間」であろう)、あるいは「数値目標」を指示されたからと、〝指示〟を受けた職務とその期間にのみ重点的に集中する。結果として、何々「月間」のため、「数値目標」のための職務と化す。このことの裏を返すと、「月間」や「数値目標」とかを設けて尻を叩く権威主義的圧力を加えなければ、職務に力を入れない、結果として成績が上がらないという状況を示すものだろう。これでは権威主義力学のさじ加減が成績を左右することとなり、それが拳銃押収量の年次推移に現れているのではないかと言うことである。

 しかし権威主義の圧力が行き過ぎると、偽装工作に走る。保険料不正免除手続きと言い、短銃押収工作と言い、お粗末な話だが、その他にも類似の成績水増しの偽装があるに違いない。民間で言えば耐震偽装、経営者の圧力に屈した会計監査人の粉飾決算の黙認、あるいはサラ金の会社上層部からせき指示を受けた強制取り立て等がある。

 こういった権威主義的な存在様式の範囲内での職務遂行は公務員の削減問題にも深く関わっている。
 
 小泉首相は公務員の5%削減目標に関して、「必要なものは増やす」として、必要なうちに警察官の増員を挙げている。だが、上からの権威主義的な力が加えられなければ職務に力を入れない日本人が歴史・伝統・文化としている権威主義的体質そのものを払拭して、自主的・主体的に仕事に取り組み、仕事の効率を上げていく姿勢をそれぞれが自らのものとして生産性(先進国と比較してホワイトカラーの生産性が低い原因ともなっているのだろう)を上げる仕組み・方向に持っていく政策でなければ、真の公務員改革につながらず、保険料不正免除手続きと同じく数字の操作だけで終わる可能性大である。


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