国民愚弄の記者会見頻度「野田首相が最高」

2012-02-22 12:43:00 | Weblog

 昨2月21日(2012年)マスコミ各社が野田首相の記者会見頻度を尋ねる赤澤亮正(りょうせい)自民党議員の質問主意書に対して政府が21日午前の閣議で答弁書を決定したとするニュースを伝えていた。

 最初に当たり前のことを断っておくが、首相の記者会見とは首相の国民に対する政策説明の主たる手段である。

 衆議員HP「衆議院質問本文情報」で調べたところ、質問件名「野田内閣総理大臣の記者会見に関する質問主意書」、提出者名「赤澤亮正」、会派名「自由民主党・無所属の会」、質問主意書提出年月日「平成24年 2月13日」、「内閣転送年月日」、「平成24年2月15日」、経過状況「内閣転送」の情報のみで、質問主意書の内容も答弁書の内容も未記載状態のままとなっている。

 提出が2月13日で、閣議決定が2月21日と言うことは提出から決定まで8日後見当ということになる。

 質問主意書と答弁書の両方が記載されている最後のものは「新党大地・真民主」浅野貴博議員の平成24年2月2日提出、質問件名「二月七日の『北方領土の日』における返還要求大会に対する政府の関与等に関する質問主意書」で、野田内閣が閣議で答弁書を決定したのが提出から8日後の二月十日、そして横路孝弘衆議院議長の答弁書受領年月日が同じ日の「平成24年 2月10日」

 8日後見当の閣議決定が慣習となっているのかどうか調べれば分るが、問題はHPに記載されるまでの時間である。2月3日提出の木村太郎自由民主党・無所属の会派所属議員の「今季の豪雪による教育現場に係わる対策に関する質問主意書」は内閣転送年月日が2月8日、8日後見当の閣議決定とすると、2月16日頃に閣議決定しているはずだが、昨日で5日経過しているにも関わらず、質問主意書の内容はHPに記載されているが、答弁書の内容は未記載のままとなっている。

 マスコミには閣議決定当日に答弁書の内容が伝わるが、木村太郎議員の質問書に対する政府の答弁書を例に取ると、その内容に接するには少なくとも5日以上は待たされることになる。

 民主党は情報通信に関して「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」を立ち上げている。機械的な機器の面で情報通信速度が高度だというだけでは「高度情報通信ネットワーク社会」とは言えない。単にハコモノが立派だと言えるのみである。必要とする情報を社会が広範囲に速く詳細に共有でき、社会の側がその情報を何らかの形で活用することによって初めて「高度情報通信ネットワーク社会」と言えるはずだ。

 当然、情報伝達と共有の間に滞留も部分的独占の不平等もあってはならないはずだが、適正な機能発揮に程遠い「高度」とは言えない状況にあるように思えてならない。

 各記事から窺うと、野田首相の記者会見回数(=国民に対する政策説明回数)の少なさを尋ねた質問主意書であって、対して答弁書は記者会見回数(=国民に対する政策説明回数)は歴代首相の中で野田首相が一番多いとする内容のようである。

 次の記事から、どういうことなのか見てみる。

 《会見頻度「野田首相が最高」=橋本内閣以降で比較-政府答弁書》(時事ドットコム/2012/02/21-12:11)

 野田首相就任昨年9月2日から今月13日までの記者会見数は来日した外国要人との共同記者会見を除き9回。約18日に1回の頻度。菅前首相が約24日に1回。

 答弁書一部内容「頻度は、(最近)10人の首相の中では、野田佳彦首相が最も高くなっている。

 野田首相は、国民に対し首相の考え方を示すべき時に(会見を)行っている。

 (ぶら下がり取材に応じない理由に関して)記者会見などで、しっかりと丁寧に受け答えを行い、国民に考えを伝えたい」
 
 記事解説。〈野田首相の在任日数は13日時点で165日。長期政権だった小泉純一郎氏は「約58日に1回」で10人中9番目だが、平日は原則1日2回のぶら下がり取材に応じており、会見頻度だけで「国民への発信度合い」を判断するのは困難との見方も出そうだ。〉・・・・

 問題は「発信度合い」よりも、国民との間の“情報共有可能性”であろう。いくら「発信度合い」を2倍3倍に増やしても、尽くした言葉が満足に伝わらず、“情報共有可能性”が低かったなら、「発信度合い」は無意味化する。

 険悪な関係に至った夫婦は“情報共有可能性”という点で限りなく阻害状態に陥る。夫が何を話しても相手はその情報を受け付けまいとするだろうし、妻が何を話しても、夫の腹立ちを高めるだけで、情報共有に拒絶反応を示して、“情報共有可能性”は絶望的となる。

 また“情報共有可能性”は情報伝達手段に負うよりも、人間が自ら発する言葉を用いた情報伝達能力に負う。

 いわば自分の言葉を第三者に理解させるには「発信度合い」(=国民に対する政策説明回数)でもなく、テレビやラジオ、新聞といった情報媒体を使った情報伝達手段でもなく、偏に自身の言葉が可能とする理解(=情報共有)だということになる。

