安倍晋三は集団的自衛権行使容認、いずれの方法が最善か、衆院を解散して国民の選択を問え

2014-06-28 10:08:21 | Weblog



 6月27日、政府は集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更を議論する自公の「安全保障法制整備に関する与党協議会」(座長・高村自民副総裁)の第10回会合を開催、解釈変更の閣議決定最終案を自民、公明両党に示し、公明党が概ね了承したため、来月1日次回与党協議で合意を成立させて、集団的自衛権行使容認の閣議決定をその日のうちに行う方針だという。

 閣議決定最終案には6月13日自民党提示の自衛権発動の新3要件を踏まえて、集団的自衛権について「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限度の実力を行使するのは憲法上許容されると判断するに至った」として、憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の方針を盛り込んだという。

 自民党提示の自衛権発動の新3要件を「TOKYO Web」が次のように伝えている。

(1)日本の存立が脅かされ、国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある
(2)これを排除し、国民の権利を守るためにほかに適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる――

 だが、である。「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限度の実力を行使する」とは、具体的にどのような事態の発生を想定しているのだろうか。

 例えば中東のある石油生産国が日本の年間石油使用量の50%近くを日本に輸出していて、その国に対する武力攻撃が発生し、石油の輸出が止まったと仮定した場合、「日本と密接な関係にある他国」と言うことになるが、日本が経済的に大打撃を受けることになったとしても、それで以って、「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」の発生と言うことができるのだろうか。

 大体が、「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」が予想される「他国に対する武力攻撃」とは、単発的なテロ行為を言うはずはなく、大掛かりで広範囲な攻撃を対象としているはずで、そのような攻撃に対して「必要最小限度の実力行使」がどれ程に役立つというのだろうか。

 安倍政権は「必要最小限度の実力行使」として機雷掃海を想定しているそうだが、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」している中で、その攻撃に関連して切迫した危機が想定される日本の存立と国民の権利が機雷掃海で回避可能だとでも考えているのだろうか。
 
 日本の存立と国民の権利を守る「必要最小限度の実力行使」とはそもそもからして論理矛盾そのものである。

 結局はアメリカ等の本格的な必要最大限の実力行使が収めることになる「他国に対する武力攻撃」という他力本願に頼ることになる。

 ただ単に憲法解釈による集団的自衛権行使容認を公明党と国民に納得させるための「必要最小限度の実力行使」云々に過ぎない、大したことではないと思わせる形容詞として用いている「必要最小限度」としか解釈しようがない。

 安倍晋三は、「日本の存立が脅かされ、国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」他国に対する武力攻撃とは具体的にどのような事態を想定しているのか、国民に明らかにすべきである。

 また、「日本の存立が脅かされ、国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」武力攻撃が日本に対するものである場合の自衛措置は、集団的自衛権が他国が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である以上、集団的自衛権行使ではなく、個別的自衛権の行使であって、日本と安全保障条約を結んでいるアメリカの集団的自衛権行使となるはずである。

 あるいは国連決議に基づいた侵略国制裁の集団安全保障措置にイギリスやドイツ、フランスが応じた場合の、それぞれの集団的自衛権行使ということになる。

 但し国連安全保障常任理事国の中国やロシアが国連決議に反対した場合、イギリス以下の参戦は国連決議に基づくことの根拠を失うことになる。

 武装勢力のテロ攻撃や外国による攻撃に対する日本の集団的自衛権行使に基づいた軍事的参加が常に「必要最小限度の実力行使にとどまる」保証はない。にも関わらず、安倍政権はその保証もない「必要最小限度の実力行使」を掲げて、憲法解釈を手段として集団的自衛権行使を獲ち取ろうとしている。

 ここに大事(おおごと)ではないと思わせるマヤカシを見ないわけにはいかない。

 大事(おおごと)となる危険性を排除できない以上、あるいは国家権力の恣意的支配の制限と国民の権利保障を共に謳っている憲法に深く関係する集団的自衛権の行使である以上、時の国家権力が数の力で単独で行うことができる憲法解釈とするか否かは国会のみで決めることではなく、国民も参加して行うべき決定でなければならないはずだ。

 安倍晋三は6月24日の通常国会閉幕を受けた首相官邸で記者会見で記者の質問に答えて、次のように述べている。

 内海共同通信記者「共同通信の内海です。

 総理が目指すように、集団的自衛権の行使を憲法解釈変更で容認すれば、憲法の規範性が損なわれるとの批判があります。安全保障環境の変化があれば、今後も憲法解釈変更で対応するつもりなのか、それとも、憲法9条改正に取り組む必要があるとの考えでしょうか。憲法解釈変更に伴う法整備、内閣改造の時期についてはどうお考えでしょうか」  

 安倍晋三「まず、憲法改正の是非については、国民的な議論の深まりの中において判断されるべきものだろうと思います。国民投票改正法案の成立により、一層国民的な議論が深まっていくこと を期待したいと思います」――

 自身は憲法改正の選択肢を否定し、あくまでも憲法解釈を目指している。

 だが、国民的議論の行く末は世論調査に現れることになる。

 6月21、22両日実施の共同通信社全国電話世論調査は次のようになっている。

 「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」

 賛成29・6%
 反対57・7%

 「集団的自衛権そのものの行使容認の賛否」

 賛成34・5%
 反対55・4%

 「行使を一度容認すれば、容認の範囲が広がる懸念があるかないか」

 懸念する62・1%

 記事には「懸念しない」のパーセンテージは出ていないが、62・1%が安倍晋三等の説明に信用を置いていないことになる。

 朝日新聞社が6月21、22日実施電話全国世論調査でも、似たような結果が出ている。

 「集団的自衛権そのものの行使」

 賛成 28%
 反対 56%

 「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」

 適切だ 17%
 適切ではない 67%

 「安倍政権の集団的自衛権をめぐる議論は十分か」

 十分だ 9%
 十分ではない 76%――

 かくこのように国民的議論は世論調査に現れている。

 多くの地方議会も反対や慎重であるべきだとする意見書を可決している。

 可決したのは100を超す市町村の議会だと、「47NEWS」記事が伝えている。

 以上の状況からしても、あるいは安倍政権が憲法解釈を手段とした集団的自衛権行使容認を大事(おおごと)ではないと思わせようとしていることの中には容認後の行使範囲の拡大解釈をも隠しているからであって、なぜなら常に必要最小限度の武力行使で終わる保証はない以上、武力の程度も行使範囲も拡大解釈に進まざるを得ないのだから、このような隠蔽は胡散臭いばかりだが、であるなら、時の内閣が決めることではなく、国民の参加を容認決定の要件とすべきだろう。

 一番分かり易い方法は衆議院を解散して、このことを争点に国民の選択を問うことである。


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