安倍晋三は徴兵制を否定するが、愛国心は徴兵制を苦役としないという論理を持ち出せば徴兵制も可能となる

2015-07-28 08:46:15 | 政治

 7月16日(2015年)に衆議院で可決した安全保障関連法案が7月27日、参議院本会議で審議入りし、代表質問が行われた。最初の質問者自民党の山本順三が野党が示している徴兵制への懸念を取り上げていた。

 山本順三「衆院では116時間もの審議が行われたが、野党各党は『戦争法案だ』『徴兵制につながる』など、情緒的な議論に終始してきた。時間は長くても法案の必要性や中身についての真正面からの議論ではなかった。これこそが国民に法案の中身が伝わらず、理解を妨げた要因ではないか。戦後70年、わが国は平和国家として確固たる歩みを進めてきた。その矜持(きょうじ)を持ちながら、さらなる時代の変化に対応するのが平和安全法制だ。

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 『今回の法案は徴兵制につながる』という声もある。これこそは、なぜそうなるのか全く理解できない、根も葉もない、悪意に満ちた感情的、扇動的論理だ。大前提として徴兵制は憲法上認められない。首相も何度も説明してきた。『憲法を改正するつもりだろう』といわれるが、自民党の憲法改正草案でも徴兵制など全く考えていない。また、自衛隊には多くの志願者がいる。最新の防衛白書によれば、採用の倍率は職種にもよるが、主要な種目では3・6倍から58倍にのぼる。事実として徴兵制の必要は全くない」

 安倍晋三「そもそも徴兵制は憲法18条が禁止する『意に反する苦役』に該当するなど明確な憲法違反だ。徴兵制の導入は全くない。このような憲法解釈を変更する余地は全くない。いかなる安全保障環境の変化があろうとも、徴兵制が本人の意思に反して、兵役に服する義務を強制的に負わせるものという本質が変わることない。

 さらに申し上げれば、自衛隊はハイテク装備で固められたプロ集団であり、隊員育成には長い時間がかかる。安全保障政策上も徴兵制は必要ない。長く徴兵制を取ってきたドイツ、フランスも21世紀に入ってから徴兵制をやめており、G7(主要7カ国)諸国はいずれも徴兵制をとっていない。

 国際的に見ても、集団的自衛権の行使の有無と徴兵制か志願制かは関係ない。スイスは集団的自衛権を行使しないが、徴兵制を採用しており、集団的自衛権の行使を前提とするNATO(北大西洋条約機構)構成国である米英独仏などは志願制の下で軍を維持している。首相が替わっても、政権が替わっても徴兵制導入の余地は全くない」(以上産経ニュース) 

 果して徴兵制への懸念は「情緒的な議論」なのか。「根も葉もない、悪意に満ちた感情的、扇動的論理だ」と一概に切り捨てることができるのだろうか。

 人口減少時代で今後若者の人口が減っていく。その上後方支援を名目とした海外派遣が多くなって自衛隊員のリスクが高まった場合の予測される自衛隊への志願者が減少した場面での隊員不足にどう対処するのだろうか。

 安倍晋三は外国を例に取り、「ドイツ、フランスも21世紀に入ってから徴兵制をやめており、G7(主要7カ国)諸国はいずれも徴兵制をとっていない」などと言って、日本ではあり得ない事実に代えようとしているが、こと安倍晋三に限っては参考にはならない。

 安倍晋三は徴兵制は憲法違反だと言い、禁止している根拠として憲法18条を挙げた。

 「日本国憲法 第3章国民の権利及び義務 第18条」は「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」
 
 つまり安倍晋三の論理は自分から志願した兵役は「奴隷的拘束」ではなく、「意に反する苦役」でもないが、徴兵制に基づいた兵役は「奴隷的拘束」であり、「意に反する苦役」に当たるから、憲法違反だと言っていることになる。 

 戦前、日本国憲法は存在しなかったが、戦前の大日本帝国憲法は第20条で「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」と徴兵制を敷いていて、現在の日本国憲法第18条で解釈すると、その徴兵制に基づいた兵役は「奴隷的拘束」及び「意に反する苦役」に相当することになる。

 だが、戦前の日本国民の多くは「天皇陛下のため・お国のため」と勇んで戦場に赴いた。「奴隷的拘束」だ、「意に反する苦役」だと思っていたなら、ああまでも国家・軍部の戦意発揚に乗っかって愛国心を発揮することはなかったろう。