 テレビの同じお笑い番組に出ているお笑いタレントでありながら、ファンや視聴者との間で“情報共有可能性”に違いが出てくるのはお笑いをつくり出す言葉の能力の違いによるのと同じことである。

 勿論、ヒトラーの自らの言葉を巧みに用いた巧みな演説がドイツ国民を魅了したことからも分かるように、その言葉が常に正しいとは限らない。正しくない言葉も往々にして第三者を理解させる。
 
 男が女を、女が男を騙すことができるのはこのためである。

 成功した振込め詐欺もこのことを証明している。

 記事は最後に最近の首相の記者会見頻度を載せている。参考までに引用。

     (在任日数)(会見数) (頻度)
橋本龍太郎  932日   19回  約49日に1回
小渕恵三   616日   11回   56日に1回
森喜朗    387日     5回  約77日に1回
小泉純一郎  1980日   34回  約58日に1回
安倍晋三   366日     7回  約52日に1回
福田康夫   365日     9回  約41日に1回
麻生太郎   358日   10回  約36日に1回
鳩山由紀夫  266日     5回  約53日に1回
菅直人    452日   19回  約24日に1回
野田佳彦   165日     9回  約18日に1回

(注)敬称略。野田首相は2月13日現在。会見数は首相官邸で行ったものに限る。来日した外国要人との共同会見は除く(以上)

 記者会見の頻度を野田首相から数えて歴代「10人の首相」を取り上げて比較し、最も頻度が高いと自身を一番に置いた。記者会見の回数に関して自身を一番立派だとしたのである。

 だが、「発信度合い」(=国民に対する政策説明回数)よりも、“情報共有可能性”がより重要であることからすると、単に頻度を基準とした機械的な自他の比較は創造力のお粗末さをもまた証明することになる。

 また頻度を基準とした機械的な自他の比較は時代時代の政治全体に対する国民の関心の度合い、各政策や諸問題に抱く個別的な政治的関心の強弱を無視することによって可能となる。

 自社さ連立政権の村山内閣が所得税を減税して消費税率を3%から5%に引き上げる「所得税法及び消費税法の一部を改正する法律」(平成6年法律第109号)を1994年〈平成6年〉11月に国会成立させ、2年後の1996年〈平成8年〉6月に橋本内閣が5%実施を閣議決定している。

 当然、村山内閣から実施に至る橋本内閣に於ける消費税に対する国民の政治的関心は高まっていたはずだ。

 だが、現在再び消費税5%から10%への引き上げを既定路線としている野田内閣に対する政治的関心を社会保障制度の破綻状況や国家財政の当時以上の悪化状況等を併せ考えると、当時の政治的関心と同等に扱っていいものだろうか。

 現在の生活と将来の生活に対する不安は当時と比べ物にならないくらいに強いはずで、国民の政治的関心はより高まっていると見なければならない。当然、国民のそのような政治的関心の高まりに対応して政治の側からの情報発信(=国民に対する政策説明)は記者会見等を通じて“情報共有可能性”の機能を持たせて行われなければならない。

 だが、各マスコミの世論調査によると、野田首相の説明不足を指摘する国民が半数以上を占めているばかりか、最悪8割を超えていて、“情報共有可能性”が機能していないことを示している。

 このことと、「支持政党なし」、あるいは「無党派」と言われる層が50%前後から、60、70%近くに及んでいる状況は国民の政治的関心の高まりに反して政治が国民の期待に応えていないことの反動としてある政治不信という逆説性の現象としてある無党派状況であるはずだ。

 元々政治に無関心なら、政治不信は起きない。政治に無関心からの無党派層と政治に関心がありながら政治不信を核とした無党派層は似て非なるものである。

 最近の無党派層の増加部分は政治不信に発した動向と見るべきだろう。

 当然、野田首相は国政を担っている責任者として政治不信を溶解して“情報共有可能性”を機能させる情報発信(=国民に対する政策説明)に心がけなければならないはずだ。

 では、その心がけが効果を上げているかというと、特に野田内閣に於いて重要な政策となっている消費税増税を含めた「社会保障と税の一体改革」が世論調査に現れているように国民の理解を得られていない、説明不足だとして「全国対話集会」と謳って、関係閣僚を動員、全国各地で開催していることは“情報共有可能性”の効果を上げていなかったことの証明以外の何ものでもない。

 いわば記者会見にしてもその他の情報発信にしても国民との間に“情報共有可能性”を機能させるに至っていないにも関わらず、野田首相は歴代首相の記者会見頻度を機械的に比較して、その頻度は自身が最も高い看做して、それで良しとしている。

 このように時代時代の国民の政治的関心の対象や関心の度合いの違い、国民との間の“情報共有可能性”の状況を抜きに単に歴代首相の記者会見の回数(=国民に対する政策説明回数)との比較で自身の記者会見に問題なしとするのは国民愚弄の態度なくしてはできない記者会見頻度ではないだろうか。


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