尖閣諸島沖中国漁船衝突事件 菅内閣の中国対応を検証する第三者機関を設けるべき

2012-01-23 10:18:54 | Weblog

 今日は休んでのんびりするつもりだったが、記事の中から見つけた仙谷の発言に腹が立って、記事を書く羽目になった。

 政治家が「自分は正しい、間違ったことはしていない」と言ったからといって、それを直ちに真に受けるバカな国民はいない。政治家自身がそう言っているだけのことと受け止めて、それが事実かどうなのか知りたいと欲する。

 一般国民は検証する手立てがないから、政治家に言いたいように言わせておくことになるが、もしそれが自分は正しかったと見せかける政治家の虚偽であった場合、往々にしてあとになってから事実が現れるもので、そういった偶然性に期待をかけることになる。

 だが、仙谷政策調査会長代行が昨1月22日大阪市の講演で、2010年9月7日発生の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件での対中外交を含めた自らの対応は全て正しかったと述べたことは外交上の危機管理や領土問題に関わるゆえに自分でそう言っているだけのことだと片付けるわけにも、事実はいつかは現れると偶然に期待するわけにもいかないはずで、第三者機関による検証委員会を設置して、仙谷を含めた当時の菅内閣の危機管理が正しい対処方法であったか、厳格に検証すべきではないだろうか。

 《仙谷氏 “自由党と合併”暗に批判》NHK NEWS WEB/2011年1月23日 0時11分)

 記事は2003年9月の民主党と小沢党首の自由党との合併に対する仙谷の批判に重点を置いている。

 仙谷結党当時のスローガンは、『霞が関解体』だったが、解体しつつ何を作るのかが一番難しい。野党時代の民主党には、ちょっと浅い部分があった。

 民主党は最初は小さかったが、鳩山元総理大臣や菅前総理大臣が政権交代を本気で考え始め、『離合集散』や『野合』と言われようが、数が多くないと政権がとれないとなったところからおかしくなった

 トンチンカンなことを言っている。

 「霞が関解体」とは政治行為の主導権を官僚から奪って、政治家自身が握ることであり、自らの主導権のもとに自らが掲げた政治を行う主体的政治行為以って「何をつくるか」に相当していくはずである。

 だが、政治家は自らが指揮官の地位にありながら、官僚を指揮官に位置づけ、官僚の指揮どおりに動く兵隊+スポークスマンに成り下がった官僚主導、官僚依存の状態に陥ったままであった。

 また、「野党時代の民主党には、ちょっと浅い部分があった」、あるいは「数が多くないと政権がとれないとなったところからおかしくなった」と言うなら、「ちょっと浅い部分」を抱えたまま、あるいは「おかしくなった」まま政権を担当したことになり、政権担当の資格及び正当性を自ら否定する発言となる。

 客観的には事実そのとおりの状況になっているが、この体(てい)たらくな状況を認めずに政権に居座っていることは恐ろしい。

 民由合併の事実があったから、政権交代、あるいは政権担当の事実があったという連続性はもはや否定できない事実でありながら、その事実に腹をくくることができずに、今更ながらにグチっている。

 こんな情けない手合いが官房長官を務め、現在政策調査会長代行を務めている。

 尖閣諸島沖中国漁船衝突事件対応を振り返って―― 

 仙谷「衝突のビデオを原則として一般に公開しなかったことなど、官房長官時代にやったことはすべて正しかったと思っている。あのときは大いに批判されたが、日中の外交関係や司法制度などの面から根拠に基づいて批判する人はほとんどいない」

 《仙谷氏が中国漁船衝突事件対応「すべて正しかった」と豪語 「論争『さあ来い』」》MSN産経/2012.1.22 20:32)での発言は次のようになっている。

 仙谷「私はいまだに、あの時のやり方、やったこと、すべて正しかったと思っている。

 外交関係、司法制度、海上警察権の行使、行政情報の公開のあり方、いずれの立場からも今の時点で批判をきちっとする人はいない。誰か本格的な論争を臨んでくるのがおれば『さあ来い』と思っている」 

 当時の菅内閣の誰もが、菅首相を筆頭に「国内法に則って粛々と対応する」と言っていた。

 ベルリン訪問中の岡田克也外相(当時)の中国人船長逮捕当日(2010年9月7日)の発言。

 岡田外相「我が国の領海内の出来事であるので、法に基づいて粛々と対応していく。先ほど官房長官とも電話でそういう方針を確認した」

 外務省幹部「国内法の執行が、外交のためという理由で曲げられてはいけない。国内法に基づいて粛々とやるのが当然だ

 仙谷官房長官(2010年9月8日午前記者会見)「外交的な配慮はなかった。粛々と手続きを進めた。そもそも尖閣諸島には領土問題は存在しないというのが日本の立場なので、日本の国内法で対処していく」

