岡田外相の天皇の「お言葉」の見直し、どこに問題があるのか

2009-10-25 08:17:39 | Weblog

 岡田克也外務大臣が昨23日午前の閣議後の閣僚懇談会で国会開会式で天皇陛下が述べる、いわゆる「お言葉」の見直しを求めたという。

 岡田「今日は、あの、開会式に向けての、、まあ、陛下のお言葉の、オー、まあ、承認がありましたが、まあ、私からは、エー、過去の例を見ても、確か私の記憶では大きな災害があった直後の一回を除いてはすべて同じ、、ご挨拶を頂いていると。陛下にわざわざ国会にまで来ていただきながら、同じ挨拶を頂いているということの、まあ、その、そのことについて、よく考えてもらいたいと。

 もう少し陛下の思いが、色々と難しいことはあると思います。政治的な意味合いが入ってはいけないと。しかし、陛下の思いが少しは入った、そういう言葉を、オー、頂くような工夫ができないものか、考えて貰いたいというふうに言っておきました」(NHK動画から)

 「NHK」インターネット記事は「お言葉」について、〈国会の召集は、憲法で天皇陛下の国事行為の1つと定められており、国会の開会式では、天皇陛下が、政府が作成して閣議決定したお言葉を述べられます。〉と解説している。

 「東京新聞」は、〈お言葉は国事行為ではないが、内閣が責任を持つ。宮内庁によると、文面は内閣官房で考案。閣議決定を経て、天皇陛下がそのまま読み上げている。〉と解説している。

 岡田氏が言う「大きな災害があった直後の一回」とは1995年の阪神大震災直後の開会式のことで、〈「速やかな救済と復興は現下急務」との内容が加えられたことがある。〉(YOMIURI ONLINE)に当たるらしいが、「お言葉」が「政府が作成して閣議決定」NHK)という経緯を踏む以上、あるいは「文面は内閣官房で考案。閣議決定を経て、天皇陛下がそのまま読み上げている」という経緯を踏む以上、「速やかな救済と復興は現下急務」なる言葉も天皇自身の言葉ではなく、閣僚、あるいは自民党有力者の意向を汲んで政府が決定した“お言葉”ということになるのだろう。

 また、そういうことなら、「お言葉を述べられます」ではなく、実質的には言わせているに過ぎないのだから、「お言葉を読み上げます」と表現しなければ、正確な場面表現、あるいは正確な情報伝達とはならないはずだが、あくまでも形式として天皇が自らの「お言葉」を“述べる”という行為表現となっている。

 「お言葉」でないものを「お言葉」とすること自体が既に虚偽の体裁を成し、それを読み上げさせるのは一種のヤラセと言えるもので、このことこそ天皇の政治的利用に当たるはずである。

 自分が作成した言葉ではない言葉を「お」をつけて天皇の「お言葉」として、単に読み上げているに過ぎない他人が作成した言葉をさも自分の言葉であるかのように“述べる”場面展開は天皇の言葉であるかのように見せかけるゴマカシを介在させて初めて成り立つ。

 ゴマカシをゴマカシと見せかけないためには天皇に天皇としての権威があるからで、そのときの権威はゴマカシと背中合わせの状態にあるのだから、権威は単なる勿体ぶりによって保つことになる。

 国会の開会式の「お言葉」はどのような内容かと言うと、〈「国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します」などのくだりが例年盛り込まれている。〉(asahi.com)という。

 岡田氏は23日夕方の記者会見で自身の発言を改めて説明している。

 「無難に対応しようという官僚的発想で(お言葉が)同じ表現になっている。わざわざ国会までお出かけいただいているのに、陛下に申し訳ない」

 「国事行為に準じるので、『あまり政治的にならないように』という配慮が行き過ぎた結果、(お言葉の内容が)繰り返しになっている。ある意味で内閣の責任で、もっと陛下の思いが伝わる工夫がされるべきではないか」(以上時事ドットコム

