安倍晋三の日本が鎖国国家なら許される一国のリーダーとしての資格

2013-07-22 08:32:56 | Weblog

 日本は政治的にも経済的にも一国で成り立っているわけではない。外国との関係が日本のすべてを決定するわけではないが、基盤のところで外国との関係に大きな影響を受けて、その影響の中に日本は存在する。それは為替や株の動き一つ取っても、その相互関連性が理解できる。

 このことを逆説すると、わざわざ断るまでもないことだが、世界の中で日本を一国で成り立たせることは不可能ということになる。

 安倍晋三は第3次小泉内閣で内閣官房長官を務めていたとき、2006年2月16日の衆議院予算委員会答弁で既に日本の侵略戦争を否定している。 

 衆議院予算委員会(2006年2月16日)

 笹木竜三民主党議員「民主党の笹木竜三です。質問を始めます。

 今週、おとついですか、我々の党の前代表である岡田委員の方からも、戦後についての認識ということについての質問があり、やりとり、ここで聞かせていただきました。簡単に言ってしまうと、これからはアジアが最も成長する、今まで、日本にとって経済的にも一番のお得意はアメリカだったけれども、これからは、アメリカも含めてアジアに注目する、日本にとっても非常にさらに大事なつき合う相手の国になっていく。そんな中で、敗戦の認識あるいは戦後の認識、これは、今後のアジアとのつき合いの中でも、きょう、官房長官、外務大臣、あるいは財務大臣おられますが、それぞれの大臣にとっても、政策を決定するときに最も大事な基本になる部分じゃないかと思います。

 それで、きょうはまず最初に、敗戦と戦後の認識についてお尋ねをしたいと思っています。

 まず、(安倍)官房長官にお聞きをしたいわけですけれども、今週、そのやりとりの中で何度か村山談話が引用をされました。その中のこの文章も何度かそれぞれの大臣も引用されたわけですが、『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします』(村山談話)

 こういった文章が何度か引用もされましたが、ここで言われている痛切な反省と心からのおわびの気持ち、これは、当時の村山総理大臣がどういう気持ちでこの文章をつくったかということを聞いているんじゃありません。これを、官房長官が、あるいは他の大臣も何度かこの文章に沿ってお答えになっている。ですから、これが政府見解だとしたら、政府の立場だとしたら、この痛切な反省と心からのおわびの気持ち、これは誰に対して痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明しているのか。

 最初にお断りをしたいわけですが、官房長官、先般も、政府の立場と自分の歴史観とはこれは別のものだという発言をされました。別に私は、ここで個人としてのひとり言をお答えくださいと言っているわけじゃありません。政治家としての官房長官のお答えをいただきたい、そう思って質問していますので、よろしくお願いします」

 安倍官房長官「政府としては、平成17年の8月15日の(小泉)内閣総理大臣談話等において、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのおわびの気持ちをこれまでも一貫して表明してきております。この平成十七年の内閣総理大臣談話もそうでありますが、その以前の村山談話もそうでございます。

 委員の御下問は、誰に対しということだというふうに思いますが、これは、国内外において苦痛をこうむった方々に対して発せられた言葉であるというふうに理解をしております。

 笹木竜三民主党議員「これは、よくやりとりの中で質問もあってお答えもあるんですが、なかなかはっきりとお答えにならないので確認をさせていただきたいんですが、当然、一つの物事にはいろいろな側面があると思いますが、今のお答えだとしたら、アジアの方々も、そのおわびをする相手、反省をする相手として入っている、文章の脈絡としてもそうだと思うんですが、では、さきの戦争がアジアに対して侵略戦争だったということはお認めになるのか、確認をさせていただきたいと思います。

 安倍官房長官「いわゆる侵略戦争をどう定義づけるかという問題もこれは当然あるんだろうと、学問的にですね、このように思うわけであります。それが確定しているかといえば、まだ学問的に確定しているというふうには言えない状況ではないか、このように思うわけでありますが、アジアの国の人たちが、自分たちは侵略を受けた、こういう気持ちになっている、それは十分に理解できるわけであります。その文脈においては、我々は、先ほど申し上げましたように、村山談話また総理の談話において、痛切な反省の気持ちを申し上げたということでございます。

 他方、では、さきの大戦をどのようにこれは定義づけるかということでありますが、それはやはり、これは政府の仕事ではないだろうと私は思うわけであります。それはやはり歴史家の判断にまつべきではないか、このように思います」

 笹木竜三民主党議員「学問的にはまだ確定されていないとお話がありました。それは、学問的に確定されるのは、これは非常になかなか長い年月もかかると思いますが、何度もお話をしますように、官房長官としての御意見を聞いているわけです。

 では、アジアに対して侵略戦争という面だけじゃないとしたら、ほかにどういう意味合いがあったのか、それをお答えいただけますか。

 安倍官房長官「私が申し上げたのは、いわゆる侵略戦争という定義が定かでないということを申し上げたわけであります。

 歴史というのは長い連続性の中にあるわけでございまして、例えば、盧溝橋事件のときに日本軍はあの場所にいた、では、なぜあの場所にいたかといえば、これは北清事変講和議定書にのっとってあの場にいたわけでありまして、他の国の軍隊もいた。では、その前の北清事変講和議定書は、これは義和団事変の結果を受けて結ばれたわけでありますが、では、その評価はどうなのかということもあると思うわけでありますね。