 前原国交相(2010年9月11日岐阜県多治見市記者会見)「尖閣諸島は日本固有の領土であり、違反事案があれば国内法に基づいて粛々と処理をする。お互いが冷静にならなくてはいけない」

 「国内法に則って粛々」なら、刑事訴訟法に忠実に基づいて起訴・不起訴のいずれかを含めてすべてを処理させていくべきであるのは極く当たり前の措置となる。

 そして2010年9月24日、那覇地方検察庁が記者会見で船長を処分保留のまま釈放することを発表。

 鈴木亨次席検事「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない。

 「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」

 記者「政治の判断があったのか」

 鈴木亨次席検事「検察当局として決めたことだ。・・・・船長に確認すべきことがあるため釈放の手続きには時間を要する」

 〈「国内法に則って粛々」なら、刑事訴訟法に忠実に基づいて起訴・不起訴のいずれかを含めてすべてを処理させていくべきであるのは極く当たり前の措置となる。〉と既に書いた。

 だが、鈴木亨次席検事の「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」は検事の判断基準にはない、刑事訴訟法から逸脱した、いわば「国内法に粛々」を大きく踏み外した判断でり、刑事訴訟法に忠実に基づいた場合、夾雑物としなければならない外交上の配慮を混じえている。

 刑事訴訟法を判断基準としている以上、あるいは「国内法に粛々と則る」以上、不起訴に当たって検察当局に許されるのは「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない」の判断のみである。

 この処分保留のままの釈放についての仙谷の発言(2010年9月24日)。

 仙谷官房長官「刑事事件として、刑事訴訟法の意を体して判断に到達したという報告を受けており、那覇地検の判断を了としている。菅総理大臣には、秘書官室から連絡し、那覇地検が発表したあと、外交ルートを通じて中国に通報した。わたし自身は、粛々と国内法にのっとって手続きを進めた結果、ここに至ったと理解している」

 那覇地方検察庁の「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でない」とした「判断」は仙谷の言う「刑事訴訟法の意を体して判断に到達した」処分保留のままの釈放という決定と果たして言えるだろうか。

 那覇地検が釈放の理由の1つに国民への影響や日中関係を挙げていることに関しては次のように発言している。

 仙谷官房長官「検察官が総合的な判断を基に身柄の釈放や処分をどうするかを考えたとすれば、それはそれでありうる」

 先の発言との間に矛盾があることに気づいていない。

 処分保留のままの釈放は「刑事訴訟法の意を体し」た検察官の「判断」だと言っているのである。当然、検察官に許される「総合的な判断」にしても、「刑事訴訟法の意を体し」「判断」――刑事訴訟法に則った判断でなければならないはずだが、そこから逸脱した、刑事訴訟法には規定のない外交上の配慮を加えていた。

 この事件以後、菅首相は対中関係改善を図るために一国のリーダーとしての矜持・自尊心を打ち捨てて、中国首脳との会談を実現させるべくお願い外交に走った。

 だが、その悲壮感の篭った努力の甲斐もなく、会談実現も会談時間も決定権は常に中国が握り、2010年10月4日ブリュッセルで開催のASEM首脳会議で菅・温家宝会談実現に漕ぎつけものの、十分な時間を取って貰えず、中国側から「会談」ではなく、言葉を交わす程度の「交談」と見做される始末だったし、2010年10月29日ベトナム・ハノイので菅・温家宝会談では直前になって中国側がキャンセル。

 だが、日本側が求めて実現できる会談ではないから、多分中国側のお許しが出たのだろう、その後ハノイの会場控室で10分間の“懇談”が実現。

 このことが果たして菅首相の面目を施した(世間の評判を高めた)ことになったのだろうか。菅首相は「天動説か地動説かだ。向こう中心に見るから、こっちが動いているように見える」(MSN産経)と、さも自分の方が主導的立場に立っているかのように見せかける強がりを言っていたが、中国側はこの10分間の“懇談”を時候の挨拶を意味する「寒暄(ハンシュワン)」(asahi.com)だと発表。

 これは10月のブリュッセルの「交談」よりもさらに格下の扱いを意味する表現だと「asahi.com」は伝えていた。

 中国人船長逮捕から釈放に至る菅内閣の外交上の危機管理が中国の外交上の様々な圧力と外交的な軽視を許す波及を導き出すこととなった事実は否定することはできない。

 もしこのような国辱的なお粗末な結末が中国人船長釈放に政治が介入していた事実が加わっていた“ハッピーエンド”だとしたら、今後の日本外交の参考材料とするためにも、その事実の真偽を問う第三者機関による検証委員会を設ける必要が出てくるはずだ。

 菅内閣の福島原発事故対応を検証する検証委員会が設置されて、既に動いている。報告書提出も間近となっている。

 中国漁船衝突事件に関わる菅内閣の対応の適否も喉に引っかかった骨となって残ったままとなっている。


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