 「政府が作成して閣議決定」NHK)するという、あるいは「文面は内閣官房で考案。閣議決定を経て、天皇陛下がそのまま読み上げている」東京新聞という「お言葉」がどういうふうな成り立ちを見せているか、自作HP等で何度か利用してきたが、改めて過去の新聞記事から見てみる。

 当時の韓国大統領盧泰愚(ノ・テウ)が1990年5月24日から26日まで国賓として訪日するに当たり、5月14日に韓国ソウルの大統領官邸・青瓦台で日本人記者との間で懇談会形式の会見が開かれた。

 「私の前任者(全斗煥前大統領)の訪日時、昭和天皇が不幸な歴史に遺憾の意を表明した。両国間に不幸な歴史があったことは誰もが認識している。
 
 加害者が誰であり、被害者が誰であったかについても共通の認識がある。加害者が被害者に『すみません』とか慰めの言葉を言うのは当然のことだ。

 韓国側から言うと、謝罪がはっきりしない。被害者は加害者の真心を疑わざるを得ない。真心から『すみません』と言ってくれれば、被害者としても『いや、結構です。これからうまくやりましょう』と言えるのではないか。

 日本の徳川時代、通信使の往来など両国は善隣友好の関係にあった。こんな歴史を見ると、不幸な過去は一時期のことだ。壬申倭乱(豊臣秀吉時代の朝鮮侵攻)と今世紀上半期の歴史(日本による植民地支配)は数千年の歴史から見ると点に過ぎない。今やこの点すらなくす時期にきている。

 『間違った』、『すみません』と言うおおらかな心を見せれば、韓国だけではなく中国や東南アジアが日本に対する認識を変える契機になる。力量があり、強い方(ほう)がおおらかな心を見せることが必要だ」(《盧泰愚大統領会見 主な内容》『朝日』/1990年5月15日―― 一部抜粋引用)
 
 要するに全斗煥(チョン・ドウファン)前大統領の訪日時よりも踏み込んだ謝罪を平成天皇の宮中晩餐会での「お言葉」に求めた。これを伝え聞いた当時自民党幹事長の小沢一郎が「(過去の植民地支配や侵略戦争について)反省している。(経済面などで)協力している。これ以上地べたにはいつくばったり、土下座する必要があるのか」と批判して韓国国内から“妄言”だと猛反撥を受け、政府・自民党首脳会議の場で迷惑をかけたと謝罪している。

 安倍晋三や麻生太郎と違って学習能力を備えているはずだから、民主党支持者としてこのときの小沢一郎ではないはずだと思いたいが・・・・・。

 盧泰愚韓国大統領の要望に対して当時の坂本官房長官が、〈「天皇陛下は象徴天皇であり、憲法で天皇の国事行為は限定的に列挙し、非常に厳しい制約がある。公的行為による発言も、内閣の助言と承認が必要であり、天皇陛下のお立場に照らして慎重に考えるべきだと思う」と述べ、政府として「お言葉」の扱いに慎重に対応する考えを明らかにした(『朝日』1990年5月15日)が、「今世紀の一時期、不幸な過去が存在したことに対して、心の痛む思いがいたします」の表現で検討を進めてきた「お言葉」を、「その不幸な過去を思うとき、悲しみと苦しみを痛切に感じます」の表現とすることで政府・自民党の最終調整に入る方針を決めたと1990年5月23日の『朝日』記事に出ている。

 この二つの記事からすると、「内閣の助言と承認が必要」という条件付きながら、「お言葉」に天皇の意志が介在しているように窺えるが、実際はそうではないことを中曽根元首相が自ら種明かししている。

 《84年の昭和天皇「お言葉」 中曽根氏が決断》『朝日』/1990年5月22日)

