リオ閉会式:安倍晋三個人の宣伝となったパフォーマンスに12億円/2のムダ遣い

2016-08-29 09:52:04 | Weblog

 リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式と9月のリオ・パラリンピック閉会式で次回2020年東京オリンピックの東京をPRするための演出に掛けるカネが合わせて約12億円であることが明らかになったと 2016年8月26日付でマスコミが伝えていた。

 オリンピックの方の閉幕式は8月21日の夜(日本時間8月22日午前)に既に終了している。約8分間のアトラクションが行われた。ざっと計算すると6億円が既に消費されたことになる。

 もしパラリンピック閉会式の東京PRよりもオリンピック閉会式の東京PRの方により多くのカネを掛けたアトラクションを用意していたとなると、障害者の競技を下に見ていることになる。

 例え競技への参加者数やそれぞれの競技の規模そのもの、あるいは競技全体の規模、さらには観客動員数(=人気)に差があったとしても、同等のカネを掛けるべきであろう。障害者の競技を下に見るなどという差別があってはならない。

 但しこのことと合計12億円と言う大金を掛けることの妥当性は別の問題である。

 約8分間のアトラクションの内容は安倍晋三を人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに扮装させて登場させたこととドラえもんやキャプテン翼など日本が誇るアニメのキャラクターの紹介、最新の映像技術を駆使して約50人の日本人ダンサーが生出演して場を盛り上げたといったところらしい。

 そして一番話題に上ったのが安倍マリオの登場の仕方だったという。マスコミはサプライズとして紹介した。

 つまり閉会式場の観客の目のみならず、テレビを通して閉会式のアトラクションに目を凝らしていた世界中の多くの目が安倍マリオの登場をサプライズとして受け止め、注目した。

 それがサプライズであればある程、人々の脳裏にサプライズが残像として残り、安倍晋三がその後映像や自身の言葉で東京を如何にPRしようとも、残像に邪魔されてサプライズ程の強い印象を与えないということが起こる。

 街中で自分のタイプの美しい女性に突然出会い、そのまますれ違っていく。自分にとってのそのサプライズ(=衝撃)が強過ぎて、出会った瞬間の女性の顔以外は街の様子も人通りも、そしてその後のことも記憶から抜け落ちてしまっているといったことが起こるが、それと同様の現象である。

 もし安倍晋三が説明する東京のPRが当たり前のように耳に入ってきたとしたら、マリオの姿で登場した姿はそれ程のサプライズ(=衝撃)を与えなかったことになる。例え与えたとしてもほんのいっときのサプライズに過ぎなかったことになる。

 前後どちらであったとしても、東京をPRするということについては安倍晋三がわざわざマリオに扮して登場することにさしたる意味はなかったことになる。

 あくまでも主目的は効果的な東京のPRであって、安倍晋三の登場の仕方に如何にサプライズを演出するかではない。

 大体が各国共に東京オリンピック開催の2020年に向かってテレビや新聞で日本という国、東京という世界的な都市、そこでの日本人の暮らしや文化、歴史を紹介するものである。もし紹介されないようなら、日本という国も東京という都会も、そこでの日本人の暮らしも文化も歴史も興味をそそらない対象ということになる。

 いわば日本人が気づかない外国でそれぞれの国のマスメディアが2020年を視野に入れて自国民向けに日本や東京を紹介していくだろうし、それらマスメディアは結果的に東京PRの役目を担うことになる。

 日本人アスリートの陸上リレーのバトンタッチの高度の技術といったことも紹介されるかもしれない。

 こういったそれぞれのPRの全体はより詳しい、よりバラエティーに富んだ幅の広い内容と合わせて長時間となるだろうから、リオ五輪閉会式で東京をざっと紹介する8分間のアトラクションよりも具体性があり、その分効果的であるだろうし、何よりも日本自らが東京をPRするのは当たり前のことだが、外国が日本や東京をPRするのはそれぞれの外国の目を通して日本や東京の魅力を探し当てる未知への探検の意味合いもあって、その分、それぞれの国の国民の興味を掻き立てる要素を持つことになる。

 こういった先のことを見通すと、やはり閉幕式にわざわざ特別なサプライズを用意して12億円の2分の1まで掛けて東京をPRするまでもなく、当たり前の紹介で良かったはずだし、9月のパラリンピック閉会式も右へ倣えでいいはずだ。

 肝心なのは2020年を頂点として如何にして盛り上げていくか、如何に外国が自ら進んで盛り上げ役を担ってくれるかであって、閉会式に特別なスポットライトを当てることではないはずだ。

 内外のマスコミが、特に日本のマスコミが安倍晋三がマリオの扮装をして登場したこと自体を特別なサプライズとして印象づけている以上、安倍晋三個人の宣伝目的となったとは言うことができるが、そのような個人的なパフォーマンスをサプライズとするために12億円の2分の1を費やしたとなると、どう見てもムダ遣いにしか見えない。

 こういった点からだけではない。安倍晋三がアベノミクスで国民に勇気や夢や希望を与えることができているならまだしも許されもするが、逆に失望を与えつつある現状にありながらカネを掛けて自分が目立つためのパフォーマンスを演じ、それをサプライズとするのは自身の役目の履き違えであると同時に現状そのもののゴマカシである。

 ムダ遣いまでして役目の履き違えとアベノミクスの現状のゴマカシをマリオの扮装で演じた。


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