 では、その背景は何なのかということをこれは一々詰めていく必要は当然あるんだろう、こう思うわけでありまして、それはそう簡単なことではないわけでありまして、この政治の場においてあるいは行政の場において、政府が歴史の裁判官になってそれを単純に白黒つけるということは、それは私は適切ではないのではないだろうか、このように思う次第でございます」 

 笹木民主党議員の村山談話は誰に対して発せられたものなのかとの問に対して、安倍晋三は「国内外において苦痛をこうむった方々に対して発せられた言葉」だと答弁している。

 村山談話のその箇所の文言は次のようになっている。

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」――

 「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持」の直接的な発信対象はあくまでも「植民地支配と侵略」の被害国と被害国民に対してであって、それとは別に、「この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」と、内外の犠牲者を対象として「哀悼の念」を表しているのであって、いわば発信対象の主体は「植民地支配と侵略」の被害国と被害国民であるにも関わらず、安倍晋三は「国内外において苦痛をこうむった方々に対して発せられた」と一緒くたに扱う答弁を行なっている。

 ここには当然、ゴマ化しがある。大体からして村山談話が日本の戦争を「植民地支配と侵略」と定義づけている以上、あるいは「植民地支配と侵略」を歴史認識としている以上、国内外の国民を同等に扱うことは論理的矛盾を来すことになる。同等に扱ったとしたら、「植民地支配と侵略」に於ける加害者と被害者の関係をなくすことになる。

 村山談話でもう一つ忘れてはならないことは、「過去の過ちを2度と繰り返」さない戒めと平和構築の訴えを日本国民に発しているということである。「過去の過ち」を「植民地支配と侵略」としていることは断るまでもない。

 だが、安倍晋三は 村山談話と小泉談話が認めている侵略に関しては、「学問的に確定しているというふうには言えない状況」にあり、その定義づけは「歴史家の判断にまつべき」だとする表現で、一見、侵略か否かの確定に猶予を置いているように見えるが、猶予を置くこと自体が村山談話と小泉談話が認めている侵略を否定していることになる。

 そして安倍第2次内閣の今なお、その歴史認識は変わらない。

 いわば日本の戦争の侵略否定は安倍晋三という政治家に於ける歴史認識の本質を成していると断言できる。

 安倍晋三が日本の戦争の侵略を否定している以上、日本の戦争を侵略戦争とした東京裁判を否定したとしても不思議はない。

 2013年3月12日衆議院予算委員会。

 安倍晋三「「先の大戦においての総括というのは、日本人自身の手によることではなくて、東京裁判という、いわば連合国側が勝者の判断によってその断罪がなされたということなんだろう、このように思うわけであります」――

 東京裁判は勝者の判断による断罪だからと、日本の戦争を侵略戦争としたことを否定する歴史認識を示している。

 このように歴史認識を示しながら、そのくせ、この答弁の続きの最後で、「いずれにせよ、こうした歴史に対する評価等については、専門家や歴史家にまさに任せるべき問題ではないかというのが私の考えであります」と、「歴史に対する評価」(=歴史認識)は歴史家に任せるべきだと、現在も変わらない矛盾したことを平気で言っている。

 中国の大地に国民の構成を日本国籍の日本人を主体としていたゆえに国籍を必要としなかった満州国創建と対中軍事行動が証明することになる日本の中国に対する侵略、強権を用いた韓国併合が証明している韓国に対する植民地支配、八紘一宇、大東亜共栄圏、植民地解放をスローガンとしていながら、1943年5月31日の御前会議で決定した「大東亜政略指導大綱」で、「六 其他ノ占領地域ニ対スル方策ヲ左ノ通定ム」と規定した政策要領で「但シ(ロ)(ニ)以外ハ当分発表セス」と指示して、「(イ)『マライ』、『スマトラ』、『ジャワ』、『ボルネオ』、『セレベス』ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム」と、上記国と地域に対して植民地解放とは正反対の日本植民地化の方針を打ち出し、南方に向けてその方向で軍事行動を起こした歴史的事実は東京裁判を待つまでもなく、日本の戦争が植民地化と侵略を性格としていたことを証明しているはずだ。

 そしてこの事実が国際的な評価ともなっているという現実は日本が政治的にも経済的にも一国で成り立っているわけではない相互関係性から言っても、日本のリーダーが外国との関係で対外国認識、特に中国、韓国に対する認識とすることを求められている歴史事実であるはずである。

 日本は鎖国国家として外国と独立して存在しているわけではない。経済的にも多くの外国から恩恵を受けている。いくら国内的な経済政策に優れていても、外国との経済的相互関係を否定できない以上、国際的な評価となっている日本の戦争が侵略戦争であり、植民地戦争であったことを対外的歴史認識としていない政治家はリーダーとしての資格を失うはずだ。

 この条件に適合していない安倍晋三は例えアベノミクスが成功したとしても(私自身はその成功に疑いを持っているが)、日本のリーダーとしての資格を有していないと言うことができる。


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石破茂の激しい怒りを覚える... | トップ | 安倍晋三の「条件を呑まなけ... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ライダイハン)
2015-09-19 04:53:33
私は生まれつき左目が斜視なのですが、この画像は斜視の人に対する差別なのではないでしょうか。
非常に不愉快です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事