 盧泰愚が言っている「「私の前任者(全斗煥前大統領)の訪日時」の昭和天皇の「お言葉」に関してである。全文参考引用。

 〈中曽根元首相は21日午後、都内の事務所で記者団と懇談し、1984年(昭和59年)に韓国の全斗煥大統領(当時)が来日した際に昭和天皇がお述べになった「今世紀の一時期に於いて(日韓)両国の間に不幸が存在したことは誠に遺憾」とする「お言葉」は政府部内で検討を重ねた上で最終的には、首相だった中曽根氏自身の決断で決まったものであることを明らかにした。

 中曽根氏によると、盧泰愚大統領の来日を控えて現陛下がどのような「お言葉」を表明されるか問題になっているのと同様、当時も昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々の議論があった。

 このため首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められ、最終的には中曽根氏自身が「全大統領は政治生命をかけて日本にやってくる。大統領が(ソウルの)金浦空港に帰ったとき、韓国国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進の上で、キーポイントだ。ついては私に一任させてほしい」と一任をとりつけ、「お言葉」の表現を決めたという。

 昭和天皇の「お言葉」は84年9月6日、皇居で開かれた歓迎夕食会の席上、述べられた。〉――

 記事は〈当時も昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々の議論があった。〉とか、〈「お言葉」は政府部内で検討を重ねた〉、あるいは〈首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められ〉たと、いずれかの場面で天皇を主体とした天皇自身の意志が介在し、そのような介在を背景として「議論」、「検討」、「文案つくり」が行われたかのような内容となっているが、〈一任をとりつけ、「お言葉」の表現を決めた〉とする経緯は最終的には天皇の意志の不在を物の見事に証拠立た中曽根の得意げな打ち明け話となっている。

 その「お言葉」に天皇の意志が関わっていたにも関わらず、中曽根がそのように発言しているのだとしたら、天皇を蔑ろに僭越行為となるが、どちらにしても天皇の意志を不在の状態に置いた「お言葉」であることに変わりはない。

 つまり、〈現陛下がどのような「お言葉」を表明されるか問題になっている〉にしても、〈昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か〉にしても、検討、その他を加えている主体は天皇を一切関与しない場所に置いた外務省や宮内庁、あるいは内閣だというわけである。

 1991年9月の昭和天皇のASEAN3カ国(タイ・マレーシア・インドネシア)訪問時の《『天皇陛下ASEAN訪問のお言葉 「過去」に触れるが、強い謝罪は避ける 政府が方針を決める』》『朝日』1991.9.19.)は「お言葉」の一段と天皇の意志の不在を証明する記事内容となっている。(一部省略)

 〈政府は18日までに、天皇陛下の東南アジア3カ国(タイ・マレーシア・インドネシア)訪問の際の歓迎晩餐会などでの『お言葉』について、第2次世界大戦の際に日本が与えた被害について言及するものの、謝罪の念を表すような表現にはせず、また3カ国とも同じ表現にするとの方針を固め、外務省で文案を作り、現在首相官邸、宮内庁などとの間で最終的な詰めを急いでいる。・・・・・・・
 
  陛下は昨年5月に盧泰愚韓国大統領が来日した際、「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じ得ません」と、戦前の植民地支配など「不幸な時期」が日本の責任であることを明確にした上で、お詫びの気持を示されている。

 外務省よると、韓国大統領への「お言葉」について、国内から天皇の政治的利用という批判があったことから、今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。

 しかし、「未来を志向した友好親善への期待を述べられる中で、過去にも言及される方が自然で、言及がないとかえって論議を招く」との判断から言及することになった。ただ、韓国大統領に対しての「お言葉」のように強く謝罪の意を滲ませることは避ける方針で、文案はかつて昭和天皇がスハルト・インドネシア大統領やマルコス・フィリッピン大統領ら東南アジア諸国の元首を迎えた際に、「不幸な過去」「不幸な戦争」という表現で間接的に遺憾の意を示したのを参考に練ったという。今回はこれに近い表現になる見通しだ。〉――