 逆に身体的条件から兵役を除外された国民は「お国のためにお役に立つことができないのは恥ずかしい」と愛国心発揮の最も大事な機会を奪われて肩身の狭い思いをしたという。

 このような現象は憲法が徴兵制を敷いているかどうか以上に“愛国心”という思想・心情がより大きく影響している国民の、当時の支配的な存在性であったはずだ。

 戦前のこの愛国心は盲目的な愛国心ですらあった。但し直接的には天皇を日本国に於ける最大の権威として敬う気持から発した愛国心――権威主義に絡め取られた天皇の日本に対する愛国心であった。

 1946年発行の『菊と刀』( ルース・ベネディクト)に次のような一節がある。

 〈多くの俘虜たちがいっていたように、日本人は「天皇の命令とあれば、たとえ竹やり一本のほかになんの武器がなくても、躊躇せずに戦うであろう。がそれと同じように、もしそれが天皇の命令ならば、すみやかに戦いをやめるであろう」「もし天皇がそうお命じになれば、日本は明日にでもさっそく武器を捨てるであろう」「満州の関東軍――あの最も好戦的で強硬派の――でさえその武器をおくであろう」「天皇のお言葉のみが、日本国民をして敗戦を承認せしめ、再建のために生きることを納得せしめる」

 この天皇に対する無条件、無制限の忠誠は、天皇以外の他のすべての人物および集団に対してはさまざまな批判が加えられる事実と、著しい対照を示していた。
   ・・・・・・
 天皇の最高至上の地位はごく近年のものであるにも関わらず、どうしてこんなことがありうるのであろうか。〉――

 いわば“愛国心”という思想・心情を培養液とすることによって、いくら日本国憲法が第18条で禁じているとしたとしても、直接的な文言で「徴兵制を禁ず」と書いていない以上、「奴隷的拘束」及び「意に反する苦役」と規定して支配することになっている“苦”の衣を徴兵制から剥いで、戦前同様の“喜び”の衣を纏わせることも可能だということである。

 特に安倍晋三は愛国心の涵養に熱心である。第1次安倍政権時代の2006年、安倍晋三本人は「愛国心」という言葉を直接表現してキーワードとすることを欲したが、連立与党の公明党や愛国心を盛り込むことに反対する野党や世論に配慮して、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とする遠回しな表現を盛り込んだ教育基本法の改正に成功して、「国と郷土を愛する」愛国心教育に道を開いた。

 このように改正教育基本法よって小学生の時から愛国心教育を義務づけ、2004年発売の安倍晋三と岡崎久彦との対談集『この国を守る決意』で、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」と「汗と血を流す」愛国心を求めて止まない安倍晋三である。

 愛国心は徴兵制を「奴隷的拘束」としない、あるいは「意に反する苦役」としない、逆に率先垂範の“喜び”とするという論理の元、そのように受け取る愛国心ある若者のみを徴兵制の対象とすることも可能で、国家が進んで徴兵制に応じた若者を愛国心ある人物として賞賛の対象とし、徴兵制に応じない若者を愛国心がない人物として賞賛の対象から外した場合に生じる国家主義的な毀誉褒貶は、戦前既に経験しているように自ずとそこに日本人が行動様式としている権威主義の力学を伴って前者を善(=愛国者)とし、後者を悪(=非国民)とする社会的受容と社会的排除の価値観が働き、前者に従うべきとする社会的圧力が一般化しない保証はない。

 要するに安倍晋三の日本国憲法第18条を根拠とした徴兵制の否定は絶対ではないことになる。

 大体が安倍晋三は砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を合憲とした判決ではないにも関わらず日本国憲法が禁じている集団的自衛権の合憲の根拠とし、憲法解釈でその行使の実現を目指している。
 
 いわば安倍晋三は日本国憲法の法的安定性を自ら侵害し、破壊している張本人である。

 国民に「汗と血を流す」愛国心を求めて止まない天皇主義者で国家主義者の安倍晋三であることを考え併せると、憲法解釈徴兵制容認のどのようなウルトラCが飛び出さないとも限らない。
 
 徴兵制を杞憂とする根拠はないことになる。山本順三が言うことに同調して「根も葉もない、悪意に満ちた感情的、扇動的論理だ」と決めつけることも危険と言うことになる。日本国憲法の破壊者である安倍晋三を信用してはならない。


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