 最後の〈文案はかつて昭和天皇がスハルト・インドネシア大統領やマルコス・フィリッピン大統領ら東南アジア諸国の元首を迎えた際に、「不幸な過去」「不幸な戦争」という表現で間接的に遺憾の意を示したのを参考に練ったという。今回はこれに近い表現になる見通しだ。〉とする箇所は恰も天皇の意志が少しは関わった「遺憾の意」であるかのように思わせるが、〈韓国大統領への「お言葉」について、国内から天皇の政治的利用という批判があったことから、今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。〉や、〈韓国大統領に対しての「お言葉」のように強く謝罪の意を滲ませることは避ける方針〉といった箇所から窺うことができる経緯はまさしく天皇を蚊帳の外に置いてその意志を全く介在させない自分たちだけの楽屋うちのみの「お言葉」作成となっている。

 あとは天皇がさも自分の言葉であるかのように「お言葉」を書いてあるとおりに読み上げる連携プレーがあって、「お言葉」は役目を終える。

 但し、日本の天皇が謝罪したという外国にとっての成果は残る。天皇自身が心の底から謝罪の気持を持ったとしても、日本の政府も日本の国民も自らは厳しく先の戦争を総括しない場所に立っている以上、日本の政府や日本国民から見た場合、単に天皇に言わせた謝罪、あるいは天皇が言ったに過ぎない謝罪――形式で終わる。

 いわば日本の政府が天皇を政治的に利用しているだけではなく、日本国民も意図しないまま気づかずに天皇の政治的利用に加わっていることになる。露骨に言うと、天皇は政治的利用体として存在させられているに過ぎないことになる。

 政治的利用体であることは、〈韓国大統領への「お言葉」について、国内から天皇の政治的利用という批判があった〉としている解説そのものが直接的に証明している。「お言葉」が天皇自らの言葉でない以上、政府はあそこまで謝罪させる言葉を天皇に喋らせることはなかったとする意味の批判でなければならないはずだから、「お言葉」をつくった政府が政治的に利用した側で、天皇は政治的に利用されたという文脈となる。

 そこで〈今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。

 しかし、「未来を志向した友好親善への期待を述べられる中で、過去にも言及される方が自然で、言及がないとかえって論議を招く」との判断から言及することになった。〉と、天皇を介してそう思わせる言葉の操作を施すこととなった。施す側は言葉の操作――もっともらしい言葉のつくりのみだと思っていても、言葉に重みと価値を与えるのは天皇の権威なのだから、やはり天皇の政治的利用以外の何ものでもなくなる。

 もし天皇が政治的利用体ではなく、「お言葉」が天皇自身の主体性に任されていたなら、周囲がアドバイスすることはあっても、〈今回の訪問先の3カ国が陛下の謝罪を求めていないことから、一時は、「お言葉」の中で「過去」にまったく言及しないことも検討された。〉といった展開は起こりようもないことであろう。

 もしそのような「検討」が天皇自身の意志の全面的な介在の元で行われていたとしたら、天皇の人柄が知れるということになる。

 いわば日本政府が天皇を、その〝お言葉〟を介して、侵略戦争の謝罪を強めたり薄めたりする政治的に利用する道具としているということである。

 このように天皇を介してその時々の状況に応じて変化を持たせる謝罪態度にしても、日本政府自らが厳しく戦前の戦争を総括していないことから起きている、その相互反映としてある現象であろう。

  「2600年の歴史」と、その「2600年の歴史」を脈々と生きついできた「万世一系の天皇」を日本民族の優越性を証明する一大権威としていること自体が既に天皇を利用する存在としていることの証明でしかない。そして天皇の権威を日の丸や君が代に反映させて、日本民族の優越性を証明する付属装置としている。

 もし岡田外相の「陛下の思いが少しは入った言葉を」の要請が「お言葉」に天皇の主体的意志の介在を求めたものなら、本人は意図していなかったとしても、政治的利用体としての天皇から政治的利用の側面を僅かでも削ぐことになる。政府がつくった言葉をさも自分の言葉であるかのように「お言葉」として単に機械的に読み上げる、あるいは言わせられる利用される存在からの部分的救出を結果とする。

 だが、そのような意図的、あるいは無意図的な期待に反して、逆に岡田外相の言動を批判する声が上がった。

 自民党大島理森幹事長「政府が陛下のお言葉にものを申し上げるのは、憲法上も、政治論としても行き過ぎた発言だ。民主党のおごりを感じる」(msn産経

 「政府が陛下のお言葉にものを申し上げ」て、その時々の都合に合わせてきた政治的利用こそが問題なのだが、利用してきた一員に属する自民党の古い政治家だからなのか、自分たちがしてきたことがどのようなことなのかには気づかない。

 政治評論家有馬晴海「天皇陛下は政治的に独立していて、政治に介入しないのが大原則。それなのに国会議員、まして閣僚が天皇陛下の言動に触れるのは暴走だ」(サンスポ

 天皇を「政治的に独立」した存在だとするのは日本政府とは独立した政治的存在と位置づけることになる。日本国憲法は「第1章 天皇」、「第4条 天皇の機能」で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とする規定を受けていることからすると、天皇を政治的存在だとするのは憲法に違反することになる。

 いわば「お言葉」が天皇の主体的意志の介在によって作成され、内閣の助言と承認を経るという経緯を踏んでいたなら政治的利用云々とは無関係と言えるが、政府が外交上の措置として自分たちで作成し、自分たちで承認した文章を天皇の「お言葉」として天皇に機械的に読み上げさせること自体が既にその権能を持たない天皇に国政に関わらせる政治的利用に足を踏み入れていることになる。

 それが謝罪であろうとなかろうと、天皇の言動が外交上の措置としてあるなら、憲法が禁じている「国政に関する権能を有しない」とする規定を破る政治的利用に当たるということである。これは「お言葉」が誰が作成するか否か以前の問題であろう。外交とは「国政に関する権能」の一つに当たるからだ。

 同「サンスポ」は〈有馬氏には、慎重といわれる岡田氏までがこういう発言をするとは、民主党全体が“のぼせ上がって”いるようにみえるという。〉と伝えた上で、さらに有馬氏の発言を続けている。

 「今までの“自民党的常識”を破らないと国民に評価されないと勘違いして、見栄えのいい政策のアドバルーンを上げる競争を党内でやっているようなところがある。しかし『オレがオレが』は実行してから言ってほしい。岡田氏も自分のところの米軍普天間基地移設問題を片づけるのが先だ」

 天皇の政治的利用という点で、どうも的外れな批判に思える。

 民主党西岡武夫参院議院運営委員長「開会式における陛下のお言葉について、私どもが政治的にあれこれ言うことは、あってはならない。信じがたい」(毎日jp

 「陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切」(東京新聞

 岡田氏の「陛下の思いが少しは入った」は「お言葉」の作成に天皇の意志の介在を求めたものに過ぎず、それが「政治的中立」を備えた「お言葉」なら、問題はないはずだが、既に触れたように先の戦争に対する謝罪であれ何であれ、天皇のどのような言及もそれが外交上の措置であるなら、「国政に関する権能」を持たせることとなって、「政治的中立」は齟齬を来たす。

 例えこのことを無視したとしても、政府が作成した言葉を外交上天皇の「お言葉」とする政治的利用の問題は残る。先の戦争の国家・国民一体となった総括の回避が天皇の謝罪を続けさせる結果となっているのだから、その問題をクリアすることが「お言葉」に関わる政治的利用からの唯一の解決策となるのではないだろうか。

 そういったステップを踏むことによって外交的にも天皇は自らの言葉を持つことができる。天皇が先の戦争を侵略戦争だとは把えていないとしたら、話は別だが、どのような言葉を発しようとも、自分が発した言葉は自らが責任を負う一般原則に立つことによって、天皇であっても表現の自由を確保し得る。

 このような自律的存在とする規定があって、戦前にもあった天皇の政治的利用から自らを遠ざけておくことができる。


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